第4話 「でも、嫌ならしょうがないか」


 翌日。俺はいつものようにみなが荘から学校に行った。海斗先輩はいつの間にかみなが荘から出て行ってて、それを綾人さんに聞いても何も教えてくれない。


 まぁ、どうせ女の人の所なんだろうけど。




「おはようございます」


 教室に入ると、夢叶先生がいた。登校してくる生徒一人一人に声をかけている。

 それは俺も例外ではない。


「お、おはようございます」


 どこかぎこちない挨拶に、夢叶先生は小さく微笑んだ。

 昨日の告白が脳裏を過ぎるのに、先生はまるで何もなかったかのようだ。

 やっぱり、子どもの戯言のように思ってるんだろうな。


「今日は遅刻じゃないのね」

「遅刻はほとんどしてませんよ」

「そうだっけ?」


 教卓前の俺の席。その上にカバンを置いた所で、夢叶先生が話しかけてくれた。

 丁寧に化粧がされている。朝だと言うのに、しんどそうな、眠そうな顔一つせずに凛とした様子で俺を見た。

 たったそれだけ。何も変わったことはない。

 にも関わらず、俺の鼓動は早くなっている。


「そうですよ。しっかり俺を見ててください」


 早る鼓動を抑えるようにして、言った。周りにクラスメイトもいるし、緊張した。でも、考えていることが口から出た。いや、正確には出てしまったと言うべきだろう。


「そ、そうだね」


 俺の言葉に、夢叶先生は少し早口で答える。いつもの夢叶先生らしくない、慌てた様子を変に思った。その違和感を確かめるため顔を上げると、夢叶先生が顔を少し朱に染め、視線が泳いでいるのが分かった。


「せ、先生?」

「あ、おはようございます」


 不思議に思い呼びかけるも、夢叶先生は視線を泳がせながら無視をした。無視して、新たに教室に入ってきたクラスメイトに声をかけた。

 な、なんで?

 夢叶先生に無視されたことが辛くて、指一本すら動かす力が湧いてこない。

 もう何もしたくない。絶望感、脱力感。そう言ったものが全身を蝕んでいくのが分かる。


「何ぼーっとしてんだよ」


 このセリフ……。昨日夢叶先生に言われたのと同じ。

 昨日のことで、まだ24時間も経っていないというのに遠い昔の事のように感じてしまう。だが、今そのセリフを吐いたのは先生ではない。


「何にもないよ、卓」


 野球部で2年生ながらエースナンバーを背負っている瀬尾卓也せおたくや

 高身長で坊主頭という見た目で、常に野球のことを考えているやつだ。高一から同じクラスで仲が良い。


「ほんとか? そうには見えなかったぞ?」

「そう見せてないだけだ」

「変わった見せ方するよな」


 鵜呑みにはしていなことが直ぐにわかった。少し疑った表情が残っている。でも、卓はそれ以上何も聞いてこない。

 決してこちらの触れられたくない部分には触れてこない。

 それが良いところであって、悪いところだと俺は思う。


「そういう男なんだよ」

「あっそ。まぁ、それはいいとして結局部活には入んないの?」

「予定はないな」


 全教科置き勉をしているので、カバンの中にあるのは筆記用具くらいだ。それらを取り出し、机の上に出しながら答える。


「何でだよ。せっかく運動神経良いんだし何かやればいいじゃん」


 自慢じゃないが、そうなのだ。勉強は出来ないが、スポーツはできるタイプ。つい先日行われた新体力テストでは、学年ベスト3に入るほどの成績を残している。


「んー、面倒臭いしいいや」


 別段やりたい競技もないし、俺は卓の誘いを断る。すると卓は、少し残念そうな顔を浮かべて言う。


「そっか。でも、嫌ならしょうがないか」

「あぁ。すまんな」

「いや。まぁ、また気が変わったら言ってくれよ」


 卓がそう言うと同時にチャイムが鳴った。

 朝のホームルームが始まる合図だ。夢叶先生は各教室にある事務机から教卓の前まで移動すると、俺たちの方をむく。


「みんな、おはようございます」


 夢叶先生はまずはじめに挨拶を口にする。それに対し、俺たち生徒から疎らに挨拶が返される。ちなみに俺は、いつもは元気に返していた。でも、今日だけはそんな気になれなかった。


 いつもどんな顔で、どんな風に話していたかさえ分からない。

 全部がぐちゃぐちゃで、わけわかんなすぎて夢叶先生を直視することすら出来ない。

 うつむき加減のまま、夢叶先生の続きの言葉を聞く。


「1時間目の現代文なんだけど、担当の光吉みつよし先生がお休みになられたので、自習となります」

「自習かー」

「ラッキーじゃん」


 夢叶先生の言葉にあちらこちらから喜びの声があがる。


「あ、今みんな楽できると思ったでしょ?」


 顔は上げていない。でも、その声音で分かる。どこか嬉しそうで、楽しそうな表情を浮かべていることが。


「でも、ちゃんと代わりの先生が来るから」

「えぇー」

「来なくてもちゃんとしますよー」


 手のひら返しのブーイングに、夢叶先生は声を上げて笑った。

 俺は全く笑えない。自習なんてそんなのどうでもいい。

 どうすれば、夢叶先生にちゃんと気持ちを伝えられるのか。どうすれば、好きだって分かってもらえるのか。

 そんなことばかりが頭の中を巡っている。


「えぇー、でも私が来ることになっちゃってるから来るよ?」

「えっ……」


 夢叶先生の言葉に、思わず言葉が洩れた。

 私が来ることになっちゃってるって、夢叶先生が自習の見守りに来るってこと?

 今日は歴史の授業がないから夢叶先生に会える時間は少ないな。なんて思っていただけに、急に胸が踊る。それと同じくらいに胸が締め付けられる。


 先生と居られることが嬉しい。でも、先生は俺を無視する程に嫌ってしまったのではないか。

 先生の笑顔が、声が、その全てが幸せに変わるような気がする。

 しかし、先生といる時間が長ければ長いほど、生徒としての認識が強くなり、俺の思いは届かなくなるのでは。


 夢叶先生への思いが膨れて溢れる。だが、それでいいのかという思いが、純粋な気持ちを捻れ、拗れさせる。


 俺は間違った恋をしてしまっているのかもしれないな。


 眼前には、楽しそうに話している夢叶先生がいる。きっと、夢叶先生は先生でいる事が楽しいんだ。もし、俺と先生に何かしらの過ちが出来てしまえば、夢叶先生はもう先生には戻れない。

 だったら、隠したままの方が良かったのかな。


 いつの間にか、俺は両手を強く握りしめていた。

 爪が皮膚にくい込み、真っ赤になっている。


 あぁ、もう。訳わかんねぇ。

 これからどうすればいいのかな……。


「それじゃあ、ホームルームはこれまでね」


 俺が色々と考えているうちに、ホームルームの終わりが告げられた。

 1時間目が自習になること以外全く聞いていなかったが、まぁ何とかなるだろう。

 最悪の場合、卓に聞けばいい事だし。


「あ、そうだ」


 ホームルームを終え、教室を出ていこうとした夢叶先生が足を止める。呟くように言葉を零しながら、俺たちの方を……いや、俺を見ながら言う。


「稜くん、ちょっといいかな」

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