13.探偵ごっこ2

 『古本屋・リュウグウドウ』はかなり年期の入った店だ。


 埃被った。かび臭い。そういった形容の言葉がピッタリと当てはまる。

 人気の無い通りに面していることも相まって、とても客が寄りつくとは思えないけど、それでも店主が食べていけてるのは熱狂的な読書家達がいるからだろう。ちょうど、アンのような。


「いらっしゃい……おっと、こりゃ驚いた。ベルちゃんが彼氏連れで御来店だ」


 レジのカウンターに座っているちょび髭のおじさんが、驚いた顔を見せる。自然に、ぎこちなさを感じさせない口調で、気になる文言を口から滑らかに言い放って。

 彼氏連れって、聞こえたんだけど……。

 しかし、改めて考えて見ると、年頃の女の子が男の子と2人きりというシチュエーションは第3者から見れば”デート”という形になるのか。別にジャックとはそういう関係じゃないけれど、そういう関係じゃないだけに、意識すると小っ恥ずかしさを感じる。

 

「こ、こんにちは、おじさん」

 出鼻を挫かれて、挨拶がぎこちなくなってしまう。

「こんにちは、ベルちゃんと彼氏くん。……って、これじゃあ他人行儀だね。彼氏くんの名前は何て言うのかな?」

 また”彼氏”という単語が出て、わたしはついドキリとしてしまう。

 

 別に隠す程のことでもないのだけれど、わたしは恋愛絡みの話に慣れていない。惚れた腫れたの類いの話題は不得手だ。

 これにはわたしが奥手だから、という理由もあるのだけど、1番の理由は『ドーワ』が不純異性交遊を強く取り締まっているからだろう。


 『ドーワ』にいる子供達は、みんな使命を果たすために集められている。無事に18才を迎え、”星誕の儀”を受けて星になることが生きている意味であり、存在意義。


 だから、それを妨げるような行いは必然的に悪ってことになる。


 男女間に生まれる特別な関係は、時に使命を忘れさせるほど人を盲目にさせる。『ドーワ』がそれを悪と断じるのは当たり前のことだ。

 身体を重ねるなんてもっての外だし、同じ部屋で寝たり、キスをしたりするのも、唾棄すべきハレンチな行い。それらを不純異性交遊と断じる『ドーワ』は、規則で厳しく取り締まっているんだ。

 

 だけど、まぁ。

 今更語るまでもなく、”秘密の裏口を使って外に出る”という、『ドーワ』にとってハレンチな行いにわたしは身を投じている。だから、たかが”彼氏”という単語を聞いただけで恥ずかしがる必要もないわけで、動揺を一切見せないジャックの対応はベストだったと言わざるをえない。


「どうも、アーロンです。ベルとはただの友人ですが、よろしく」


 さらっと偽名を告げて、和やかに笑うジャック。その仕草や声色は本当にジャックじゃないみたいで、こんな器用なことが出来たんだな、と感心してしまった。

 はは、余計な詮索だったかな、と古本屋のおじさんも自然に笑う。


「よろしく、アーロンくん。して、お2人さんはこんな古本屋に何のようだい?」

「変なことを聞くんだね、おじさんは。ここに来る理由なんて、1つしかないと思うけどな」


 わたしが思わせぶりにそう言うと、おじさんはわざとらしく自分の額を叩く。


「そりゃそうだ、失敬だったね。さてさて、外見はこんなだけどウチは品揃えには自信があってね。他のお客もいないし、気が済むまで品定めすると良いよ」


 ごく自然なイントネーションで、淀みない言葉の連なりだった。

 にわかには、おじさんが『虫憑き』だとは信じられない。だけど他に手掛かりもない以上、おじさんを疑うしかない。探偵ごっこは続行、一旦レジから離れて、様子を伺うことにした。

 

 おじさんがギリギリ見えるくらいの場所に移動して、わたしはジャックに聞く。

「どう思った、おじさんの行動?」

「気の良いおっさんって感じだな。けど、優しくて、無害そうで、それが逆に怪しく見えるっつうか。まだ何とも言えねぇよ」

「わたしも大体同じ」

「だよな。ま、そう簡単に尻尾は出さないだろうぜ。焦らず、じっくりと。それが張り込みの基礎ってもんだよな」

「そして、探偵ごっこの基礎でもある、と」

「正解。それじゃ、手筈通り探偵ごっこは続行ってことで」


 ジャックはわたしから離れ、レジ近くの本棚に移動する。わたしはそれを確認してから、周囲を見渡す。

 何をしているかというと、おじさんに言われたとおり本を品定めしているんだ。


 おじさんからは見えない位置で、レジからは離れていて、それでいてタイミングを見計らっているジャックの姿が見えなくなるような本棚に収められた本達。

……よし、これにしよう。ミステリーというタグが貼られた、探偵物のシリーズ小説が並べられた本棚の前にわたしは立つ。

 

 ジャックが盗聴器を仕掛ける時間を稼ぐには、これがベストだ。ちょっと怖いけれど、やるしかない。

 わたしは一呼吸した後、うわぁっ、という短い叫び声と共に、そこへ思いっきり倒れ込んだ。ダイブ、と言い換えても良い。


 本棚に収められた本達は景気良く床に散らばり、ついでに床で伸びているわたしの顔へと降り注ぐ。スピア先生のげんこつよりも痛くて、あれでも盲目の鬼職員は手加減してくれていたんだな、としみじみ感じた。


 これは、当然といえば当然の罰だ。アンの宝物になったかもしれない本達を、こうして乱暴に扱ってしまったのだから。


「何か音が……って、ベルちゃん! 大丈夫かい!?」

 おじさんはすぐさまレジを離れ、わたしの元まで駆けつける。わたしは自分の顔に被さっている本をどけて、ゆっくり身体を起こす。そして頭を押さえながら、


「ごめんなさい。ちょっと躓いちゃって……」

「いいんだよ。謝る必要はないさ。それよりも、怪我はないかい?」

 そう心配されて、わたしは自分の身体を確認する。

 本棚に並べられた本が散らばるようにダイブしたけれど、捨て身だったわけじゃない。倒れる時にちゃんと手をついたので、軽い頭痛と、指に切り傷が出来た程度だった。そういえば、床に転がって頭を抱えるのは、本日2度目だ。


 大丈夫だよ、おじさん。そう言おうとした時、おじさんは指の切り傷に気が付いた。

 

「ああ、指の所に傷ができてるじゃないか。ちょっと待ってておくれ。救急箱を取ってくるからね」


 予想できなかった方向に話が進み、わたしは身を強ばらせる。

 もしおじさんが救急箱を取りに行けば、店の奥に盗聴器を仕掛けているジャックと鉢合わせになってしまう。それだけは、わたしが何としても阻止しなくてはならない。


 わたしは咄嗟におじさんの袖を掴み、健やかな笑みをつくる。

「大丈夫だよ、おじさん。怪我なんてしてないから」

「え? だって、指の所に……」


 わたしはおじさんに向けて両手を広げる。

 傷1つない、綺麗で小さな手。”星の加護”を受けた細指10本。


 かすり傷程度なら、”星の加護”が一瞬で治してしまう。


 ほらね、大丈夫でしょ。そうわざとらしく、わたしは言った。

「うむ、確かに……いかんな、最近は老眼が酷くて」

 おじさんは目をしばしばさせる。

「年の功ってやつ?」

「ははっ、それは知識の蓄えのことだね。おじさんの場合は単にガタが来ているだけ。ベルちゃんも歳を取れば分かるんじゃないかな」

  

 そう言って、愉快そうに笑うおじさん。けれど、その笑みぎこちなさが含まれているのを見逃さなかった。


「……それじゃあ、ガタがきてるおじさんのために、わたしが本を拾わなきゃね」

「こらこら。ガタがきてるってだけで、おじさんはまだまだ現役さ。お客様の手を煩わせるわけにはいかない。しかし、それでも手伝ってくれると言うなら半分は手伝って貰おうかな」

「はーい」


 なるべく愛嬌良く振る舞って会話を弾ませる。おじさんの気を引いて、後ろのレジを見させない。わたしに出来ることは限られていたので、それだけに神経を注げた。

 

「そういえば、アンはどういう本を好んで読んでるの?」

 本を棚に戻しながら、わたしは話を切り出す。

「いつも一緒に来てるのに、知らないのかい?」

「うん」


 知っている。アンが丁寧に読んでいた、1冊1冊の本達を。重りだからと言って焼いていた、灰になった宝物を。

 すでに知っていることを白々しく聞いたのは、何かボロを出さないか、とおじさんに期待したからだった。


「そうだねぇ。子供向けの幻想小説から、ここにあるような小難しい推理小説まで手広くカバーしていたよ。大抵の人は、読書傾向が偏ることが多いんだけどね。そうでなくとも、特定のジャンルを短期間に連続して読んだりする」

「言われてみれば、たしかに。こういう探偵シリーズものなんかは、すぐに次の巻が読みたくなっちゃうかも」


 ちょうど足下に転がっていた探偵シリーズものを、わたしは拾い上げる。

 アンの集めていた本にもシリーズものがあったのだけれど、それが1巻しかないことにわたしは不満を漏らしたこともあった。そういう時は、自分で買いなさい、と決まってアンは言ったものだ。


「だけど、何て言うのかな。アンちゃんの場合はそうじゃないんだよ。1つのジャンルを嗜んだら、すぐ次のジャンルに移る。冒険小説の次に経済小説を選んだときには、なかなか面白い選択をすると思ったもんだ」

「バランスを取っていた、のかな?」


 わたしが首をわざと傾げると、おじさんは怪訝な顔をして、


「どうだろうねぇ。ただ、彼女の本選びには気移り目移りがなかったように思える。適当に本を選んでいるように見えて、その実、ただの1度も完全にジャンルが被ったことはないんだ」


 それも、知っている。わたしはずっと、見てきたから。


「……そうだね。確かに、そうだったかも」


 知っている。あの本棚が空っぽだった時から。




   ♠ ♡ ♧




 アンが『ドーワ』に来るまで、わたしは2人部屋を1人で使っていた。

 同年代、かつ同性の子としか相部屋になれない、というのが『ドーワ』の規則。そして、その『ドーワ』にはわたしと同年代の子がいなかった。ただ、それだけの理由だ。


 わたしが10才を迎えると、アンがわたしの部屋にやって来た。

 今日から一緒に暮らすことになった、新しい家族だ。仲良くするんだよ、と顔も知らない職員に告げられた。反骨精神の塊だった当時のわたしは、絶対に口を聞いてやるもんかと固く決意して、その日は一言も話をしないまま終わりを迎えた。

 

 だけど、次の日のことだ。わたしが目を覚ますと、イスに座って朝の光に包まれながら、アンが本を読んでいた。まだ寝ぼけていたわたしはつい、何の本を読んでいるの、と聞いてしまった。


「ああ、やっと話しかけてくれた」


 そう言って、アンは意地悪そうな笑みを浮かべていた。わたし達の関係は、その日から始まったのだ。




 アンが1冊目の本を読み終わったのは、わたし達が一緒に暮らすようになってから丁度3ヶ月後のことだった。当時のわたしは文字の読み書きが不得手で、本を読む習慣もなかったので、当然部屋に本棚はなかった。アンはそれに不満を持っていたみたいで、口を開けば本棚本棚と言うようになったので、わたしはスピア先生に頼んで日光が当たらない部屋の隅に本棚を置いて貰った。

 大きくもなく、小さくもなく、丁度良いと思えるサイズの本棚だった。


 その日以来、1冊、また1冊と3ヶ月間隔で本が増えていった。アンの読む本は大きさや色がまちまちで、読み終わって本棚に並ぶ本を見ていると、新しいインテリアが増えていくみたいで面白かった。

 大まかな括りで見たら同じモノもあったけれど、細かく分けたらジャンル被りの本がない。それに気付くのに、3年くらいかかった。


 小さくて、大きくて、黒くて、白くて。

 ジャンル違いの本で本棚が埋まる度に、デコボコでカラフルになっていった。それは、本達の中にある世界が互いにぶつかり合って出来た、境界線のようにも思えた。


 本は真実に最も近い、最もリアルな虚実。アンにとって、もう1つの世界。

 アンは現実じゃない、別の世界に没入していた。

 炎を吐くドラゴンに乗ったり、首切り殺人鬼を追い詰めたり、鬼の住む不思議の国に行ったり。様々な世界を巡って、だけど、その中には1つとして似たような世界はなかった。


 似てる世界を見ても意味がない。今思えば、アンの本棚は持ち主の代わりにそう語っているようだった。




   ♠ ♡ ♧




 そこでふと、わたしは思ってしまった。これこそが、アンのやりたかったことなんじゃないかと。


 もし”星の声”に選ばれず、『ドーワ』に来ることがなかったら、自分は何をしていたか。

 アンは、世界旅行と答えた。


 アンが本を読む意味は、それの疑似体験だったのではないだろうか。新しい世界ジャンルを見て、それが終わったら別の世界ジャンルへと旅立つ。


 1つのジャンルに偏らない、という拘り。1つの世界に縛られたくない、という思想。

 

 ある種の自由への欲求を持ってしまったから、不自由になる前に、星になる前に、アンは自分の命を断ってしまったのではないだろうか。


「あれ、どうかしたんですか。2人してこんな所で」

 

 あまりにも暢気すぎる声がした。わたしの思考を邪魔するような、違和感のある取り繕った声。それで我に返ったわたしは、自分がアンについて考え込んでいたことに気付かされた。

 おじさんの後ろを見ると、ジャックが胡散臭い作り笑いを浮かべて立っている。どうやら、無事に盗聴器を仕掛終わったらしい。わたしの仕事もここまでだ。


「あ、うん。わたしがここで転んじゃってさ、おじさんに落ちた本を拾うのを手伝ってもらったんだ」

 わたしはジャックに話を合わせる。おじさんもその時に初めて後ろの方を、ジャックの方を向いた。

「まぁ、大した量じゃなかったけどね。見ての通り、これが最後の1冊さ」


 ありがとうね、ベルちゃん。

 そう言って、おじさんは最後の1冊を本棚に戻す。その本の表紙には、月光に照らされた探偵と追い詰められた犯人の姿が象徴的に描かれていた。

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