8.目覚め

 警察の事情聴取は施設の1番奥の部屋で行われた。


 いつもわたしと、ジャックと、グリム先生の3人で話し合いをしていた部屋。わたしが最も落ち着いて話せる場所はどこか、とスピア先生に聞かれたので、そこだと答えた。


 部屋に入ると、いつもグリム先生が座っているソファにサングラスをかけた刑事さんが腰掛けていた。その横に若めのキリっとした刑事さんが立っていて、グリム先生は立て付けの悪いドアの側に佇んでいる。


「事情聴取の間、同伴させてもらえることになったんだ。気分が悪くなったらちゃんと言うんだよ」


 グリム先生が子供をあやすように話しかけてくる。既に気分が悪いなんて言えなくて、わたしは軽くうなずくだけに留まった。

 誘導されるがままにソファに座ると、隣にグリム先生が腰を落ち着かせる。それを確認してから、サングラスをかけた刑事さんが口を開いた。

 

「おはよう、ベルさん。1週間ぶりになるのかな。こんな朝早くからおじさん達に付き合ってくれて、ありがとうよ」


 刑事さんの話し方は、まるでひび割れた貴重品でも扱っているような優しい話し方で、聞いててむず痒かった。大して親しくもない赤の他人に、わたしは気を遣われている。そのことに違和感が拭い切れなかった。


「それじゃあ、ゆっくりと思い出していこうか。ゆっくりで良いからね。話したくなかったら、話さなくても構わない。分かった?」

「……はい」

「さて、と。まずは前回のおさらいをしよう。前は□□さんについて聞いたと思うけれど、何か追加で思い出したことはあるかな?」

「……何も」


 何も、分からない。前回話した内容も、サングラスの刑事さんに気を遣われる理由も。


「なし、と。オーケー、オーケー。大丈夫だよ。自分のタイミングで話してくれて良いからね」


 そう言うと、サングラスの刑事さんは若い刑事さんに目線を送る。彼はそれに気が付いて、手帳にメモをする。どうやら上司が話を聞き出し、部下がメモをとるという役回りらしい。


「次の質問だ。ベルさんは□□さんとよく町に行っていたそうだけど、いつもどこに行ってたのかな?」

 

 何を言ってるんだろう。わたし、その子のことを知らないのに。

 そう否定しようとして、また、勝手に口が動いた。


「……行くところは、毎回決まってた訳じゃありません。川辺を散歩する日もあれば、広場でやってる大道芸を見る日もありました」

「店に入ったりは?」

「……噴水広場の近くのパン屋さんと、古本屋にはよく行ってました」

「最後に外出した日も、そこへ?」

「…………」

「……思い出せない、と」


 違う、逆だ。刑事さんの話を聞く度に、自分の口が勝手に動く度に、あの日のことを少しずつだけど思い出し始めている。


 □□とパン屋に入って、お姉さんからシュガーボールを貰った。古本屋のおじさんと□□が話しているのを、わたしは後ろから眺めていた。□□が予約していた本を受け取って、店を出たことも覚えている。

 

 ――だって、話し過ぎると未練が残っちゃうじゃない。だから、あれくらいで丁度良いの。


 真っ赤に燃える夕焼け空を見上げながら、□□はそう言っていた。だけど、それがどんな横顔だったのか思い出せない。□□がどんな風にその言葉を口にしたのか、分からない。

 わたしにとって大切だった筈の、親友の名前が、家族の名前が分からない。


「よし、それじゃあ最後に外出した日に何をしたのか、何でもいいからおじさん達に教えてくれないか。どんな些細なことでも良いよ。どこに行って、誰に会って、何を話したのか。ゆっくりで良いから、思い出してみて」

 

 それを聞いて、息が震えた。多分、指先も震えている。多分と言ったのは、それをどこか他人事のように感じていたからだ。


 夢が、どんどん深くなっていく。

 自分の意識と身体が離れていくような、不思議な感覚だった。


 わたしはわたしの記憶を探ろうと、あの日の出来事をさかのぼる。ふわふわとした夢の中で、あやふやになっているあの日の出来事を再現しようとする。すると、あの日の記憶が濁流のように流れ込んで、わたしに迫ってきた。


「……パン屋に入って、お姉さんとお喋りしました。お別れのあいさつをして、それから……噴水広場で、大道芸を見まし、た……」


 記憶が次々とわたしの中に流れ込んでくる。それはふわふわとした夢なんかじゃなくて、鮮明な映像としての記憶。

 □□の顔に塗られた黒い鉛筆の線のようなものが、段々と薄くなっていく。彼女の顔を、思い出せる。


「……その後、『グリーンゲイブルス』っていうお店に行きました。わたしは初めてだったけど、ア□は来たことがあったみたいで。……お店の人がア□に葡萄酒を持ってきちゃって、ア□は気付かずに飲んじゃって……わたしがそれを止めてお水を貰おうとしました。そしたら、ア□が顔を赤くしながら『星の声がわたし達に来なかったら何をしていたんだろう』って言って。……普段は無口なのに、その時だけは饒舌で、それから……」


 胸の鼓動が速くなる。指先だけじゃなくて、身体全体が震えるのを感じる。

 わたしにはどうすることも出来ない。もう、止められない。

 ダムが決壊したみたいに、記憶の濁流がわたしの意識を飲み込む。何をしても抗えない。目を閉じても、頭の中でそれは勝手に再生される。アンの赤らんだ頬、水を貰おうと席を立つわたし、その時聞こえたアンの透き通った声。


「わたしが消えたら悲しいかって……聞いてきて、さっきまでの話し方とは明らかに違ってて、本当に自分が消えてなくなるみたいに話してて……」


 グリム先生がわたしに向けて何かを言っている。だけど、それを聞き取ることはできない。


 わたしは……わたしは……。

「……知らなかった。本当に、本当にそんなことを思っていたなんて。……だけど、あれはアンからのSOSだったんだ。よ、酔ってたって、アンがそんなこと言わないのは、わたしが、わたしは分かってたはずなのに。……焼却炉の前で、アンの手を握った。アンの手の震えが止まって、わたしは、力になれたんだって、そう思った。だけど、なれてなかった。なれてなかったんだよ。……わたしは、無力だった。アン、アン……わたしは……ああ、あああ、ああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああっ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……わたしはっ、わたしはっ、わたしは――」


「――ベルッ!!」


 パンッ、と大きな音が部屋の中に響いた。

 意識と身体が離れるような感覚が元に戻り、現実に焦点が合う。それと同時に、右頬に強い痛みを感じた。


 気付けば、わたしは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。ぼやけた視界の中にはグリム先生がいて、わたしを気遣ってくれたんだと思うと、余計に涙が流れた。


「先……せい……」

「すいません。今日はここまでで、どうか」

「勿論です。今日は無理に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。……おい、行くぞ」

 サングラスをかけた刑事さんは若い刑事さんに視線を送り、2人揃ってすぐに部屋を出て行く。


 部屋の中は、わたしとグリム先生の2人きりになった。

 わたしが涙で濡れた顔を服の袖で拭っていると、グリム先生はハンカチをわたしに差し出して、それからそっと優しく頭を撫でてくれた。その行為にどこか懐かしさを感じて、次第に心は落ち着きを取り戻す。涙も止まって、一先ず平常心は取り戻した。

 

「先生、もう、大丈夫だから」

「そうか。良かった」

 グリム先生は優しく微笑みながら立ち上がった。一瞬、先生がわたしを置いてどこかに行ってしまわないか不安になる。だけど、それはわたしの勘違いで、台所に置いてあるマグカップに白湯を入れてから、ちゃんと先生は戻って来てくれた。


「生憎とコーヒーは切らしていてね。ぬるま湯だけど、さあ、飲んで」


 言われた通りマグカップを受け取って、それを飲む。こういう時に飲む水はおいしいのかと思ったけれど、別にそんなことはなかった。

 ただ、普通の味であることが何故か無性に安心できた。


「頬、ぶってすまなかったね」

 先生の言ったことを数秒かけて理解し、右頬に触れる。伝った涙の冷たさと、ぶたれた痛みを同時に感じた。


「……本当だよ。とっても、痛かった」


 だけど、夢から覚めるには丁度良い刺激だった。夢の中に逃げていたわたしを、先生は現実に引き戻してくれた。

 ありがとう。そう言おうとして、やっぱり口を閉じる。近くにあるグリム先生の顔が、とてもやつれて見えたから。


「……僕は『ドーワ』の職員失格だよ。アンのことだけじゃない。君を、前回よりもひどく錯乱させてしまった」

「ぜん、かい……?」

「覚えてないのかい? まぁ、無理もない。君の心の傷は、あまりに大きすぎる……」

 

 そう、わたしにとってそれは、あまりに大きすぎた。


 いつも隣にいた親友の消失。朝起きておはようを言いあう、同居人の消失。


 その現実を受け止めきれなくて、無意識の内に忘れようとしてた。顔を黒く塗りつぶして、名前を忘れて、わたしの頭の中から完全に。

 彼女の存在が色濃く残っているこの1週間の記憶も、わたしは忘れようとしていたんだろう。前回の事情聴取の事だけじゃない。朝の集いの内容、食べた食事の内容、誰かと話した会話の内容。それら全てに封をして、思いださないよう頭の隅っこに隠していた。そして、たった今それが見つかった。


 長い夢から、わたしは目覚めたんだ。


 だけど、意識が覚醒したばかりで記憶は曖昧もいいとこだ。わたしがこうなった原因だけは、ちゃんと自分の手で確認しなければならない。


「ねぇ、グリム先生。勘違いだったら嫌だから、確認したいんだけど……。アンは――自殺したんだよね?」

「ああ、自殺だ。机の上に、毒の入った小瓶と遺書が残されていた。他殺や事故、ましてや失踪なんかじゃない。アンは自分の意思で、自分の命を絶ったんだ」

 

 今、アンの死が現実のものとして実感出来た。

 あの日、わたしが起きてもベットで目を閉じていたアン。珍しいこともあるもんだなと思って、アンを起こすために身体に触れた。その時に感じた、とても人肌とは思えない冷たい感覚。あれは、紛れもなく本物だったんだ。

 

「……アンデル先生から仕事を引き継いで、早3年。今もなお不甲斐ない自分を、僕は酷く恥じるよ。どうか、こんな僕を許して欲しい」


 聞き覚えのある名前が出てきたけど、それが誰なのかは思い出せない。それはどこか、懐かしい名前だった。


「グリム先生が謝る必要はないよ。だって、わたし達はもう『星の器』なんだから」

「それでも子供であることに違いない。君達は、まだまだ大人の支えが必要な子供なんだよ。嫌なことを忘れる権利くらいある」


 グリム先生はもう一度、わたしの頭を撫でる。

 感情の切り替えが上手いのか、もうやつれている様子はない。わたしという子供を安心させるため、優しい笑みを浮かべている。

 何故かこの瞬間を、わたしは懐かしく思っている。誰かの顔と、グリム先生の顔が重なる。

 

「ただね、アンの親友としてありたいと思うのなら、その苦しみとちゃんと向き合うんだ。考え続けることこそ、人の本質なのだから」


 向き合い、考える。

 親友の死を。アンの死を。


 わたしが忘れた、誰かが言った。


 大人になるってことは、苦しみを受け入れるってことだと。


 『星の器』になったわたしは、身体が15才のままで止まっている。肉体はもう人のそれじゃない。だけど、この心は、この精神は、大人になりきれない18才の子供のものだ。


 もう1度、あの苦しみを味わうのかと思うと手が震えて、恐怖を感じる。

 だけど、それでもわたしは大人になろうと思う。恐怖を懐いて、苦しみを知って、それを乗り越えようと思う。

 

「ああ、そうだ。一応、『ドーワ』の職員として、君に釘を刺しておかなくちゃね。何もせず、”星誕の儀”まで大人しくしているんだ。いいね、ベル」


 先生はわたしの扱いが上手いな、と素直に思う。そんなことを言われたら、怖さなんて吹き飛ばして、わたしは反発してしまうのに。

 てこだろうと、スピア先生だろうと、親友の死だろうと、わたしは動じない。自分勝手でわがままな意地を張ってしまう。それがわたしという人間の、アンの親友の、変えられない性だ。

 

「分かったよ、グリム先生。……それじゃ、わたし行くね。遅くなったけど、わたしにはやらなきゃいけない事があるから」


 わたしはマグカップをテーブルに置いて、勢いよくソファから立ち上がる。グリム先生は静かに微笑んで、いつものようにあの言葉を口にする。


「それじゃあ、また会おう。君達の友はいつでもここにいる」


 わたしは勢いよく扉を開けて、廊下を走った。



 

 彼は言った。お前はそれでいいのかと。

 わたしは思った。このまま終わらせるのは、絶対に嫌だと。


 向き合い、考える。

 アンがなぜ自殺したのか。それを知るには彼と行動するのが1番だと思ったから。


「やるよ、わたし!」


 息を切らせて部屋を訪れたわたしを、彼は驚いた目で見る。


「このまま終わらせたくない! アンが自殺した理由を、わたしも知りたい!」


 確固たる意思を持って、わたしは彼にそう言った。それで納得したのか、彼は待ってたぜと言わんばかりに両手を広げて、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「探偵ごっこはバカのすることじゃないのかよ、ベル?」

「わたしもバカってことでしょ。ジャック」

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