1.ドーワ
< ……ございます。しっか……顔…い、……も素晴らしい1日にしましょう。 おはようございます。しっかりと顔を洗い、今日も素晴らしい1日にしましょう。 >
スピーカーから流れる、朝の放送。わたしの1日は、いつもここから始まる。
寝ぼけ眼をこすりながら、身体を起こして大きなあくび。背中と腕の筋を伸ばしながらぼーっと天井を眺め、そのまま寝癖がないか頭をチェックする。
右に1つ、左に2つ。うーん、今日はほどほどに酷いな。
相変わらずの癖毛の酷さにうんざりしながら、ゆっくりと毛布をたたむ。それからベットを降りて、もう一度あくび。両手を天上に伸ばして軽くストレッチをしてから、おぼつかない足取りでふらふらと洗面台に向かう。
その途中で、カーテンの隙間から朝の日差しが漏れていることに気づく。それは光の筋となって足下を照らしており、その筋を目で辿っていくと、窓際でイスに座っている1人の少女に目がいく。
朝の日差しに包まれながら、静かに本を読む少女。腰のあたりまで伸びた彼女の赤髪は、美しさを感じる程に、真っ白な部屋着に良く映えている。
「おはよう、アン」
読書を嗜む少女。同居人のアンに、わたしは寝ぼけながら朝の挨拶をする。
わたしの声を聞いて、こちらに顔を向けるアン。赤髪が僅かに揺れて、隠れていた瞳がわたしを覗く。
「あぁ、うん。おはよう、ベル」
ワンテンポ遅れて返ってくるアンの声は、いつ聞いても透き通っている。天使が奏でる詩のような周波数で、それでいて心地良くて。
その綺麗な声音を聞いて意識を覚醒させるのが、わたしの習慣の1つになっている。
アンの声を聞いていると、なぜか眠気が吹き飛んでいくんだ。
欠伸を噛み殺してアンに手を振り、洗面台で顔を洗う。
この時季の水は冷ややか。凍るような寒さに身を震わせながら、顔についた水滴をタオルで拭き取る。備え付けの鏡を見ると、冷水で頬が赤らんだ自分の顔が映っていた。
アンとは違って、わたしの髪は短めで地味な飴色をしている。女の子らしさは薄く、どちらかといえばボーイッシュな部類だ。
これには一応、ちゃんとした理由がある。髪を伸ばした時の自分の癖毛が見ていられないのと、これ以上寝癖を酷くしたくないから。そんな、ちゃんとした子供らしい理由が。
強情な寝癖にため息を漏らして、鏡を見ながら2度3度、重ねて4度、水に濡らした手で寝癖を整える。それから洗面台の隅に置かれているブラシを取って、寝癖直しをつけながら髪をとかしていく。
「なおった、寝癖?」
ぱたんと本を閉じながら、アンがそう聞いてくる。
「うーん、どうだろ。アンはどう思う?」
「良いと思うよ。そういうの、可愛くて」
「む……」
意地悪そうに微笑むアンを見て、なおってないんだな、と理解する。鏡を見ると、確かに後頭部の髪が乱れていた。
「ちょっと待ってて。すぐに……」
「残念だけど、もう時間ないよ。遅れるとスピア先生に怒られちゃうし、そろそろ行かないと」
壁にかかった時計を見ると、短針が6時、長針が20分を指し示している。朝食は6時30分からなので、確かに寝癖をなおしている時間はない。
わたしは肩を落として、ブラシを元の場所に戻す。
時間ならしょうがない、か。
「それじゃ、行こう、アン」
「うん。行こう、ベル」
透き通った声で答えたアンは、本をテーブルに置き、イスから離れる。それから歩調を合わせて、わたし達は歩き始めた。
廊下に出ると、隣の部屋から元気の良い声が聞こえた。
部屋の中を覗いてみると、布団にくるまる同居人を1人の少女が叩いている。布団にくるまっているのがシラユキで、叩いているのがアリス。2人とも、わたし達の3つ年下だ。
「ちょっと、朝の放送終わっちゃったじゃん! 早く起きなってば!」
「う~ん、もうちょっとだけぇ……」
このやり取りを聞くのも、わたしの習慣の1つ。
シラユキを起こすアリスの声は施設中に響いていて、そのせわしなさが『ドーワ』全体の活力の源になっている。そんな気がするんだ。
ああ、一応補足しておくと、『ドーワ』というのはわたし達が暮らしているこの施設の名前。孤児院と思うかもしれないけど、それはちょっと違う。
正式名称、『星養成機関・ドーワ』。
”星の声”によって選ばれた子供達が集う場所。その子供達が『星の器』となり、こうあるべきと定められた人生を真っ当する場所。
そして、わたし達の居場所。わたし達の家。『ドーワ』はそういう場所だ。
今年の『ドーワ』には、最年長の子供が3人いる。
わたしと、アンと、それから男の子が1人。
名前はジャック。無造作で短めの黒髪と大きな瞳からは、その性格を反映させたかのような活発さを感じさせる男の子だ。
同じ真っ白な服に袖を通し、ジャックとは6年という月日を共に過ごしている。しかし、わたしはどうも彼がいけ好かないんだ。
何がいけ好かないかというと、それはとっても単純で。
「よっ!」
「うわっ!」
このように毎朝わたしの背中を叩いて驚かせてくるところが、とても無遠慮でいけ好かないのだ。
わたしは背中をさすりながら、全力疾走でわたし達を追い抜いていったジャックに言葉を投げつける。
「ちょっと、少しは加減してよ!」
「ししっ、今更何言ってんだよ! つーか、そんなにトロトロ歩いてたら朝の集いに遅れるっつーの!」
そう言って、ジャックは勢い良く廊下の角を曲がっていった。
わたしとしては、いい加減落ち着いて行動して欲しいのだけれど、本人は開き直っていて、正そうとする意思がまるで見られない。その様子を見て、しょうがないなぁ、とため息を溢すのもわたしの習慣の1つとなっているのだ。
しかし、今日のジャックは一段と落ち着きがなかったような。そんなに急がなくても、部屋から食堂まで10分もあれば着くのに。
「あっ」
突然、アンが声を上げる。
「部屋の時計、一昨日から調子悪かったでしょ? 確か、5分くらい遅れてた気が……」
あっ、とわたしも間抜けな声を出す。そして、2人で互いの顔を見つめ合って、数秒間の行動停止する。
ええっと、部屋を出たのが10分前で。でも時計は5分遅れてて。部屋から食堂までは10分かかるから……。
「やばい、遅刻じゃん! わたし達も走らなきゃ!」
わたしはアンの手を取る。それからジャックと同じように、全力疾走で食堂へと向かった。
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