第2話 存在意義

「あら、章太郎君。おかえりなさい」

 アパートの敷地に入って、すぐ。声を掛けて来たのは、右手にじょうろを提げる女性だった。

 章太郎の母の友人であり、このアパートのオーナーでもある小野屋おのや翠子みどりこである。

 敷地を取り囲むブロック塀の内側には、翠子が作ったささやかな菜園があり、それへの朝夕の水やりが、彼女の日課だった。

「ただいま、大家さん。手伝いますか?」

「ありがとう。でも、これが最後だから大丈夫よ」

 翠子はうふふと笑い、いささか枯れ葉が目立ち始めたトマトに、水やりを始める。

 一口に評せば、彼女は癒し系おっとり美女だ。優しく、世話焼きで、一人暮らしは大変だろうからと、日頃から章太郎に、あれこれ気を配ってくれている。飾りっけはないが、清潔感があって、いつもほのかな石鹸の香りを漂わせていた。

 ちなみに、翠子を見たことのある章太郎の友人は、胸の大きさも彼女の長所にあげているが、おっぱい星人ではない章太郎自身は、特段気に掛けたことはない。

 かように素晴らしい大家であるが、エプロンのセンスは、どうにも微妙だった。今、彼女が身に着けているのは、サイドチェストを決めるマッスルボディなホルスタイン(♀)のプリント。何をどう感じ入れば、このようなものを身に着けようと思えるのだろう。

「あら」

 翠子は、章太郎の足元にある円盤に目を向け、首を傾げる。

「それ、どうしたの?」

「拾いました」

 かくかくしかじか説明する。

「まあ」翠子は目を丸くする。「最近のロボットって、恩返し機能まであるのね」

 機能なのか?

「受けた恩は、返すのが道理だ」と、サンビーム。もし彼(彼女?)が人型なら、えへんと胸を張りそうな勢いだ。

「でも、正しいことをきちんとできるのは、とっても偉いと思うわ」

「そうか」サンビームは、LEDをぴこぴこと点滅させた。「ありがとう、大家殿」

「どういたしまして」翠子は、にこにこ微笑みながら応じる。

 ふと、アパートの一室の扉が開いた。一階にある、大家の自宅だ。

「ねえ、お母さん。お味噌汁のお出汁なんだけど」

 現れたのは、エプロンに三角巾を着け、右手におたまを持った少女。翠子の娘の桃子ももこだ。中学二年生で、美人の母親の血を引いているだけに、じゅうぶん可愛い部類に含まれるのだが、やはりエプロンのセンスがおかしい。PIYO PIYOと言うロゴの下にあるのは、目を三角にしてギザギザの歯をむく黄色いひよこ。もちろん、母親に押し付けられただけと言う可能性も否定はできないが、章太郎は確信できずにいる。

「お兄ちゃん!」

 章太郎の姿を認めると、桃子はつっかけを履いた足で駆け寄って来た。

「おかえりなさい!」

「ただいま」

 笑顔の圧にたじろぎながら、章太郎は学生鞄を地面に置き、レジ袋から、コーンカップ入りチョコ菓子を取り出して、桃子に差し出す。

「おみやげ」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 菓子を受け取り、桃子は満面の笑みで礼を言う。

「いつも、ごめんなさいね」

 翠子は苦笑を浮かべて章太郎に頭を下げる。

 好きでやっていることなので、「いいえ」と応じて頭を下げ返す。

 翠子が言うように、章太郎が桃子に菓子を与えるのは、今日が初めてのことではなかった。

 この習慣が始まったのは、夏休み。二本で一セットが特徴の、とあるチューブ入り氷菓を食べながら帰宅したところを、桃子に見られたことがきっかけだった。彼女が何やら物欲しそうに見てくるので、一本を分け与えたところ、「お菓子をくれる人」と認識されてしまったのである。

 とは言え、甘いもので少女を手懐けようとする意図は、爪の先ほどもない。ただ、一度だけ、手ぶらで帰った時に見た、彼女の悲しげな目が忘れられないだけで。

「わあい、イチゴ味だ!」

 右手におたま、左手に菓子を持って、奇妙な踊りを始める桃子。駄菓子の類をもらっただけで、こんな反応をする女子中学生とは、いささか危うげな気もしなくはない。

「この、お嬢さんは?」サンビームがたずねる。

「大家さんの娘さんの、桃子ちゃん」

「おや」桃子は喜びの踊りを中断し、サンビームに目を向けた。「UFO?」

「いや、ロボットだ」サンビームは訂正する。

「あー、あれだね」桃子はおたまでサンビームを差した。「サンバ……じゃなくって、ズンダ?」

 どっちも違うし、ちょっと遠ざかっている。

「私は、サンビーム。エネルギー切れで困っていたところを章太郎に助けられ、その恩返しのためにやって来た」

「鶴じゃないのに?」

「あら。お地蔵様だって、恩返しするわよ?」翠子が指摘する。

 桃子は口をへの字に結んだ。束の間を置いて、彼女は高らかに宣言する。

「私も恩返しする。お菓子の!」

 今まで当然のように、タダで菓子を受け取って来たのに、どう言う風の吹き回しだろう。

「明日、お兄ちゃんのお弁当を作る!」

 嬉しい申し出だが、お菓子一個では、釣り合いが取れない気がする。

「ねえ、桃子」翠子が、ふと言う。「お鍋、見てなくて大丈夫なの?」

 桃子は、はっと息を飲んだ。

「うわあ、ヤバい!」

 少女はばたばたと走り去る。

 娘の背中を見送ってから、翠子は章太郎に苦笑を向けてくる。

「明日は私も、お弁当手伝うわね」

「すみません」

 なんだか申し訳ない気もするが、それなら安心である。

「さて。晩御飯が無事か、確かめないと」

 そう言って立ち去る翠子を見送り、章太郎も二階の自室へ向かう。

 階段に足を掛けたところで、サンビームには難所ではないかと心配になるが、杞憂だった。円盤型のロボットは、機体を斜めにして、器用に階段を這い上る。

 1Kのこじんまりとした室内へ入ると、サンビームはさっそく室内をちょろちょろ走り回った。

「よく片付けられているな」

「一人暮らしを許してもらう時に、父さんと母さんに約束したんだ。家事をちゃんとするって」

 母親の友人である翠子の目が、いつ入るかも知れないのに、あまりだらしないことはしていられない。少なくとも、体裁くらいは取り繕っておかなければ。

「感心なことだ。それで、掃除機はどこにある?」

 ロボット掃除機は、妙なことを口走った。

「えっと、玄関横の収納だけど……」

「了解した」

 言うなり、サンビームは人型に変形した。身長一メートルほどの、切り分けたバウムクーヘンを、繋ぎ合わせたような姿になったサンビームは、玄関から掃除機を持ってくる。LEDランプと思われたモノアイで、きょろきょろと周囲を見渡し、発見したウォールタップにコンセントを差し込む。

 スイッチオン。掃除機はやかましい音を立て、サンビームはパイプとホースを器用に操りながら、掃除を始めた。

 ロボット掃除機とは、なんなのか。

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