第九話

三十六



―7月下旬深夜―


―港区 潮風公園 北側―



煙々羅えんえんらは追い詰められていた。


三人の人間に。


しかし、負ける気はしていなかった。


自分が気体である事を理解していたから。


追い詰められたとしても、霧と成って拡がれば幻覚に惑わせる事も可能であると。


そう成ってしまえば、この海沿いの公園ならば拐かして事故に見せかけ身を滅ぼさせる事なんて簡単だからだ。


だが、この場所から逃げられなかった。


海側に逃げようとしても弾かれる。


気付けばこの場所に留められていた。


この三人は普通の人間ではない。


こいつ等は退魔師だと。


青い男「いましたよ! こっちです!」


忌々しく感じ始めていた。


白の男「ようやく捕まえたぜぇ…」


そう言いながら二人の男が自分に向かってくる。


黒い男「逃げられないだろ? ここの林道の端っこに霊酒を巻いといたからな」


その反対側…つまり自分の背後から黒い格好の男が出てくる…


黒い男「もう逃げられない… なァ?煙々羅?」


そう言いながら近付いてくる。


忌々いまいましい…忌々しい…!


妾に触れようなどと人間が…!


その高貴な意識が煙々羅を苛立たせた。


煙々羅『人間風情が…!』


青い男「! おー喋った! 喋れるんじゃん…!」


おちょくる様に言う。


煙々羅『生意気な…!』


その様が気に食わなかったのか、青い男に狙いを定める。


煙々羅『見るが良い…!』


そう言って、濃い霧になり、拡がる。


白の男「何かしてくるぞ…!」


そう言って警戒を強める。


周囲を警戒しながら注意深く観察する。


海際だというのに、今日は風が余り無い。


湿度のせいか汗が滲み出る。


…しかし何も無い。


…変だ。


明らかにおかしい。


青い男が尋常じゃない汗を流している。


白の男「オイ…どうした」


そう白の男が声を掛けるが、前に屈み込み、膝立ちになる。


青い男「…熱くて…力が入らなくて…」


白の男「…何?」


黒い男「…それが狙いか」


そう言って、手元の端末を見遣る。


黒い男「…湿度が100%を越えてる…」


白の男「何だと?」


青い男「…そんなの起こりうるんですか…?」


苦しそうにそう問う。


黒い男「動くな お前は今熱中症にある」


青い男「は…?! 汗かいてますよ…?」


息も絶え絶えに述べる。


黒い男「汗をかいても湿度が高過ぎて蒸発しないから、気化熱が発生せずに熱が逃せないんだ」


青い男「…な?! 22℃ですよ…?!」



黒い男「…それでも発生する事例はある」


白の男「ならどうする? このままじゃこの数日と同じになる」


警戒しながらも述べる。


黒い男「…対策はとってますよ」


そう言いながら起き上がると、魔方陣が書かれた一枚の紙を放った。


そのあと、左手に付けた指輪を弄る。


黒い男「"クロセル"…コイツの…」


青い男「…え? ! …ぅわっ!?」


青い男が驚きと共に、起き上がる。


青い男「急に汗が冷たく…!」


黒い男「これで熱中症は解決されたろ」


青い男「なんで…?」


黒い男「でソロモン72柱の水を操るクロセルを喚んで、お前の汗の温度を下げさせてる コレで蒸発しなくとも体温は下げられる」


そう言いつつ左手の指輪を見せる。


青い男「そうか…!」


白の男「だが、これだけじゃダメだ どう斃す?」


黒い男「それにはこの…」


そう言ってサイドバッグに手を入れた時だった。


中之『ぼく思うんですけど、その妖怪ってたぶん過冷却してるんじゃないですか?』


突如、中之の声がインカムから流れる。


青い男「か…? かれいきゃく?」


聞いた事のない単語に戸惑う。


白の男「…こーゆーときの中之の言葉は参考になる

どういうことだ? 続けろ中之」


冷静に問う。


中之『たぶんなんですけど、雲とおんなじじょうたいなんですよ! だから、自分で温度の上げ下げをして形をかえてるんです!

それでも自分が凍ったり蒸発したりしてないのは不純物が入っていないじょうたいだからですよ! 不純物を混ぜて下さい! たとえばタバコの煙とか!』


黒い男「…そうですね」


そんな事を知っていたのに驚く。


というより、不純物を混ぜる所までは考えていたが、そんなタバコの煙なんて案が出るとは思わず、感心する。


黒い男「じゃ…タバコ吸って下さい」


そう言って白の男を見遣る。


白の男「解った」


そう言って、衣冠単の袖から"わかば"を取り出す。


黒い男「その間にお前が動きを止めさせろ!」


青い男「了解!」


白の男「…ダメだ! ライターが湿気って火が付かねぇ!」


青い男「なら…コレ使って下さい!」


そう言って熱式ライターを投げる。


白の男「オッケーだ!」


受け取って火を付ける。


青い男「おい!煙々羅! 『集まれ』ッ…!」


そう、意味を込めて、力強く投げ掛ける。


煙々羅『おぉぉぉのぉぉぉぉれぇぇぇぇええ…!!』


苦しみながらも元の煙状に集まり、怨み言を述べる。


黒い男「"クロセル"…やれ…!」


そう言って煙々羅の温度を下げ始める。


煙々羅『!ほほほほほ…! 無駄よ…! わらわを凍らせようなどと…!」


余裕を持った態度…えらく自信があるのだろうか危惧がない。


それがミスなのだが。


そう思いつつ、


黒い男「もっと下げろ…!」


どんどん水温を下げる。


もうマイナスを切った。


白の男「オイ」


そう言った方向から、箭疾歩せんしっぽで煙々羅を貫いた。


…だが、


煙々羅『ほほほほほ…! 愚かな! 妾に触れようなどと…!』


触れる事も出来ず貫く。


咥えたタバコの軌跡が風も無い空に勢いを無くして消えていく。


白の男「そーでもないな」


煙草を燻らせながら振り向いて言う。


煙々羅『何を…! ?!これは!?』


白の男「オイ、異物混ぜたぞ」


そう言いながら煙々羅に近付く。


煙々羅『こっ…こんな…妾が凍る…など…っ!!』


視ると煙々羅は全身凍り付いていた。動こうとした所からゆっくりと全身に広がって。


黒い男「大体マイナス20℃は越えてます やっちゃって下さい」


白の男「オッケーだ…」


そう言いながら携帯灰皿でタバコを消し、その氷の彫像の目前で構える。


白の男「…ふッ!」


連環腿れんかんたいで上空に蹴り上げ、そして、落下と同時に構え始める。


白の男「噴ッ!」


激しい震脚しんきゃくからの外門頂肘がいもんちょうちゅう裡門頂肘りもんちょうちゅうと、肘の連続攻撃で吹き飛ばす。


白の男「ふっ!」


踏みこむと同時に、急激に腰を落とす。


闖歩ちんほで吹き飛ばした煙々羅に追い付き、左手の掌打を喰らわす。


そのまま吹き飛んでいる煙々羅の後方に跳躍し、再び構える。


白の男「―…ッ! ふっ!」


深い深呼吸と共に氣を込め、目前に来た凍り付く煙々羅に寸勁すんけいを喰らわす。


喰らわした瞬間、氣が煙々羅の全体に回り、粉々に粉砕された。


された瞬間、周りの邪気が無くなり、風も吹き始め、多かった湿気も多少緩和された様だった。


黒い男「やりましたねー」


そう、近付きながら言う。


白の男「当然だ」


堂々とした立ち居振る舞いで言う。


黒い男「…大丈夫か?」


青い男に目を遣る。


青い男「なんとか…Tシャツ変えないと汗まみれですよ」


確かにTシャツがズブ濡れ状態だった。


黒い男「それは皆そうだよ」


白の男「…気を付けろよ お荷物になってたからな」


そう釘を刺す。


青い男「スイマセン、気を付けます」


黒い男「まーまー」


白の男「しかし中之はよくやったな」


黒い男「そうですね…あそこまで言うのは予想外ですよ」


出入り口の車に向かいつつ二人でそう話す。


黒い男「…で、今回の件、上に報告します?」


この件は、白の男先輩を上に登録申請するには十分だった。


白の男「…まだ良いわ」


黒い男「え?! まだ…?!」


その返答に驚いた。


願ってもないチャンスなのに。


白の男「…この程度だったら利用される まだ早い

でないと軽く視られるしな」


黒い男「そう…ですか」


白の男「もっと実績を積まねーとな」


残念ではある。


だが、仕方が無い。


…スルーか…


焦燥感と共に帰路につく。


…しかしその後だった…


…その事件が起きたのは…




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