25.それぞれの未来
いいのね、本当に。
誰もいない虚空へ確認を取ってから、スピア先生は口を開く。
「今の貴方になら見せても良いでしょう。……あの子の言葉、ちゃんと受け止めてあげなさい」
そう言われ、四つ折りの手紙を手渡されたのは、わたしが『ドーワ』に帰ってから1週間が経ったころだった。
♡
ジャックと別れた後、わたしは月光が照らす闇夜の大通りに出た。わたしを事情聴取した刑事さん達がその場にいたおかげで、名乗る間もなく警察に保護され、その後すぐに、身体に異常がないか検査入院するはめになったのは言うまでもないことだ。
町で1番大きな病院。
12年前に、スピア先生と出会った病院。
そこで今までにないくらい丁重に扱われたのは、足に目立つ火傷跡があったせいだろう。儀式直前の『星の器』に大事ないか、気が気でなかったんだと思う。
アンデル先生と『リュウグウドウ』のおじさんの訃報を知ったのも、保護されてから3日が過ぎてからだった。直接は言われてないけれど、看護師さんに鎌をかけたら一瞬表情が曇ったので、2人がどうなったのか理解できた。
もう、驚きも悲しみもなかった。そんなものは、あの日の夜に嫌と言うほど経験したから。あの2人の覚悟を背負って、後の人生を生きようと決めていたんだ。
こうして、病院のベットで横になりながら、わたしは『ドーワ』の職員や警察にこの3日間で体験した出来事を細かく伝えることになった。
秘密の裏口を使って『ドーワ』の外に出たこと。『リュウグウドウ』のおじさんがアンデル先生、ジャックと協力してとある計画を立てていたこと。『虫憑き』のこと。宿舎とあの路地裏で起きたこと。
途中まで話していて、ふと疑問に思った。
どうして『虫憑き』とは関係のない彼らに、『虫憑き』について話が出来ているだろうと。
少し考えて、鏡の中に見たアンを思い出した。
『虫憑き』になりかけていたわたしを、彼女は寸前の所で止めてくれた。あれが幻覚だったかどうかは、定かじゃない。それでも、彼女のおかげで『悪い虫』の影響を受けずに済んでいると考えたら、少しだけ気が楽になった。
多分だけど、彼らに嘘を吐いてもさほど罪悪感を感じなかったのは、それが影響しているんだと思う。
ジャックは自分の意思で『ドーワ』を抜けたんじゃなく、『虫憑き』に攫われた。彼の真意を知ることなく、わたし達は別れたのだと皆には説明した。
この嘘は、『ドーワ』の規則を破ったそのオマケであり、ジャックへの細やかな贈り物だった。
『ドーワ』を抜けるということは、御星に逆らうことと同義だ。自由を手にしたとしても、今後警察に追われることになる。だから『虫憑き』に攫われたことにして、警察の手がジャックに伸びないように仕向けたんだ。
”星誕の儀”を執り行う日が過ぎれば、『星の器』は寿命を迎える。あと1ヶ月もすれば、皆がカグヤ姉の時と同じように、ジャックも死んだと思うだろう。
そして、規則破りを重ねたわたしは、当然の流れとして罰を受けることになった。
アンの自殺、わたしとジャックの失踪、わたしの入院、と立て続けに不祥事が起きたため、本来なら1ヶ月かけて行うはずだった諸々の予定を2週間で行うことになったんだ。その間、わたしに休憩時間はなく、朝から夜まで分刻みで行動し続けた。
それについて、一言も文句は言わなかった。
規則を破ったら、罰を受けるのは当たり前のこと。わたしは『星の器』としてそれを受け入れた。
♡
わたしに休息が訪れたのは、『ドーワ』に戻ってから1週間と6日が経った頃だった。
つまり、”星誕の儀”の前日。
つまり、今日のこと。
分刻みで凝縮されていた予定の数々は、今日の午後ですべてが片付いた。終わってみれば、なんのことはない1週間と6日だった。こういうのを喉元過ぎれば何とやら、と言うのだろう。
ただ体感時間を比べるなら、これまで歩んできた人生よりも、邪教徒に捕えられていた3日間の方が長くて、この1週間と6日間の方が濃密だったように思える。
敷かれたレールの上ではなく、自分で選んだ道を歩く。それは、わたしにとって初めての体験だった。
何倍も、何十倍も、価値のある時間だった。
予定が片付いてから、わたしはあの2人部屋に行くことにした。アリスとシラユキの部屋の隣。つまり、わたしとアンの部屋だ。
未だに黄色いテープで封鎖されていたけれど、知ったことかと踏み入った。”星誕の儀”を明日に控えているからか、誰もわたしを咎めはしなかった。
徐ろにアンのベットに横になったわたしは、アンが死ぬ直前まで目にしていた景色を眺め、次に自分の手に握られている四つ折りの手紙に視線をやる。アンがこの世に残した手紙だ。
それは、唐突にスピア先生から手渡された。本当はわたしに見せてはいけないのだと前置きを言った上で、それでも理由は言わずに、スピア先生はそれを渡してきたのだ。わたしはそれを受け取り、しかし未だに目を通してはいない。
それに理由があるとすれば、今日まで忙しすぎた、というのが半分。もう半分は、少しのためらい。
『ドーワ』を抜け出してまで追い求め、結局分からず仕舞いだった答えが、拍子抜けしてしまうほどあっさりと別の形で手に入った。わたしにとって、それは逆に枷でしかなかった。あの3日間を体験したが故に、何の苦労もなく彼女の気持ちを知ってはいけない気がしたのだ。
知りたいという欲求と、見るべきではない意思。2つのバランスは拮抗していた。
わたしにはそれを崩す何かが必要だった。
勢いや雰囲気といった、わたしの背中を押してくれる何かしらの要因。天秤を傾ける、些細で小さな重りのようなもの。
それは、アンと一緒に過ごしたこの部屋を訪れることで、一欠片のピースがジグソーパズルの最後の空白を埋めるように、自然な流れで得られるんじゃないかって思ったんだ。
そして、それは間違ってはいなかった。
わたしがアンのベットに突っ伏すと、部屋の隅に置かれた本棚が視界に入ってきた。あの夜、アンが全ての本を捨ててしまい、中身が空っぽになった本棚だ。しかし、既に灰になった筈の31冊の物語と、優しく本棚を撫でるアンの姿が、一瞬だけ見えた気がした。
本当に、自分でもどうかと思うほど、わたしは単純だった。
これは幻覚だ、目の錯覚だ。
それは分かりきったことで。
それでも、アンが見えた時には既に天秤は勢い良く傾いていた。わたしは四つ折りの手紙を目の前に広げた。
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