第九話

十六



―4月21日(土)深夜―


―上野 鶯谷駅北外れ 寂れたホテル―



このクソデカイ猿には聞きたい事があった。


なので、"閻魔"は使わず、素手でノしてやらなければならない。


薄ら寒い笑顔で此方を凝視する。


その笑い顔は、口が耳まで裂ける程だった。


黒い男「は!」


その態度が陳腐な威嚇に感じ、苦笑いとして息が漏れる。


―安っぽい威嚇だ―


それが自分の感想だった。


そうこう思っていると、大猿はその長大な右腕で掴み掛かってきた。


黒い男「ふっ!」


それを顔面間近ギリギリで避け、左手で捌きつつ二の腕の部分を右脇腹で抱える様にロックする。


…掴んだ瞬間感じる違和感…


獣臭けものくさッ…!


?…それと…酒?


そのしゅうに萎える…


黒い男「よっ!」


しかしその臭を無視しつつ、その状態のまま大猿の頭部に向かって跳躍し、背中に回る形で首狩り投げの様式で壁に叩き付ける。


当然、腕を捕まれている大猿は身体の構造上、腕を折られるのを避けてそのまま流れに任せて上下逆に壁に叩き付けられる。


グェ という声が大猿の口から空気と共に漏れる。


頭からズルズルと落ちる所を、


黒い男「せッ!」


回転して鳩尾みぞおちに左横蹴り。


壁に打ち付けられる勢いの強力な蹴りで、その様は、正に大猿が状態だった。


ゴェ という、胃液が逆流する様な音を更に漏らす。


黒い男「―…ふッ」


そのまま息継ぎをし、左右の拳で腹に連撃を繰り返す。


黒い男「ホラホラホラホラホラホラ!」


数十発、…だが大分手加減した。


そして、激痛で白目を剥きかけているその大猿の顎に、


黒い男「…ふッ!」


左手を振り下ろし、拳底部―鉄槌てっつい―を喰らわす。


その衝撃で完全に気を失ったのか、だらしなく口を開け、白目を剥いている…が、


黒い男「オラ…よッ!」


容赦せず次いで右手のかぎ突きを喰らわし、床に叩き付ける。


床が揺れる程の衝撃で、頭が突き刺さった様に上下逆に手足が延び、一間置いて、両手両足がへたり込む。


痛みと衝撃で完全に気絶している様だったが、更なる


押し付ける拳の力は緩めない。


…というか、元々超手加減している。


床や壁を壊さない様に、気絶させる要領で衝撃と痛みを与え続けたからだ。


戦意を喪失させる為に。


黒い男「おーいー! おいおいおーいィー! クソ猿ちゃんよぉー」


拳で大猿の顔面を押さえ付けながら軽口で、煽る様な口調で言う。


それを、青い男は黙って視ている事しか出来なかった。


黒い男「聞こえてんだろぉー? 出来てるし…なんで黙ってんの? 酔ってるから? それともぉー…恥ずかしがり?」


だが、力は一切弱めない。


黒い男「…お前は早く行け…!」


それを視ているだけの青い男に向けて厳しい口調で言う。


其処には、軽い部分など無かった。


青い男「そ…! でも…!」


戸惑いながらも答える。


黒い男「…行け」


それが本気の指示と解り、従う。


青い男が部屋から出ると同時に、再び大猿に問う。


黒い男「オイ、聞いてんだろうが…! 答えろ…!」


狒々「ァ…ァア…! オ…女…ァア…!」


それは呂律の回らない口調だった。


黒い男「あ…?!」


狒々「イ…痛ぇ…! アハハハ…♪ モッ…ト…ォォ…!」


会話に成らない…プレイとでも思っているのか、支離滅裂な返答だった。


黒い男「…ッ! ちッ…」


その態度に多少苛つく。


狒々「ァァアアァ…ハハハハ…ハ…♪ モットぉ…ーオ…御褒美オクレぇー…ぇエ…!」


コイツ、ダメだ。


その思考から、左のすくい上げる様なアッパーで顔面に喰らわし、打ち上げる。


大猿から、グェ という声が漏れる。


黒い男「オラ!…よッ…!」


自分の高さと同じ位置に上がったら、その動作から繋げて右掌打を腹に喰らわす。


その右手には咒符じゅふが在った。


凄まじい衝撃で再び壁に叩き付けられた大猿は口から胃液を垂れ流す。


黒い男「!ッ…ちッ!」


その吐瀉としゃに嫌悪しつつ、


黒い男「…話しにならねー…! お前に憑いた"猿神さるがみ"は祓ってやる…!」


大猿は舌を出しつつも何処か恍惚とした表情で、最早聞いてなどいなかった。


黒い男「念彼観音力ねんぴかんのんりき 衆怨悉退散しゅおんしつたいさん…!」


右手の押し付けた咒符を触媒に、法華経ほっけきょうを唱える。


黒い男「念彼観音力彼の観音の力を念ぜば 衆怨悉退散衆の怨は悉く退散せん…!」


右手の押し付けられた咒符がうっすらと輝き始める。


黒い男「念彼観音力 衆怨悉退散…!」


狒々「ウゲッ…! ゴ…? ガガッ…!?」


黒い男「念彼観音力 衆怨悉退散―」


大猿が痙攣けいれんと共に苦しむ。


黒い男「りん!」


狒々「ゲェェェェェェェ…!!」


咒符を押し付けた手を離すと同時に、大猿が藻掻き苦しみながら床にずり落ちる。


床に落ちた時には、全裸の色黒な優男だった。


黒い男「…? コイツ…」


それは見た顔だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る