30.星の器2

「誰にも無価値な人生は送らせない。誰も無意味に死なせはしない。この世界に生きる全ての人達を、わたしは輝かせてあげてるんだよ」




 無色の雨を嬉しそうに浴びて、神秘の闇に波紋を広げて、15才の少女の姿のまま彼女は普通を語る。


「人は意味を持って生まれてくる。こうあるべきとわたしが敷いたレールの上を歩くことで、人はその人生に価値が生まれる」

「レールの上から外れてしまった人達には、何の価値もないって言うの?」


 アンやジャック、カグヤ姉のことを思い浮かべながら、わたしは言った。シラユキはスキップを続けながら、


「そうだよ。わたしの被造物として、この星に尽くせたかどうか。それが価値の判断基準。わたしは彼らのためにレールを敷くことで、無意味な死がないように誘導しているんだぁ。運命を与えている、と言い換えてもいいけどね」

「レールを敷く、誘導する、運命を与える、か。……まるで『悪い虫』みたい」


 わたしは皮肉を言った。

 この星に生きる大多数の人達はシラユキの慈愛を受け取れているけれど、その一方で少数の人達は命を弄ばれ、暗闇の中で哀しい死を迎えた。その部分だけ切り取って見れば、彼女のやっていることは『悪い虫』とそう大差はない。

 シラユキはわたしの言葉を意に介さず、心外だなぁ、と軽く受け流す。


「『悪い虫』はわたしが敷いたレールの上を歩く人達を、自分の花畑テリトリーに誘うんだ。そして、『虫憑き』になった人達は御星わたしを打倒するための悪い兵隊になって、無価値な人生を送ることになる。そうなると、もう簡単にはレールの上に戻してあげられない。わたしの庇護下からは外れて、『悪い虫』の所有物になってしまう。これが、人が無価値な人生を送ることになるパターンの1つだよ」


 わたしは彼らを思い浮かべる。アンに毒の入った小瓶を渡した『リュウグウドウ』のおじさんを、嬉々として『ドーワ』憎しと唱うアンデル先生を、『虫憑き』以外を異端者と決めつけて殺そうとするフックという男を。


「それで、他のパターンは……?」


 わたしが言うと、彼女はクルリと回りながらわたしを見た。何か可笑しなことを聞いたかのように、クスクスと笑みを浮かべながら。

 その瞬間、わたしはまた彼女の思惑を理解することになった。


「そっか……貴方の言う『星の器』になるための資質って」

「そう、先天的にレールの上から外れていること。この星に生まれ落ちた瞬間に、わたしにも、『悪い虫』にも支配されていない無垢な魂の持ち主だけが『星の器』になれるの」


「貴方の言い分だと、『虫憑き』と同じようにレールの上から外れている子は、そう簡単に見つけられないと思うけど?」

「まあね。わたしが管理できるのは、レールの上に乗っている人だけ。誰の支配下にもない子達や、『虫憑き』になった人達を管理することは出来ない。でもね、アンテナを張っておくことだけは出来るんだぁ。強い、強い、心の底からの叫びをキャッチするためのアンテナをね。ベルおねーちゃんにも、身に覚えがあるんじゃないかな?」


 わたしはハッとした。

 誰の支配下にもなかった、人生のどん底にいたわたし。母親に捨てられ、雨にうたれながら全てを忘れたいと切望したわたしの声を、シラユキはキャッチして拾い上げていたんだ。


「『星の器』の資質がある子はね、不幸な人生を歩んでるケースが多いんだ。当然だよね、皆が決められたレールの上を歩いてる中で、1人だけ違う道を歩いてるんだか。常識が違う。価値観が違う。裕福な商人の家に生まれようと、貧民街の娼婦の家に生まれようと、それは同じなんだ。噛み合わない環境に抑圧されて、溜まりに溜った不満はいつしか爆発する。わたしはその強い想いを聞き届けて、貴方達を救済しているんだよ」


 救済。確かに、シラユキによって救われた人達はいる。

 ここにいるわたしがそうだ。6才から18才までの12年間、本当に信じられないくらいの愛を注いで貰った。本当の意味で家族と呼べる人達を、わたしはシラユキに貰ったんだ。

 だけど……。


「救済って……それじゃあ、なに? アンやカグヤ姉にとって、死ぬことが救済だったって言うの? ジャックも、『ドーワ』を離れて孤独になることが救済だったって……」

「そうだよ」


 全く躊躇うことなく、シラユキは言った。


「かつて、貴方達は無色透明な織物だった。初めて触れる色にはとことん染まってしまい、どう処置しても抜け落ちなくなってしまう程に、それはもう無垢な魂だった。普通なら、最初にわたしの慈愛色に触れて『星の器』は白く染まるの。貴方やアンおねーちゃんがそうだったようにね。だけど、そうじゃないイレギュラーもいた」

「それが、カグヤ姉とジャックって言うんでしょ。2人とも、『悪い虫』に黒く染められてしまったって……」

 

 わたしがそう言うと、シラユキは人差し指を立てて横に振った。違うよ、のジェスチャーだ。


「ジャックおにーちゃんはそう。だけどね、カグヤおねーちゃんは違ったんだ。わたしに触れても、『悪い虫』に誘われても、彼女は何色にも染まらなかった。彼女の魂は、永遠に無垢なままだった。彼女の常識は、この星ではあり得ないもの。生まれる星を間違えた彼女は、理解出来ない環境と境遇の中で自由を求め続けた。野放しにしていたら、彼女は間違いなくこの星の害になったんだろうね」


 でも、そうはならなかった。カグヤ姉は最後まで自由になることなく、ジャックが人に戻るための礎となって、この星の害になることなく人生を終えた。

 シラユキは更に舌を回して、


「わたしは彼女に見いだした。彼女の人生に価値を与え、尚且つわたしの夢を叶えるための可能性を。……準備を始めたのは、たしか13年前かな。カグヤおねーちゃんを見つけて保護して、それから秘密の裏口を作って、それが彼女に継承させれるように15才の時をずっと繰り返した。無事に継承し終えた後は、ベルおねーちゃんの言った通りだよ。『ドーワ』に害が及ばないように調整しながら、今度はカグヤおねーちゃんと同じように貴方達を導いた。全ては品種改良に成功した『混沌の器』をここに呼ぶために。レールの上から外れた者達の人生に、価値を与えるために」

「……そう。それじゃ、シラユキは本気で救いたかったんだね。貴方の世界に馴染めないカグヤ姉も、『悪い虫』の影響から逃れられなくなったジャックも、『虫憑き』になった人達も」


 光の当たる日々を送る人々にも、そうでない人々にも、彼女は等しく慈愛を振りまいていた。例えレールの上から外れていようとも、『混沌の器』を完成させる過程に組み込むことで、星の一員として人生に意味を与えられていたんだ。


 星になるってことは、人間らしさを捨てるってこと。まったく、本当にその通りだと思う。

 人が最も求めるものを幸福だとするならば、シラユキが優先しているものは間違いなくそれじゃない。最大多数の最大幸福。星の存続のために、少数の人の命を犠牲にしてシラユキは世界を回しているんだ。犠牲の中で生まれる人の価値は、幸福の中で生まれる人の価値に等しいと信じて、星の管理人として『悪い虫』と争いながら世界を慈愛で満たしている。


「うん。それが、『星の器』としての使命だからねぇ」


 幸せは、幸福は、人が何かを成すための過程でしかない。人生が終わった時に、その人が星に残した功績。それが彼女の言う輝きであり、慈しみ愛すべきものなのだろう。

 それが人間としてではなく、星としての正しい行為なのだろう。


 それは分かってる。理解も出来る。完全に否定はしないし、駄目だとも思わない。それでも……。


「それでも、アンは死ななくて良かった」

 

 わたしは人間らしさを、怒りを叫んだ。無色の雨に、神秘の闇に溶けてしまおうとも、わたしはそれをシラユキに投げかけた。


「アンはイレギュラーじゃなかった。わたしと同じように、普通の『星の器』としてここに来る未来もあったはず。貴方はそれを、自分の都合で踏みにじったのよ」

「自分の都合じゃないよぉ。星の都合。『星の器』の品種改良を進めるには、どうしてもアンおねーちゃんは死ななきゃいけなかったんだぁ」

「……ざけないで」

「仕方なかったんだよ。『混沌の器』という大器が完成して、彼女も喜んでるんじゃ……」

「ふざけないでよ!!」


 わたしはいつの間にか、スキップをするシラユキへと腕を伸ばしていた。胸ぐらを掴むと、彼女の動きはぴたりと止まった。

 潤んだ瞳で、驚きをまったく見せないシラユキを睨む。彼女の雰囲気は先程とは打って変わって、大人の慎ましさを纏っていた。12年前のあの日に聞いた”星の声”の主がそこにはいた。


「これ以上、わたしの家族を侮辱することは許さない」

「侮辱なんて、まさかだよ。わたしは真剣にアンを救済しようとした」

「それを侮辱だって言ってるの。……幸せだって遺書に記して自殺した、アンの不幸が貴方に分かる? もし分かるなら、救済なんて薄っぺらい言葉が貴方の口から出るはずない」

 

 アンだけじゃない。カグヤ姉も、ジャックも、アンデル先生も、『リュウグウドウ』のおじさんも、運命なんてものに惑わされなければ幸せな人生を送れていたかもしれない。そして、御星の力があればそれを叶えることは出来たはずなのに……。

 そんなわたしの望みを吐き捨てるかのように、星の主は冷静に言う。

 

「みんなが幸せに生きる星。それは理想ではあるけれど、同時に夢物語でもある。理想は理想でしかないんだよ、ベル」

「……ッ、貴方がそれを言ったら……」


 本当に誰も、彼らを救えないじゃない……。

 口を噤んで、彼女の胸ぐらを掴んでいる拳に力を入れる。無力感で押し潰されそうになる。けれど、その人間らしさは星らしさによって打ち消され、感情の波は凪いでいく。


 どうにもならないことを割り切り、怒りどころか無力感すら沸かない存在こそ、完璧な星の管理人である。そう突きつけられているようだった。


「もう一度言うよ、ベル。仕方なかった。どうしようもなかった。こうする以外に、方法はなかったの。だから、この手を離して。大人しく、星になることを受け入れて」


 その言葉が耳に届いた時、ドクン、とわたしの中で何かが脈を打った。

 ”星誕の儀”を終え、今正に星になろうとしているこの瞬間にも、わたしの中で生きているもの。”星の声”が届いた時からずっとわたしの中にあり続けた性(さが)で、星になるには不要な人間らしさ。


 それが、無力感で押し潰されそうなわたしの中で、強く脈を打った。


 わたしはゆっくりと手の力を抜く。シラユキは乱れた服の襟を直してから、黄色い瞳でわたしを見た。わたしの全てを見透かすような、慈愛の瞳だった。

 彼女は目を逸らすことなく、わたしに白く艶やかな手を伸ばす。


「これは通過儀礼。ベルがこの手を取れば、晴れてようやく、わたし達と同じ存在になる。人間らしさを廃した、星の管理人の一員に。さあ、躊躇うことは何もないよ。わたしの手を取って、ベル」


 わたしが歩く道は、もう決めていた。

 それはかつて、カグヤ姉が選んだような誰の助けも得られない茨の道。もしかしたら、行き着く先は同じなのかも知れない。それでも、この人間らしさを捨てるくらいなら、その茨の道を歩く苦しみを誇って受け入れようと思った。


 てこだろうと、スピア先生だろうと、親友の死だろうと、ナイフを持った巨人だろうと、御星だろうと、わたしは動じない。自分勝手でわがままな意地を、わたしは最後まで張り続けよう。


 わたしは彼女に手を伸ばす。そして、次の瞬間にはパァン、と彼女の手を弾く音がこの空間に響いた。


「え?」

 そこで、やっとシラユキは驚いた。

「わたしは捨てない。この気持ちを、人間らしさを。それが『星の器』として正しい行為じゃなかったとしても、アンやジャックが不幸になった世界をわたしは絶対に受け入れたりはしない」

「自分が何を言ってるか分かってる? 不幸のない世界なんて、どの星を探してもありはしないんだよ」

「……ううん、そう決めつけることが、そもそもの間違いなんだよ」


 わたしは思い出す。最後の夜にコーヒーを飲みながら語り合った、グリム先生との話し合いを。


「理想に向かって、どのように歩いて行くのか。それを考え続けることが大切なんだって、わたしは思う。人も、星も、そこから目を逸らしちゃ駄目なんだよ」

「現実は理想と違って、どうしようもなく理不尽だったとしても?」

「だからこそ、だよ。諦めたら、そこで本当に終わっちゃう。それは彼らを、星に生きる全ての人達を貶しているのと同じことだから……」


 震える手を握りしめて、潤んだ瞳で決意する。これは、忘れてはならない『混沌の器』のルーツなのだから。


「人の人生に意味のある世界。人の幸せに価値のある世界。わたしはどちらも、捨てたりしない」

 

 わたしが言い切ると、シラユキは俯いた。先程まで纏っていた大人の慎ましさは消え、いつもの雰囲気に戻った彼女は、無言のまま両手で何かを包む。そして、わたしに向けてゆっくり両手を広げると、一粒の小さな光が中から飛び出した。

 

「――良かった。やっと、夢が叶ったな」

  

 彼女の言葉と共に、わたしの視界が白く染まっていく。

 光が視界を覆い尽くしていく中、最後に薄らと見えたのは、陽だまりを見つけた子供のように優しい笑みを浮かべる、無邪気なシラユキの姿だった。

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