3.グリム

「僕には様々な名前があるけれど、ここでそれを使うつもりはない。あれは、彼らのためのものだからね。だから、ここでは君達が僕に名前をつけて、その名で呼んで欲しい。君達だけの僕の名前を」


 3年前、彼が初めて『ドーワ』に来たとき、彼はわたし達の前でそう言った。最初はふざけているのかと思ったけれど、どうやら本気だったらしく、会う度に同じことを言われた。

 だから、彼の思い入れのある国でつくられた、彼がよく話す物語の総称から、彼のことをグリム先生と呼ぶようになった。




   ♠ ◈ ♡ ♣




 午前の指導が終わり、昼食も食べ終わった穏やかな昼下がり。わたし、アン、ジャックの3人は施設の1番奥の部屋のドアをノックしていた。

 どうぞ、と声がかかり、立てつけの悪いドアを開ける。部屋には1人の男の人がいて、ヤカンに水を入れている。

 

「よく来たね、君達。さぁ、そこに座るといい。少し遅いけど、食後のコーヒーブレイクといこうじゃないか」


 彼は――御星にその身を捧げた下位星官、『星養成機関・ドーワ』に属する26の職員の1人、この施設でただ1人の精神衛生管理士カウンセラー、つまり――グリム先生である。


 グリム先生は他の職員とは違って、誰かの指導者ではない。施設の1番奥の部屋でコーヒーを飲みながら、ここに来る子供達の悩みを聞くのが仕事なのだそうだ。

 だからというか、やはりというか。他の職員よりもグリム先生は暇を持て余しているので、わたし達3人はよくこの部屋に集まって話し合いをしている。食後のお茶会、というニュアンスが近いのかもしれない。


 わたし達はふかふかのソファに腰を落ち着けて、グリム先生が来るのを待つ。この部屋には簡素な台所があり、既にそこにはマグカップが4つ用意されている。まるで、わたし達の来訪を最初から予知していたみたいに。


 ぽー、とヤカンからお湯が沸いた音がする。

「そうだ、君達。お砂糖は入れるかい?」

 グリム先生がわたし達に聞いてくる。ジャックは腕を組んで、

「オレは大人のブラックで」

 アンは透き通った声で、

「わたしはお砂糖2つ」

 わたしはちょっと考えて、

「お砂糖は1つ。あと、ミルクたっぷりで」

「了解。ジャックがブラックで、アンが微糖、ベルがミルクコーヒー、と」


 それぞれのマグカップにコーヒーの粉を入れ、そこにお湯を注いでから砂糖とミルクで味を調整。それをトレーに乗せ、わたし達の前まで運んでくる。


「はい、どうぞ。あ、飲むのはちょっと待ってておくれ。アレを持ってくるから」

 

 そう言って、グリム先生は冷蔵庫から何かを取り出し、わたし達の前に出してくれる。全体的に黄色だけど上層がカラメルで黒くなっていて、その甘味には何とも言えないうまさがある。

 プリン、という名前のデザートだと、前にグリム先生が言っていた。


 わたしはプリンを一口食べて、ミルクコーヒーをちょびっと飲む。プリンは美味しいけど、冷たい食べ物は好きじゃない。だから、わたしはミルクコーヒーで温かさを補充する。これなら、冷たさは一瞬で通り過ぎていくのだ。

 

「グリム先生、前回の話し合いの続きは?」

 微糖のコーヒーを飲みながら、アンが話を切り出した。

 

 グリム先生は、よく遠く離れた国でつくられた物語を聞かせてくれる。ある時は、赤の頭巾を被った少女とオオカミについて。またある時は、髪の長い少女と魔女について。

 わたし達はその童話を聞いて、物語に出てくる問題を根本的に解決するにはどうすれば良かったか、それぞれの意見を出し合い、話し合っているのだ。


 それで前回の話は何だったかというと、女王でありながら魔女と呼ばれる母親と、その娘についての話。


 女王である母親は魔法の鏡に、この世で1番美しいのは誰かと聞く。魔法の鏡は、あなたの娘が美しいと答える。この世で最も美しい人間が自分でない、ましてや自分の娘であることに母親は怒り狂い、すぐさま娘を殺そうとする。

 娘は何とか難を逃れ、森へと入る。小人達に助けて貰い、一時は平穏な暮らしを手に入れるけれど、母親の策略によって毒リンゴを食べさせられ、娘は深い眠りに落ちてしまう。絶対絶命の大ピンチ。そこに偶然、王子様が通りがかって、王子様のキスで娘は生き返る。そして、王子様と娘はそのまま2人で幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし、と幕を閉じる物語だ。


「前回の続き? はて、僕はなんと言ったかな?」


 そう言って、グリム先生は首を傾げる。どうやら、彼は話し合いの内容を忘れているらしい。

「先生、たしか鏡がどうとかって言ってたぜ」

「うん、言ってた。鏡が嘘をつけなかったんだねって」


 ジャックとアンがそう言うと、グリム先生はポン、とわざとらしく手を叩く。

「ああ、思い出したよ。そうだったそうだった」

 納得した様子で、グリム先生も向かいのソファに座る。そして、わたしと同じくミルクコーヒーを1口。マグカップをテーブルに置いて、穏やかな目でわたし達を見渡す。それを焦れったく感じたのか、ジャックが言う。


「なあ、どういう意味なんだよ。鏡が嘘をつけなかったって」

「そうだよ。わたし達は物語に出てくる問題の解決方法について話し合っていたのにさ」


 ジャックに次いで、わたしも思ったことを口にする。

 ちなみにだけど、わたしの意見は”母と娘が触れ合い、親子の絆を深める”というものだ。お互いに愛し合ってさえいれば、母親は子供を殺したりしないだろう。

 しかし、グリム先生が最後に言った言葉。”鏡が嘘をつけなかった”というのは、わたしの回答とは離れているように感じる。そもそも、鏡はどの時点で、どんな嘘を言えば良かったのだろうか?


 グリム先生はマグカップの中を眺め、口を開く。

「では、1つ質問をしようか。鏡とは何だと思う?」

 唐突な問いに、わたしは困惑する。

「ええっと、映すもの」

「何を映すのかな?」


 言葉に詰まり、深く考え込む。

 鏡とは何か。洗面台にあるもの。朝起きて寝癖をなおすために使うもの。それ以外に、言葉が出てこなかった。


「真実」

 不意に、透き通った声が部屋に響く。綺麗なアンの声だ。

「真実です。先生」

「そうだね。鏡とは真実を映す。正確には鏡を見ている者の真実なわけだが、今回に限っては真実を映すとだけ定義しておこう。『鏡よ鏡。世界で1番美しいのはだあれ?』この問いかけに対し、鏡は真実を言うわけだ。『それはあなたの娘です』。これがきっかけで母親が娘を殺す、という悲劇が起こってしまう。ではこの時、鏡が『それはあなたです』と言っていたら?」

「あぁ、そういうことね」


 大袈裟にジャックが納得する。

 確かにそれなら、この物語で母親が娘を殺すことはない。しかし……。


「娘は周りからその美しさを称賛されていたんだよね? だったら、その声に絶えきれなくなった母親が、いつか娘を手にかけていたんじゃ」

「ううん、それはないと思う」

 わたしの考えを、アンはやんわりと否定した。


「母親は女王なのだから、人と会う機会が多かったはず。必然的に、娘が生まれる前にも美しい女性に会っていると思うの。でも、その人は殺さなかった。それは鏡の言う真実が母親にとって絶対だったから。美しさの評価を鏡に委ねた時点で、母親にとって他人の評価なんて、これっぽっちも興味がなかったのよ」


 アンらしい、的を射た答えだと思った。それと同時に、自分の考えがいかに穴だらけだったかを気付かされる。

 親と子が触れ合ったとして、絆が深まるかは分からない。母親の価値観が変わらなければ、そして、触れ合う度に娘に疎ましさを感じてしまったら、グリム先生の語った物語より悲惨なものになっていたかもしれない。


 急に、背筋に悪寒が走る。

 それを誤魔化すようにプリンを食べて、それが思いの外冷たくて、急いでミルクコーヒーで冷たさを流し込む。ああ、温かい。


「わたしの負けか。どうやら、グリム先生が正しいみたい」

 わたしは肩をすくめる。すると、グリム先生がコーヒーに口をつけ、

「別に勝ち負けを競っているわけじゃないさ。前にも言ったと思うけど、ここでの話し合いは言わば道徳についての語らい。ブラックや微糖、ミルクといっ異なる嗜み方がコーヒーにあるように、そこに優劣は無いんだよ。ベルの意見は確か、親子の絆を深める、だったかな。素晴らしい考えだと思うよ。模範にすべき、良い意見だ」

「じゃあセンセ、オレの意見は?」

「ジャックの意見は、確か……」




   ♠ ◈ ♡ ♣

 



 先生がジャックの意見について見解を語り、全員がプリンを食べ終えたところで、先生はわたし達のお皿を流しに運んだ。コーヒーは残っているけど、それもあと1口でなくなってしまう。


 わたし達の話し合いには、コーヒーを飲み終わって一段落したら終了、という暗黙の了解がある。そこで強制的に区切りがつくから、前回の話し合いは中途半端な所で終わってしまったんだ。それに比べれば、今日の話し合いは随分とキリの良い所で終わったものである。


「さて、今回の話し合いもそろそろ終わりかな」

 グリム先生がコーヒーを飲み干して、トレーにマグカップを乗せる。それから、スピア先生とは正反対の穏やかな瞳をわたし達に向ける。

「では、ここで君達に質問だ。今回の話し合いを通して、僕が君達に伝えたいことは何でしょう?」


 恒例の質問時間がやってきた。グリム先生は話し合いを、いつもこの質問で締めるのだ。

 とはいえ、わたし達が質問の答えを当てられたことは1度だってない。そもそも、これは先生の個人的な意見。わたし達に当てさせる気なんてこれっぽっちもないんだ。

 だから、わたし達も自由気ままに答えることにしている。


「白馬の王子なんていると思うな」

「毒リンゴには気をつけろ」

「親子の愛なんて所詮こんなもの」


 わたし達の脈絡を無視した回答に、グリム先生は苦笑いを浮かべる。そして、先生はおもむろに立ち上がって答えを話し始めた。


「嘘をつける鏡になってほしい――僕が言いたいのは、ただそれだけのことなんだ。君達は舞台装置じゃない。考え続けることこそ、人の本質なのだからね」


 こうして、わたし達とグリム先生の話し合いは幕を閉じる。

 わたし達がコーヒーを飲み干して、マグカップをトレーに乗せて、それでさようなら。わたし達はソファから立ち上がって、自分の部屋に戻ろうとする。

 彼は立てつけの悪いドアを開けて、わたし達を見送る。


「それじゃあ、また会おう。君達の友はいつでもここにいる」

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