16 守るための戦い

 逃げる人々の波を掻き分けて進むのには苦労を強いられたが、最後尾――転じて、モンスターとの戦闘前線に抜けてしまえば後は楽だった。ニナが同行しているので全力疾走とまではいかなかったが、それでも十分早い速度で舗装された通りを踏破していく。


 買い物客で賑わっていた大通りは一転、市民の避難経路となり、あちこちにブルーコートが配備されて比較的安全が確保されていた。ボディーガードを気取っているのか、きりりと表情を改めたエオリア達も周囲の警戒に当たっている。そのためシュリ達の手助けは必要なく、ニナが迂回路を提案し、それに従って突き進んだ。


 もうここがどこか全く分からない。先頭の二の宮と殿のシュリに挟まれて、通話になったままのヴィクスと頻繁に連絡を取り合うニナだけが頼みの綱だ。


「そのまま真っ直ぐ進むっす。もう随分近いっすけど、道の関係上もう少しかかるっすね」


 ハンズフリーを解除し、今は普通の携帯電話と同じようにヴィクスと会話するニナの声に耳をそばだてる。


 もう少し――。その距離が、近くて遠い。それまでにあといくつ戦闘をこなさなければならないのだろうか。


 ニナを助けた際の二の宮の速攻は、限りなく有効なカードだった。エンカウントと同時の一撃に敵は多少ながらも怯み、その混乱の隙をつけばあっけなく倒れてしまう。

 四道の銃と同じ原理で働くシュリの武器は、所持者の念を込めることでキューブと干渉し合い、光の球体を生み出す。それを野球の要領で敵に送り出してしまえば、中~遠距離の攻撃となるのだが、これがまた、近距離攻撃の二の宮と相性が良く、タッグを組むには最適な選択だった。


 問題があるとすれば、それはバトル参加人数が二人しかいないこと。敵が一匹や二匹ならともかく、四匹以上ともなると正直辛い。せめてあと一人欲しいところだが、ニナはキューブの発現者ではなく単なるオペレーターなので参戦させるわけにもいかず、数が多い場合はとにかく一体に集中攻撃を浴びせ各個撃破していくしかない。


 ヴィクス達と合流出来れば、このしんどい行軍も終わるのだろうが……。

 そんな愚痴めいた思考を過らせた、そのとき。


 コウッ、と、耳に慣れない音がシュリの五感を奪った。一瞬だけ眩しく視界を奪われ、聞きなれない音に肌が泡立つ。上空、右後ろから左前へ、斜めに走った音源を求め、頤をもたげて確認すると、細く痩せ衰えた光が虚空に身を溶かす瞬間だけを目撃出来た。

 見た覚えのある光だ。テイルファングリーダーに留めを刺した、あの光。


「サー・セラフィムが動いたみたいっすね」


 同じ光の残滓を見上げ、ニナが呟いた。

 いつの間にか三人とも足を止めており、近くを漂っていたエオリアが光に驚いて硬直していた。

 ヴィクスとの通話は相変わらず繋がれたままなので、ライト少年があの銀髪の熾天使に交渉したのだろう。戦艦を大破させるのではなく、あくまでも動力を奪い、最低限の傷で済ませられている。砲撃手はAIだろうか。もし人間なら素晴らしい腕前だ。

 尾翼を破損した戦艦ルキノはよたよたと体を左右に動かしながらも旋回し、戦艦ストラトスが停泊している海に向かって徐々に高度を下げてきた。どうやらルキノの制御装置は海に不時着が一番安全な着陸方法だと判断したようだ。


「ヴィクス、どうするっすか? ――それがいいっすね。分かったっす」


 受話口を離し、ニナが二の宮とシュリを交互に見た。


「目的地変更っす。海岸に向かいながらヴィクス達と合流するっす」

「オッケー」


 二の宮が頷き、シュリも無言で首肯した。

 進む方向はそのままだが、進路の向きがやや右へと転換した。右へ曲がり、しばらく真っ直ぐ。五ブロックほど進んだところで視界が開け、海岸に沿った通りへと出た。もう数百メートル進めば波打ち際だ。さざ波の音が繰り返し耳を打ち、地球よりもやや希薄な潮の匂いが鼻腔をくすぐる。

 そんな三人の直ぐ真上を戦艦ルキノが過ぎ去り、飛行暴風が吹き荒れて砂が巻き上げられた。目を瞑って風をやり過ごし、吹き去ったところでそっと瞼を押し上げると、戦艦ルキノは浅瀬に無事着水していた。


「ねえ、ニナ? 壁に張り付いてるあのデッカイのって……何?」


 質問しているものの、はっきりと返事をして欲しくない、という本音で声が引き攣っている。ニナもそれには気付いただろうが、彼女は隠し事も嘘もつかなかった。


「クィーンスパイダーっすよ。今まで戦ったリトルスパイダーはあれの卵が孵ったものっす」


 母子と指摘され、なるほどと得心する。どうりで容貌も似ているわけだ。大きさは少々……いや、かなり違うが、長く細い足といい、背中の赤い文様といい、分離した双子としか思えない。


「つまり……あれを倒さないと、また蜘蛛が出てくる……?」

「そうっす」


 大きく頷かれてしまい、二の宮は顔を蒼白にした。どうやら彼女は蜘蛛が苦手らしいが、巨大蜘蛛と一戦交えるか、子蜘蛛と延々戦い続けるか、どちらかを選べと言われれば、殆ど選択の余地はないだろう。それに彼女の性格上、他のメンバーがクィーンと戦うことを選べば意義を唱えられない。団体行動を乱せない性質というのは、こんな時には損をするものなのだ。


「マイ、シュリ、無事か?」


 この数日で聞き慣れた声が通りの向こうからやって来た。戦闘を終えたばかりなのだろう。いつもは背負っている大剣を、今は片手で握り込んでいる。


「あたし達は大丈夫。ヴィクスは? ライトクンも大丈夫?」

「プロに訊くなよ」

「ずるいっすー。ウチは心配してくれないんっすかー?」

「今、通話切ったばっかじゃねえか」


 プロと自賛するだけのことはあった。普段と変わりない気さくな会話の中にも、僅かな緊張が張り詰めていて隙がない。油断なく海岸の蜘蛛に目配せし、注意深く敵を追い掛けている。


「あれ? ねえ、ジンクンと四道クンは?」

「人手が足りないって言っただろ。あいつらは町中で子グモの相手。女王の相手が不満なら、お前がそっちに行くか? マイ」

「うう……どっちもイヤ」


 涙ながらの正直な告白に全員が微苦笑し、場が和む。

 だが談笑を楽しむ余裕は僅かで、すぐにそれを翻すヴィクスの低い声が響いた。


「ニナ、お前はどっか隠れてろ」

「分かってるっす。ウチは足手纏いっすね。――マイ、シュリ、二人とも気を付けるっすよ」

「うん、ニナもね」


 走り去るニナを手を振って見送り、二の宮は両腰のホルスターから短剣を引き抜いた。

 シュリもそれに倣い、ロッドを握り締める。

 緊張で背中が強く筋張っていたが、不思議と不安や恐怖は湧いてこなかった。おそらくヴィクス達が一緒だからだろう。軍人の肩書きに恥じぬ威風を纏った背中が頼もしい。敵を前にしても、むしろ安心感を覚えるのは、ただ単純に二人が戦いなれているからという理由だけではなさそうだった。

 突然異世界に放り込まれても、三好と四道の二人が戸惑いも最小限にテイルファングと戦えた理由が分かった気がした。あの森を抜けられたのは、本当に二人のおかげだったのだ。


「ライト、セラフィムに通達。オレらがクィーンを引きつけている間に、ルキノの連中を避難させろって」

「了解」


 職務中の軍人らしく堅苦しい口調で答え、少年は手早くケータイで問答した。

 砂浜から最も近い人間を女王蜘蛛が視認する。毒々しさを孕んだ紅玉の六つ目で見据えられても、シュリの胸中は凪のように穏やかだった。

 女王が吐いた糸が、近くの椰子の木のような街路樹に巻き付く。普通の蜘蛛なら一ミリにも満たない糸はシュリの二の腕ほどはあろうかという太さで、粘着質の、見るからにしつこそうな糸は頑丈でもあった。

 長く伸びた糸を回収しながら女王蜘蛛が空を飛来し、シュリ達の間際で着地する。

 近くで見ると益々大きい。テイルファングリーダーよりも地に伏しているので威圧感では劣るが、頭胸部から長く伸びた八本の足が横幅を占有し、間合いを大きく独占している。これでは懐に潜り込むのも儘ならない。迂闊に踏み込めば痛い目に遭わされるのはこっちの方だ。


「マイ、シュリ、近付き過ぎるなよ。脚が硬いから十分気をつけろ」

「分かった」


 二の宮は言葉で、シュリは首肯で返答し、ヴィクスの助言を骨身に染み渡らせた。いくら安心があっても、気を緩ませてはいけない。細く長い息を吐き、深呼吸に二秒を費やして神経を尖らせる。


 ――集中。


 シュリの武器は四道と同じ、キューブ保持者専用の武器だ。銃筒から弾が発射される四道の武器に対し、シュリのロッドは中央のクリスタルからボールのようなものが飛び出す。共に原理は全く同じで、戦う意思をキューブが感知しキューブの力を絡め取って武器が攻撃を生み出される。巧く力を発揮するには、力を具現化するイメージと、何よりも強い集中力が必要だ。


 目尻を釣り上げ、敵を睨んだシュリは、ロッドを握る両手に力を込めて思いっきり振りかぶった。

 色を持たない光球が速度を持って女王蜘蛛へと向かう。

 近くのエオリアが至って真剣な表情でシュリの物真似をする。これまでの子グモ戦でも、幾度となく見かけた彼らの物真似は、ただ遊んでいるのではなく、町を守るために自分達も敵と戦いたいという気概が成しているのだと、遅まきながら気付いた。

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