【月のない夜に】

一部文章はあっとワット様のご協力を得ています。

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どこかの一室に二人は寝かされていた。

その近くで女性は本を読んでいる。

コメットはゆっくりと意識を浮上させた。

目をこすりあくびを一つして、寝惚けた意識が徐々にはっきりとしてくると何があったかを思い出す。

ばっと飛び起き傍らに眠っているシルフィを護るように抱え、そして女の背中をにらみつけた。


「っ、テメェ、ここはどこだ……シルフィに何をした!」


隠し持っていたものがバレなかったのか、或いはアンバーが気づいていて無視していたのか。

いずれにせよ彼女はズボンの裾を無造作に捲ると仕込んでいたナイフを構える。

最早敵意を持たずに話し合うことなどできやしない。

普段は平常を保ちながらの話し合いを試みる彼女だが、その彼女の優しさすら目の前の女性を庇い立てることは難しかった。


「浮き足立つなと言っただろうに。」


対する女性の声は至って穏やか。

波の凪いだ海のような声のまま、彼女はぱたんと本を閉じる。

殺気立っているコメットを認識しているだろうに、彼女は体を動かさず、ただ目だけで彼女を見た。


「ここは私の屋敷で、彼女はただ寝ているだけだよ、ホウプス。」


そう言ってしまってから、アンバーは一つ息を吐く。

コメットの敵意はまだアンバーに向けられていた。


「……お前は治癒術師だろ?調べてみればどうだ」


即座にコメットはシルフィの容態を確かめる。

無論警戒を解くことはせず、体勢もナイフの切っ先もそのままだ。

片手でシルフィの様子を見れば、なるほど確かに眠っているだけ。

内心安堵の息をついたはいいが、しかし目の前の彼女にそんな態度を見せることは出来ない。


「……なぜ、連れてきた」


ナイフの切っ先はぴたりと静止したように動かない。

アンバーは小首を傾げた。


「囚われのお姫様のようなものになっておけばいい。

群の彼らが来るまで大人しくしておけ、悪いようにはしないよ」


微妙にずれた返答をする。

本来の目的は彼女らや群の面々の絶望を拝むことだが、それを言う必要はないと彼女は判断した。

未だ寝ているシルフィは、柔らかいお布団が余程気持ちよかったのだろう、ふにゃふにゃとした笑顔を浮かべている。

無論群のベッドが固いわけでは決してないが、それにしてもこんなに上質なものに寝かされることなど滅多にない。


「……は?なんだそれ……

シルフィがお姫様ってんならわかるが、俺は柄じゃないな」


アンバーの返答に眉を潜め、苦笑を口元に浮かべる。

それからそっとシルフィを見下ろした。

やっぱりぐっすりと眠っている様子にコメットは肩を落とす。


「…………なんだかよくわからんが、シルフィはこんな状況でもよく寝てるし……まあ、本当に何もしないなら、いいけど。」


そっとシルフィをまた寝台に戻す。

ふわふわのマットレスに彼女はご満悦と言った様子でにこにこ笑った。

いい夢でも見ているのだろう。

その髪の毛を軽く撫で付けてやりながら、彼女は少しだけ警戒を解いた。


「今はその通りにするのが一番かもしれないねぇ。

……だが、もしシルフィに何かしてみろ。その時はただじゃおかんからな」


サバイバルナイフをしまいながらも誘拐犯を睨みつけ、彼女は釘を刺す。

様子を伺うようなその視線を受けながら、アンバーはゆっくりと瞬くと小首を傾げた。

その口元は笑みを浮かべるように口角を上げている。


「ふふ、わかっているとも。」

「ん、ん……」

「……おっと。」


話し声に漸く気がついたのか、シルフィがうめき声を上げる。

アンバーは肩をすくめて口を閉じた。


「……起きたか、シルフィ」


漸く起きたシルフィに安堵しつつ、眉をひそめながら声をかける。

シルフィは数秒ぼんやりとしてから首を傾げた。

彼女は一番最初に気を失っていたため、コメットやトルエノがされたことを知らない。

それ故に不思議そうな様子こそ見せているが、特に怯えの色は浮かんでいなかった。


「おはようお姫様。

誘拐されました。」


コメットが茶化すような声音でにっこり笑いながらそう伝える。

簡潔にさりげなく今の状態を伝えられ、しかし内容と状況のためにまさかと笑い飛ばすことも出来ずシルフィは心底驚いてアンバーを見た。

アンバーはただにっこりと微笑んでいる。


「まあともかく、お互い怪我も何もないことが幸いだ。

何をする気かは知らんが、今のところは大丈夫そうだよ」

コメットはシルフィの肩を叩き、無意味なことだと本人もわかっているだろうが声を何となく潜めて状況を伝えた。


「そう……なん、ですか」


シルフィは怯えるべきなのかなんなのか、どういう顔をすればいいのやら、という顔でアンバーを見た。

アンバーは小首をかしげ、また笑みを浮かべてみせる。


「お菓子でも食べるかい?」

「えっ……あっ……」


シルフィは固まる。

アンバーは一つお菓子を一つ摘み上げた。


「毒は入っていないよ。」


シルフィは困ったようにコメットを見上げる。

流石に誘拐犯からお菓子をもらってもいいものなのだろうかと言いたげだった。

コメットはその手でシルフィを撫でるとにこりと微笑む。


「……先にもらってもいいかな?」


彼女は相当な甘党だ。

だが、普段は他が最初にと譲っている。

その彼女が先に、珍しく、譲ることもせず先にもらおうとしているのだから、どういうことか彼女を知る者たちは察しがつくだろう。

しかしシルフィ自身はきょとんとするだけだった。

ただただこくりと頷く。

アンバーも異論はないらしくすんなりとクッキーの乗った皿を差し出した。


「うい。」


彼女はその指先で軽くつまみ、至って自然な動作、速度でそれを口にする。

手で触れても、舌で触れても、どの面から食べても痺れはなく、味も匂いもおかしなところはない。

コメットは注意深く、けれど変に思われないようただ目移りしているような動作で他のお菓子を注視した。

けれどそこにあるのはやはり至って普通のお菓子だ。


「……うん、美味しいじゃないか。

どこで買ったんだい?

それとも作った?そうだとしたら上手じゃないか」


微笑を浮かべるコメットのその顔は、恐らく第三者からすれば至って普通の笑顔だろう。

ただ、見られている方もそう取れるかと言うとまた別の話だが。


「これでもお菓子作りは得意でね。

よく……妹達に作っていたんだ。」


しかしそれで怯むようならこんな行動は起こしていない。

アンバーはその双眸に愉快そうな色を乗せるだけだった。

警戒している彼女が面白くて仕方ないらしい。


「さて、保護者の毒見……もとい、味見が済んだところで、いかがかな?」


シルフィに差し出される。

戸惑いつつもシルフィはそれを受け取り、口に含んだ。

コメットの見たとおり異常はない。


「毒見?まさか。

せっかく友好的にしてくれたのに、それを無碍にするわけないだろ。」

「はは、ただの比喩だよ。」

「……折角だし、この状況を楽しむしかないみたいだな、シルフィ」


すっかり警戒心がなくなったように振舞っていた。

その腹の内は彼女のみが知る。

しかしシルフィは彼女の内面を見ることはできず、ただその様子にほっとしながら頷いた。

アンバーは楽しそうにそれを見ている。

ふと頭上に慣れた重みを感じてシルフィは顔を上げた。


「あっ、どこいってたの?」


そこにはいつもの召喚獣がいて、いつの間にか口にクッキーを咥えていた。

アンバーは目を眇めてそれを眺める。


「召喚獣だね。誰の?」

「あっ、私のです」

「ふーん……」


アンバーはじぃっと召喚獣を見つめている。

しかしそれはいつものマイペースさを崩さずにクッキーを齧り、その僅かなかすをシルフィの頭にこぼした。

_______________


靴の音。

何人もの足音が、屋敷の前にあった。

彼ら彼女らは、それぞれコメットやシルフィ、トルエノと何らかの関わりがある人々だった。

一部はどうやら、その何人かが行くからと来ていたようだが……。

回りまわって現在ここに集まったのは10人と少し。

片手で足りる人数を倒し、三人を助け出すには十分すぎる人数に思われた。

両開きの扉は彼らを招くように開かれる。

それを拒む理由は彼らにない。

広がる暗闇に足を踏み入れ、そして。

ぱたん。

背後で扉が閉まる。

まるで逃がさないといわれているようだった。

それに怯めていたなら、そもそもここにいないだろう。

僅かな気体の噴出す音と共に灯が灯る。


そこはどこかの一室だった。

驚いた幾人かは回りを見回すかもしれない。

そして、気づくだろう。

あれほどいた人数が、いくらかに減らされてしまっているという事実に。

……どこからともなく声が聞こえた。

《御機嫌よう、諸君。

まさかこんな大所帯でくるとは予想していなくてね。

そんな人数だと動きにくいだろう?

だから折角だし分けさせてもらったよ。

……私はこの屋敷のどこかにいる。

好きなところを探してくれたまえ。

勿論、ここに彼女らもいるよ。……ねえ?ふふふ。

ああ、そうそう。

ここには私ときみたち以外にも住人がいてね。

くれぐれも、食われないよう気をつけてくれ。》

ぷつん、と。

途切れるように声が消え、静寂が訪れた。

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「どういう人選なんだ、これ……」


ヴィノスは眉を寄せたままこの場にいる全員を見た。

アドラとラドネの双子、ロザリエ、ルフ、シャーリア……そして、自分。

数として数えるならば6人。

屋敷の前にいた総数は15人で___


「早速行こう!早く見つけてあげなくては!」


ヴィノスは額を打った。

ロザリエは早速扉を突き破らんばかりで開こうとしている。

呆気に取られているのか脳の処理が様々なことに追いついていないのか或いは確かにその通りだと思っているのか。

いずれにせよその場にいる誰もがそれを制止しない。

扉は呆気ないほど容易く開かれる。

廊下を挟んで向こう側、窓がある位置。


「……あれ、今って確か昼……ですよね」


ルフの呟きが聞こえた。

窓の外が黒い。

比喩でなく、黒い。

例え今が夜でもありえない黒さだ。


「ここは一体……」


部屋からぞろぞろと全員が出てくるが、最初とは違って勝手に閉まることはなく、最後に出たアドラがぱたんと閉じる。

右を見ても左を見ても廊下が続き、部屋の扉と窓が続いていた。

言い知れない不気味さが漂っている。

アドラはラドネの手をぎゅっと握った。

怯えているのか、或いは片割れとはぐれないようにするためか。

大丈夫、と声をかけようとしてアドラの表情を伺おうとする。


「……どっちから行くべきなんだ?」


突っ走ろうとしたロザリエがぽつりとそう呟き、ラドネはロザリエの方を見た。


「とりあえず虱潰しに見ていくか!」

「待ってください、何か変な音が聞こえます」


左隣のドアに手をかけたロザリエをシャーリアが止める。

ドア一枚を隔てた向こう側の音を彼女の鋭い聴覚が拾っていた。

うぞる、うぞる。

湿った重い何かを引きずるような音。

それの正体はわからないが、少なくとも自分たちが探している人物たちではないだろう。

とめられたロザリエは理由を聞こうとした。

シャーリアは口を開こうとし、そしてロザリエの腕を掴むと引き寄せる。


「わっ!?なん、」


なんだ、と言おうとしたロザリエの声が途切れる。

凄まじい音と共に扉を貫き、触手のようなものが突き出していた。

何かを探るようにそれは少しの間うごめくも、やがてドアノブの方へと寄りがちゃりとドアを開く。

開かれた部屋から、音を出していた何かが這いずって出てくる。

誰かが息を呑む音が聞こえた。

それは吼えた。

山羊の声に似ている。

だが、見た目は全く山羊のそれではなかった。

_________________


さて、どうしたものかとレイゴルトは眉を寄せる。

この部屋にいるのは彼自身と彼の従者であるレンディエール、かつての好敵手であるイグニス、そしてピースとマーレリット、エウノイアといった状態だ。

イグニスは無言のまま扉を蹴破らんばかりの勢いで開く。

外の状態に触れることもなく廊下を進み始め、その後ろをピースとマーレリットが着いていった。

ピースは恐らく友人として思うところがあったのだろうが、マーレリットに関しては興味だろう。

現に辛うじて見えたその表情には僅かに愉快そうな色が浮かんでいた。

遅れてエウノイアが外に出るのに続いて出る。

招待状と言うしかないあの手紙が届いてからエウノイアは激昂していたが、今は少し落ち着いていた。

とはいえアンバーを前にしたときどうなるのかがわからない。

レイゴルトはイグニスより先にアンバーを見つけ、尚且つ臨戦態勢のそれぞれをとめなければいけない状態にあった。

アンバーの捕縛、生け捕り。

それが彼に白星から与えられた命令である。

それ故に彼はアンバーを生存させなければいけなかった。

胃の痛くなるような命令だが、それ自体はエウノイアにも与えられている。


「レイゴルト様、ご気分が優れませんか?

こんな陰鬱な屋敷、いっそ吹き飛ばせてしまえば楽だったのですが」


しかしレンディエールはそれを実行しない。

……人質がいるからだ。

屋敷を吹き飛ばすことなら確かに、レイゴルトもいることだしできなくはないだろう。

だが、それに囚われた三人を巻き込まないかと言うと話は別だった。

人質の無事を重点に置くならば、今回その荒業は使えない。

エウノイアが微かに唸り声を上げる。


「……哀れな」


あどけない歌声。

じゃり、じゃりり。

鎖を引きずる音。

現れたのは人型の何かだった。

山羊の頭蓋骨のようなもので顔が隠れている。

その下から長く豊かな黒い髪が出ていた。

腕は細く、それでいて柔らかな曲線を描いている辺り、少女なのかもしれない。

足首に巻きついた鎖が先ほどの音の原因だろう。

その背中には竜族のそれのような翼があった。

鯉口を切る音、衣擦れの音。

三人が一斉に臨戦態勢を取る。

それを把握したのだろう、何かは歌を歌い続けながら片腕に持った大剣を振り上げた。

_____________


一方その頃、残った三人……もといレイヴンとスィアツィ、エディンガーはというと……


「……」

「……」

「……」


沈黙が落ちていた。

この気味の悪い廊下を三人はただただ無言で歩いている。

レイヴンとスィアツィは様々な要因から殺し合いに発展しかねないほど険悪な仲だった。

しかしながら今この瞬間に殺し合いを始めるほど、今の二人はお互いに向けられる殺意が残っているわけでもなく。

何せ二人の持っている殺意は今現在別のものに向かっているのだ。

……とはいえ、軽口を叩くような間柄でも状況でも最早なく。

かといって残ったエディンガーが二人とそれなりに会話を交わせるほど面識があるかと言えば、そういうわけでもない。

それ故にこうして長い沈黙が落ちていた。

時折山羊の声の何かが現れるが、それを前を歩く二人が八つ当たりのように殺していく。

殺意と敵意が最高潮になっている二人の前ではこの哀れな何かも瞬時に殺害されてしまうのだ。

連れてきた配下のゾンビも、雑魚敵を一掃していく二人のおかげでやることがない。

時折スィアツィがレイヴンに嫌味を言っているようだが、しかしレイヴンはそれを大抵無視してまともに取り合わなかった。

そんな風に殺気立っている二人の後ろを歩きながら、エディンガーは静かに周囲を見回す。

やけに静かだ。

こんなに部屋があるのに、どこにも人はいないのだろうか。


「にゃあ。」


猫の鳴き声だ。

それを聞き取ったのはエディンガーのみでなく、前を歩いていた二人も同時に反応をして振り向く。

白い毛に赤い瞳の猫がちょこんとそこにいた。

猫は全員が自分を見たのを確認すると立ち上がって尻尾を立てながらゆっくり曲がり角まで行き、そしてこちらを振り向く。

それがこの状況で罠でないという可能性を捨てきれないスィアツィだったが、レイヴンが猫についていくように動いたのを見て目を見開いた。

その驚きはエディンガーも同じだったようで眉を寄せながら口を開く。


「罠の可能性が高いと思うが」

「……説明が面倒だ、戻れ」


レイヴンが猫に向かってそういうのを見ると、エディンガーとスィアツィは互いの顔を見合わせて疑問符を頭上に浮かべる。

猫がちっと舌打ちをした。

やがてその姿が揺らぐとそこには白い髪に赤い瞳の少女が現れる。


「私に命令だなんていい度胸じゃない」


彼女はシシリー。

トルエノのかつての契約者であり、亡霊だ。

スィアツィが口を開こうとするのを手で制し、彼女はその血のような色の目を細める。


「ぐだぐだ聞くのは後にして。

私がわざわざ姿を現した理由はただ一つ。

あんたらにあの馬鹿女を始末させるためよ」

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「びっっっくりしたあ……」


アドラとラドネがその場に座り込んで息を吐く。

あれから音に釣られてか周囲にいた山羊も集まってしまい、屋敷が崩れないのが不思議なほど暴れる羽目になってしまったのだ。

一体一体の知能はそこまで高くなかったようで、どうにかこうにか誰一人怪我をせずに沈めることが出来たが、その分疲労は強く体に残っている。


「全くよー、なんだぁこいつらは?

山羊か?木か?はっきりしてほしいもんだ」


ルフ……に取り憑いたニャクティローが死体を足蹴にしている。

囲まれた辺りから霊に指示を出していたルフが突然山羊を殴りだしたのを思い返し、戦闘が始まるとここまで変わるものなのかと誰かがそれを観察していた。


「この辺りの敵は一通り片付いたのだろうか」

「……少なくともこの近くからは特に音が聞こえません」

「そうか……」


シャーリアは眉を寄せる。

音が一切しないということは、恐らくシルフィたちはこの辺りにいないのだろう。

しかしこんな化け物が闊歩する屋敷にシルフィたちがいると考えると恐ろしかった。

アンバーと名乗るあの女が傍にいるとしても信用はおけない。

特にシルフィは自衛の手段を持っておらず、コメットだけが頼りの綱である。


「早く見つけてあげないとな」


ロザリエの言葉にシャーリアは頷く。

この屋敷の陰鬱な重苦しい空気は未だ辺りを押さえつけていた。

ヴィノスはアドラとラドネのところに行くと目線を合わせるようにかがみ込む。


「いいか、しっかりついてこいよ」

「はい!」

「……はい」


釘を刺された二人はこっくりと頷いた。

二人は探索やサポートにおいては優秀だが、戦闘となると心もとない。

二人だけでは危ういだろうということを本人達も理解している。


「行きましょう。恐らくこの周辺にシルフィたちはいないと思います」

「わかった。

じゃあ……向こうに行くか」


廊下の先の曲がり角。

先ほどこの山羊のようなものがでてきた場所だ、今は何もいないだろう。

ロザリエが先導して曲がり角を覗き込む。

そこにはこんな場所だというのにたった一人でぽつんと椅子に座る少女がいた。

真っ白な羽に、向日葵の色の髪。

彼女はロザリエたちに気がつくとぴょん、と椅子から降りてスカートをつまみ淑女の礼をする。


「……きみは?」

「私?私はマザーに捕まる前の私」

「マザー?」

「マザーは……」


ちらりと壁の向こうに視線を投げかける。

丁度ロザリエたちが倒した何かの死体がある位置だ。


「あの黒山羊のお母さん。」

「……マザーに捕まる前の私って、どういうことですか?」

「やだやだ、質問ばっかりね。」


少女はロザリエたちのいるほうとは反対方向に駆け出した。

その姿が曲がり角に消えかけ、彼女は足を止めてこちらを見る。


「私はね、マザーに殺された私。

今回の私も、きっとマザーに殺される。

だけど、今回は特別。

あなた達が探しているのは……私だろう?」


少女の姿がぶれた。

誰かが息を呑む。

少女の姿の代わりにそこにいたのは、あの時のアンバーその人だった。

誰かが行動を起こそうとする。

それより先にアンバーは片手を挙げた。

全員の影が伸び、泥濘と触手に変わる。

それらは突然のことに抵抗する彼女らを絡めとり、沈め、飲み込む。

そして。


「さて、きみたちを会わせることが果たして吉と出るか凶と出るか。

私は見守るとしよう……。」


……誰もいなくなった。

_______________


「元には戻せない、か。」


エウノイアの呟く声。

ごとん、と重い音が落ちた。

少女の血が噴出し、それに濡れながらエウノイアは彼女を見下ろす。

恐らく元々は竜族だったのだろうそれは強く、しかし脆かった。

少なくともエルの支援を受けたレイゴルトとエウノイアの相手になるような敵ではない。

それはずっと同じ歌を歌っていた。

きっとその歌に強い思い入れがあったのだ。

恐らく本人にはもう、何も分からないだろうに。

心を取られたこの幼い竜は、最早ただの哀れな抜け殻だ。

エウノイアはそれに炎を被せる。

肉の焼ける匂いにしては酷く甘ったるい匂いが充満して、エウノイアは目を細めた。


「……エウノイア、これは」


レイゴルトの声にエウノイアは頷く。

そして肩を落とした。


「ああ、竜だよ。

可哀想に、あの女に心臓を取られてしまったんだ。

……あれはただでさえ心身に負荷をかける。

そりゃあ……こうなりもするだろうさ。」

「もしや、……」


ただただ炎を見つめるエウノイアにレンディエールは何かを口にしようとして、しかしそれをやめる。

エウノイアは微笑んだ。

目の前の彼が何を言おうとしたのか、彼女は察しがついているのかもしれない。

だが、それに触れることはなかった。

それについて説明するにも時間が惜しいのだろう。


「まあ、とにかく行こう。

話はその後だ。」


ふい、と炎に背を向けて、彼女は廊下を歩き出す。

彼女の耳は遠くから微かに聞こえる音を拾っていた。

____________________


マーレリットが仔山羊の何匹かに追われている。

やがて彼は曲がり角に逃げ込んだ。

それを追い仔山羊も曲がり角になだれ込む。

瞬間炎が噴出した。

山羊の殆どがその強力な火力によって塵のみを残すこととなり、後ろの方にいた者でさえ体についた炎に苦しみ蠢いて攻撃するどころの話ではない。

殆ど死にかけのその山羊の頭に大剣が突き刺さり、あっさりとその命は奪われた。

切っ先は引き抜かれ、それの持ち主……イグニスは無言のままそれを振って付着した血のようなものを払う。

その後ろに彼の親友であるピースと、分身を使って囮役をしていたマーレリットがいる。


「ふん……知性の欠片もない獣など、相手にするだけ魔力の無駄だな」


マーレリットはいつものつまらなさそうな顔のまま今さっき息絶えた山羊の山を見る。

それから一度目を閉じ、もう一度開くとマーレリットはまた口を開いた。


「私が確認した限りではこれが最後のようだ。」

「ふむ、少しは移動が楽になるかな」


そう話す二人の声を背後に聞きながら、今尚苛立っているような様子のイグニスは山羊の死骸を無造作に踏みつけながら歩き始める。

彼の唯一はアンバーの手の中にあった。

脚を進める度に焦燥が募る。

招待状には【丁重にもてなしている】と書かれていたが、しかしそれを鵜呑みにできるほど彼の辿ってきた道は優しくない。

ふと、何かが聞こえた気がして足を止める。


「……イグニス?」


ピースが様子のおかしい彼の背中に声をかけた。

イグニスはまるで螺子の切れた人形のように動きを止めている。

そしてこの聞こえてくるものがコメット・ホウプスの歌声であると分かれば駆け出した。

後ろから二人が驚いたような声を上げているのが微かに聞こえるが、彼はそれに構う余裕がなかった。

扉を蹴り破るように押し開く。

……いた。


「やあ、イグニス=クリムゾン。

マーレリットとピース=トゥワイドも一緒だね。

おめでとう、君達が一着だよ。」


長い廊下、その奥。祭壇のような場所で縛られたままシルフィとコメットが座り込んでいる。

その前、椅子に腰掛けからかうようにそう言ったのは、確かにアンバーだった。

______________


木漏れ日に目を覚まし、あくびをする。

何だかとても長い夢を見ていた気がして首を傾げた。

二つに結んだ髪が揺れる。

立ち上がると少しよろめいた。

……私はこんなに小さかっただろうか

そう考えてからその幼い少女はきょとんとした。

こんなにもなにも、ずっとこうだったじゃないか。

自分はまだまだ幼いのだ。

庭から屋敷の中へ入る。

誰もいない廊下を歩いた。

日の光から影の中に入ると少し肌寒さを感じる。

扉の一つに手を伸ばした。


「あらあら、お腹が空いちゃったの?」


誰かの声が耳をくすぐる。

その声に聞き覚えがあるような気がした。

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