22.悲哀の連鎖1
ジャックに手を引っ張られながら、薄暗い廊下を歩いた。
石造りの床は靴音を際立たせる。わたし達3人の他に足音はなく、話し声さえも聞こえない。絶望に抗おうとする胸の高鳴りだけが、自分を奮い立たせるように頭に響いている。
ずっとあの部屋にいたから分からなかったけど、わたしが監禁されていたのは改築された宿舎の1室だった。地下牢を連想させるような造りになっており、ヒンヤリとした空気が漂っていた。
こっちだ、と手招きする『リュウグウドウ』のおじさんの指示に従って、ひっそりと開かれた窓から外に出る。そこは廊下と同じくらい薄暗くて、垂れた糸に吊されたボロ布が夜空を隠していた。
「ここは……」
わたしが声を漏らすと、おじさんが周囲を警戒しながら言った。
「『ドーワ』から見て南東方面に位置する旧市街だよ。ろくに区画整理されないまま開発された土地で、辺り一帯が迷路のように入り組んでる。逃げるも住むも、『虫憑き』にとっては都合が良いんだ」
「おじさんも『虫憑き』なんだよね?」
暢気にも、そんなことを聞いてしまう。
「……もう隠してはおけないね。ああ、その通りだよ」
「じゃあ、どうしておじさんは『虫憑き』の組織を裏切るの?」
アンデル先生が組織を裏切る理由は分かる。でも、おじさんがわたし達の逃亡を助けてくれる理由は見当たらなかった。
おじさんは苦笑しながら、僅かに目を伏せる。そして、贖罪だよ、と静かに罪の告白を始めた。
♠ ♡
僕らの組織には2つの派閥があるんだ。
『ドーワ』壊滅を目論む過激派と、『ドーワ』に反感を懐きつつも表立って行動はしない穏健派。おじさんは後者で、その中でも末端の構成員だった。……そもそも、皆と違って立派な信念はなくてね。請け負う役目も、中を見るなと言って渡される小包を店に来る同志に渡すだけ。組織の意図すら読み取ることもなく、1つの歯車として機能していたんだ。
……言い訳、と受け取られても構わない。ソレを知る機会は沢山あった。ただ、おじさんはとことん無知で、あの日までは自分が無知なことにすら気付いてなかったんだ。
そう、あの日――9日前のことは鮮明に覚えているよ。いつものように開店の準備をしていたら、店の外で倒れているアンデル君を見つけたんだ。
組織の者かどうかは分からなかったけど、唯ならぬ様子なのは一目見て分かった。取りあえず店の中で休ませようと思って、肩を貸そうとした、その時だった。
昨日の夕べ、少女に小包を渡さなかったか。
そう弱々しい声で、アンデル君はおじさんに聞いてきた。アンちゃんのことだとすぐに分かったおじさんは、彼女に何かあったのか、と聞き返したんだ。
正直、怖かったよ。漠然とした恐怖が胸の中にあった。だけど、それよりも真実を知らなければ、という想いの方が強かった。アンデル君は苦しそうに、ソレを話し始めた。
自分は『ドーワ』に務めていた元星官で、スパイとして組織に潜入していた。しかし、自分でも知らぬ間に頭を弄られ『悪い虫』に洗脳されていた。
昨日、過激派の連中がアンちゃんを使って『ドーワ』を壊滅させる計画を実行した。自分はそれを知っていながら、止めることが出来なかった。
そして、彼らの意思に反して、『ドーワ』を壊滅させることなくアンちゃんが自分の命を絶った。それで我に返ったアンデル君が、洗脳の度合いが薄く、今回の1件とも関わりのあるおじさんに目を付けて店を訪れた。
……話を聞き終えて、手が震えたよ。ただの子供だと思っていた少女が『星の器』だったのだからね。
もちろん、『虫憑き』だということは知っていたさ。ただ、末端の構成員には最低限の情報しか届かない。おじさんはアンちゃんのことを、ただの本好きな子供――おじさんと同じ末端の構成員――だと信じて疑わなかったんだよ。
結果、本を愛する同好の士は死んだ。……知らなかったでは到底許されないことだ。
彼は言った。
こうして正気に戻れたのは奇跡だ。またすぐに、元の自分に戻るだろう。
そうなる前に自分に暗示をかけ、2度と犠牲者が出ぬよう組織を壊滅させる。自分1人では無理だ。もし、欠片程でも罪の意識があるのなら、僕に協力して欲しい。
そう、持ちかけられた。
断る理由が見当たらなかった。彼の提案を受け入れ、おじさんとアンデル君は組織を壊滅させるために手を組んだんだ。
♠ ♡
おじさんの話が終わった。
宿舎から離れ、『虫憑き』にバレないよう移動しながら話を聞いていたわたしは、ずっと黙ってそれを聞いていた。おじさんの気持ちは、わたしと重なる部分が多かったから。
無知であるが故の罪。それは、わたしにも言えることだ。
知らなかったでは許されないこと。
知っていれば、防げたかもしれないこと。
アンの1番近くにいながら、アンの気持ちを少しも理解できていなかったわたしの罪は大きい。もしも記憶をなくしてなかったら、わたしはアンを救えたのだろうか……。
いや、今それを考えるのは止そう。
過去に失ったものは、もう取り戻せない。
今のわたしにできるのは、アンデル先生に切り開いてもらったこの道で、幸せも、苦しみからも目を逸らさず、全てを受け入れながら進むことだけだ。
わたしは、先に進もうとするジャックの手をぎゅっと握り、問いかける。
「『リュウグウドウ』のおじさんがわたし達に協力する理由は分かったよ。……じゃあ、ジャックは?」
「……オレ?」
「うん。どうやっておじさん達と知り合ったのか。……ジャックは、何がしたかったのか。わたしはそれが知りたいよ」
わたしがそう言うと、ジャックは何かを噛み締めながら目を逸らした。苦虫を噛み潰しているような、そんな様子で。
アンと同じで、ジャックはわたしに本心を隠していた。
発信器や盗聴器、秘密の裏口もそう。彼は誰にも知られずに何かの準備を進め、おじさんやアンデル先生と一緒にわたしをここまで導いた。
ここまで来て、ダンマリはないだろう。彼の本心が、今は1番知りたかった。
「……オレが元『虫憑き』だって話は、もう知ってるか?」
「うん。アンデル先生から聞いた」
わたしがそう言うと、ジャックはやっぱり悲しそうな顔をした。
「なら、話は早いな。あの日、予感がしたんだ。組織から離れちゃいたけど、奴らのやり口は嫌と言うほど知ってたから。……だからアンが死んだ時、真実を知るために『虫憑き』だった頃の記憶を辿って『古本屋・リュウグウドウ』に行ったんだ。……その時、ほんと偶然に、オレはアンデル先生と再会した。おっさんとセンセが何をしてたのかは、さっき聞いた通りだ。『虫憑き』の組織を壊滅させる。オレは2人の話し合いに加わって、オレを利用しろって提案したんだよ」
「ジャックを利用する?」
「そう。アンを失った以上、奴らはアンの代わりを探すはずだろ。それを逆手に取ったのさ。
段取りはこうだ。まず、おっさんが『虫憑き』の連中に連絡を入れる。『星の器』がアンのことを探りに店に来た。今も店を見張ってる、って感じにな。それで、オレがわざと奴らに捕まるんだ。アンに続いてオレまで消えたとなれば、警察は血眼になって探すはず。オレの失踪も『虫憑き』絡みだって匂わせれば、警察は組織の捜査に本腰を入れざるを得ない。当然、警察の動きを嗅ぎ付けた奴らは、見られたくない物を全力で隠そうとする。例えば、『星の器』についての研究資料とかな。そうすれば、オレへの監視に人員を割けなくなる。隙を突いて、センセとおっさんでオレを逃がして警察に保護させれば、証拠が揃って組織も壊滅。一件落着……って感じになる、予定だった」
筋は通っている、と思った。
要は、警察と『虫憑き』の組織を巻き込んだ壮大な計画を、たった3人で実行していたわけだ。
聞いていた限り、アンデル先生が正気でいられるかどうか、というのが1番大きな問題だったのだろう。だけど、彼は元々『ドーワ』の精神衛生管理士で、御星にその身を捧げた26の星官の1人だ。自分に暗示をかける。それに絶対の自信があったから、計画を実行に移せたのだ。
だけど、まだ肝心の疑問は残ったままだ。わたしは質問を続ける。
「あともう少しだけ、聞いていい?」
「……ああ」
「組織を潰すだけなら、アンデル先生が組織の場所を警察に伝えれば良かったんじゃないの?」
わたしがそう言うと、今度は『リュウグウドウ』のおじさんが答える。
「それは出来ないんだ」
「え?」
「……おじさんにも分からない。ただ、組織と関係ない人間に組織の情報を話そうとすると、頭の中が真っ白になるんだ。まるで、ストッパーでもかけられてるみたいにね。アンデル君が言うには、『悪い虫』が予防線を張っているらしい。例外があるとすれば、この旧市街で勧誘する時だけ。だから『虫憑き』は誰も口を割らないし、警察にも感づかれないんだよ」
自覚なき奴隷、星の奴隷、というアンデル先生の言葉が頭をよぎる。
先生はわたし達のことをそう呼んでいたけれど、『虫憑き』もまた、彼らが崇める『悪い虫』の奴隷なんじゃないかと思った。
正気に戻れたアンデル先生も、奴隷であることを自覚しただけに過ぎない。警察や『ドーワ』に相談は出来ず、あくまで組織内の、しかも洗脳の度合いが薄い『リュウグウドウ』のおじさんにしか頼れなかったのだ。
八方塞がりの状況で、アンデル先生はこれ以上ないくらいの打開策を打った。先生の覚悟を、絶対に無駄にしてはいけないと思った。
話をしながら路地を進み、暗がりの道に僅かながら光が見えた。そろそろ大通りに出る頃合いだろう。
宿舎の辺りとは違って、ここは騒がしい。どうやら『虫憑き』と警察が争っているようで、話を聞ける時間は今しかない。
「それじゃあ、最後の質問。どうして、3人の計画にわたしは巻き込――」
「おい。どこ行こうってんだ、異端者ども」
ドスの効いた声が、背後から聞こえた。同時に、吐いてしまいそうなくらいの緊張感が押し寄せてきて、わたしは息が止まった。
……ありえない。だって、あの男はアンデル先生が気絶させた筈だ。念には念を入れて、扉を閉めて鍵だってしてきた。なのに、何で……。
恐怖に押し潰されそうになりながら、背後を振り返る。
男がいた。巨人のように身体が大きい、フックという名の大男。わたしはフックの顔を見て驚いて、その次にフックが持っているナイフを見て、もう1度驚く。
そのナイフは、鮮やかな血の色で染まっていた。
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