あなたの感触、あなたの声



 さすが小学校からずっと野球をやっていたというだけあって、彼の腕は筋肉がしっかりついていてたくましかった。

 それに近くで見上げたら、やっぱり背が高くて笑顔は爽やかで――。


 ハッと舞は自分の妄想から抜け出す。

 一時間目、現代文の授業。先生は相変わらずのんびりとした口調であまり面白くない授業をしているが、今日に限っては寝ることはできなかった。


 事故とは言え、しがみついてしまった彼の体の感触が頭から離れない。

 家に帰っても寝ることができず、姉に悟られ何かを言われるのも嫌で今朝はかなり早く登校した。一人きりの教室であれこれ気晴らしになりそうなことをしていたが、何をしても高揚感が収まらない。


 机の中に入れたマンガにそっと手を触れる。

 彼が登校してきたときに一瞬だけ目が合ったが、お互いについ目をそらしてしまい、そのときは渡しそびれてしまった。


 ――舞ちゃんは、好きな人いる?


 遠足のときの美咲の言葉を思い出す。あのときは誤魔化していたが、本当はわからなかったのだ。そして今も、よくわからない。


 恋って、どんなものなのだろう。

 高崎君だけじゃなくて、御堂君や仲村さん、前田さん、みんな自分の大好きな人だ。それとはどう違うのだろう。


 沙織と悟のカップルのことを思う。あの二人が一緒にいるのを見ると、なんだか少しむず痒くて、心が幸せになって、冬の寒い日にホットミルクを飲むかのように、体の芯の方からじんわりと温まっていく。


 あの二人は仲が良さそうでいいな、と思う。でもそれなら高崎君とも仲がいいし、と色々考えていると頭がごちゃごちゃになってくる。


 彼女はこっそりと祐司の姿を眺める。後ろからだと一見いつも通りに見えるが、時々所在なさげに左腕を揺らしたり、肩を回したりしている。もしかして、向こうも。


「高崎。高崎祐司君!」


 先生のいきなりの大声に、舞は驚いて机を揺らす。しかしそれには誰も気付かなかったようで、教室中の視線は祐司に集まっている。


「ぼんやりしてちゃダメだぞ。教科書百十七ページ三行目から。ほら、立って読んで」


 先生に促され、あっちゃー、と言いながら立ち上がると、教室中に笑いが起こる。舞もクスクス笑ってその様子を見ていたが、彼が口を開いた瞬間、また別の意味で彼に釘付けになった。


 えっ、高崎……君?





 お昼になる頃にはだいぶ舞の心も落ち着いてきていた。四時間目が終わり、お昼休みになると思い切って祐司に話しかけに行く。


「高崎君、これ」


 できるだけ平静を装って話しかけてみたが、彼が振り向いた瞬間、心臓が跳ね上がった。


「ああ、三鷹さん。サンキュ」


 祐司も同じくどこか恥ずかしそうにしている。今朝の話はしないで。今朝の話はしないで。

 心の中でぶつぶつ祈っているうちに、ふと一時間目のことを思い出したので、これ幸いと話を振ってみる。


「あ、そう言えば。高崎君、本読み上手なんですね」


 祐司は思い出すように明後日の方向を向いて、ああ、一時間目の、と呟いた。


「本読みとか早口言葉とか昔から得意でさ。国語、書くのはからっきしだけど、読むのはよく褒められてたな。小学生のときは朗読コンクールなんてのに出させられたこともあってさ」


 どうりで、と思った。

 彼が話し出した瞬間、その小説のキャラクターや風景が目の前に立ち現れ始めた。舞と同じく初めてそれを聞いたクラスメイト達は目を見張り、逆に知っているメンバーは楽しげに聴き入っていた。

 たったの数行で終わってしまったが、終わるのが惜しい、いつまでも聞いていたい本読みだった。


 舞が尊敬を込めて見つめると、彼は照れ臭そうに頭を掻いた。


「つってもさすがに高校くらいになると結構恥ずかしいんだよな、あの読み方。このクラスのメンバーだし、あのときの教室の空気的に大丈夫だろう、って思ってやったんだけどな」


「いえ、本当に凄いです。まるでテレビのアナウンサーの朗読みたいでした」


 そこで言葉を切って、舞は今の思い付きを提案してみる。


「そう、高崎君、アナウンサーなんてどうでしょうか。それこそスポーツ関連でもありますよ」


 しかし祐司は苦笑している。


「厳しいかな。俺ももちろん調べたけどさ、アナウンサーっていい大学を出て、ビックリするくらい倍率の高い試験を受けて、やっとなれるらしいんだ。今の成績じゃそもそも論外だよ」


「そうですか……」


 集まりのときには一度も話に出たことがなかったので、もしかしてと思ったのだが、やはり彼もしっかり調べていたようだ。役に立てるかと思っただけに、ちょっぴり落ち込む。


「あ、気にしないでよ。ありがとね。意見も、このマンガも」


 顔を上げると、ちょうど彼は春貴から声をかけられて、手を振りながら学食へと去っていった。

 その姿を見送りながら、舞は小さく手を振り続け、彼が見えなくなると、花がしぼむようにその手が閉じていった。



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