27.拝啓 君の星に生まれた『僕』へ
夜中の12時を超えると、施設は水を打ったような静けさに包まれる。皆は寝静まり、廊下の灯りは消え、施設内を巡回する職員以外に動く者はいなくなる。
しかし、今日に限っては違うようで、夜の12時を回ってもその部屋からは光が漏れていた。
コンコン、とドアをノックする。『ドーワ』の最奥にある、いつもの話し合いの場だ。どうぞ、という部屋の主人の声を聞いてから、わたしは立て付けの悪いドアを開けた。
「やあ。こんばんわ、ベル」
「こんばんわ、グリム先生」
夜の挨拶を交わしたわたしは、台所にいるグリム先生を見ながらふかふかのソファに腰掛ける。まるで、わたしが来ることが分かっていたみたいに、2人分のコーヒーを用意するグリム先生。何か入れるかい、と聞かれたので、わたしはミルクを入れて欲しいと頼んだ。
いつも思うけれど、先生はどうやってわたしが来ることを予知しているのだろう。その仕組みが不思議でならなかった。
「はい、どうぞ」
先生がお盆にマグカップを2つ乗せ、テーブルまで運んでくる。わたしがマグカップを受け取ると、先生も向かいのソファに腰掛けてマグカップを掴んだ。
「怒らなくて良いの? わたし、自分の部屋を抜け出して来たのに」
「怒るなら、君にマグカップを渡したりしないさ。僕に出来ることと言えば、ここに来た子の話を聞くことくらいなものだからね。それとも、今日だけは指導者としての言葉を告げた方が良いかい。今すぐ部屋に戻って、明日の"星誕の儀"に備えなさい、と」
「そう言われて帰るなら、マグカップを受け取ったりしないよ。今帰っても、どうせ寝れないし」
「違いない。それじゃあ、朝の放送までで良ければ僕が君の話し相手になろう」
そう言って、先生はマグカップをわたしに突き出す。わたしもマグカップを突き出し、コツンと音を立てて乾杯をした。
「先生は、警察から何か聞いてる? ジャックのこと」
そう切り出すと、先生はコーヒーを1口啜り、
「心血を注いで捜索活動に当たります、とは聞いてるよ。君の事情聴取を担当した刑事2人、彼らが中心となって捜索を進めているようだ。まあ、あの様子じゃこれといった進展はないだろうね」
「……そうですか」
わたしは、さも残念そうな演技をする。ここの職員には悪いけれど、ジャックが見つからない現状はわたしとしてはとても嬉しいのだ。
人としての自由を手に入れた、わたしの親友。
大人としての第一歩を踏み出した、わたしの家族。
明日にはこの世からいなくなる身だけれど、それでも、使命を果たすまではジャックの無事を祈っていたかった。
ミルクコーヒーを一口飲む。控えめな甘さと、程良い温かみが口全体に広がり口元が緩んだ。
それを見て、何を思ったのだろう。ふむ、と先生が頷いた。
「ベルにとっては吉報なわけか。なるほど、どうやら君はちゃんとジャックを見送れたらしい」
わたしは驚きのあまり、ブーッ、と勢いよく口に入れたものを吹き出してしまう。口元からはミルクコーヒーが垂れ、慌てて服の裾を口元に当てた。
「もしかして、最初から気づいてた?」
「まあね。君は他の誰よりも感情が表に出やすい。3年も付き合いがあれば、その変化くらいは汲み取れるさ」
「他の職員には……」
「言わないよ。君がそうであるように、僕もまたジャックの友だからね」
それを聞いて、わたしはホッと胸を撫で下ろす。
思えば、グリム先生の『ドーワ』職員としての姿勢は、他の星官とは一線を画している。指導者としてではなく、あくまで友としてわたし達に寄り添う。前任のアンデル先生に懐くイメージが”お父さん”なら、グリム先生は”お兄さん”といった感じだ。
3年前から変わらず、この部屋でコーヒーを飲みながら話し合いをするグリム先生は、わたし達と同じ目線で物事を語ってくれる。
「しかし、この部屋も随分と寂しくなった。アンに、ジャック。2人とも、挨拶もろくにせずいなくなってしまった」
名残惜しそうに、先生は言う。その顔は、事情聴取の後に見せたやつれた顔に近い雰囲気を感じた。
「感情を表に出すのが苦手、だったんじゃないかな、2人とも。人に言えない秘密を、ずっと隠してたわけだし」
「君から見てもそう思うかい?」
「うん。わたしだって、2人の本音を知ったのは最近だから。アンは手紙で、ジャックは別れ際に……」
続く言葉を言いかけて、ふと疑問が頭に浮かんだ。それを言って良いかは迷ったけれど、先程の先生の反応を見るに悪い方向には働かなそうなので、疑問をそのまま先生にぶつけた。
「ねえ、先生。ジャックと別れる時に言われたんだ。お前と逃げたかったって。盗聴器も、発信器も、本当は『ドーワ』を抜け出すために使いたかったんだと思う。でも、どうしてジャックはもっと早くわたしに打ち明けてくれなかったのかな。言うタイミングはいくらでもあったのに」
「……それは、怖かったんだろう」
先生は、コーヒーを啜りながら答える。やっぱり感情の切り替えが上手くて、既に清ました顔でわたしを見ていた。
「どれだけ用意周到に準備を進めても、いざ実行に移すとなると怖じ気づいてしまうことはある。ましてや、その選択で人生が大きく変わるんだ。ギリギリまで言い出せなくても、不思議ではないよ」
先生の言うことは尤もだ。
『虫憑き』に監禁され、1歩も踏み出せなくなったわたし。死の1歩手前で怖じ気づいてしまったアン。精神的に未熟なわたし達は、覚悟を決めた事柄でさえ、戸惑い、躊躇ってしまうんだ。
「それに『ドーワ』の監視の目もある。門を守る守衛だけでなく、町の一般市民に溶け込んでいる星官達の目がね」
「町の外って……ここの職員の他にも、星官達がいるってこと?」
「そう。26の表の星官と対になる、26の裏の星官。白黒合わせて52の星官達によって『ドーワ』は守られているんだよ。……ここだけの話なんだが、僕はアンデルさんと入れ替わる形で表の星官になってね。本職は裏の方なんだ。他言無用で頼むよ」
そう言って、先生はわたしにウインクをする。
「裏の星官の情報は伏せられているんだけどね……元『虫憑き』のジャックはその存在を知っていたんだろう。だから、慎重になりすぎた」
もちろん、全て僕の憶測でしかないけどね。そう付け加えて、彼はソファから立ち上がる。そして冷蔵庫から何かを取り出し、わたしの目の前に持ってきた。
遠く離れた国で作られているデザートであり、グリム先生が好んで自作しているもの――夜食のプリンだ。
わたしはそれをスプーンで掬って、口の中に入れる。ヒンヤリとした甘さに、もう不快感を感じることはない。3年前と比べると、わたしも、この部屋の様子も、すっかり変わってしまったものだ。
この部屋で4人揃って話し合いをしていたことを思い出し、わたしは言う。
「ねぇ、グリム先生」
「なんだい?」
「この部屋に来るのも最後なんだし、久しぶりに話し合いしない?」
わたしが過ごす最後の夜だ。たった2人きりでも、思い残すことがないように先生と話をしておきたかった。
是非、と静かに先生は言い、話を始める。
「今日のお題は何が良いかな……ああ、そうだ。ベルは前回のお題を覚えているかい?」
「それはもちろん。魔女と呼ばれる母親とその娘についての話、でしょ」
いかに忘れっぽいわたしでも、4人でやった最後の話し合いは忘れはしない。
「嘘を吐ける鏡になって欲しい。僕がそう締め括って、あの日の話し合いは幕を閉じたよね。……さて、ここで僕は君に言わなければならないことがあってね。実は、君達に話してきた物語は、全て本当の物語ではないんだ」
突然のカミングアウトに、わたしは目を丸くする。
「本当の物語ではないって、どういう意味なの?」
「そのままの意味さ。そもそも、僕が話してきた物語は子供向けに作られたわけだけど、その原型はまるで子供向けの内容ではなくてね。例えば、赤頭巾の少女の話は、最終的にその少女がオオカミに食べられて話が終わってしまう。髪の長い少女の話も、性的な描写が多分に含まれているんだ」
「……何というか、聞かされていた話より随分と生々しいんだね」
わたしは思った通りの言葉を口にする。すると、想像していた通りの言葉が返ってきたからか、グリム先生は楽しげに笑みを浮かべた。
「そう、生々しい。子供に読み聞かせるには、少々残酷すぎる程にね。そこで、当時の大人達は考えたわけだ。この物語をどうにか希望のある話に出来ないか、とね。そういう想いが積み重なり、時代が進むにつれて物語は改変されていった。赤頭巾の少女は狩人によって助けられ、救いが生まれた。髪の長い少女と王子の間にあった性行為の暗示はなくなり、代わりに愛と幸福が強調された。そう、ここで僕は思うんだ。この物語を改変した者達こそ、真実を使い分けられる鏡ではないかとね」
嘘を吐ける鏡。物事の真実を見失わず、状況に応じてその真実を使い分けれる人間になって欲しい。先生は、最後の話し合いでそう言っていた。
生々しく残酷な物語を子供向けに変えることは、確かに意味があるのだろう。しかし、本当に物語を改変して良かったのか、ともわたしは思う。
「確かに、最初に比べれば子供向けの内容になってるとは思う。……でも、物語を改変してしまえば、子供は元の残酷さを知らないままだよ。物語の結末が嘘で塗り固められた幸せだって気付かないまま終わってしまう。それで、本当に良いのかな……」
いずれ苦しみを知るのなら、それが早いにこしたことはない。いつか訪れる残酷な現実に対して、予め慣れておくことが出来るのだから。
しかし、先生はキッパリとわたしの考えを否定した。それは違うよ、と。
「ベルの言う通り、現実は改変された物語のように甘くはないよ。夢と希望なんてものは、この世界の1つの要素でしかないんだからね」
先生はマグカップを手に取り、口元で傾け、またテーブルに置く。
「でもね、改変された物語を読んだ子供達が、いつの日か残酷な現実と向き合った時、この世界が悪意や絶望だけで出来ているわけじゃないと思えるなら、それは充分に価値があると思うんだ。例えそれが、子供向けの夢物語だったとしてもね。理想に向かって、どのように歩いて行くのか。それを考え続けることこそ、人の本質なのだから」
それを聞いて、わたしはようやく納得した。改変された物語についてと、それから『ドーワ』について。
こうあるべき、と定められたわたし達の人生。『星の器』は使命を果たし、”星誕の儀”を経て星になる。星になって、使命を果たした後も、星として悠久の時を生き続ける。
それは辛く、苦しく、残酷で。
でも、だからこそ『ドーワ』はその苦しみを誇って受け入れられるよう、わたし達に幸せを与えていたんだ。せめて、使命を果たすその時までは、愛する家族が側に居たことを忘れないように。
アンの言う通り、『ドーワ』はちゃんとわたし達を認めてくれていたんだ。
♡
それから、わたしと先生の話し合いは朝まで続いた。
改変される前の物語を聞いて、その残酷さについて語り合い、改変後の救いについて語り合った。
時には意見が分かれ、お互い納得がいくまで対立した。
時には意見が合い、お互いの意見を肯定した。
そして気がつけば、窓の外には朝日が出ていた。光の筋を目で辿っても、そこに赤髪の少女はいない。
徹夜というのは初めての経験だったけれど、もうすぐ儀式が始まる緊張からか、あまり眠気はなかった。もっと話していたい。そう思っても、もう時間が許してはくれない。最後の時が訪れるのは、いつもあっという間だ。
「もう朝か。では、恒例の質問をしようか。今回の話し合いを通して、僕が君に伝えたいことは何でしょう?」
最後の話し合いの、最後の質問がやってきた。いつもは3人で戯けて答えていた質問だ。
ここにアンがいたなら、1度読んだ本の物語は改変して欲しくないな、なんて私的なことを言うのだろうか。
ここにジャックがいたなら、大人になれば嫌でも改変前の話は知っちまうよな、なんて今回の話し合いを台無しにするような、無遠慮なことを言うのだろうか。
その光景がリアルに想像できて、クスリと笑う。それからマグカップを空にして、わたしは両手を挙げた。
「今日ばっかりは分かんないや。降参だよ、グリム先生」
そう言うと、先生はいつにも増して嬉しそうに微笑んだ。してやったり、といった感じだ。
「なに、僕が伝えたいのは君が星になる前の心休めのようなものだ。僕の秘密、とでも言えばいいのかな。実はね、僕の特技は”他の星を覗くこと”なんだ」
それは、裏の星官の話よりも突拍子のない話だった。嘘か本当のことなのかが分からず、わたしは首を傾げる。
先生は自分の胸に手を当てて、
「僕達星官は、この身を御星に捧げる代わりに、自らの内にある望みを形にした”祝福”を授かるんだ。スピアさんは盲目を補うための優れた耳を、アンデルさんは君達を勇気付けるための言葉を紡ぐ口を、そして、僕は他の星を覗く目を授かったんだ」
「それは、ええっと……」
どう反応して良いか分からず、わたしは言い淀む。望んだ反応が得られたからか、先生は更に面白そうに笑う。
「もっと言うとね、僕の”祝福”は全ての星に存在しているんだ。異なる星に生まれた同じ”祝福”を持つ『僕』の目を通して、『僕』はその世界を知ることが出来る。だから、もし君が望むなら、君の星に生まれた『僕』が君のためにプリンを作ろう」
ジョークと言うにはあまりにリアルで、けれど、真実と言うにはあまりに現実離れした話。嘘か真か分からない先生の話は、確かにわたしの緊張をほぐすには最適だった。
嘘でも良い。けど、もし本当なら嬉しいな。そう思わせてくれる、夢と希望のある話だった。
「不安かい? なに、この会話そのものが『僕』へのメッセージになる。ここまで”視て”おいて聞き流す、なんて薄情な奴はいないだろう。君は美人だから、その点は安心して良い」
最後の言葉が気恥ずかしくて、わたしは顔を赤くする。それを見て、グリム先生はまた面白そうに笑った。
結局、最後までグリム先生のスタンスは変わらないんだ。一緒に話し合いをして、コーヒーを飲んで、マグカップが空になったら、それでさようなら。多くが失われたわたしの習慣の中で、これだけは最後まで変わらなかった。やっぱり、わたしは普通の日常が大好きだ。
< おはようございます。しっかりと顔を洗い、今日も素晴らしい1日にしましょう。 おはようございます。しっかりと顔を洗い、今日も素晴らしい1日にしましょう。 >
素晴らしき1日の始まりを告げる朝の放送が、いつものようにスピーカーから流れる。アンと違って、目が覚めた状態でこれを聞くのは今日が初めてだった。
わたしはソファから立ち上がり、ゆっくりと膝を伸ばす。それから、わたしがこの部屋に来た本当の目的を果たすために、ポケットに入れていた物を先生に差し出した。
「これ、グリム先生に持ってて欲しいんだけど……迷惑かな?」
「それは構わないけど、良いのかい? だって、これは――」
「ううん、良いの。先生にはわたし達のことを覚えといて欲しいから。これを渡してくれたジャックも、それを願ってるはずだよ」
わたしがこれに気付いたのは、つい最近のことだった。寝る前に何気なくジャックの部屋を覗き込んだとき、ふとフックの言葉を思い出した。
時計は手紙や小物なんかを隠すには最適の箱なんだって。
もしかしたらと思って、黄色いテープを無視してジャックの部屋に忍び込んだ。しかし、床に落ちていた鳩時計の中を覗いても、そこに何も入ってはなかった。元々空だったのかは、今となっては確かめようもない。しかし、鳩時計の中にあった一握分の空白に、もし親子の思い出の品が入っていたならば、きっと今頃ジャックが大切に持っているはずだ。
そして、その代わりと言っては何だけれど、ジャックが直してくれたわたし達の置き時計にそれは入っていた。
もちろん、それに深い意味はないのだろう。ジャックの言っていた通り、思い出の品が何も残らないのは寂しすぎる。きっと、それ以上でも、それ以下でもないんだ。
「……そうか。うん、大事にするよ。もしかしたら、こっそりとジャックが帰ってくる、なんてことがあるかもしれない。その時にこれがあれば、少なくとも話の種には困らない」
「あはは、確かに。その時は、ちゃんとアイツにコーヒー出してやってよね」
「ああ、そうするよ」
グリム先生はそれを受け取った。わたし達の、大切な思い出の欠片を。
これで思い残すことは何もない。あとは、ただ前に進むだけ。
「楽しかったよ、グリム先生。……プリン、楽しみにしてるから」
わたしは先生に背を見せ、立て付けの悪いドアを開ける。先生はソファに座ったまま、いつもの調子であの言葉を投げかける。
「それじゃあ、また会おう。君達の友はいつでもここにいる。――ここで、君達の星を視ているよ」
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