20.狂気の選択1

 約束の時間がやって来た。


 部屋の中は暗く、窓から差し込む一筋の月光が部分的に部屋を照らし出す。ベットに腰掛けるわたしは月光の中に身を置き、来訪者をじっと待っている。

 周囲は妙に静か。部屋に迫る2人分の靴音だけが、はっきりと聞こえる。

 わたしの胸に高鳴りはなく、心に緊張はない。あるがままを受け入れようと、すでに覚悟を決めていた。


 硬質な靴音が部屋の前で止まる。ギィ、と扉が開き、アンデル先生の姿が月光によって照らし出される。

 アンデル先生は部屋を見渡す。わたしの姿を確認し、それから机に置かれた2つの空の皿を見る。

 これから死のうという人間が食事なんてする筈がない、とでも思ったのだろうか。彼は満足げに笑みを浮かべる。


「やぁ、ベル。元気そうで何よりだよ」

 そんな社交辞令をアンデル先生が口にする。わたしは何も答えずに視線を返す。

 アンデル先生は押しつけがましい慈愛の瞳でわたしを見ながら、安心しきった様子でイスに腰掛ける。


「本当はもっと話を聞いた上で、深く理解し、決断して貰いたかった。しかし、こちらにも時間がなくてね。……さぁ、選択を聞こう」


 先生の頭の中では、既に筋書きが出来上がっているんだろう。

『ドーワ』の闇に気付いた賢いわたしは、ここで『星の器』を辞めて人としての未来を取り戻す。そして、同じ『虫憑き』として先生と一緒に反『ドーワ』の活動をする。そういう筋書き。


 わたしは背中から月の光を浴びているので、目の前にわたしの影が伸びている。先生の方から見れば、わたしの顔は影で隠れている筈だ。目を凝らさなければ、わたしの顔は見えないだろう。

 

 夢を、見ていたんだ。

 自分の影を見ながら、わたしはそう切り出した。

 

「先生は言ったよね。我々の使命は、家畜のような惰眠から皆の目を覚まさせることだって。……わたしが見た夢は、その惰眠の中で見た夢。『ドーワ』で皆と過ごした、他愛のない日常だった」

「ああ、嘘で塗り固められた偽りの日々だ」

「……ほんと、その通りだよ。わたしの日常は嘘ばっかりだった。みんな本当にやりたいことを隠して、笑顔を貼付けて日常を送ってた。わたしは騙されてることにすら気づいてなかったんだ」

「そう卑下するものではないさ。君は騙されていたかもしれないが、真実に気付き、価値の有無を理解した。これほど喜ばしいことはない」

「うん。本当にその通りだと思う。……だから、わたしは選んだんだ」


 忘れたいほど、幸せだった。背負いきれないほど、宝物でいっぱいだった。

 わたしはそれを守りたいと思うから。

 わたしは顔を上げて、清々しいくらいの笑みを浮かべながら言葉を続けた。


「人としての未来は要らない。『星の器』として未来へ行く。それが、わたしの答え」


 優しい笑みを浮かべていた先生が表情を変えていく。どんどん血の気が引いていって、顔を青くしながらガタンッ、とイスから立ち上がる。


「なっ、な、何故だ!? 君は『ドーワ』に裏切られていたんだぞ! 生け贄まがいの方法で、星は君に大人しく死ねと言っているんだぞ!! そんなの、そんなの許されるわけがない……そうだ、君だって自由への渇望がある筈だ! 僕達の仲間になれば、これからは自分の意思で自由に生きられるんだぞ!」


 それは、今まで見たことのない激情だった。炎のように燃える怒りを顔に張り付かせて、わたしの両肩を強く掴む。

 考え方は変わっても、先生は本気でわたしを心配してくれていたんだな。今はそれだけで、救われた気がした。


 ごめんね、先生。


 わたしは先生の両手を振り払って、瞳を見詰める。薄緑色の、慈愛の瞳を。


「確かに、星に選ばれたのはわたしの意思じゃないよ。そもそも、未来を選ぼうなんて考えたこともなかったし、今まで流されるがままに『ドーワ』で暮らしてきた。わたしには、自分の意思なんてなかったんだ。……でもね、今は違う。他の誰の意思でもない。わたしはちゃんと、わたしの意思で『ドーワ』にいたいって思ってる」


 先の人生なんていらないと思える程に、『ドーワ』はわたしという器に幸せを注いでくれた。

 これから新しい人生を生きて、新しい幸せを手に入れるよりも、わたしは貰った幸せに報いたいと思った。


 だから、この選択で良い。この選択が良い。

 

 他言を挟み込む余地なく、迷いのない瞳でアンデル先生を見る。彼は何かを言おうと口を開けるが、すぐに閉じ、落胆するように地面に膝をついて、受け入れられぬと頭を抱えた。


「ダメだ……撤回してくれ。さもなければ……」


 さもなければ、わたしは死ぬだろう。

 『ドーワ』を裏切るか、『虫憑き』に殺されるか。後者を選んだわたしが向かうのは、未来のない行き止まりの人生。後戻りなんて許されない、アンと同じ死への道。


 ……分かってる。撤回するつもりはない。

 自分で歩く道を決めたなら、その責任はわたし自身が背負わなきゃいけない。わたしの場合は、それが13回分の死だってだけの話だ。わたしはそれを誇って受け入れようと思う。


 静寂が流れた。お互いの主張は平行線上にあると、お互いが理解したから。


 もっと別の形で再開できたのなら、どれだけ良かっただろう。

 3年の空白を埋めるように、昔に戻って楽しくお喋りがしたかった。そこにはアンがいて、ジャックがいて、カグヤ姉がいて。みんなで笑い合えたなら、それはとっても心地良いものだったのだろう。


 もう叶わない光景を夢見て、わたし達は沈黙する。そして、それを嘲笑うかのように死刑の執行人がやって来る。


「アッハッハッハァ! 流石は異端者様、考える事が違うなぁ! 仲間になると言やぁ、ちったぁ生きられたかもしれないのによぉ! ええ、おい!?」


 既に興奮状態にあるタンクトップの男――巨人のように大きいフックという男が、3日前と同様遅れて部屋に入ってくる。手には1本のナイフが握られており、刃の部分を舌でペロリと舐めてにやつく。


「アンデル。お前に免じて3日も待ってやったが、この様だ。約束通り、オレが殺らせてもらう」

 フックがわたしに近づく。


「…………ああ、そうしてくれ」

 項垂れながら、アンデル先生が力無く答える。その言葉には、すでに慈悲も容赦も含まれてはいなかった。


 さようなら、先生。

 わたしは死を覚悟して、ゆっくりと目を瞑る。


「理解なき異端に解放を」


 フックが言葉を発し、ナイフが振り下ろされる今この瞬間も、わたしの中に一切の動揺はなかった。

 ただ1つ心残りがあるとすれば、それは当初の目的を達成できなかったこと。アンの自殺の理由を突き止められないまま人生を終えることだけが、ほんの少しだけ悔しかった。

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