4.最後の外出1

 わたしとアンは部屋に戻り、外出用の服に着替える。

 普通の子供が着るような、至って普通の洋服。それに袖を通す機会は月に1度しかないので、自然と気持ちが昂ぶる。そして、浮ついた足取りで担当の指導者であるスピア先生から外出の許可を貰い、守衛さん達に見送られながら正門を潜り、1ヶ月ぶりに『ドーワ』の外に出た。


 特別な何かをするわけじゃない。ただ最後に町の風景と、その町で暮らす人々が見たかった。


 御星の慈愛に満ちた世界で自由に暮らす人々。

 それは『ドーワ』で暮らすわたし達には縁遠いもの。


 それでも、そのか細い縁すら切れてしまうのだから、記憶に焼き付けておいて損はない。少なくとも、わたし達にとって、それは有意義な午後の使い方に他ならないのだ。


 まぁ、そう思わない変わり者も中にはいる。最後くらい一緒に町に行こうと誘っても、オレはいいや、と素っ気なくはね除け、下の子達と一緒に『ドーワ』の庭に広がる森の中へと行ってしまった、ジャックという変わり者が。

 ジャックは『ドーワ』の中でも超が付く程の変わり者で、月に1度の自由外出をあまり利用しない。彼が最後に施設の外に出たのは、確か3ヶ月前だったはず。もし『ドーワ』が自由外出の権利の譲渡を許したなら、皆こぞってジャックの周りに群がることだろう。


 明日から"断界日"なのに、譲渡不可の貴重な権利をドブに捨てる。ジャックってば、一体何を考えてるんだろう。そんなことを頭で考えながら、町に向かって足を動かしていた。


 町に着くと、わたし達は最初に決めていた目的地へと向かう。

 ハチミツの香りが目印の、前に何度か来たことがあるパン屋さんだ。別に昼食を食べたばかりなので、パンは買わない。ただ、店員さんとは仲が良かったので、挨拶だけでもしておこうと思ったんだ。


 カランカラン。

 鐘の音と共に、2人でパン屋に入る。その音を聞いて、いらっしゃい、と綺麗な金髪にスカーフを巻いたお姉さんがわたし達を迎えた。


「久しぶりね。ベルちゃん、アンちゃん。今日は何をお求めかしら?」


 パン屋のお姉さんが、わたし達に笑いかける。彼女は身長が高くて、胸が豊かで、所作の1つ1つに品が感じられる。それが大人になることなんだって、大人になれないわたし達にも思わせてくれるんだ。


 お姉さんのような綺麗な大人にはなれない。わたしはほんの少しだけれど、それに未練を感じていたりするのだ。


「ごめんね、お姉さん。今日は何かを買いに来たわけじゃないの」 

 アンがお姉さんに答える。

「うん。わたし達、この町から引っ越すことが決まってさ。しばらく顔を出せなくなるから、こうやってあいさつに来たんだ」

 わたしも一芝居うって、お姉さんに話す。


 『ドーワ』の規則で、外の人間にわたし達の正体は告げられない。別に隠す必要もないと思うけれど、規則は規則なので一応は守っている。


「そうなの……寂しくなるわね」

 お姉さんがぽつんと漏らす。その気持ちは、わたし達も同じだった。

 肉体的な成長は止まっていても、わたし達の精神は大人になりきれない18才の子供のものだ。人並みくらいの寂しさは覚えてしまう。


 お姉さんはわたし達の心境を察したのか、ぱちんと顔の前で手を合わせる。

「そうだ! ちょっと待っててくれるかしら」

 そう言って、急いで店の奥に走って行くお姉さん。しばらくして、紙袋に何かを入れてわたし達の元に戻ってくる。


「はい、これ。シュガーボールって言うの。まだ試作段階だけど、わたしからの餞別だと思って受け取ってちょうだい」

「そんな、悪いよ」

 わたしが紙袋を受け取るのを拒むと、お姉さんは頭を振る。

「良いの良いの。あなた達は大切なリピーターだから、忘れられる前に胃袋を掴んでおかなくちゃ。また来る頃には、それがもっと美味しくなって店に並んでいると思っててね」


 その思いやりに溢れた言葉に、ほんの少しだけ傷つく。

 お姉さんの言った通りにはならないから。わたし達が2度とここに来ることはないから。だから、ほんの少しだけ傷つく。


「……嬉しいな、それは」

「また来なきゃね、アン」

「うん、また来なくちゃ」

 ワンテンポ遅れて、わたしもアンも虚しさを隠すように演技する。こういう時は決まって、あの言葉がわたしの頭をよぎるんだ。


 ――大人になるって、どういうことだと思う?


 誰に言われたのかは覚えていない。だけど、わたしの頭の中にはその言葉が印象深く残っている。

 それがなぜかと問われれば、当時のわたしからしたら続く言葉がひどく難解で、それ故に魅力的に聞こえたからだろう。


 ――わたしは、苦しみを受け入れるってことだと思う。


 18才になった今なら、あの言葉の意味が分かる気がする。大人になればなるほど、時間が経てば経つほど、例え御星の慈悲に満ちた世界であっても、今のように誰かに別れを告げなくてはいけないから。


 カランカラン。

 鐘の音と共にわたし達は外に出た。

 入れ違いで、わたし達よりも小さな子供がお店に入る。ガラス張りの壁から店中を覗くと、いつものように笑顔を浮かべているお姉さんが、なぜか遠い存在に感じた。




   ♠ ◈ ♡ ♣



 

 パン屋を出たあと、特にやることもなかったので町の中央にある噴水広場に行った。偶然にも、そこで大道芸をやっているピエロ姿の男がいて、わたし達はしばらくそれを眺めていた。


 玉乗りが終わって、周りの人達から拍手を貰うピエロ。今度はカバンから6つのリングを取り出してジャグリングを始める。


 最初は上手くいっていたのに、ピエロは途中で半分のリングを落としてしまう。あちゃー、と声を上げてピエロがわざとらしく頭を抱えると、周りの人間はそれを笑って、また拍手する。

 良くやったよ。惜しかったな。そんな声援を送る周囲の盛り上がりとは裏腹に、わたしは冷めた目でピエロを見ていた。


 なんだか呆気ない最期だったな、と。

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