第40話 「綾人はさ、いつも真面目すぎると思うなぁ」


「え、えっと。どういう状況?」


 みなが荘の居室。そこに座る謎の金髪美女。その人を見た亜沙子は戸惑いを隠せていない。

 だが、それよりも戸惑いを隠せないのは俺だ。すました顔で並んで座る2人の眼前に腰を下ろしているが。

 会っていきなりダイビングハグして、何やら外国風の挨拶を、キス的なやつまでしていたのだ。


「平常心でいられる方がおかしいだろ」

「えっと。感想はいらないから。状況を.......」


 冷蔵庫の中から冷えた麦茶を取り出しながら。腕を絡めたり、色々する金髪美女。

 顔を赤らめ、嬉しそうな顔を浮かべている綾人さん。その2人を白い目で見ている亜沙子が、コップにお茶を入れてから配り、俺の隣に腰を下ろす。


「それで、その.......。一体この人は誰なんですか?」


 厳しい目を綾人さんに向けた亜沙子。そんな亜沙子に、金髪美女は僅かな嫌悪感すら滲ませることなく。満面の笑みを浮かべて口を開いた。


「この子たちが新しい寮生ね」

「何を言ってるんですか?」


 怪訝な表情を浮かべた亜沙子に。それを気にした様子もなく、金髪美女は席を立って俺たちの方へと歩いてくる。


「な、何ですか?」


 恐らく青色のカラーコンタクトだろう。目の中心に黒を残し、その周りは青色になっている。

 そんな瞳で真正面から見られた亜沙子は、少しおののいた様子で言葉を放った。


「んー。可愛い子だぁ!」


 その亜沙子の雰囲気も読み取ることが出来ないのだろうか。金髪美女はテンションを上げて、亜沙子に抱きついた。


「いやぁ、こんな可愛い子が増えるなんて! みなが荘も捨てたもんじゃないよ!」


 金髪美女はケラケラと笑いながら、亜沙子を強く抱きしめる。


琴音ことね、亜沙子ちゃんが苦しそうだよ」

「あ、ほんとだぁ! ごめん、大丈夫!?」


 金髪美女を琴音、と呼んだ綾人さん。いつもの口調ではない。語尾に名詞をつけることはなく、穏やかで優しさのこもった音だ。それを聞いた琴音、という人は抱き締めていた亜沙子を解放する。


 琴音.......?

 どっかで聞いたような、見たことがあるような.......。よくある名前だと言われてしまえば、その通りなのだが。

 でもそれだけじゃない。

 つい最近、どこかで見かけたような。そんな気が――


「あっ」


 不意に、脳裏に蘇った名前。それは俺が疑問に思い、恐怖すらした時の記憶。多分俺が来た日からあったはずだが、つい先日気がついた名前だ。


「どうかしたの?」


 抱き締められたことに不快感を覚えたのだろう。軽く琴美、という人を睨みながら。亜沙子は俺に訊いた。だが、俺は亜沙子のそれに答えることはせず。代わりに、琴音と呼ばれた金髪美女に視線を向けて訊く。


若葉琴音わかばことねさん、ですか?」


 玄関にある住人表に連なった名前。顔も声も性格も、何も知らない人の名前を口にした。


「え、どうして知ってるの!?」

「稜くんに伝えてたっけ?」


 驚いた様子を見せた若葉さん。大きな目をぱちくりさせている。

 それに続いて綾人さんも少し驚きの混ざった声で俺に言った。


「伝えられてないし、実際誰かもわかんないです」

「じゃあ、何で知ってるの?」


 え、なんでちょっと冷たい視線なの。

 疑問を口にした亜沙子は、どうしてか怪訝な表情で、言葉にも棘があるような。そんな感じだ。


「玄関のところにある、住人表に名前があった」

「よく見てる! この子天才なんじゃない!?」


 俺の言葉を聞いた若葉さんは、座ったままの俺に、先ほど亜沙子にしたように抱きついた。

 どうやら若葉さんには抱きつきぐせがあるらしい。綾人さんにも、亜沙子にも抱きついてたし。


 だが、それと同時に空気が凍る。

 隣にいる亜沙子からは凍てつくような冷たく凍えた視線が向けられ。眼前にいる綾人さんからは、ボコられそうな強く鋭い視線が向けられる。

 ちょっ。俺、何もしてないよね?

 不可抗力ってやつだよね?


「て、天才だったら。ここに居ないですって」


 若葉さんの肩を押し、離れるように促しながら。言葉を放つと、若葉さんの顔が納得のそれに変化する。だが、まだ離れてくれない。

 いい香りもするし、柔らかい感触もあるから嫌という訳では無いけど。

 視線が痛い。でも、そんなことよりも。俺には最愛の彼女が、夢叶がいるから。


「離れて貰えますか?」


 いくら押しても察してくれないなら。言うしかない。

 俺の言葉を受けた若葉さんは、ハッとした表情を浮かべ、ゆっくりと俺から離れた。俯き加減の若葉さんに、言いすぎたかな。なんて思ったが、持ち上げた顔に悪びれた様子はなく、極上の笑顔を浮かべている。


「もう、照れちゃって! 可愛いぞ!」


 若葉さんは俺から離れてはくれた。が、楽しそうに立てた人差し指を俺の頬につけた。


 あ、この人.......。アホだわ。


 周りの空気がめちゃくちゃ凍っているというのに。

 それに気づいた様子がなく、ただ自分の思ったこと、感じたことだけを楽しそうにしている。


「そんなんじゃないですって」


 体を逸らし、若葉さんの指から逃れようとする。だが、それでも。おりゃおりゃ、と楽しそうに攻めてくる。

 これ以上何かをすれば。綾人さんが黙っていないぞ、という怖い笑顔を浮かべているから。

 どんどんと背を逸らしていく。

 次の瞬間――


「うわぁ」


 背を反らしすぎて、バランスを崩してしまった。声と同時に天井が目に映る。上を向かなければ見ることの無い天井が。それが視界に捉えられた。

 やばい! これは頭打つ.......。

 恐怖から逃れるように、俺は目をつぶった。だが、その強い衝撃が俺の脳天に訪れることはなく。代わりに、柔らかい感覚が頭を包み込んだ。


 な、なんだ?


 そう思い。閉じていた目をゆっくりと開いた。すると、眼前にあったのは亜沙子の顔だ。

 そして、俺の頭を包んだ柔らかい感覚は亜沙子の膝だった。


「え、えっと.......」


 俺と若葉さんを見ていた冷たい視線はどこへやら。

 俺を見下ろす亜沙子の目は恍惚としており、頬も赤く染めている。


「ご、ごめん!」


 慌てて声を上げる。

 こんなことをするつもりなんてなかった。亜沙子の想いを知っているからこそ。夢叶と付き合っている俺が、こんな行動をしてはいけないと。そう思っていたのに。

 そのままガバッ、と体を起こす。


 ――ゴツン


 俺と亜沙子の額がごっつんこする。


「え、えっと。どこの喜劇?」


 離れて額を抑えていた俺たちを見て。若葉さんは笑いながら、そして少し戸惑いを見せながら。そう聞いてくる。


「そ、そんなんじゃ! マジで痛いんだって」


 ちゃんと言葉を紡ぐ余裕が無いくらいの痛みに、早口になる。たまにギャグ漫画とかで見るけど。実際なると、言葉にできない痛みが走る。

 痛すぎて。あまりに痛すぎて。目から涙が.......。


「え、泣いてる!?」


 もう言い返す力もない。痛すぎて、言葉が出ないんだけど。

 そんな様子の俺たちでも面白いのか。若葉さんは、ケラケラ笑っている。


「琴美。いい加減座れば?」


 そんな若葉さんに。綾人さんが穏やかな目で、穏やかな声音で告げた。

 その声に。暴走列車のような若葉さんも反応を見せた。


「綾人はさ、いつも真面目すぎると思うなぁ」

「そんなことはないよ。ただ、琴音が何も気にしてないだけだよ」

「すーぐそんなこと言う!」


 まだ痛みを感じているというのに。俺と亜沙子のことを気にする様子はもうない。

 飽きた、という感じだろうか。


「いいから。稜くんと亜沙子ちゃんも困ってる」

「えぇー!?」


 綾人さんの言葉を受け、眉間に皺を寄せた若葉さんは。俺たちを一瞥する。


「痛そうにしてるだけだよ?」

「琴音が暴走するからでしょ?」

「し、してないし!」


 自覚はあるのだろう。少しセリフがどもった。


「じゃあ、こっちおいで。それで隣に座ってよ?」

「うん」


 上がったテンションが落ち、萎れたような言葉で返事をした若葉さん。そうすることで、ようやく部屋に落ち着きが取り戻される。

 綾人さんの隣まで戻り、席に座った若葉さん。


「じゃあ、改めて。ぼくから紹介するよ」


 若葉さんが席に着いたのを横目で確認した綾人さんが。やりたいように、言いたいように振る舞っていた若葉さんの代わりにそう言い、仕切り直すのだった。

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