6.おやすみ

 『ドーワ』の夕食は、施設の皆が食堂に集まって6時半にいただきますをする。なので、門限の6時ギリギリに帰ったわたし達は、急いで身だしなみを整えて食堂に向うことになった。


 食堂に着くと、既に全員が窓口からトレーを取って自分の席に座っていた。わたし達も急いで夕食が並べられたトレーを取って、3列に並んだ長机の1番奥の席に座った。

 わたしの正面にはジャックがいて、その隣がアリス、次いでシラユキ。わたしの隣にはアン、3つ年下のアラジンの順で並んでいる。夕食を食べながらこの6人でお喋りをするのも、わたしの習慣の1つだ。


「でさぁ、その時ジャック兄がスピア先生に水をかけちまったんだよ。あのスピア先生だぜ? オレはもう気が気じゃなくってさぁ」


 アラジンが今日の出来事を調子よく語る。

 アラジンは好奇心が旺盛で、よくジャックと森にいっている。何をしているのかはよく分からないけれど、その断片をアラジンから聞くことが習慣として根付いているのだ。

 

「んだよ。あれは事故だってことで片づいただろ? 蒸し返すなよな」

「面白いのはそこからじゃんかよ。何が傑作かって、『まぁ、何と落ち着きのない子なのでしょう』ってスピア先生に怒られてさぁー」

「その話は良いっての。つーか、アリス。お前の服に赤靴草が着いてるぜ。ほら、袖の所」

 よほど酷く絞られたのか、ジャックは急な話題転換でアリスに話を振る。


 ちなみに、赤靴草とはくっつき虫の1種である。この辺りでは割と珍しい植物で、『ドーワ』の広大な森の中を探したとしても、見つかるかどうか分からない代物だ。


 あ、本当だ、とアリスは素っ気なく答え、袖に着いた赤靴草を払い取る。

「今日は何してたの、アリス?」

 わたしが興味本位で尋ねると、アリスはシラユキと顔を見合わせて頭をかく。


「いやぁ。今日はわたしとシラユキで町に行ったんだけどさ、あまりに久しぶりだったから道に迷っちゃって。よく分からない所をひたすら歩いてたんだ」


 町に行ったという言葉に、わたしは軽く驚く。

「へぇ、実はわたし達も町に行ってたんだ。ずっと噴水広場の辺りにいたんだけど、気付かなかったな」

「あ、わたし、知ってるよぉ。確かぁ、今日は3人の最後の外出日なんだよねぇ」


 今度はシラユキがふわふわとした声で答える。歩き疲れたのか、朝の寝ぼけ声と大差がない。

 アラジンはシラユキの言葉に驚いて、


「え、マジかよ! 最終日に町に行かないなんて、ジャック兄何考えてるわけ!?」


 とても大きな声でジャックに問い質す。どうやら、彼はわたし達の外出事情について知らなかったらしい。


「外に出る出ないは、オレ個人の自由だろ? 別に外に出ることが特別なこと、なんて思ってねーし。それに森で遊んでる方が楽しいから、いつも通りで良いかなってさ」


 ジャックは平然とした態度のまま、肉汁の滴るハンバーグを1口サイズに切って口に運ぶ。他の作法はまるでなっちゃいないけど、ナイフとフォークの扱いだけはジャックが1番だ。『ドーワ』7不思議の1つ、とわたし達5人の間では呼んでいる。


「うわっ、考えらんねぇ。ジャック兄って、その辺なんか抜けてるよな」

「うるへー。オレのことはもう良いだろーが。それよりも、町に行ったそこの4人衆は何かなかったのかよ、面白いことは」

 

 そう言って、ジャックはフォークをわたし達に向ける。

 別にどうこう言うつもりはないけれど、わたしはこれが受け付けない。ナイフで人を指差すなんて、礼儀知らずにも程があると思う。ジャックらしい無遠慮さ、と言えばそれまでなので、特に指摘することなくわたしは今日の噴水広場で見たピエロのことを話した。

 



   ♠ ◈ ♡ ♣




 夕食を食べ終えた後、わたしは共同のお風呂に入り、その身体が冷めぬ内に部屋に戻ってきた。アンは、わたしが気付かぬ内にお風呂は済ませてしまっていたらしく、さっきから姿が見えない。

 つれないなぁ、と心の中で呟いて、勢いよく自分のベットにダイブする。


 『ドーワ』の夜の自由時間は退屈だ。町に散歩に行くことは言わずもがな、遊び場エリアで身体を動かすことも禁止されている。なので、いつもは隣部屋のアリス達とお喋りをするか、アンの本を借りて読んでいる。


 わたしは、1人でいることに慣れていない。

 施設内で指導を受ける時はアンとジャックの3人で行動するし、それに加えて自由時間はグリム先生やアリス、シラユキ、アラジンと過ごすことが多い。他の皆も同年代の子や、食事の時に隣になる3才差の子と仲が良い筈だ。そういう風に自然とコミュニティが形成されるよう、『ドーワ』は環境作りを徹底している。


 この施設に独りぼっちはいない。

 誰もが誰かと繋がっている。

 わたしもその例に漏れていないというだけの話で、だからこそ1人でいることに慣れていなかった。


「どうしよっかなぁ……」

 1人寂しく、ぽつりと呟く。


 と、その時だった。部屋の中の異常事態に今更ながら気がついた。

 アンの本棚から、ごっそりと本が消えている。町に行くたびに少しずつ集めていた、優に30冊は超えていたはずの本達が、全て。


 そのことをアンに聞こうとして、そもそもアンが部屋にいないことに気が付いたわたしは、部屋を飛び出して施設内を探し回った。隣部屋、食堂、お風呂の脱衣場。どこを探しても、誰に聞いても、アンの影はなかった。

 たった1人、施設内の見回りをする盲目の鬼職員を除いては。


「あ、スピア先生! ちょうど良かった!」

 わたしは走って先生の元まで行く。

「そんなに慌ててどうしたのです、ベル?」

「緊急事態だよ! アンの本が全部なくなってて、肝心なアンも見当たらなくて……先生は何か知らない?」

 

 わたしがそう言うと、先生はちょっとだけ表情を曇らせた。やっぱり知らせてなかったのね、あの子、と不安気に口にしながら。


「ええ、知っていますよ。それなら先程――」




   ♠ ◈ ♡ ♣




 スピア先生から居場所を聞いたわたしは、部屋に戻って厚着をして、貰ったはいいけど食べきれなかった紙袋の中身を温めて外に出た。


 『ドーワ』の庭に存在する3つのエリア、その内の1つにガーデンエリアがある。そこでは観賞用の花々から食用の野菜まで手広く植物が育てられ、季節毎にカラフルに『ドーワ』を彩っている。その華やかさに隠れるようにしてエリアの隅っこに焼却炉があるのは、知る人ぞ知る情報だったりするのだ。


 その焼却炉にわたしが着くと、既に煙突からは白い煙が上がっていた。その下には赤毛の少女。わたしは彼女に近づいて紙袋の中身を差し出す。


「はい、熱々のシュガーボール。風邪、ひいちゃうよ」


 アンは差し出されたシュガーボールを手に取って、笑みを浮かべる。


「あぁ、ありがと。ちょうど肌寒いと思ってた」

 

 聞いていて心地の良い、透き通った声が返ってくる。

 アンはシュガーボールを口に入れ、それが熱すぎたのか、はふはふと口を動かす。そして、甘くて美味しいね、という口の動きに合わせて、真っ白な息が漏れる。

 

「……本、捨てちゃうんだね」


 わたしはアンと同じ目線になるようしゃがんで、焼却炉でパチパチと燃える本を見る。既に灰の山が出来ており、それでも、アンの足下にはまだ沢山の本達が置かれている。

 1冊1冊、丁寧に焼いているようだ。

 アンはシュガーボールを食べ終えて、口の前で両手をこする。そして白い息をはーっと吐いて、両手を温める。


「宝物で、重りだからね」

「……宝物なのに、重りなの?」


 焼却炉の中の炎を見つめるアンに、わたしは聞く。赤々と煌めく炎は綺麗で、それに照らされるアンの瞳は夕焼け色に輝いていた。


「うん。わたしは遅読家だから、1冊の本を読むのに2ヶ月以上かかるの。8年も『ドーワ』に住んでるのに、わたしの持っている本は31冊しかない。わたしは1年を、たった4冊の本に費やすんだ。この本達を見ているとね、わたしは思い出に押し潰されそうになる。ページをめくった時の繊細な感触や、場面場面で変化していく自分の感情を、昨日のことのように思い出せる。わたしは自分の人生を切り売りして、この子達から別の人生を貰っていたの」


「炎を吐くドラゴンに乗ったり、首切り殺人鬼を追い詰めたり、鬼の住む不思議の国に行ったり?」


「そう。鏡が真実を映し出すように、本は虚実を映し出す。真実に最も近い、最もリアルな虚実をくれる。本の中はね、わたしにとってもう1つの現実なの。この世界からの逃げ道で、わたしが本当に自由になれる世界。だから、わたしは、本があると前に進めないの」

「そっかぁ。未練が残るんだね、宝物だから」

「……そう。だから自分の手で本を焼いて、未練を取り除こうと思ったの。もう何も、思い残すことがないように」


 いつになく、アンはセンチメンタルになっていた。まるで巡礼でもするように本を1冊1冊焼いていく様は、この世との繋がりを懇切丁寧に断ち切っているようにも見えた。

 ちょっとだけ、不穏だと思った。


「別に良いと思うけどな、今日じゃなくても。星になるまで、まだ1ヶ月もあるんだし」

「ううん、今日じゃないと駄目なの。だって、今日は特別な日だから」

「……そうだね。”断界日”、だもんね」


 わたしが朝起きると、いつもカーテンが少し空いている。そこからは一筋の光が漏れていて、その光の線を辿っていくと、そこには本を読んでいるアンがいる。

 1度、なぜ朝に本を読むのか聞いたことがある。朝は頭が回らないでしょ、といった具合に。


『一種の安定剤なの。使い慣れた枕じゃないと寝られない人がいるように、わたしは本を読まないとすっきり1日を始められない。そういう体質なんだ』


 そう言って、アンが朝の日差しに包まれながら読書を再開したのを覚えている。


 明日からは、朝の読書はしないのかな。

 寝ぼけていたらわたしが起こしてあげられるけれど、わたしの朝は彼女の透き通った声がないと始まらない。もし読書をしないせいでアンの透き通った声が曇ってしまったら、それは嫌だなぁ。


 パチパチと燃える焼却炉の中に、アンは1冊の本を投げ入れる。炎の中にその本の世界でも見えているのか、アンは燃える本から目を離そうとしない。


 思い切って、わたしはアンに聞く。

「何か、あったの?」

「……どうして?」

「今日の夕食、一言も喋らなかったでしょ? 昼間も喫茶店で変なこと言ってたし、流石のわたしでも心配する」


 わたしがそう言うと、アンは苦笑いを浮かべた。


「昼間はお酒のせい。自分でもどうかしてたと思うよ。でも、夕食の時は……そうだね。観念して言うとね、わたし、自分で自分が分からなくなったの」

「分からない?」

「うん。これは、自分で決めたことの筈だった。誰かに決められたわけでもなく、自分の意思で、覚悟を決めて。だけど、それがいざ差し迫ったら途端に怖くなったの。……のが、怖い。わたしは……怯えているんだよ、ベル」

 

 アンは膝を抱えて小さくうずくまる。よく見ると、彼女の手は小刻みに震えていた。どうやら、怯えているというのは本当みたいだ。


 普段のアンは、これでもかという程わたしに弱みを見せない。おしとやかで、真面目で、ちょっと意地悪で、とっても気丈。それがアンに懐くイメージであり、今日のアンはそれから外れている。何というか、年下の子と話しているみたいだ。


 ”星繭の儀”や”星誕の儀”の前には、心が擦り切れやすいと聞く。身体が変化しなくなることに、あるいは身体が消えてしまうことに、恐怖を感じてしまう子は少なからず存在するんだ。


 半年前だって、”星繭の儀”を受けたアリスが軽いノロイーゼになって、グリム先生の部屋を訪れていたっけ。幸いにも、わたしはそういった理由でグリム先生の部屋を訪れたことはない。だけど、その気持ちが理解できないわけじゃなかった。


 他人にとって取るに足らない事柄が、自分にとって生理的嫌悪の対象であることはままある。

 わたしの場合は、それが冷たいグリンピースのスープだった。アリスの場合は、それが自分の身体の変化だった。度合いはどうあれ、同じようにアンが”星誕の儀”に恐怖を感じていても不思議じゃないんだ。

 

 今朝はスープを飲んで貰ったし、今度はわたしが助けてあげなくちゃね。


 わたしはアンに近づいて、身体を密着させながらぎゅっと手を握る。

「ベル……?」

「特別なおまじない。こうやって身を寄せ合うと、1人じゃなって実感できるでしょ? そしたら、わたしはここにいるよって隣の人に伝えられる。ついでに怖さも消えて、寒さも和らぐ。そういうおまじない」

「……盛ってるでしょ、それ?」

「嘘じゃないよ。効果の程は今から分かります」


 わたしが改まると、それに反応するようにアンはクスリと微笑んだ。

「それじゃ、うん。お言葉に甘えようかな」


 ぎゅっと、アンは手を握り返してきた。

 間近で見るアンの顔は、同性のわたしでもドキッとするほど綺麗で、可憐だった。大人びた美しさすら感じる程だ。だけど、その横顔からは僅かに儚さを感じさせた。

 ほんのり温かいアンの手は、やはり震えていた。体が触れ合っているので、彼女の不安定な息遣いも伝わってきた。


 こんなの、初めてだな……。

 アンが安心してくれるように、わたしは彼女の手を握って離さなかった。そうしていると、段々とアンの息遣いが静まっていくことに気付いて、ちゃんと力になれているんだって安心した。

 わたしはそれが誇らしかった。

 わたしは親友の、家族の力になれている。その意識は焼却炉で燃える炎よりも温かくて、わたしの心の器をなみなみと満たしていた。


 


 わたしのおまじないは、アンが全ての本を燃やし終えるまで続いた。

 その頃には夜の12時を回っており、スピア先生に早く寝るようにと軽く注意され、わたし達は部屋に戻った。


 部屋に戻ったアンは、もう震えていなかった。空になった本棚を眺めながら、どこか満足そうに微笑んでいた。そんなアンを見て、また綺麗だな、なんて思ったのは内緒の話だ。


「わたし、忘れ物しちゃった。あそこに戻らなくちゃ」

 優しく本棚を撫でながら、アンはそう言った。

「わたしも一緒に行こうか?」

「ううん。こんな時間まで付き合わせちゃったし、ここから先は1人で行くよ。ベルは先に寝てて」

「分かった。スピア先生に見つかるとうるさいから、バレないようにね」

「うん、そうする」


 わたしはベットに横になって毛布を被る。今日は町中を歩き回ったせいだろうか、急に眠気に襲われた。

 ついさっきアリスとシラユキの部屋の前を通ったけど、2人共毛布を頭まで被ってぐすりと寝ていたっけ。町中歩き回ったって言っていたし、この調子じゃわたしもすぐに寝ちゃいそうだ。

 

「それじゃあ、ほやふみぃ。アン」

 欠伸をしながら寝る前の挨拶をすると、アンは部屋の電気を消してくれた。わたしの寝ぼけ眼では後ろ姿しか映らなかったけれど、アンは確かにわたしを見て、おやすみと言っていた。


 心に澄み渡るような、とても心地良い、透き通った声だった。



   

   ♢ ♡




 その声を、わたしは忘れたりしない。


 ぜったいに。


 ぜったいに。

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