2.朝の集い
『ドーワ』で暮らす子供は、朝の放送が終わりしだい年長者から順番に食堂に集まる。
朝食を食べるために。そして、朝の集いを行うために。
年長者から順番に集まるのは、同年代の子供達と担当の指導者が集まって、順番にその日の予定を確認するから。
この施設の最年長者であるわたし達が食堂に1番乗りするのは、そういう理由があるのだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
息を切らしながら、わたしとアンは食堂に滑り込む。廊下では生活音が鳴り始めていたけれど、食堂には未だに静か。静謐な朝の空気が満ちていた。
わたしは膝に手をつきながら、きょろきょろと食堂の中を見渡す。3列に並んだ長机の1番左、その奥にジャックが座っているだけで他には誰もいない。
まだ、先生は来てないみたいだ。
「ま、間に合ったぁ……」
心から安堵して、息と一緒に不安を吐き出す。
でも、それはどうやらわたしの勘違いだったみたいで。ジャックがにやけ面を浮かべながら、わたし達の後方を指で差していた。
まさか……。
おそるおそる振り返ると、1人の鬼と目が合った。
「いいえ、遅刻ですよ。1分と25秒の大遅刻。下の子等の手本となるべき者達が、一体何をやっているのです?」
そう言ってわたし達を見下ろすのは――御星にその身を捧げた上位星官、『星養成機関・ドーワ』に属する26の職員の1人、わたし達の指導者、盲目の鬼職員、つまり――スピア先生だ。
しなやかな針を連想させる銀の短髪。それを覆うようにして被られている薄白のベールから、切れ長の目が透けて見えている。
わたしの目は、機能を失って久しい。
ずっと昔、そう哀しげに語っていたスピア先生は、今も昔も変わらずその双眸でわたし達を捕えている。その様は、まるで第3の目でも開眼しているみたいで、目が見えないとはとても思えなかった。
「と、時計の針が5分だけ遅れてたんだ、スピア先生。それ以上でも、それ以下でもなくって……」
スピア先生を前にして、ついついわたしは萎縮してしまう。
なぜ、朝から息を切らしてまで食堂に向かったのか。
それは、盲目の鬼職員という異名を持つスピア先生が、『ドーワ』で1番規則に厳しいからだ。その几帳面で融通の利かない性格は、ある時はわたし達から夕食を取り上げ、またある時は2時間超のありがたいお説教を奏でる。朝から重い罰を受けるのではないか、と身構えてしまったのだ。
「問答無用です。そんな使い古された言い訳をする暇があるのなら、もう少し誠意を見せることですね」
「いや、だから偶然に時計の針がさ……」
「なるほど、誠意は欠片程も持ち合わせてはいませんか。これ以上の嘘を重ねることこそ、愚かなことはないと思うのですがね」
「なっ……」
一方的なスピア先生の口ぶりに、わたしは少しカチンとくる。
そりゃ、遅れたのは悪いと思ってる。でも、時計が5分遅れてたのは本当で、その遅れを取り返そうと努力もした。なのに、嘘だと決めつけるのはあんまりだ。もっと優しい言い方があるはずだ。
わたしは唇を尖らせ、不満を全面に押し出す。
自分で言うのもなんだけど、こうなったわたしは揺るがない。てこだろうと、スピア先生だろうと動じずに、自分勝手でわがままな意地を張ってしまう。火に油だと言われても、反骨精神を心の内に留められないのはわたしの性だった。
それを知っている親友のアンは、わたしの出番だねと言わんばかりに、一直線に結んでいた口元を解く。
「あのね、スピア先生。ベルの話は本当なんだ。一昨日から時計の調子が悪くて、でも今日に限ってそれをすっかり忘れてて……。だから、ごめんなさい」
潔くアンは謝罪し、スピア先生の望む誠意を見せる。不満を表に出さないおっとりとした性格は、わたしにはないアンの長所だった。
スピア先生は、目を瞑って小さくため息を吐く。
「では、早く席につきなさい。朝の集いを始めますよ」
意図もあっさりと食い下がったスピア先生は、何事もなかったかのように、規則正しく足音を立てながらジャックの席へと歩いていった。
わたしとしては、なんとも面白くない結果だった。
「ちぇっ、なんでアンの言葉は信じるのさ」
スピア先生が離れたタイミングを見計らって、わたしは小声で悪態を吐く。それを聞いていたアンは、日頃の行いじゃないかな、と小声で言って、意地悪そうに微笑んだ。
気を取り直して、わたしはいつもの席に座る。アンの隣で、ジャックの向かいの席に。
白い壁に溶け込むようにして、白装束を身に纏うスピア先生はわたし達の前に立つ。そして、少しの沈黙。こほんと咳払いを1つしてから、ゆるやかに朝の集いは始まった。
「皆が揃って今日という日を迎えられたこと、わたし達は御星の健やかなる輝きに感謝いたします」
「「「感謝いたします」」」
「……さて、改まって告げる必要もないでしょうが、今一度聞きなさい」
いつものように、スピア先生はきびきびと、刺々しく言葉を発する。それは聞き慣れている筈の言葉なのに、今日という特別な日を迎えたことで、わたしはいつも以上に緊張していた。
こうあるべき、と定められた18年がもうすぐ終わるから。
『星の器』として、使命を果たすときが来るから。
星の声に選ばれた18才以下の子供達と、26の星官達で構成される『星養成機関・ドーワ』。
ここで育つ子供は、15才になったら”星繭の儀”を受けて『星の器』になる。
『星の器』というのは、例えるならサナギのようなものだ。
幼虫はサナギになって、蝶になる準備をする。それと同じで、星の声に選ばれた子供は15才で『星の器』となって、18才で使命を果たす準備をするんだ。
分かりやすく言うなら、つまりはこういうこと。
15歳になったら、人としての成長期は終わり。そこからは、『星の器』としての成長期のはじまり、はじまり。
わたしもアンも、もちろんジャックも、3年前に”星繭の儀”を受けた時点で身体の成長は止まっている。15才の身体のまま、もう3年も過ごしていることになる。
「今年で18才になった貴方達は、あと1ヶ月で”星誕の儀”を迎え、使命を果たします。つまり、輝ける星へと羽化を果たすのです。明日からはその前準備、即ち、光ある人生の終着点を迎えられるよう、俗世との繋がりを断つ”断界日”へと入るのです。貴方達が『ドーワ』の外に出られるのは、今日で最後。……ですので、町に行くのは大変結構ですが、くれぐれも羽目を外しすぎないように。一般市民と違い、”星の声”に選ばれた貴方達には、常に相応の礼節が求められるのです。分かりましたね?」
わたし達の特権。月に1度の自由外出。それが今日で最後だというのだから、有意義に使わなければならない。
わたし達は小さく頷きながら、はい、と短く返事をした。
「結構。それでは、トレーを取りに行って朝食になさい。食べ終えたら、各自部屋に戻って午前の指導の準備を。自由外出は昼食を食べ終わってからです。……いいですか。再三言うようですが、くれぐれも羽目を外しすぎないように」
鬼の眼光もかくや、といった鋭い目つきでスピア先生は念押しする。再三どころか再四、再五は口酸っぱく聞かされた話だけれど、しつこいぞ、と鬼の前で言う無謀な子供はこの場にいない。スピア先生が食堂を出て行くまで、わたし達はピンと姿勢を正していた。
「いやー、スピア先生は今日も手厳しーなぁ」
スピア先生が立ち去って安堵したのか、ジャックが席から立って背伸びをする。わたしも席を立って、
「可愛げがないんだよなぁ。減るもんじゃないんだし、愛想良く振る舞ってくれても良いのにね。アンもそう思うでしょ?」
「うーん、それは違うんじゃないかな。あの厳しさがスピア先生らしさというか、アイデンティティというか。そういうものだと思うよ、わたしは」
「アイデンティティねぇ……って、噂をすればだな。おい、見ろよこれ」
ジャックは窓口に置かれていたトレーを取ると、今日の朝食の内容をわたしに見せつけてきた。
その瞬間、わたしの鼻は曲がった。
お皿の上には食パンとイチゴジャム。それから卵焼きと、どろどろで緑色の液体。
「……げ、グリンピースのスープ。しかも、冷たいやつ」
「な、お前のアイデンティティ」
ししっ、と歯を見せて、嫌みったらしい笑みを浮かべるジャック。わたしはただ、器の中の液体を睨むことしかできない。
そう、何を隠そう、わたしはグリーンピースのスープが、とっても、とっても嫌いなのだ。もっと言うと、冷たい食べ物も好きではない。
嫌よ嫌よのダブルパンチ。冷たいグリンピースのスープなんて、飲めたもんじゃない。
ジャックの見せてきたものが幻覚であることを祈って、わたしはトレーが置かれている窓口まで行く。もちろんそんなわけもなく、緑色のそれは、ちゃんとわたしのトレーにも乗っていた。
わたしはオーブンの中に食パンを入れ、タイマーをセットしてから席に戻る。食べ物の温度なんて気にしない2人は、既に朝食を食べ始めている。
最初はスプーンですくって緑色のそれを食べようとしたが、どうにも口に入らない。
すくっては、戻して。すくっては、戻して。その動作を7回繰り返したところで、わたしは交渉に出る。
「ねぇ、ジャック。わたしのこれ、あげる」
「要らねぇよ。つーかお前、好き嫌い多すぎ。子供かっての」
藁にもすがる思いで頼んだのに、意図もあっさりとあしらわれる。
「むー……アンならわたしのこれ、貰ってくれるよね?」
「…………」
いつものアンなら快く貰ってくれるアンが、今日に限ってなぜか無反応だった。
おーい、とアンの顔の前で手を振ると、彼女は食べていた食パンをお皿の上において、布巾で口の周りを拭く。それからわたしの顔をみて、
「ねぇ、ベル。わたし達はもう18才だよ」
「……うん?」
「スピア先生も言ってた。わたし達は下の子等の手本となるべきだって。あと1ヶ月で星になるとも言ってた。その意味がわかる?」
「う、うん……」
「じゃあ、自分で食べなさい」
チーン、という食パンを焼き終えたオーブンの音と、アンの命令口調が綺麗に重なった。
わたしは肩を落としながらオーブンまで近づき、食パンを取り出す。テーブルにとぼとぼ戻り、イチゴジャムを塗ってムシャムシャと頬張りながら、仏頂面でスープと睨み合う。当然、それで量が減るわけはない。それでも食すのを後回しにした結果、ついにパンも卵焼きもなくなってしまった。
「それじゃ、お先に」
薄情者のジャックが窓口にトレーを返却して食堂から出て行く。アンもお皿を空にし、わたしが食べ終わるのを待っている。自分のペースで良いよ、と視線を送ってくれるけれど、時間的にそういうわけにもいかない。
ええい、こうなったら……!
意を決して、口の中にスプーン1杯分のそれを入れた。すると、この世のものとは思えないほどの極まった不味さを舌が感じ取る。
口の中に広がるのは、何とも形容し難い不快な味と臭い。全身に鳥肌が浮き出て、軽く吐き気を催した。
……ゴクリ。
辛うじて飲み込めはしたものの、気分は最悪。手は震え、肺は酸素をくれと喚き立て、額から脂汗が滲み出ていた。
「うぅ……やっぱりムリだよぉ」
わたしは親愛なる友人に泣きつく。こればっかりは、どうしても身体が受け付けてくれない。わたしにとって冷たいグリンピースのスープとは、クモやムカデと同じ類いなのだ。
わたしの様子を見て、アンがため息を吐く。どこか、重苦しそうに。それから、スープの入ったお皿をわたしのトレーから取っていった。
「さすがはわたしの親友」
「代わりに食べてあげるのも、今日までだからね」
「充分ですとも」
献立の周期を考えれば、次にグリンピースのスープがくるのは2ヶ月後。今日さえ乗り切ればなんの問題もない。
わたしは無邪気に喜ぶ。両手を合わせてアンに感謝すると、またため息を吐いて彼女はスープを啜り始めた。
「あ、おはよう! ベル姉、アン姉!」
わたしの食べるペースが遅すぎたのだろう。普段ならこの時間に会うことはないのだけれど、3つ年下のアリスと朝の食堂で遭遇し、声高らかに朝の挨拶が飛んできた。
「おはよ」
「おはよう。アリス、シラユキ」
わたし達もすぐに朝の挨拶を返す。よく見ると、活発なアリスの後ろに隠れるようにして、寝ぼけ眼のシラユキがふらふらと歩いていた。
彼女は、おはようございまぁすぅ、と覇気のない声を出して大きな欠伸をする。あまりの陽気さにわたしもアンも苦笑いを浮かべ、また、おはようと、朝の挨拶をするのだった。
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