9.ジャックの提案1
ぺたぺたと、ひたひたと、鏡を見ながら寝癖を直す。
いつも意識を覚醒させてから、その次にすること。そして、今日の朝に出来なかったこと。それをジャックの部屋でやっていた。
冷たい水で手と髪の毛を濡らすわたしを見て、ジャックがため息を漏らす。
「なぁ、さっきまでの威勢は? お前、ここに何しに来たんだっけ?」
「ジャックと話し合いに来た。でも、その前に寝癖はなおさなくちゃ。身だしなみは大切でしょ」
「それ、今やらなきゃダメか?」
「絶対に今やらなきゃダメ。これは、わたしの習慣だから」
「……分かったよ」
素っ気なく答えて、ジャックはそっぽを向く。
ジャックにとってはどうでも良いことでも、わたしにとってはそうじゃない。
アンの透き通った声を聞いて、顔を洗って、寝癖を整えて、そこからわたしの1日は始まるんだ。
全てが元通りとはいけないけれど、夢から覚めたのだから、出来るだけいつもの通りの生活を送ろうと思った。
ある程度形が整ったので、鏡で寝癖を最終チェック。
よし、もう大丈夫だ。
顔を叩いて渇を入れてから、わたしはイスに座ってジャックと向き合った。
「準備は出来ましたか、お姫様?」
「はいはい、待たせて悪うございました」
「……ししっ、調子は出てきたみたいだな。それじゃ、まずはお互いが知っている情報から話していこうぜ」
軽い口調で、今後の方針を決める作戦会議がスタートする。探偵ごっこと称して、アンが自殺した動機を探るために。
「記憶が曖昧だから確認するけど、1週間前の夕食のときに、最後の外出で町に行った話はしたよね?」
「ああ。パン屋に行って、大道芸を見て、喫茶店に入って、古本屋に寄って、それから帰って来た。これで合ってるよな?」
「そう、それでその後のことなんだけど……」
そこまで言って、急に目眩がした。さっき、記憶の濁流に呑まれた時に見た映像が、頭の中でフラッシュバックされる。焼却炉の前にいる、アンの横顔だ。
……大丈夫。落ち着け、わたし。
机に肘をついて、頭を手で支える。それを見て不安を覚えたジャックは、わたしに聞く。
「おい、大丈夫かよ?」
「……うん、平気」
「知ってるか? 平気じゃない奴に限って、平気でそういうこと言うだぜ」
「じゃあ、平気じゃない、って言えば良いの?」
「うーん、そうだな。それ言って笑えるなら、なお良しだ」
「わけ分かんないよ、それ。実際に言われたら、本当に無事かどうか分かんないって」
頭を振りながら、わたしはため息を吐いた。
いつも通り、無遠慮でいけ好かないジャック。癪にさわるけれど、いつも通り接してくれたことに、これでもわたしは安心していたりするのだ。変わらないものがあることが、今はとても心強かった。
「話、戻すね。あの夕食の後、お風呂に入って、そのあとアンを見失ったの。スピア先生に居場所を聞いたら、焼却炉を使わせて欲しいって頼まれてたらしくて、厚着して外に出たら、そこにアンがいた」
「焼却炉なんか使って、何してたんだよ?」
「本を、燃やしてた。これがあると前に進めないんだって、アンは言ってた。その時は”星誕の儀”のことを言っているんだと思ったんだけど、どうやら違ったみたい。あの時にはもう、既に覚悟を決めていたんだと思う」
その言葉を口にした時、わたしは何か違和感のようなものを感じた。
――うん。これは、自分で決めたことの筈だった。誰かに決められたわけでもなく、自分の意思で、覚悟を決めて。だけど、それがいざ差し迫ったら途端に怖くなったの。……のが、怖い。わたしは……怯えているんだよ、ベル。
そう言っていたアンの手は、確かに震えていた。まだ、あの段階じゃ覚悟を決められていなかったんじゃないだろうか。だとしたら、そこから後の行動に覚悟を決める何かがあったはずだ。
「そっか……それで、その後は?」
「焼却炉で全部の本を燃やしてから、一緒に部屋に戻った。そこで、アンが忘れ物に気が付いて部屋を出て行ったの。わたしは寝ちゃったから、その後のことは分からないんだ」
多分、遺書と毒を取りに行ったんだと思うんだけど。
そう付け加えると、ジャックが妙に改まって、顎に手を当てた。
「ずっと気になってたんだけどよ、アンはどこで毒を手に入れたんだ?」
「どこって、毒なんてどこでも手に入りそうなものだけど。殺虫剤だって、洗剤だって、お醤油だって、使い方によっては毒になるんだし」
「それは一般人の話だろ? オレ達『星の器』は、もう人間じゃない。15才で”星繭の儀”を受けてたあの日に、『星の加護』を受けてんだぜ?」
「あ、そっか……」
どうやらわたしは、とてつもなく重要なことを見落としていたらしい。
『星の加護』。それは、15才で”星繭の儀”を迎えた者にのみ与えられる、大いなる星の神秘。成長の止まった身体を健やかに保とうとする力のことで、かすり傷は一瞬で治り、重度の骨折でも1週間あれば完治するようになる超自然的な力。
要するに、『星の加護』はわたし達の安全を”星誕の儀”まで保証してくれる特典のようなもの、というわけだ。
この『星の加護』の効果は、もちろん毒にも作用する。殺虫剤でも、洗剤でも、お醤油でも、わたし達を殺す事はできない。それを叶えるには、何か特別な効能のある毒を用意する必要があるのだ。
「でも、毒になるような物は施設内にはないよね。となると、外出の時に手に入れるしかない。じゃあ、それはいつ? 1ヶ月前? 2ヶ月前? それとも、もっと前から……」
「それって、1週間前じゃないのか?」
唐突に、はっきりと、ジャックがそう言った。
言っていることは分かったけれど、それがどういう意味か分からなくて首を傾げる。
「え、いや、違うでしょ。だって、毒だよ? そんなの受け取っていたらわたしが気付くよ」
「お前に分からないような受け取り方をしたんだろ。何かないのかよ、思い当たる節は」
「思い当たる節っていっても……。試作品のパンと、アンが予約していた本くらいしか、その日は……」
その日は手にしてない。そう言いかけて、1つ思い至ることがあった。
最後の外出をした日の夜、アンはすべての本を燃やしていた筈だ。
未練が残るから、と。前に進めないから、と。焼却炉の中で宝物を1冊1冊丁寧に焼いていた筈だ。なのに、その日の夕方にアンが本を予約していた?
ありえない。遅読家のアンが、その日の内に本を読み終われる筈がないのだから。それに、これから死のうという人間が本を買うとも思えない。
ジャックもそれに気が付いたようで、お互いに顔をまじまじと見合う。
「アンが受け取っていた本って、どんな形をしてた?」
「……わ、分からない。そもそも紙袋に入れられてたから、中身までは見れなかった」
「……んじゃ、決まりだな」
ニヤリ、とジャックが口角を上げる。わたしも気が高ぶって、手の平に汗が滲んだ。
これで、1歩近づいた。アンが自殺した理由、その真相を知るための1歩目だ。
「これでやることは決まったな。その古本屋を張り込んで、決定的な証拠を見つける。それで、『虫憑き』のおっさんにアンのことを問い詰めるんだ」
「いやいや、ちょっとちょっと。待って待って待って」
勝手に話を進めるジャックにいくつかの疑問を持ち、わたしは手の平を突き出す。止まれ、のジェスチャーだ。
「わたし、ジャックの持ってる情報をまだ知らないんだけど」
「そういえば、そうだったな。つっても、オレの知ってる情報は『虫憑き』の話くらいだけどな」
そう言って、ジャックはベットの下に潜って何かを探し始めた。
わたし達と違って、ジャックは2人部屋を1人で使っている。だから多くのスペースを使える分、整理整頓が行き届いてなくて、あっちこっちに様々なものが転がっている。蝶の標本やトランプカード。あとは、なぜか鳩の飛び出す時計が床に転がっていた。
この生活感で溢れている部屋は、ある意味ジャックらしい。
しばらくして、ジャックがベットの下からほふく前進で帰還する。そして机の上によく分からない機械群を勢いよく置いた。
「はいこれ、発信器な。正確な位置までは分からないけど、どれくらい離れてるかは大体分かる」
「……ん?」
「それから、こっちが盗聴器。拾った音は、こっちの改造したトランシーバーで聞く。ここまではオーケー?」
「……んんん?」
わたしは目を点にして、ジャックと机の上を交互に見る。
そんな生活必需品の延長線上みたいな気軽さで言われても、分かるわけがない。わたしが欲しいのは機械の説明じゃなくて、なんでジャックがこんな機械を持っているかなんだけどなぁ……。
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