【月のない夜に】2

炎が水に飲まれ、水は炎に消えた。

煙に隠され背後から向けられる銃口を、アンバーは蹴りで弾き飛ばす。

それをカバーするように炎が二人の間を遮り、更に蛇のように鎌首を持ち上げ彼女に襲い掛かるが、それを彼女はひらりとかわしてしまった。

そうして少しの攻防をした彼女はふわりと祭壇近くの逆さ十字の上に降り立ち、一つあくびをする。


「案外つまらないな……やはり私は見物をしているほうが性に合うらしい。

……ルシア、行きなさい」


十字架から地面に向かって伸びる影から黒い塊が飛び出す。

着地、後に咆哮。

現れたそれは巨大な黒狼だった。

それはゆらりと姿を揺らがせる。

やがてそこに現れたのは黒く豊かな髪、狼の耳と尻尾を持つ獣人によく似た魔族の少女だった。

イグニスが剣の切先をそれに向ける。


「選べ────道をあけるか、くたばるか」


少女はすぅ、と目を細めた後剣を抜いた。


「ここを通すほど私の忠誠は軽くない!」


少女はまっすぐに青年を睨んだ。

彼の顔には何の表情も浮かばず、ただ武器を構える。


「そうか、ならくたばれ」


飛び散る火花。

少女は剣で彼の大剣を逸らす。

ふっとイグニスの姿がマーレリットの煙の中に紛れ消えると、少女は目を見開いた。

横から飛ぶ雷を地面から突き出した岩が遮り、突風がイグニスを隠していた煙を剥ぎ取る。

そのときにはイグニスが剣を振りかぶっていた。

受け止めるのが難しいと判断した少女は影に潜ってそれをかわす。

そしてイグニスの背後に現れようとしたが……それをやめた。

アンバーの元に戻る。

イグニスは背後から気配を感じた。

しかしそれは良く知る相手であり、今は味方である存在。

振り向くことはしない。


「レイゴルト・E・マキシアルティ、レンディエール・エクリプス……そして、ふふ。

会いたかったよ、エウノイア・ハルバート」

「私は二度と会いたくなかったね。

あの時しとめておけばよかった」

「つれないな」


アンバーは笑う。

漸く会いたい人に会えたと言いたげなその顔に、ルシアはぐ、と眉を寄せた。

ずるり、と何かがうごめく音に正面を向く。

黒い何かが蠢いていた。

それは人の形に盛り上がり、中から見覚えのある姿を吐き出す。


「くそっ、何が起こってんだ」


舌打ちをしながらヴィノスは先ほどの何かがまだ付着している感覚に思わず服を払う。

そこにいたのは一階を探索していた面々だった。

アンバーははて、と首をかしげている。


「ロザリエ・リーベス御一行も到着か。

……しかし、それは何を?」

「……お前がやったのではないのか?」


ロザリエが眉を寄せながらそう呟くも、アンバーは何のことだか、と言うようにそれを見下ろす。


「それにしても、こうも人が集まるということは……もうそろそろ最後の一組も来るのかな?」


彼女の言葉が落ちると同時に三人分の足音が部屋に訪れる。

アンバーはくすくすと笑いながら恭しく礼をした。


「これはこれは。

きみたちが一番最後だよ、レイヴン・F・トバルカイン御一行。

……さて、きみたちの求めるものは何か私は知っているわけだが……これこの通り彼女らは無事だ。

雷の竜の心臓もここにある。」


美しい一本の剣を彼女は掴み、軽く振る。

エウノイアが咄嗟に動こうとするのを横目に、アンバーはひらりと十字架から降り祭壇の中央部へとその剣を置いた。

祭壇の前に歩きながら彼女は笑い、とんと地面を蹴って宙へ浮かぶ。


「さあ、私を倒してみろ。

お前達の望むものはここにあるんだろう?

____“炎よ”」


アンバーは翼を広げ、腕を振り上げた。

彼女を中心に夥しい量の炎の槍が生成される。

誰かが動くのと同時に腕は下ろされ炎の槍が一斉に彼らに降り注いだ。

ヴィノスの放った氷の矢がそれを相殺し、中央へ降り立つアンバーへロザリエが切りかかる。

それを阻むように黒狼が影から飛び出しその巨体でロザリエを弾き飛ばした。

くるりと宙で一度回転しロザリエが着地する。

それと同時にイグニスが動いた。


「くたばれ」

「生憎、今死ぬつもりはないよ」


大剣がアンバーに迫るも地面から突き出した岩に遮られた。

背後から迫る蔦に息を吹きかけるように炎を吹きかけ剣を振るい切り裂く。

空気を縫うように飛んでくる風の刃をかわし再度切りかかってくるロザリエの剣を目で確認し地面を蹴った。

彼女を飛び越え背後に回るも直後氷の槍が飛んでくる。

それを避けるためにアンバーはもう一度地面を蹴り上空へ移動して___


「____鴉の狩りを知るがいい」


レイヴンの刃が彼女の首を刈り取らんと動く。

白銀がそれを弾き飛ばし、その反動でアンバーは少しの距離を飛ばされるが翼をはためかせて体勢を立て直した。

直後自分めがけて放たれた矢と銃弾の両方を風を操って叩き落とし、飛び込むようにして切りかかってきたエウノイアの剣を受け止める。


「よくもあの子達に手を出したな、強欲が過ぎる」

「ふふ、怒っているのか?

怒っている顔も可愛らしいね、あの小さな騎士……トルエノの最後の顔に良く似ている。

……アレを折れば、お前ももっといい顔をするのかな?」

「……!」


ぶり返した怒りで少し判断が鈍っているらしい彼女の剣を弾き、指で何かを引き寄せるような動作をすればエウノイアの背を雷が貫く。

予期していなかったのか一瞬硬直する彼女に蹴りを入れた。

そしてエウノイアに追撃を加えようと翼をはためかせる。

そこで何かに気がつき咄嗟に身をよじったアンバーの翼を、音も無く忍び寄った鴉の銃弾が撃ち抜いた。

墜落の後どうにか体勢を立て直し地面に降り立つ。

そのタイミングで振るわれた大剣をどうにか剣で受け止めるも、その体は踏みとどまることができず壁に強く叩きつけられた。


狼を絡め取ろうと地面から伸びた蔓を噛み千切りながら黒狼はロザリエに襲いかかろうと動く。

それを囲むように線が走り、その線から氷の壁が作られ、気づけば黒狼は氷の中。

動きが止まる。

しかしそれはぴしりと嫌な音を立て、皹が広がっていく。

やがてそれは破られ、黒狼はわずらわしそうに体に乗ったままの氷片を振り落としながらその場を飛びのき自分の足を掴もうとした死霊たちを睨む。

しかしそれらを操っていたルフは先ほどニャクティローに体を渡していたためスタミナ切れが近かったのだろう、吐き気に襲われ耐え切れずくずおれた。

これ以上の戦闘は難しいだろう。

それを見れば黒狼は彼女をターゲットから外し、直後アンバーが壁に叩きつけられるのを見た。

焦りと共に彼女へ走り寄ろうとするがそれ故に隙を見せてしまう。

地面から飛び出した岩によって空中へ投げ出され、そこを伸びてきた蔓に巻き取られて身動きが取れなくなった。


「……ふふ、ふふふ、流石に少し人数が悪かったか」


アンバーが上半身を起こす。

頭が切れたのだろうか、だらりと血が流れるのを乱暴に拭い取るとふらふらしながら立ち上がった。

発砲音。

脚を撃ち抜かれアンバーはその場に座り込む。

ふ、とアンバーはまた笑った。


「なるほど?

余程私に怒りを感じているらしいな」


ちらりとシルフィたちの方を見やる。

いつの間にかそこに移動していたシャーリアとエディンガーが二人の拘束を解いているのが見えた。


「……やれやれ、私のお手上げだ。

参ったよ。」


アンバーが両手を挙げる。

無論それで終わるとは彼女も思っていない。

これから彼女は恐らく殺されるだろう。

しかし、アンバーをレイゴルトとエウノイアが守るように立つ。

それにはイグニスたちだけではなくアンバーすらも驚いたような顔をしていた。


「……どういうつもりだ?」

「腹が煮えたぎる思いは俺も同じだが、俺は捕縛の命を受けている。

双方手をひけ、勝負は既に決している。」

「それに俺もシルフィも無事だ」

「……コメット」


エディンガーと共にコメットが歩いてこちらに向かって来ている。

イグニスは剣を下ろした。

元々彼の目的は彼女だ、彼女が無事なら……

ざわり。

その場にいた全員に訪れた、総毛立つような感覚。

咄嗟にイグニスはコメットの手を掴み引き寄せる。

黒い波がコメットのいた場所を飲み込み、蠢いて、そして消えた。

アンバーを睨むが、当の彼女も予期をしていなかったのか目を見開いて黒い何かを見つめている。

やがてそれは忌々しそうに歪んでいった。

先ほどまでの余裕がない。


「……どういうつもりだ、マザー」


先ほどと違い凍りつくような声音でアンバーが声を出した。

どろり、どろりと。

影に似た黒い何かがどこからともなく零れ、祭壇の周囲に集まっていく。

シャーリアが咄嗟に手を伸ばし剣を取り上げようとするが、影のようなそれは邪魔するなと言うように纏わり付いてその場に拘束した。

シルフィが悲鳴を上げる。

その黒い何かはシルフィのことも飲み込もうとしていた。

獲物がコメットよりも近くにいるためか、或いは別の何かの妨害を受けているのか、やけに飲み込むのが遅い。

しかしいずれは完全に飲み込まれてしまうだろう。


「やめろ、黒山羊!それは貴様の物ではない!」


アンバーが立ち上がろうとし、呻いて倒れる。

その黒い何かはアンバーの足元からも湧き出そうとしていた。

レイゴルトがそれを察知したのか、アンバーをその場から動かすと同時にそれは槍のような形になって突き出す。

あのまま動かさなかったなら、彼女は串刺しにされて死んでいただろう。


レイヴンが駆け出したことで漸く硬直が解けたのだろう、何人かが祭壇に近寄ろうとするが黒い何かの波がそれを阻む。

凍らせても燃やしても切ってもそれは正しく水のように次から次へと湧き出し、粘度のある液体のように彼らの足を止めさせようと蠢いていた。

剣がどろどろと闇の中に飲まれ、輝きが鈍っていく。


「____トルエノ!!」

_________________


ぴこん、と耳を揺らして幼い子は顔を上げた。


「どうしたの?」


彼女の母親は不思議そうに首をかしげ彼女を見る。

彼女はゆっくり母親に目を向けた。

美しい白い翼がまぶしくて目を細める。


「……なにか、きこえたの」

「?お母様には何も聞こえなかったよ。

……さあ、行きましょう」


母親が笑顔のまま手を差し出し、少女は笑顔を浮かべてそれに手を重ねようとした。

小さな手。

ずきり、と頭が痛む。

手が触れ合うことはなく、少女の手は彼女自身の頭に当てられた。


「……どうしたの?頭が痛むの?」

「……。……おかあさま。」

「なあに?」


少女は……トルエノは、母親を見上げた。

優しく見下ろすその顔はどこからどう見ても彼女の記憶の中にある母の顔で、その羽以外に相違点はない。


「……私は、大事な人ができました」

「……そうなの」

「だから、私、ここにはいられないしお母様と一緒に行けません」

「……ここにいれば、シシリーちゃんもいるよ。

一緒に行けば、嫌なこと何もないよ。」


少女は首を横に振った。

トルエノの母の姿をした彼女は、困ったように笑う。

一度こうと決めたら中々それを崩さない子だったなあと、どこかで誰かが思った。


「私、もう行きますね。」


トルエノは彼女に微笑みかけ、くるりと背を向ける。

向かう先は先ほど止められた扉の先。

ドアノブに手をかけ、押し開く。

光が漏れ出した。


「トルエノ」


トルエノは一度振り返った。

光に紛れていてその顔をきちんと見ることはできないが、彼女は微笑んでいた。


「行ってらっしゃい」


光が視界を覆う。

トルエノの体が光の中へ落ちた。

____________________


閃光が轟音と共に影を貫く。

白い手が剣の柄を握り、振りぬいた。

光が散る。

さらりと髪が揺れ、顔にかかったそれを彼女は払いのけた。


「全く……べたべたと鬱陶しい。」


祭壇の後ろで蠢く影に剣を深々と突き刺す。

響く断末魔。

影が地面にどしゃりと落ち、消えていく。

それと同時にシルフィを飲もうとした影も、それぞれを押し留めていた影も消えた。


「さて、随分面倒をかけてしまったようですね。」


彼女はそういってから祭壇から飛び降りる。

それに従い長いスカートが風を孕んでふわりとゆれた。

正面にいるのはシルフィとコメット、そして自分のために来てくれた面々。

アンバーは既に無力化されていて、彼女の無力化に伴いルシアもまた動きを止めている。

彼女はレイヴンを見つけると彼の元まで歩み寄った。


「……レイヴン様、ご心配をおかけしました。」


彼女は一度深く頭を下げた。

そして顔を上げ、剣をゆっくり心臓へ戻しながらトルエノは周囲を見て不思議そうに首をかしげる。

皆一様にじっとトルエノを見つめていた。


「……なんです?」

「……お……おおきくなりました……ね」


シルフィが戸惑いながら放った言葉。

それを聞いた瞬間ばっと自分の体を見下ろす。

今の彼女は剣を奪われる前のあの中途半端な姿ではなく、完全な成体になっていた。


「ほ、本当だ……本当だ!!」


ぱーっと表情を明るくしてトルエノは思わずレイヴンに抱きついた。

それから離れると嬉しそうにトルエノはにこにこと笑いながらシルフィに駆け寄り彼女を抱っこしてぐるぐるし始める。

突然のことにシルフィは驚いていたし、それを見ていた一同は一気に脱力をした。

先ほどまでの不穏な空気はどこへやら、平和な空気が流れている。

場所は先ほどと変わらず、むしろ半壊しているため似つかわしくないが。

誰かが深いため息を吐いたのと同時に、レイヴンがいつの間にかそこにいる白い猫を見つめた。

しかしそれを気に留める人はいない。


「ど……どこも痛いとこはないのか?」


コメットが駆け寄ってトルエノとシルフィの状態を確認する。

二人とも何も異常はなく、ただシルフィが眠気を訴えていた。

_______________


白星の前にアンバーが跪くような状態で座り込んでいる。

彼女をここに連れてきたエウノイアとレイゴルトは退室させられていた。

白星はゆっくりと彼女の額に手を触れる。


「……やっぱり、お前達の言うマザーは……」

「そうだね、お前の思うとおりだろうさ。」


アンバーはにっこりと微笑んだ。

白星はただただ悲しそうな顔をした。

しかしそれは一瞬のことで、白星はまたいつもの無表情に戻る。

するりと髪を撫でて手が離れた。


「……お前たちに枷をはめる。

お前はこれから私の配下だ。

そしてこの地から私の許可無く出ることは許されない」

「それはそれは。

……お前の気まぐれで命があることを感謝しよう」


彼女はにんまりとその口角を持ち上げている。

ぴく、と僅かに白星が反応を示すが、彼は何も言わず彼女の耳にあるピアスに触れた。

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