大喧嘩


 昨日の今日で、祐司の機嫌は悪かった。

 ランニングにでも行けば多少は頭もすっきりするかもしれないが、今朝は生憎の大雨でそれすらもできなかった。それでもなんとか授業はちゃんと受け、周りにも露骨に苛立ちを見せないようにしていた。


 その日の放課後の集まりも、やはり平行線を辿っていた。


「ねえ、それで舞ちゃんのことについて他に意見無い?」


 美咲の呼びかけにも、もうあまり良い意見は出てこない。相変わらず降り続ける外の雨音が虚しく鳴り響く。


「ねえ、祐司も何か無い?」


 気持ちを保とうとぼんやり外の景色を見ていた祐司は、その言葉にビクッと反応する。


「うん、なんだ?」


 気の抜けた声が出てしまう。美咲は苛立った溜め息をつく。


「あんた、今日ずっとぼんやりしてるよね。どうしたの」


「それは……」


「はあ。これはあんたにも関係あることなんだよ、わかってる? もっと真剣に考えなさいよ」


 真剣に、だって? 考えてるさ!


 椅子を大きく動かし、祐司は立ち上がった。


「俺だってちゃんとやってるじゃねえか! 色々調べたりさ、意見も出したりさ」


「ちょっ、ちょっと、祐司?」


 祐司の剣幕に押され、美咲はたじろぐ。舞と春貴も驚いたように彼を見つめている。


「大体だ。敢えてずっと言わなかったけどさ、お前こんなことやってて、彰彦あきひこ君にプレッシャーかけてるだけだって思わねえのかよ」


「祐司、やめろ!」


 春貴に肩を掴まれるが、一度決壊した喉の堤防は、もう流れを止められない。


「普段はアキくんが心配、とか言いながらさ、結局はただ自分が自由になりたいから言ってるだけなのかよ! なあ、どうなんだよ!」


 バン、と大きな音が教室中に響いた。

 

 美咲が机を叩いて立ち上がったかと思うと、鞄を鷲掴みにして部屋から走り去っていく。


 春貴が叫んで呼び止めようとするが、その声はただ開け放されたドアから廊下に反響するのみだった。

 意識がそれた春貴の手の力が弱まり、祐司はその手を振り払って、乱暴に鞄を持つと美咲とは逆の方向へ走り出した。






 舞は、突然の出来事に呆然とする他なかった。ドアの向こうを眺めたまま立ち尽くす春貴に、恐る恐る声をかけてみる。


「あの、どうしましょう」


 振り返った彼は、怒りと辛さが混じり合ったような顔をしていて、舞は思わず身をすくめる。


「俺は美咲を追いかける。舞ちゃんは祐司を頼む」


「え、でも、高崎君足速いですし、私には」


「祐司ならたぶん、二丁目のでっかい茶色のマンションの横の公園だ。頼んだ」


 もっと聞きたいことがあったが、彼はそれだけ言い残して素早く飛び出していった。舞も必死で自分を鼓舞し、少し遅れて部屋を出た。


 校舎を出ると、激しい雨が体に降りかかってくる。傘を差してはいるが、走っているせいで四方八方から遠慮なく水が襲いかかってくる。

 春貴に指定された場所、舞にもどのマンションかはわかっている。しかし学校からの方角も、あの広い敷地に公園なんてどこにあるのかもわからない。走っていった方向から裏門を出たと判断して、とにかくそっちの方へ向かう。


 途中、テニスコートの横を通り過ぎようとして、横から声が聞こえた。


「あれ、三鷹先輩」


 足を止めて振り向くと、めぐみが友達と一緒に帰ろうとしているところだった。


「めぐみさん。ちょうどいいところに」


「え、なんですか」


 戸惑うめぐみに、簡単に事情を説明した。彼女は顔色を変えて言う。


「そこなら私、わかります。ついてきてください」


 彼女は友達に用事ができたと告げ、舞を先導するように走っていく。


 二十分近く走ると、大きな茶色のマンションが何棟も見えた。息を切らせながら二人で並んで歩く。


「はあ、めぐみさん、足速いですね」


「はい、そりゃテニス部ですから。でもやっぱり筋トレした後じゃキツイ……」


 めぐみは、あっ、と言って言葉を切り、少し向こうの公園の方を指さした。

 そこでは、祐司が傘も差さずにブランコに座っていた。


「あのバカ!」


「あ、待ってください」


 ずんずんと歩いていくめぐみを追って公園の中に入ると、祐司がこちらをチラッと見て、自嘲気味に笑った。ゾッとするほど、精気の抜けきった笑い方だった。


「ああ、ごめんな。三鷹さん、めぐみ。ここだって言ったのは春貴か?」


 舞が頷くと、彼は「そうか」と呟く。


「あいつには、ほんとかなわねえな」


 沈黙が流れる。水しぶきを上げながら車が一台通っていくと、祐司はブランコを、キイ、と小さく揺らしてマンションの方を眺める。


「ここ、俺達の思い出の場所なんだよ。昔はもっとでかくて、秘密基地なんか作っちゃってさ」


「そう、だったんですか」


 舞の一歩後ろに立っているめぐみが、小さく息をつく。高崎君だけでなく、彼女にとっても思い出の場所なのかもしれない、と舞は思った。


 祐司は再びブランコを、キイ、と揺らす。


「俺、ひどいこと言っちゃったな。本当は俺が別のことでストレス溜まってただけなのに、関係ない美咲やみんなを巻き込んじゃってさ。おまけに彰彦君までダシに使って。最低だよ」


「バカ」


 めぐみが舞の前に出てきたと思うと、鞄をゴソゴソと探り、折り畳み傘を祐司にトスした。彼は片手でがっちりと掴む。


「こんなとこでクヨクヨしててもしょうがないじゃん。ねえ、帰ろ?」


 祐司が小さく、ああ、と言って折り畳み傘を開く。舞が慌てて叫ぶ。


「ま、待ってください。彰彦君って、誰なんですか」


 一瞬きょとんとしていためぐみが祐司に何かを確認する。彼が首を横に振ると、めぐみは少し考える仕草をして言った。


「三鷹先輩。あの、明日の放課後は空いていますか」


 明日は集まりがないはずだ。舞は頷く。


「じゃあ、ここで話すより直接会ってもらう方がいいと思います。明日、四時に駅の改札で待ち合わせしませんか。私と一緒に来てください。お願いします」


「どこへ、ですか」


 めぐみは辛そうに目をそらして言った。


「病院です」



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