03 棒と牙と剣と
低い体勢を保ち、三好が木棒を最初のオオカミもどきの鼻面に叩きこむ。アクションそのものは至って単純で、彼の技術の乏しさが窺える一撃だ。しかし次の刹那、明らかに普通ではない、異様な現象が起きた。
三好の体から迸っていた鮮やかな赤い光が収束し、細やかな流星となって棒に注ぎ込まれる。
敵に集中している三好がそれに気付くべくもなく、彼は下段から上段へと棒を振り上げた。
途端、オオカミもどきの巨躯が数メートル上空へと放り上げられる。木棒の攻撃力と耐性を明らかに超越した現象に、シュリはしばし呆けてしまった。
有り得ない。
あの赤い光が、三好のアクションに何らかのアシストをしているのは明白だった。おまけに三好の身体だけでなく木棒の物理的な脆さも補助、強化している。
三好も過剰な手応えに不審を抱いたようだったが、特に熟考する様子は見せず、にんまりと不敵な笑みを零して高くジャンプした。体育の授業で彼の身体能力の高さをシュリは知っている。それでもその跳躍力は度を越していた。易々と叩きあげられたオオカミもどきに追い付き、上段から木棒を振り下ろす。
どん!!
木棒の物理エネルギーをまともに食らったオオカミもどきは地面に叩きつけられ、二、三度ぴくぴくっと痙攣すると、もう起き上がろうとはしなかった。
有り得ない、と、シュリは乾いた口の中で繰り返した。
その辺りから適当に拾った棒ごときで、あのしなやかな肉体の鎧を纏ったオオカミもどきがこんな簡単に倒れるはずがない。あの赤い光が原因であることは、もう否定しようがない。あの力があれば――あれならば、いける。
だが同時に小さな不安も湧いていた。どんな原理とも知れぬ力を無暗に奮って、後にしっぺ返しを食らったりしないだろうか、と。もしこの力が何らかの対価を要求する呪具の類であれば、この戦闘による補助の対価は幾許になるのか、はたして彼らはその支払い能力があるのか、不安要素は尽きない。
だが絶対的に不利なこの状況でこれを利用しない手はない。
滅多に感動しないシュリの心が雲間から差し込む光明に打ち震える。
時間に換算して刹那以下の、ほんの僅かな逡巡が、にじり寄っていたオオカミもどきの一匹に絶好の機会を与えてしまったことに気付いた時、
「後ろ……!!」
半拍遅れてシュリが叫ぶも、その時には、既に手遅れだった。
声を上げることなく二の宮が倒れる。
オオカミもどきの尻尾による攻撃を受けたのだ。
あの柔らかそうな毛の塊のどこにあんな攻撃力があったのだろうか。全体的にほっそりとした二の宮の偃月が、弓形に吹き飛ぶには十分な威力を孕んでいた。
「二の宮さん!!」
彼女の手を掴んでいた筈の四道が蒼白な顔で叫ぶ。
地に伏した彼女は直ぐに腕をもたげ、上肢を起こし始めたものの、周囲にはオオカミもどきが一匹、二匹と近付きつつあった。
「うわ……ああ……」
混乱と葛藤が四道を襲う。
客観的な意見だが、三好と違って四道にはオオカミもどきと戦う勇気はない。そもそも三好のようにこの状況下であっても立ち向かえる胆力を持ち合わせた人種の方が圧倒的に少ないだろう。
しかしその三好は次のオオカミもどきを相手にしており、こちらに戻る余裕はない。
その間にも、オオカミもどきと二の宮の距離は縮まり続け、彼女に危機が迫っている。
「う……わあああああぁぁぁ!!」
混乱が最高潮に達した四道は絶叫し、吹き飛ばされ離れてしまった二の宮に向かって駆けた。手にはいつの間に木の棒が握りしめられている。三好の物よりもやや細く、リーチが長いが、やはり武器としては心許ない体裁だ。
それもまた少しの間だけだった。淡く、それでいて深い緑の光が木棒全体をすっぽり覆ってしまう。
二の宮に迫る敵と相対するだけでいっぱいいっぱいの四道が、その光に気付くべくもなく、ましてや、光の反応色が三好の時と違っているなど冷静に考えられるはずもない。
四道は棒を思いっきり振り上げ、ただ単純に振り下ろした。
突然、棒に纏わりついていた緑の光がブィン、と棒から離れる。濡れた手から無理矢理払われた水が飛散するように、光もまた細やかな粒子となり飛び散り、オオカミもどきに降り注ぐ。小規模ではあるが、まるで雨だ。
光の攻撃を受けたオオカミもどきは大きく仰け反って動きを止めた。硬直時間が長い。決して運動能力が高いわけではない四道が、その脳天に木棒の一撃を見舞えるほど長い空白だった。
二人の攻撃方法が異なるのは、どうせ光の効果によるのだろうが、よくもまあ、こんなにハマる攻勢がチョイスされたものだとシュリは感心していた。
常日頃から腕力を持て余している三好は木棒による物理攻撃のみ。とことん強化された木棒から繰り出される一撃は恐ろしく重そうで、たった二撃、場合によってはそこに一撃追加しただけでオオカミもどきが倒れていく。
日陰育ちのひ弱な四道は、光による謎の技が発動し命中した後に物理的な攻撃を加えている。謎の技は単にオオカミもどきにダメージを与えるだけでなく動きを止める効果が付属されているようで、貧弱な腕から振り下ろされる痛くも痒くもなさそうな攻撃に、オオカミもどきは盛大に悶えていた。制止時間が長い分、クリティカルヒットが出易いのだろう。
目を数回瞬きしている間にどんどん敵勢が殺がれていく。
三好に退路を作って貰い、隙をついて逃げる案はどこへいってしまったのだろうか。
完全勝利を眼の前に、シュリは胸中で嘆息を吐いた。
「う……」
細い呻き声をあげて二の宮が頭を振っていた。
彼女が座る場所までそう遠くはない。
上肢を起こしたが為に貧血を起こしているらしい彼女を手伝うため、シュリは彼女に駆け寄って細い肩に両手を添え、支えを作った。
「大丈夫?」
声をかけると、彼女は小さく頷いた。
「なんとか……たぶん……」
そのやり取りがシュリの注意を散漫させ、次々と敵を屠る三好と四道への信頼が慢心へと繋がった。
「一木さん……!」
四道の声に導かれ、シュリは背後を見遣る。
ついに最後の一匹となってしまったオオカミもどきは、殆ど零距離と言っても過言ではないまでにシュリ達に迫っていた。あぎとが大きく開かれ、月光を受けてオオカミもどきの歯の先端が光る。
その牙を見、シュリは今までの人生の中で、間近に死が迫ってきたことを実感していた。恐怖が一瞬で頭の中を支配する。しかし片隅では冷静な脳が生きており、通常の何百倍もの速度で思考していた。
このまま逃げれば後ろで倒れている二の宮に被害が及ぶ。逃げられない。逃げるわけにはいかない。
子猫を守る母猫の気持ちとはこんなものなのだろうか。
そんな突拍子もない比喩と共に、シュリは四肢を強張らせ、オオカミもどきの前に立ちはだかった。
そのとき。
ピュッ。
静穏で満たされたシュリの耳に微かな音が届いた。
細い何かが風を切る音。小さな何かの飛翔音。
次いで、ドス、という鈍い音に合わせ、オオカミもどきがキャインと犬のような悲鳴を上げた。
シュリに迫っていたオオカミもどきの背に、アイスピックのような細い武器が突き刺さっている。装飾の類はなく、柄と刀身のみの剣。至ってシンプルなそれは、しかし弱々しい見た目に反してそれなりの攻撃力を備えているようで、地面に横倒れとなったオオカミもどきが小さく痙攣をした。
だがまだ息絶えてはいない。
赤いままの瞳に射られ、シュリがぎょっとして脚を引っこめると。
「うっし! そのまま動くなよ、嬢ちゃん!」
シュリの反射行動を褒め、制止を命じた声は、若い男のものだ。生き生きとしていて、抑揚がまるで踊っているようだ。ただ、まるで聞き覚えがない。三好でも四道でもないその声に、従っていいものかシュリは一瞬迷いを見せたものの、細かく痙攣を続けるオオカミもどきを見、気持ちを改めた。少なくとも現時点で彼は敵ではない。
体格の良い男が颯爽と空から降ってきたのは、シュリがそう判断したのとほぼ同時だ。
シュリほどの長さはあろうかという大剣を真っ直ぐ突き立てて、オオカミもどきと地面をひと繋ぎにしてしまう。
そのアクションはただの『突き』でしかない。しかも万有引力の法則と重力による大仰なパフォーマンスを加えただけの、いたってシンプルな攻撃だ。
しかしシュリはその一突きに途方もない質量を感じていた。ただの男ではない。単なる体育好きの三好とは違って、この男の腕は振るうために鍛えられている。
そう、言わば――戦士。
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