第10話 「分からないのは当たり前だ」


 うぅ……。なんで、なんであんなことしちゃったんだろう。

 昨日、稜くんがプリント作成を手伝ってくれたことを思い返すだけで、顔が赤くなっちゃう。


「あぁ、ほんとにどうしよ」


 化粧もほとんどしてないし、稜くんと話す事が恥ずかしいって理由だけで駆け出して来ちゃったけど。

 腕時計に視線を落とし、時間を確認する。まだ出勤時間にはかなり余裕がある。


「一旦帰ろうかな」


 俯き気味にそう呟くと、裏路地に入り最寄りの大里駅へと向かう。

 このまま歩いて行ってもあるのは学校だけ。でも、道を引き返すとみなが荘が見えるし、もしかしたら稜くんが追いかけてるかもしれない。

 だから、裏路地に入る。

 今、稜くんと顔を合わせるわけにはいかない。


 さっきの話した時も、平静を装うだけで精一杯だったし。

 なんであんなことしちゃったんだろう。


 家屋が建ち並び、軽自動車でも通り抜けが厳しそうな細い道。水平線から顔を出したはずの朝日すらまともに届かない、日陰の裏路地を歩きながら思い返す。


 私のプリント作成の手伝いで疲れて眠っちゃった稜くん。

 その寝顔は、本気で私に恋を打ち明けてくれた時の顔とは違った。あどけなさが残った、無邪気な表情。

 そのギャップに気の迷いが生じてしまったのかもしれない。


 高校生時代。私はあまり精力的に勉強に取り組んでいなかった。そのため、自分の学力でいける大学は自ずと限られてしまった。

 両親からは自宅から通えるところにしろ、と言われていたため国公立大学なら1つ、私立大学なら3つにまで絞られた。

 その中で私が選んだのは、国公立大学の教育大学だったのだ。

 だから、先生という職業に昔から憧れていたわけでもなく、成り行きでなったという方が近いだろう。

 それでも、大学で学びを深め、教育実習へ行ったりするうちに先生という職に憧れを持つようになった。

 しかし、日々のニュースでは教師の生徒に対する不誠実な行動が話題となり教師への信頼が落ちつつある現実に悲しくもあった。

 それで私は決めたんだ。

 ――誰よりも先生らしい先生になるんだって。



「そう心に決めていたのになぁ」


 大里駅が眼前に迫っている。次の電車が来る時間を電光掲示板で確認しながら、私はそう呟いた。


 好意を抱いてくれていることに漬け込んでいるみたいだ。もし、あの時。青井くんが来てくれなかったら。私はどこまでいってしまってたのだろうか。

 その事を考えると、青井くんがあの時声をかけてくれてよかったって思えた。


 後、5分後に電車が来ることを視認してから自宅の最寄り駅である姫坂駅までの切符を買う。

 眠ったはずなのに、気だるさが取れない。重い足取りのまま改札口を抜け、ため息をつくのだった。


 * * * *


「おはよ」


 自室から居室に移動してきた海斗先輩が、俺を見つけるなりそう声を発する。


「あぁ、おはようございます」


 髪の毛全体に寝癖を付けた海斗先輩にそう返事をする。心の中は今朝の先生とのやり取りで、揺れ動いている。

 先生が逃げるように去って行ってしまったこと。

 トレードマークのような笑顔がほとんど見られなかったこと。

 気になることがありすぎる。でも、海斗先輩にまで心配を掛けるわけにはいかない。だから、俺はいつも通りを装った。


「何かあったのか? 夢叶先生と」


 どうやら俺の努力は無駄だったようだ。

 海斗先輩は寝起きということもあるのだろうが、少し気だるげな声色で俺に訊く。

 そしてそのまま、食器棚からコップを冷蔵庫からはミネラルウォーターを取り出す。


「別に。海斗先輩に言うようなことはありませんよ」

「言わんでもいいようなことはあった、ってことか?」


 コップに入れたミネラルウォーターを一気に飲み干し、海斗先輩はそう口にした。


「え、えっと.......。それは」

「まぁ、言いたく無いなら言わなくていいぜ」


 ミネラルウォーター1杯では足りなかったのだろうか。海斗先輩はもう1杯、それをコップに入れて飲む。


「言うとか、言わないとか.......」


 別に言い難い訳では無い。でも、何て説明すればいいのか分からず、曖昧な言い回しになってしまう。

 俺が何をしたのかも分からない。ただ、夢叶先生がいつもとは違っていた。それだけだったような気がする。


「よく分かんねぇ、ってか?」

「そうですね」

「そうですねって。それを分かってやるのが男ってもんだろ」


 自分が飲んだコップを水ですすぎ洗いながら、海斗先輩は少し呆れたように言い放った。


「でも、俺。何がどうなってるか」


 全然分からない。女心とか、そんなの分かりたくても分からない。

 自分の事だって、全部分かってない。それに血の繋がりがある家族のことだって、分からない。それなのに、血の繋がりもない、異性の心なんてわかるわけが無い。

 分かりたいとは思ってる。思ってるけど――


「分からないのは当たり前だ。だから、恋愛は難しいんだよ」


 コップを洗い終えた海斗先輩は、俺の隣の椅子に腰を下ろす。

 寝癖のついた髪を掻きながら、短く息を吐いた後、更に言葉を紡ぐ。


「成功する時もあれば、失敗することもある。でも、稜は恋愛で1番難しい想いを伝えるってことが出来てるんだ。きっと大丈夫だよ」

「海斗先輩.......」


 海斗先輩の励ましの言葉が嬉しくて、少し元気が出た。

 夢叶先生がどんなことを思っていても、俺が夢叶先生を好きという気持ちが変わることは無い。

 それに夢叶先生の態度が少し変だったと言えど、俺と話してくれなかった訳では無い。

 ぎこちない笑顔ではあったけど、笑顔は見せてくれんだ。

 きっと、きっと。大丈夫だ。


「あっ、そうだ。海斗先輩」

「ん?」


 海斗先輩の言葉で少し気持ちが楽になり、今朝の夢叶先生の言葉を思い出す。


「これ、海斗先輩が言ってくれたんですってね。ありがとうございました」


 風邪ひかないように、と海斗先輩が夢叶先生に助言をしたこと。それを知っているからこそ、俺はお礼を告げる。


「ん……?」


 分かりやすく布団を指さして言ってる。それにも関わらず、海斗先輩は鳩が豆鉄砲を喰らったかのような。驚きで満ちている。


「えっ。だって、夢叶先生が海斗先輩が持ってきてくれたって――」

「えっ、あ、うん。まぁ、うん。そういうことで」


 俺の言葉を聞いた海斗先輩は曖昧な返事をする。いつもなら、いい事しただろう、と言わんばかりのドヤ顔を浮かべるだろう。それが無いだけに不思議に思い、眉を顰めていると居室の外から蝶番が軋むような音がした。

 恐らく、綾人さんが目を覚ましたのだろう。


「たぶん、まぁ。99パーセントあのことだろうな」

「何のことですか?」


 食い入るように訊くも、海斗先輩ははぐらかすようににんまり笑うと俺の肩に手を置く。


「今回のは気にすんな。それと、意外に脈アリかもな」


 どこか羨ましいそうな目を残したままそう言うと、海斗先輩は椅子から立ち上がった。それと同時に居室のドアが開き、眼鏡姿の綾人さんが姿を見せる。


「おはよう。2人が早起きとか珍しいこともあルビー」

「うっせぇ。たまたま目が覚めたんだよ」


 朝から通常運転の綾人さんに、海斗先輩はそう吐き捨て居室を出たのだった。


 * * * *


 なんだよ。あの二人。結局上手くいのかよ。


 昨夜見た、光景が目から離れない。

 居室で稜と夢叶先生が二人仲良く作業をしていた。嬉しそうな稜の顔と、いつも以上に輝いて見えた夢叶先生の笑顔。

 何だか付き合いたての二人みたいで、見ているこちらがむず痒くなるような、そんな感じだった。


「俺もあんな風になれたらなぁ.......」


 ベッドに転がり、天井を見上げ、弱々しく吐き捨てる。

 いつか想いは届く。俺が大きくなれば、想いは届く。

 そう思い続けてた。でも、俺が成長すれば、もちろん相手も成長する。そんなことに気づかないほど、盲目してた。

 そして、気づかぬ間に誰かのものに.......。


「クソが。あんなもん見せんじゃねぇーよ」


 溢れる涙で視界が歪む。下唇を噛み締め、鼻で大きく息を吸う。

 稜が上手くいく姿を見るのは嬉しいことだ。あいつが幸せになるんだから。でも、それと同時に悔しさがこみ上げる。

 どうして、俺は上手くいなかったのか、と。


 連絡先すら知らない。

 "あの人"の今の住所も。何も知らない。


「ちゃんと、聞いてればよかった」


 遅い後悔を口にし、俺はゆっくりと目をふせた。同時に、目じりに溜まっていた涙がスっと流れた。

 そして、昨夜の稜と夢叶先生の様子が思い返される。


 プリント作成を手伝う稜。大方を手伝え終えたのだろう。稜はプリントに文字を書いていく夢叶先生をうっとりと眺めている。

 それがしばらく続くと、稜は船をこぎ始めた。

 時刻は1時を少し回ったところ。いつもの稜なら爆睡している時間だ。

 眠くないわけが無い。

 それでも稜は必死に起きていようと努力をしている。その必死さがこちらにも伝わってきて、少し笑ってしまう。

 だが、その努力も数分後には泡沫へ。稜はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 それを見た夢叶先生は、小さく笑っていた。


「ありがとね」


 そして小さく呟いた。

 俺はそこまで見て、部屋に戻った。稜が頑張って想いを告げたことを聞いていたから、楽しそうな二人を見て心底よかったな、と思えた。

 しかし、そこには先生と生徒との壁があると思っていたから。俺と同じで、絶対に叶わない恋だと信じてやまなかったから。


 しばらくして、俺は喉が渇き居室へと向かった。

 いきなり居室に入り、稜を起こしても可哀想だと思い、まず居室の様子を覗いた。


 すると、夢叶先生と稜との距離が先程より縮まっていた。

 稜の寝ている位置は先程と変わっていない。

 だから、夢叶先生が稜に近づいたということだろう。


「う、嘘だろ.......」


 俺は思わず口から言葉が出た。


「えっ!?」


 その言葉に夢叶先生は目を丸くして、俺の方を見た。そして、慌てて稜と繋いでいた手を放した。


「せ、先生.......?」


 ゆっくりと居室へと入り、最初に出た言葉がそれだった。

 別に悪いこととは言わない。稜の想いを知っているから、言うことは別にない。

 それでも、驚きのが勝った。

 叶わない、そう決めつけていたのものが瓦解した。たったそれだけで、俺の心が決壊しそうになっていた。

 女と体と合わせて寂しさを埋め。叶わない稜の恋を見て、心の支えとしていた。

 だから、俺はその光景が受け入れられなかった。


「こ、これはね。えっ、えっと.......」


 夢叶先生は挙動不審な様子で、定まらない焦点で俺を見て、言い訳を探す。

 顔を真っ赤にして、どうにか言い訳を探そうとしている。その様子は恋に慣れていない女子中高生を見ているようで、少しおかしかった。


「稜が風邪ひかないように、温めてくれてたんですよね」

「そ、そう。そうなのよ」


 目は泳ぎまくっている。夢叶先生は俺が垂らした細い細い、希望を必死に掴みこの場を切り抜けようとしていた。


 悔しさでいっぱいだった。俺が叶えられなかった歳上の人との恋を叶えようとしているから。でも、今ここで事を荒らげても、いい事なんてない。きっと稜が悲しむ。

 悔しいけど、同じ別れるならちゃんと振ってもらった方がいい。それは俺が1番知ってるから。


「俺、稜の部屋から布団取ってきますね」

「う、うん。お願い」


 その後俺は布団を夢叶先生に預け、部屋に戻り目をつぶった。まぁ、あんまり寝れなかったけど。




 涙は止まらない。腕を目にあて、一気に拭い去る。目を開けても、まだ視界が濡れている。でも、いつまでも悲しみに打ちひしがれてはいられない。

 "あの人"への想いはいつか超えなければならないものだから。


「いい人、現れないかな」


 直ぐに体合わせるようなやつじゃなくて、ちゃんと俺が好きになれる。そんな人が――

 そんな時、俺のスマホが振動をした。

 濡れる視界を再度、腕で拭ってからスマホを手に取る。まだ7時過ぎだと言うのに、画面は着信を示す表示だ。


「なんだよ。こんな時間に」


 画面に出た『実家』の文字を見てそう吐き捨てる。すると、先程の涙で少し声が変わっていることに気づいた。それを誤魔化すように、大きく咳払いをしてから、電話に出た。

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