16.ピーターパンの真実

 目を開くより先に、顔に触れる柔らかな枕の感触を感じた。だけど、次の瞬間には頭に鈍痛が響き、わたしは顔を歪ませながらゆっくりと目を開いた。


 ここは、どこ……?


 石造りの手狭な部屋が、ベッドで横になっているわたしを囲んでいる。光源は無いに等しく、2メートルほどの高さにある鉄格子をはめた小窓から、僅かな月光が差し込むばかりだ。

 わたしはその月光を目で追う。それは1本の線となって空中を照らしていて、その線を目で辿ると、イスに座った1人の男に目がいく。


「ああ、気が付いたんだね。おはよう、ベル」


 月光に照らし出された白髪の男は、優しい声をわたしに投げかける。じわじわと心に指を忍ばせるような、優しく、甘く、妖しい声を。

 わたしは頭に残っている最後の記憶と現状を照らし合わせて、今の状況を理解する。

 そうか、わたし、『虫憑き』に捕まったんだ……。


「おはよう。アンデル先生」


 わたしは男に朝の挨拶を返す。月の出る夜に朝の挨拶をするのは初めてだったけれど、不思議と違和感はなかった。むしろ、彼に向ける言葉は、態度は、こうあるべきだとさえ思えた。

 声を出してすぐ、また頭に鈍痛が響いた。痛みを発している後頭部に手をやると、ざらざらとした包帯の感触が伝わってきた。


「手荒なまねをしてすまなかったね。ここの連中はどうも気の荒い者が多い。どうか許しほしい」

 

 アンデル先生は優しい微笑を崩さない。なおも妖しい空気を纏って、わたしに話しかけてくる。

 ここの連中、というのはわたしを後ろから殴ったやつのことだろうか。ジャックはどうなったのだろう……。世間話の延長線上のように話しかけてくるアンデル先生だけど、その内容は穏やかじゃないにも程があった。

 

「感動の再会、じゃないですよね」

「いいや、それで間違っていないよ。多少のトラブルにさえ目をつぶれば、感動的で劇的な3年ぶりの再会だとも。だから、そんなに警戒しなくてもいいんだ。僕は君の味方だよ、ベル」

「……逆に聞きますけど、こんなことをされてわたしが信用すると、先生は本気でお思いですか?」


 わたしは声の抑揚を抑えて、慣れない敬語も使って、なるべく冷徹に話す。そうしなければ、彼の雰囲気にすぐ飲み込まれてしまうと思った。

 それを見通しているのか、先生は余裕をもって、ふむ、成る程ね、とわたしを値踏みする。


「3年前ならいざ知らず、今なら僕にも警戒心を懐けるか。教え子の微笑ましい成長、というやつかな。寂しくもあるが、同時に懐かしくもある。その警戒に満ちた瞳を見るのは、初めて会った時以来だからね」

「……初めて会った時?」

「ああ、もう12年前のことだ。あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。初めて僕の部屋を訪れた君は、まさに枯れかけの若木も同然だった。温かな日光、豊かな土壌、適量の水、健やかな愛情を君は必要としていた。そして、それを与えるのが僕の役割だった」


 微かだけど、覚えている。立て付けの悪い扉の向こう側で、わたしの頭を撫で、優しく微笑むアンデル先生。わたしにおまじないを教えてくれた、わたしの……。

 息が震え始める。その先の言葉を聞くのが怖かったから。


「だけど、貴方はもう先生じゃない。3年前に『ドーワ』を辞めて、『虫憑き』としてわたしを誘拐した。……単刀直入に聞きます。貴方はここで、何をしているんですか? 何を、知っているんですか……?」


 心が痛かった。

 わたしの記憶の中のアンデル先生は、優しく微笑んでいる姿ばかり。どんな時でも優しく頭を撫でてくれて、どんな時でも力になってくれた。


 それは、そう。有体な言葉で言うなら、お父さんのような人だった。


 だから、ここにいることも『虫憑き』になったのも何かの間違いなんじゃないかって、そう思ってしまった。


 どうか、わたしが好きだった先生のままでいて欲しい。アンの死には一切関わっていないと、ここで明言して欲しい。そう、願ってしまった。


 先生はわたしの目を見て、手で口元を隠しながら慎重に話し始める。全ては我らが神の導きだよ、と遊び疲れた子供に御伽話を聞かせるような口調で。


「我らが神は教えてくれた。『ドーワ』の秘密を。『星の器』の秘密を。……君達をここに招待したのも、そこに理由がある。君達に全てを知って目を覚まして欲しかった。まぁ、ジャックにその必要はなかったようだがね」


 その言葉を聞いて、わたしは大きく動揺した。心を覆っていた薄いベールは簡単に剥がされて、気の赴くままに言葉を発してしまった。


「ジャックは……ジャックは無事なんですか!? それに、その必要はないって……」

「ここは彼の古巣だ。6年前、彼もまた我らの同胞だったんだよ」

 

 無数の針に貫かれるような衝撃が、わたしの頭を真っ白にする。 

 ジャックが、元『虫憑き』……? 嘘だ。だって、一緒にアンが自殺した理由を探ろうって、『虫憑き』を追おうって言ったのはジャックだ。そんな筈は……。


「まぁ、当時の僕はここのメンバーではなかったのだけれどね。それでも、ここに戻って来たということは、彼は再び我々の考えを受け入れたということなんだろう。それはとても喜ばしいことだ」


 否定しようとして、自分の中で疑心が芽生えていることに気が付く。

 盗聴器、発信器、秘密の裏口。なぜこうも都合良く、探偵ごっこのための材料が揃っていたのだろうか。

 『古本屋・リュウグウドウ』を見張るという提案も、証拠が揃うまで待とうというジャックの提案も、どこか誘導的ではなかっただろうか。


 もしかしたら、ジャックは『リュウグウドウ』のおじさんの手を組んで、わたしを誘導していたのではないだろうか。


 わたしの頭に最悪の想定が浮かび、頭から血の気が引いていった。このまま思考を巡らせていたら、間違いなくわたしは卒倒していただろう。それを防いだのは、奇しくもアンデル先生の話題転換だった。 


「ベル。こう思ったことはないかい? なぜ、自分達は大人になれないんだろう。なぜ、自由に生きられないんだろう。なぜ、なぜ、なぜ、とね」

「そんなこと……」

「その割には、浮かない顔をしているね。何か思い当たる節があるんじゃないのかい?」


 疑いようもなく図星だった。

 わたしが最後の外出の日に懐いた想い。パン屋のお姉さんのような、綺麗な大人になりたという願い。わたしの中にも、先生の言う”なぜ”が無いわけじゃない。むしろ、それは未練としてわたしの中に燻っているものだった。


 わたしの様子を観察する先生は、少し高揚した様子で口を開く。


「良い傾向だね。その気づきが、最初の一歩となる。そして更なる前進を僕が幇助しよう。お勉強の時間だよ、ベル。

 ”星の加護”、というものがある。これは15才を迎えた子供が”星繭の儀”を受けることで与えられる超自然的な未知の力と説明されているね。だが、その実体はまるで違う。60年、70年という君達が歩む筈だった人生を切り崩し、今に集約させられている呪いなんだよ。作られたばかりの『星の器』という粘土細工を乾かすための、3年という保管期間。”星誕の義”という展覧会を迎えるまでの間、厳重に商品を管理するための処置。君達は尊い未来を犠牲にして、道具としての機能を授けられていたんだ」

 

 ここまでは理解したかい、ベル。そう優しく微笑んで、わたしに理解を求めるアンデル先生。


 理解しちゃいけないと思った。これ以上、聞いちゃいけないと思った。

 わたしの根幹を揺るがす何かが起こると予感して、本能が逃避を求めている。目の前の景色がぼやけて、今にも逃避を始めそうだった。


「……違う。わたし達は大いなる星の祝福によって、星になる準備をしているだけ。グリム先生も、スピア先生も、わたし達のことを想ってくれてる。勝手なこと言わないで下さい」

「それは、彼らが自覚なき奴隷だからだろう。いや、彼らだけじゃはない。この世界では誰もが星の奴隷だ。この世界が星の慈愛で満ちていると、星の、『ドーワ』の行いが正しいと、盲目的に信じて疑わない。ああ、なんと嘆かわしい。我々の使命はね、そんな家畜のような惰眠から皆の目を覚まさせることなんだよ」

「……おかしい。おかしいよ、先生」

「今の君から見ればそうだろう。その価値観を変えるために、僕達はこうして話をしているんだよ、ベル。……そうだな、では、1つ質問をするとしよう。君達が歳をとらない理由、これはどう説明する? これも、大いなる星の祝福によるものかい?」

「それは……」


 ”星の加護”を受けているからだ。でも、その代償として肉体の成長が止まってしまう必要性が見当たらない。

 なぜ、わたし達の身体は人としての成長を止めてしまうのか。

 なぜ、わたし達は身体的に大人になれないのか。


 当たり前のように受け入れていた”星の加護”が急に不気味なものに思えて、気味が悪かった。


「疑問を持つ。それが理解への更なる1歩だよ、ベル。表面だけ触って理解した気になるのと、奥深くまで理解するのとでは、価値が大きく異なるのだからね。

 なぜ、君達は歳をとらないのか。それは『星の器』になるための代償として、寿命を差し出しているからだ。人として未来を生きるためではなく、器を完成させるための道具として身体は生まれ変わる。15才から18才の3年間、”生きている”という状態が続けば良いのだからね。そこから先の未来は勘定に入っていないんだ。これでもまだ、自分達が人間として扱われていると言えるのかい?」


「違う……違う……。それこそ、突拍子のない話、ですよ。そうだ、今までの話は全部、証拠も何も無い」

「あるよ、ベル」


 先生の顔から、笑みが消えた。声色も、どこか怖さを感じる。閉っている筈の鉄格子付きの小窓から、冷たい風が吹いたような気がした。


「カグヤ、という『星の器』がいたことを覚えているかな。彼女もまた、君達のように『ドーワ』を秘密裏に抜け出してここに来ていた。自由と解放を求めてね。ここでは『星の器』を普通の人間に戻すため研究を行っているんだ。彼女はそれを当てにしていた。しかし、残念ながら結果は振るわなかった。如何せん、研究素材・・・・が少なくてね。未来を奪われていた彼女は”星誕の儀”が行われる筈だった日の翌日に、静かに息を引き取った」


 3年前に『ドーワ』から失踪した、カグヤ姉。

 わたしと仲が良かった筈の、カグヤ姉。


 彼女は人としての人生を求めて、ここにやって来た。そして、死んだ。だというのに、わたしは彼女について何も思い出せない。何を話したのか、何をして遊んだのかさえも。

 その何も思い出せないという状態に、わたしはとても恐怖した。

 

 辛い出来事を忘れようとするこの体質は、1種の防衛本能のようなものだ。もし、カグヤ姉のことを忘れていなかったら、わたしはアンの時と同じように深く心を傷付けていただろう。あの苦しみをもう1度味わっていたかもしれないかと思うと、寒気がした。


 わたしは、アンが自殺した理由を求めてここまできた。自分の意思で、苦しみを受け入れようと思って。その意思が、ここに来て折れそうになっていた。他の誰よりも、それを強く自覚してしまった。


「だけどね、我らが神はついに『星の器』の神秘を紐解くに至った。薬が完成したんだ。器を壊して、君達の失った尊い未来を取り戻す薬だ。残念ながら、全ての寿命を取り戻すまでには至らない。それでも、この先30年は生きられる計算だ」

「どうやって、薬を完成させたんですか……?」


 微かに残っている反骨精神を振り絞って、先生に言葉を投げかける。


「カグヤの身体を使わせて貰ったよ。……そう睨まないでくれ。病院でも医学の発展のために献体を募るだろう。あれと同じだよ。何も、彼女だけが特別なんじゃない。……この際だ、全て白状しよう。薬の完成までの道のりはとても長かったそうだ。”星の加護”の構造を解明する段階で、4人の子供が犠牲になっている。その段階で、寿命が今に集約していること、13回分の死で『星の器』となった子供が死ぬことが確認された。更に言うと、薬の投薬実験で5人もの子供が犠牲になっている。……尊い犠牲だよ。彼らのおかげで薬は完成した。嘆かわしく、そして喜ばしいことだ」


 わたしの中で、何かが砕ける音がした。

 3年前のままであって欲しいと、願った。優しいかった、昔の先生のままでいて欲しかった。だけど、今の話を嬉々として語った目の前の男は、歪んだ反ドーワの思想を持つ醜悪な『虫憑き』だった。


 裏切られたんだ。貴方のことを、わたしはお父さんのように思っていたのに……。


「ベル、僕は君を救いたいんだ。僕達の仲間になってくれるなら、それと引き替えに薬を渡そう。これがあれば、血の通わない規則に縛られる必要はなくなる。星の奴隷達に騙されることなく、新しい人生を歩めるんだ。素晴らしいと思わないかい?」


 わたしはもう、取り繕うのを止めた。あるがままの絶望を表に出して、言葉を発した。


「仲間にならない、と言ったら?」


「――そんときゃ、俺がお前を殺すだけだ」


 ドン、といきなり扉が開かれて、薄汚れたタンクトップを着た男が部屋に入ってきた。筋肉質でガタイが良く、右目に眼帯をしており、その風貌は正に本の中で見た巨人のようだった。


「アンデル、いつまでこんな事やっている?」

「やめろ、早まるんじゃない。まだ事情を説明している最中だ」

「ふん、いつも回りくどいんだよ、お前は」


 タンクトップの男はズカズカと部屋に入ってきて、わたしの前に立つ。そしてニヤニヤと卑しい笑みを浮かべながら、わたしの髪を乱暴に掴み上げた。


「おい、異端者! 今ここで死ぬか、俺達の仲間になって『ドーワ』を裏切るか。お前の未来は2つに1つだ、好きな方を選びな」

「……やめろ、と言ったのが聞こえなかったのか? その手を離せ、フック。今の彼女に必要なのは脅迫じゃない、考える時間だ」


 アンデル先生の制止により、フックと呼ばれた男はちっ、と舌打ちをしてわたしの髪から手を離した。そして、手に絡まったわたしの髪の毛を払って、わたしを指差す。


「あの裏切り者が戻ってきたってだけで、こっちは我慢の限界なんだ。……3日、3日だけ待つ。それで俺達の仲間にならないのなら、俺がこの手で殺すからな。忘れるな、理解なき異端に解放を」


 そう言って、男は部屋を出て行った。殴られた時の痛みも相まって、わたしはベッドの上で苦悶の表情を浮かべることしか出来なかった。


「……すまない、彼は我々の中でも過激派の部類でね。許してくれ」


 今の暴力に対してなのか。それとも、わたしを脅迫したことに対してなのか。彼はまた、謝った。

 奇しくも痛みを与えられ、先ほどよりも冷静になれたわたしは、最後に最も聞きたかった質問を口にした。


「教えて……なんで、アンは死ななきゃいけなかったの?」


 先生はそれを聞くと、ふむ、と俯いた。そして、しばらく考え込んだ後、アンデル先生は重々しい口調で言葉を続ける。


「それは僕にも分かりかねるよ。アンは我々の同志で、計画のキーパーソンだったからね」

「…………」

「『星の器』は13回殺し続ければ死ぬ。だから、過激派連中はアンに毒を持たせた。遅効性の特殊な猛毒……それをほんの少し朝食のスープに混ぜるだけで、『ドーワ』は壊滅するはずだった。まさか、こんなことになるとは……」

「……………………」

「アンは君達を殺すつもりだった。無論、君もだ。僕が知っているのはここまでだよ」

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