04 異世界
「危なかったなー。大丈夫か?」
そう言って、男は剣を回収し、ひゅんひゅんと空を切って大剣を背中に吊下げた。
身長は三好と同じくらいだろうか。年齢はおそらく二十代中盤から後半。シュリ達と同じ黒い髪はオールバックで固められている。瞳は青っぽい緑色で、花緑青に近い。黒髪との色合いが対照的で印象に残る瞳だ。
「ん? どうした? 腰でも抜けたか?」
男の問い掛けに、シュリは首を横に振って答えた。
「そうか、じゃあ大丈夫だな」
ニカッと屈託なく笑う。どこか二の宮や三好を連想させる笑顔だ。
「んで、お前らドコの部隊だ? こんなところに居るなんて、お前らも吹き飛ばされたんだろ」
男の視線がやおら三好や四道に向けられる。
立ち位置の関係からシュリには二人の顔は見えなかったが、それでも彼らがシュリと同じく首を傾げているであろうとは容易に想像がついた。
部隊……? 飛ばされた……?
「あれ? 違う?」
「違うんじゃないかな」
否定したのは、しかし三好でも四道でもなかった。
樹海の隙間から、闇を割るように少年が姿を現す。目にも鮮やかな金髪がこんなにもくっきりと夜から浮き上がっているというのに、どうして今まで彼の存在に気付かなかったのだろうかとシュリは不思議に思った。瞳は透き通った、少し翠がかった青。ようやく年端に至ったといった風情の、シュリとあまり身長の変わらない少年だ。
しかし外見年齢にそぐわず、手には連発式のライフル、腰にはサバイバルナイフを備えている。
シュリは眉を顰めた。
「お揃いの服を着てるけど、それ、軍服じゃないだろ。ブルーは人数多いから顔なんていちいち覚えていないけれど、少なくともそんな制服は事務官にもいなかったはずだよ」
少年の指摘通り、シュリ達は体裁が整えられた服を着ていた。つまり高校の制服だ。どこの例にも漏れないごく普通のブレザーで、男子はネクタイ、女子はリボンの色で学年が分けられている。シュリ達は三年生を示す赤だ。『ブルー』、などではない。
一方、少年は少し生地の厚い濃紺のタートルネックを着込み、光沢の消えた錆浅葱のパンツは裾を革ブーツの中に入れていた。くすんだ常盤緑のネックウォーマーと革の手袋が暖かそうだ。パンツを止めるサスペンダーはにび色の肩当てと繋がっていて、それが簡素な戦闘服であると気付くのに少し時間がかかる。
また、少年の仲間と思われる男は、パンツやブーツこそ似通ったものだが全体の仕様が異なっていた。同じタートルネックではあるものの色味が少し異なるし、ポケットの多い胴着を着込んでいて、パンツを止めるベルトは何かの紋章が刻印されている。今は背に吊られた刃幅の広い大剣も、少年の持つ武器とは大幅に違う。遠距離攻撃を主とした少年とは違い、彼は明らかに接近専門のアタッカーだった。
「んじゃあ、プラタ?」
「だったらヴィクスが知らないはずないじゃないか。だいたいプラタ呼ばわりされる人をヴィクスが知らないはずないだろ。同類になるんだから」
「そっか、それもそうだな」
少年に横睨みされ、ヴィクスと呼ばれた男が納得する。年齢に差があり、勤め先も異なっているらしいが、二人がそれらを越えた友人関係にあるのは直ぐに読み取れた。
「でもキューブ持ってんだ。少なくとも軍人だろ?」
「なんだよ? キューブって」
「それだよ、それ」
三好が質問すると、ヴィクスは顎を持ち上げて三好達の胸元を示した。
大きさにしておよそ十センチ四方の正四角体が三好と四道、それぞれの前に浮いていた。三好は赤、四道は青みがかった緑と、それぞれ発光色が異なっている。
シュリには即座にそれが彼らに劇的な攻撃力をもたらしたものの正体であると悟得した。それぞれの武器に宿った光と同じ色だったからだ。
キューブ、と呼ばれたその正四角体は、存在に気付かれるが否や、姿を隠すようにそれぞれ二人に吸い込まれる。
「え、ええぇ!?」
ワケの分からない物体が己の裡に消え、三好は慌てて自分の体をあちこち身体検査した。しかしそれらしい違和感はないらしく、それが更に焦りを呼ぶ。
「な、な、な、なななんなんだよ! 何なんだこれ!!」
「何だも何も、キューブはキューブだろ。クリスタルキューブ。戦う意思と、素質を持つ者だけが具現化させられる。で、キューブは発動者に能力を与える。――戦う力をな」
ヴィクスの説明に一同はしばし呆然とし、少しの間を置いて三好が低く唸った。
「ロープレかよ……」
「キューブを持っている奴は九割以上が軍人だ。それにここは〈バイオ〉だ。一般人がいるわけねーだろ」
「バイオ?」
毒、という意味に取り繋げたのだろう。今度は四道がおうむ返しに質問する。
質問された男は、再度「そんなことも知れないのか?」という不審を顔色に挙げつつ、答えてくれた。
「〈バイオスフィア〉。モンスどもの楽園だ」
苦々しい口調が、忌々しさを醸し出していた。
「バイオスフィア……生物圏……? 地球上では水圏、大気圏、岩石圏のことで、物質及びエネルギー循環が行われている場所を示す言葉……。物理的な構成要素を包括するということで別名生態圏とも言われて……」
まるで百科事典を読むかのようにスラスラと定義を呟く四道に、三好が心底嫌な顔をしている。三好にしてみれば、四道の勤勉振りは血気盛んな高校生として異常なのだろう。
しかしバイオスフィア程度なら四道だけでなくともシュリも知っている。少し前の生物の授業で《デジペ》に一文が記載されていたからだ。
確か……。人間を含めた生物が生きていける圏内を指し示した用語だった筈だ。生物の中には菌類も含まれているので、その空間はかなり広い。また人為的な生態系を構築するため長年研究されている、外界とは隔絶された閉鎖的な空間――実験施設を指す場合もある。月面基地への転用を目的とし一九九〇年代に始められたこの実験は、一部の生物が死滅してしまったり、酸素と二酸化炭素の循環がうまくいかず何度も中断を強いられ、現在も続けられているかどうかは不明だ。
シュリ個人は、実験は中断されたままではないかと憶測していた。火星のテラフォーミングが技術不足により断念されて久しいし、月面基地とやらの動きも芳しくなく、宇宙開発そのものが停滞しているのだ。実験施設を維持する理由は半減したと言っていい。
しかしヴィクスとその少年の知るバイオスフィアとは、生物圏のことでも、実験施設のことでもないようだ。二人とも、訳が分からないと顔に書いて、ぶつぶつと独り言を続ける四道に眉を寄せている。その姿を見るだけで、シュリ達と彼ら、二者の間に、絶対的な知識の齟齬があることは、もはや確定事項だった。
「……異世界……」
思考の海に浮かんだ単語を、シュリは我知らず口にしてしまっていた。
場が凍り付き、全員の注視が集まっている。その居た堪れなさに、シュリは困り顔で俯く。余計なことを口走ってしまったようだ、と、酷く後悔した。
「異世界ねえ」
沈黙を破って胡乱げに、揶揄を交えながらシュリの独白を繰り返したはヴィクスだった。
これまで散々ありえない物を見、体験をしてきたシュリ達とは違って、彼らはここの住人だ。シュリの独白を俄かに信じて貰えないのも無理はない。
だが、そう考えれば納得出来る事が多過ぎる。
これまでのことを思い返しながら、シュリはあらゆる場所に自分の結論を符合させていった。
「パレルワールドってやつだな」
胸を張って真っ先に同意してくれたは三好だった。
そんな彼に対し反論するのは、無論四道の役目だ。
「まるっきりバカの発想だな。平行世界は地球と同じ次元上にあるもので、異世界とは定義が異なる。ネットゲームに被れた薄っぺらい知識を自慢されても、何の足しにもならないよ」
「なんだとぉ?」
「そもそも、異世界だ、パラレルワールドだって、話しが飛躍し過ぎだとは思わないのかい? 逆に考えが安直過ぎるのかもね。……一木さんも、少し頭を冷やした方がいいよ」
「ちょっと四道クン、それ言い過ぎだってば」
二の宮が諌めるも、四道の侮蔑は変わらない。
鋭く横目で一瞥され、シュリは頤を引き首を竦めた。
彼の高説もご尤も、だ。シュリの発想は余りにも安易過ぎる。だからこそ言葉には出さず心の裡に留めるつもりだったのだから――結果はその逆で、思わず口にしてしまっていたが。
だがこれ以上に明解で、理屈の通る結論はあるだろうか。
「だったらこの状況をどう説明すんだよ。わけわかんねぇオオカミに、クリスタルキューブ……だっけか? 日本じゃ……つか、地球じゃあり得ねえだろ!」
「それは……」
感情を剥き出しにする三好は言動が一致しない、あるいは理屈が通らない言質が多いが、この時ばかりは違っていた。
三好の理論は一本筋が通っており、毒舌魔の四道といえど反論は難しい。
見知らぬ森、日本に居ないはずのオオカミ、潜在能力にしては過剰すぎる力を生む原理の知れないクリスタルキューブ、軍服と思しき服を纏った二人……。これらに、これまでの日本での常識をどう適応しろというのか、シュリにすら分からなかった。それよりも、日本が生み出し二十一世紀初頭には日本の産業の一角を成したアニメやゲームの常識を引用したほうがよっぽど通用する。パラレルワールドであれ、まるっきりの異世界であれ、その形態はさておき、日本ではない場所と認識すればあらゆる事象もすんなりと腑に落ちる。
言葉に詰まった四道は、しばし視線をさ迷わせ、苦しそうに唇を噛んだ。
「……百歩譲って、そうだった、と仮定しよう。……それで? じゃあ、僕らはどうやったら帰れるんだ?」
「知るかよ!」
激昂のままに吐き捨てられ、四道の怒りは急激に昂ぶった。
「知るかよ、で済むかよ! 僕達は受験生なんだ! センター試験を目の前に控えているんだぞ!? なのにこんなところで――!」
センター試験。
明確なその一言によって、シュリは唐突に現実をつきつけられた。――が。
四道は、二の宮と三好とシュリの三人にそれ以上のリアルを与えることなく、落ちた。
「いーかげんにしろ!」
ゴイン、と、小気味良い音が二つ響いた。
「テイルファングは耳が発達してて物音に集まってくるんだよ。お前らがそんな調子だからあんなに集まっちまったんだ。おいお前、いちいち大声出すんじゃねえよ。そっちの坊主も減らず口を仕舞え!」
ヴィクスに食らった脳天の鈍痛を両手で押さえ、三好は辛うじて首肯したが、地面に倒れたままの四道は返事もせず頭からしゅうしゅうと煙を上げていた。どれほど痛かったかなんて無粋に聞くまでも無い。
「さて……、攻撃くらったばっかの嬢ちゃんもいることだし、腰を落ち着けてじっくりお前らの話を聞きたいところだがこっちにも都合ってもんがある。こんな所で時間食うわけにはいかねえんでな……悪いが先を急がせて貰う」
ヴィクスの無情な断言に、四道が提示したリアルをすっかり忘却し、シュリは目の前に突き付けられた別の現実問題を強く意識した。
命の危険に晒されてようやく人間と遭遇し、自分達の置かれている状況も分かってきたところだというのに、今彼らに去られては掴める情報も掴めなくなってしまう。おまけにこの区域はモンスターが出る危険地帯だ。ヴィクスの言う〈バイオスフィア〉なる圏域がどのくらいの広さを内包しているか知らないが、広ければ広いほど、取り残されるシュリ達の危険度は増していく。
見知らぬ世界に対する不安より、当面後者の方が問題だ。何せ事は一同の命に関わる。
三好や四道が戦う力――クリスタルキューブを手に入れたからと言っても、彼らは所詮一介の高校生にすぎない。戦い方なんて付け焼刃だし、そもそも戦闘に対する心構えも成っていない。キューブの力をどうやって引き出せばいいのか、どうやって応用するかなど見当もつかないし、何より、シュリや二の宮を庇いながら戦うのでは、彼らとて身がもたないだろう。
一番の問題はモンスターに対する知識だ。さっきのオオカミもどき――どうやらテイルファングと呼んでいるみたいだが、あれだって「音に敏感」という特性を知っていれば、あんな数が集まる前に三好と四道にケンカを止めさせこの場を離れてやり過ごせていた。それでも数匹とは遭遇したかもしれないが、それでもさっきの状況よりは数倍マシだっただろう。
戦闘力の確保のため、命の安全のため、彼らの助力は必要不可欠だ。置いて行かれては命運が尽きたも同然。
どう引き留めようかとシュリが思考を巡らせると。
「ライト、お前、手持ちの装備に余りあるか?」
不意に声をかけられた少年は、片眉を上げて不審そうに年上の友人を見上げた。
「まさか一緒に連れて行くつもりなのか?」
「ああ」
「ああ、って……」
即答され、少年は戸惑いを見せた。彼の動きに合わせて短く刈り揃えられた金髪が月光を反射させる。
光だなんて、言いえて妙な名前だとシュリは思った。確かに彼の髪は、あまたの光を凝縮させたかのように奇麗な色をしている。
ならば彼の顔の造作は、さしずめ絹で織られたドレス、と例えるべきだろうか。年齢的にはシュリ達よりも年若い筈なのに、瞳には何も見逃そうとしない鋭さがあって彼に大人びた陰影を与えている。触れたら柔らかそうな肌は年齢相応、丸みのある頬も、幼さも未だ拭いきれてはいない。なのに軍隊という厳しい環境に身を投じ、大人にならざるを得ない――小さな少女が突然社交界に引っ張り出されたような、しかしながら生まれながらの教育と素養によって見事に淑女を演じているような、そんな顔立ちだ。
少女に例えたと知ったら、おそらく彼は怒るだろうが、シュリにはその比喩が一番しっくりしていた。
「こいつらのこと信じるのか? 新手のモンスターかも知れないだろう」
「なっ……! 誰がバケモンだってんだ!?」
憤慨する三好を、少年は肩越しに視線だけ送る。
「さっきヴィクスが言ってただろ。ここは〈バイオ〉、モンスターだけしか生息していない。人間がいるとすればそれはモンスターを狩りに来た軍隊だけだ。でもあんたたちは軍人じゃない……キューブを持っているから一般人でもない。じゃあ何だ?」
「だから異世界人だって――」
「そんな話、信じる方がどうかしてる」
少年は顔を背け、冷淡に言い切った。
確かにその通りだ。異世界人だなんて物的証拠があるわけでもなく、証明の仕様がない。力任せに押し切ったところで信用して貰えなければ結果として何も変わらない。かといって、少年の瞳には僅かな揺らぎもなく、口上で説得してもとても受け入れてくれるとは思えなかった。
ここで三好が四道を相手にしているようにその場の勢いで切り込みを入れてくれれば少しは余地が生まれるか、とも思ったが、少年の信念を曲げない眼に射すくめられ、三好はすっかり反撃を見失っている。
教員歴三十五年を越える学年主任を相手にしても暴走するトラブルメーカーがすっかり形無しだ。――それほどに、少年の眼力は迫力があった。
「オレだって頭から信じてるわけじゃないさ」
ひょい、とヴィクスが肩をすくめた。
「じゃ、聞くがよライト。お前こいつら見捨てていけるのか? あんな戦い方しか出来ない奴らをここに残したら一発で野たれ死んじまうぜ? この辺りをうろついてるのはテイルファングだけじゃないしな」
「う……」
指を突き付けられ、少年は半歩後ずさる。
「ほらみろ。……ま、正体は分からんが嘘ついてるようにも見えねーし、悪人でもなさそうだしな。 ――だからとりあえず連れて行く。こいつらが危ない奴らだったら、その時はその時だ。その時にどうにかする。オレとお前ならどうにかなるだろ」
どうにかって……。
聞き耳を立てながらシュリは冷や汗を流した。どうにかされてはたまったものではない。その時は即・脱兎、だ。……まあ、少なくともシュリ達は彼らが危惧するような人種ではないので杞憂で済むと思うが。
「……セラフィム、怒ると思う……」
「う!」
少年が俯きがちに呟いた言葉に、ヴィクスは顔色を大きく変えた。
話しの流れから考えてセラフィムとは人の名前なのだろう。おそらく女性……それも、ライト少年とヴィクスが苦手としている人物らしい。
「……ま、まあ! それもどうにかなるだろ! うん!」
「ヴィクス、その行き当たりばったりな性格どうにかしたほうがいいよ」
ライト少年の忠告を、しかしいい歳した大人は聞いていなかった。
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