15.探偵ごっこ4
信じよう。そう思ったのは嘘じゃない。
ただ、それとわたしの集中力が切れかけていたこととは別問題であると、最初に弁明しておきたい。
『古本屋・リュウグウドウ』の観察を始めてから、約4時間が経った。空を見ると、頭上にあったはずの太陽は大きく傾いて、雲1つない青空はもう夕焼け色に染まっている。時間の経過に伴って、人の往来も少なくなっていた。
あれから全くと言っていいほど進展はなかった。何人かは古本屋を出入りしていたけれど、怪しい会話は聞こえてこない。何の音沙汰もないので、ただ座って動きを待つだけの状況が続いている。
自分で言うのも何だけれど、わたしは飽き性な性格だ。既に1時間前から痺れを切らし、空と地面を交互に見つめたり、すぐそばで舞っている蝶をじっと見つめたりしていた。ジャックは集中力が続いているようで、わたしが話しかける度に素っ気なく答えて、静かに古本屋の観察を続けている。
空を見るのも、地面を見るのも、蝶を見つめるのも飽きて、わたしはジャックの横顔を見つめる。
落ち着いて古本屋を観察するジャック。その横顔は普段の活発な印象とはかけ離れていて、どこか大人びて見える。
遺書の内容だったり、『虫憑き』のことだったり、秘密の裏口だったり。わたしの知らないことをジャックは沢山知っていた。それを頼もしいと思う反面、疑問にも思ってしまう。
わたしにも、アンにも、『ドーワ』にも隠して、ジャックは秘密の裏口を使って何をしていたんだろう。
昼間は他に考えることがあったので気にはならなかったけど、今になってそれが気になってしょうがなかった。
「何見てんだよ……?」
いつものように無遠慮な感じで、ジャックがわたしに言葉を投げてきた。突然のことで、わたしはつい素直に答えてしまう。
「いや、ちょっと気になることがさ……」
言ってすぐ、しまった、と口を塞ぐ。2人で力を合わせている最中なのに、ここでジャックへの疑問を口にするのはどうなんだろうか。
わたしが黙っていると、ジャックが眉をひそめる。
「何だよ、突然黙ったりして」
「な、何でもないの。気にしなくていいから……」
「いや、そう言われると逆に気になるっつーの。遠慮するなよ、ほら」
わたしは考えを巡らして、どうにか話を逸らそうとする。
「アーロン」
「ん?」
「ほら、古本屋でアーロンって名乗ってたでしょ? よく咄嗟に言えたなと思ってさ」
そう歯切れ悪く言うと、ジャックはなぜかバツが悪そうな顔をした。頭をポリポリと掻いて、それから気を取り直すようにして口を開く。
「それ、親父の名前なんだよ」
意外な回答に、わたしは面を食らう。もはや語るまでもないことだけど、施設にいる子は自分の過去を話したがらない。『ドーワ』に来る前のこと。『ドーワ』に来る前にしていたこと。産みの親のこと。そういう過去話をしてはいけない、という空気が『ドーワ』には流れている。
だから、1週間前にアンが自分の過去を語った時と同じように、わたしは好奇心を強く刺激されたんだ。
「ジャックのお父さんって、何をしている人なの?」
ゲスの勘ぐりかとも思ったけれど、別にジャックは気にしてない様子だった。むしろ自慢げな口調で、わたしの言葉に答える。
「時計屋だよ。そこの古本屋と同じくらい、ボロくて小さな店だけどな」
「時計屋さんか。……なんか、丸メガネをかけてて、ドラーバーで懐中時計とか弄ってそう」
「あながち間違ってねぇよ。まぁ、親父はどちらかと言うと置き時計を弄る方が多かったみたいだけどな。オレが6才の時にも、サプライズで鳩時計を作ってくれたんだ」
「へぇ、鳩時計か……あ、それってもしかしてジャックの部屋にあったやつ?」
今日の昼間に、ジャックの部屋で床に落ちている鳩時計を見た。元々施設にある時計の中に鳩時計はないので、きっとそれだろうと思った。
なんだ、見られてたのか。
そう言ったジャックはやっぱり自慢げに、だけど、ちょっとだけ寂しそうに話を続ける。
「あれ、秘密の裏口を使って家まで取りに戻ったんだ」
『ドーワ』の規則で、元の家に戻ることは許されていない。理由は、不純異性交遊を取り締まっているのと同じ。産みの親というのは、良くも悪くも子供とは切り離せない関係にあるからだ。
秘密の裏口の使用に加え、窃盗、元の家に帰るという規則破りのオンパレードに、わたしは肩をすくめた。
「まぁ、それも今更か。ジャックは律儀に約束守るタイプじゃないもんね。むしろ、そっちの方がしっくりくるくらい」
「オレはやりたいようにやってるだけだよ。鳩時計のことも、今もそう。鎖とか、檻とか、そういうものに縛られず、自由に生きていたい。そう思うんだ」
「…………」
まるで、規則を破ることが誇らしいと、自由に生きることが正しいとでも言うように、ジャックはわたしを見る。
わたしは上手く、言葉を返せない。
規則はわたし達の行動を縛るものだけど、同時にわたし達の安全を守るものでもある。”星の加護”と同じで、わたし達が星になるまでの間、健やかな生活を送るために作られた大切な決まり事。
自由に生きたいと思うのは、何も間違っていないと思う。だけど、この身体は御星の、『ドーワ』の所有物であり、施設の外で自由に生きることは認められていない。
それに、もし”星の声”に選ばればかったとして、もし自分で将来を選べたのなら、今のような安定と安心のある生活は送れなかっただろう。
自分の将来を自分で選ぶことは、自分の将来を保証するものが何もなくなるということだ。それはとっても、苦しみが伴うことだと思う。
大人になるってことは、苦しみを受け入れるってこと。
未だに思い出せない、わたしと親しかった誰かがそう言ったように。
「ベル、お前はどうなんだよ?」
ジャックが言う。無遠慮に、わたしの瞳を見て。
「……わたし?」
息を呑む。この空気を、わたしは知っている。最後の外出の日に、アンがお酒に酔っていた時と同じ空気。わたしが消えたら悲しいか。そう聞いてきた時の、妙に張り詰めた空気と同じだった。
ジャックは更に続ける。
「海を見てみたいとか、世界の裏側に行ってみたいとか……そういうの、ベルは考えたことあるか? もし……もしも、そう考えたことがあって、今でもそんな夢があるのなら、オレはそれを叶えてやれる。その手段がある。ベル、オレは――」
いつにも増してジャックが真剣な口調で何かを告げようとした、その時だった。
カランカランと音がして、誰かが『古本屋・リュウグウドウ』に入っていった。同時に、手に持っていたトランシーバーからも雑音混じりの音がする。
『……いらっしゃい』
『やぁ、……さん。久方……だ』
おじさんの声がする。客の声は、雑音が酷いせいでうまく聞き取れない。
『予約……やつで良いのかな?』
『ああ、それで頼……』
おじさんの言葉を聞いた瞬間、妙に張り詰めた空気も、さっきまでの会話の内容も、全てが頭から吹き飛んでいった。雷に打たれたような衝撃が、全身を駆け巡ったんだ。
「ジャック、これだよ」
思い出した。アンが1週間前に『古本屋・リュウグウドウ』を訪れた時、おじさんは開口一番に何て言ったのかを。
「『ああ、アンちゃん。予約してたやつだね』。……『リュウグウドウ』のおじさんは、あの時そう言ってた。もしかしたら、この『予約』って言葉がキーワードなんじゃないかな?」
「……ありえるな」
ジャックも元の雰囲気に戻って、顎に手を当てながら答えた。真剣な表情には変わりないんだけど、さっきまでとはまた違った”探偵ごっこ”の表情で、ジャックらしさが戻ったように思えた。
しばらくして、またおじさんの声がする。
『これが……だ。……悪いね、君にばかり……役回りを』
『適材適所ですよ、リュウ……さん。お互い、やる……ことだけを……ましょう。また後で』
1週間前のアンと同じように少しの言葉を交した後、その客はすぐに店を出た。わたし達とは反対の道に進んでしまったため、黒いコートを着ている、という外見の特徴以外分からなかった。
「どうする、ベル。オレはアイツを追いたい。出来ることなら
ジャックは手の平を広げて発信器をわたしに見せる。
「もうすぐ夕食の時間だけど、後を追うか?」
『ドーワ』の夕食は6時半に食堂に集まって、みんな一緒にでいただきますをする。もしその場に居なかったら、当然スピア先生に怪しまれる。ジャックが言いたいのは、つまりそういうことだ。
しかし、わたし達に残された時間は少ない。こんなチャンスをみすみす逃したら、それこそ本末転倒だ。
「……行こう、ジャック。行って、アンが自殺した理由を探ろう。スピア先生に怒られるのは、まあ怖いけど、少し遅れるくらいならどうにかなると思う。だって、今日のわたしは普通じゃないらしいからさ」
わたしがそう言うと、ジャックはニヤリと口角を上げる。
「ししっ、確かに確かに。普通じゃないから、森の中でちょっと気分転換が長引いても仕方ないってわけだ。さぁ、そうと決まれば行動あるのみだ」
ジャックはわたしの背中を無遠慮に、力強く叩いた。
♠ ♡ ♧
わたし達の身体は15才で成長が止まっている。なので、電柱や物陰があれば充分に姿を隠し、こっそり黒コートの男を追うことができた。
空には月が昇り、辺りは一層暗くなり始める。それでも、わたし達は男を追うのを止めなかった。男は裏路地に入って、どんどん小道の奥に進んでいった。次第に街灯の数も減っていって、ついにはなくなる。月明かりだけがわたし達を照らしていた。
同じように月明かりに照らされる男を見て、まるで古本屋にあった推理小説の表紙みたいだと思った。
探偵が犯人を追い詰める。周りには誰もいなくて、月明かりが2人の姿を照らし出す。幻想的で、緊迫感のある絵面だった。
それを意識すると、なんだか急に手汗が滲みだした。わたしは今一度、周りを観察する。黒コートの男とわたし達以外、この細道には誰もいない。この世のものとは思えないほど静かで、自分の息遣いと男の足音が鮮明に聞こえた。
黒コートの男は、硬質な足音を一定の間隔を保って歩いていたけど、小道の奥に進むにつれてその間隔は狭くなっていった。
そして、月明かりすら届かない細道で、男はついに立ち止まった。
「……冬に入ってから、だいぶ日の沈みが早くなった。半年前にはここらも明るかったのかと思うと、寂しさを感じるよ」
男は静かに声を上げる。誰かに語りかけるような、優しい声音で。
だけど、男の周りには誰もいない。暗闇だけが、男の周りにある。
「しかし、こんな時間に暗がりの路地に入るとは、どうにも感心しないな」
その言葉を聞いたとき、わたしはぞっとした。
男がわたし達に話しかけていたと気付いたから、ではない。男の声を聞いて、温かな懐かしさを感じてしまったからだ。
「6時までには施設に戻りましょう。それが、『ドーワ』の規則だった筈だ。そうだろう、ベル?」
男は優しい微笑を浮かべながら、ゆっくりと振り返ってわたし達を見た。男の顔は、黒く塗りつぶされていた。
瞬間、わたしは目眩に襲われる。事情聴取の時、そして保管室の時と同じだ。記憶の濁流が頭の中に流れ込んできて、鮮明な映像が強制的に映し出される。
立て付けの悪いドアと、ふかふかのソファ。幼いわたしと、わたしの手をぎゅっと握る、黒塗りの男の人。
『これはね、おまじないなんだ』
『おまじない?』
『そうとも。こうやって身を寄せ合うと、1人じゃないって実感出来る。ついでに怖さも消えて、寒さも忘れさせてくれる。そういう、おまじないさ』
そう言って、男はわたしの頭を撫でる。すると、男の顔に塗られた黒い鉛筆の線のようなものが、段々と薄くなっていって――
――後ろでまとめられた白色の長髪が、目尻に深く刻まれたシワが、薄緑色の優しい瞳が、男の顔が、ハッキリと見えるようになった。
「……アンデル……先生?」
わたしが言葉を溢すと、男は滑らかに口を動かした。すまない、と。
それを視認して、彼が何について謝っているのか考えようとし、状況を整理しようとした所で、わたしの後頭部に何かが振り落ろされた。
為す術もなく、わたしは意識を失った。
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