雨の日々が始まる


 遠足が終わり、雨の日が続いていた。

 この日も朝から雨で、三時間目の体育で行うはずだった百メートル走のタイム計測が流れたことを祐司は残念がっていた。


 あの遠足から、祐司の周りで二つ変わったことがある。


 一つは、沙織と悟が付き合い始めたことだ。

 テーマパークのお城の前でロマンチックに告白……などという都合の良い展開はなかったが、あの日から二人は急接近し出して、週が明けた頃、無事に交際することとなった。狙い通りの展開に祐司達は喜び合った、のだが。


「それでさ、沙織が『アイス、交換しよ』って言ってきてさ」


「沙織が捻挫したって聞いたからさ、軽音の練習抜けて保健室に飛び込んで」


 教室掃除のゴミ出しを悟と二人で行く道中、のろけ話を延々と聞かされる羽目になっている。


「ああ、もうわかったから。その話二回目だって」


 教室の近くまで戻ってきたとき、さすがにそろそろ鬱陶しくなってきて、祐司は無理矢理遮った。二回目というのはウソだったが、悟は気付いていないようで、そっか、すまんと謝ってきた。


 とは言え、しょうがないのかなとも思う。沙織は知らないが、悟の方は一年半も片思いし続けて、ようやく叶った恋らしいのだ。彼にとっては、これがスタートで、一日一日がどうしようもなく大切なのだろう。


 教室に戻るとほとんど残っている生徒はいなかった。

 窓際最後列の席では、舞がノートの上でこそこそと手を動かしている。ゴミ箱の袋を新しい物に変えながら祐司は横目で様子を窺う。蛍光灯に照らされ、ノートの上に描かれた鉛筆の黒い線が光を反射している。


 もう一つの変化は、舞が絵を描こうとし始めたことだ。どうやら遠足のときに見た絵に触発されたらしい。

 事情を知る祐司達は別として、舞はできるだけ他の人に見られないようにしながら、こうして隙間の時間に手を動かしている。ただ、まだ完成した絵はないとのことだ。


 外の雨の音に混じり、鉛筆を動かすさらさらという音が聞こえてくる。しばらくその場で立ち尽くしていると、悟に声をかけられた。


「今日はあるの、あの集まり」


「ああ。でも春貴が呼び出されてるから、たぶんあと三十分くらい待つかな」


 彼は実に半年ぶりに校内で煙草を吸ってみたところ、運悪く見つかってしまったらしい。半年ぶり、というのは祐司も知らず驚いた。やはり春貴の考えや行動はイマイチ掴み切れない。


「なるほどな。じゃあ俺は軽音の方行くわ。また明日」


 悟が部屋から出ていくと、いつの間にか他の生徒もいなくなっていたようで、舞と二人きりになってしまう。彼女はこちらに気付く様子もないので、自分の席に座ってぼんやり彼女を眺めていた。


 最近長くなってきたなと思っていた髪の毛は、少し短くなっている。今朝それを言ってあげると、昨日切ったところだと嬉しそうに報告された。

 絵を描きながら時々小首をかしげると、すっとその髪の毛が流れる。今日みたいな湿気のある日でも、変わらずそのつややかさを保っていた。


 舞の目つきは真剣そのもので、普段のおどおどしていたり、眠そうだったりな彼女からは想像しづらいものだった。時々トラウマが蘇るせいか苦痛に顔を歪ませるが、少し休憩を取るとまた絵に向かい始める。

 何を描こうとしているのかは、この位置からだと、右腕に隠れて残念ながら見えない。


 教室のドアが開き、廊下の方から強い雨の音が聞こえてくる。そこには美咲が立っていた。


「あ、祐司。もう戻ってたんだ」


 教室に入ってくると、彼女はいつものように机を動かし始める。祐司も立ち上がってそれを手伝う。低気圧のせいもあるのか、机を持っただけで右肘に鈍い痛みを感じる。


「どこ行ってたんだよ」


「ちょっと数学の質問にね。あ、春貴もそろそろ戻ってくるよ」


 机を設置し終えると、ちょうど春貴が戻ってきた。舞にも声をかけて話し合いが始まる。


「チーム・ドリーマーズ」の集まりも通算で五回目になるが、三回目以降は話も進まず平行線をたどっていた。

 それぞれの気になる職業について図書館やネットで調べること、と決めて行動してみたが、なかなか上手く情報が集まらなかったり、いざ調べるとやりたいこととズレていることに気付いたりと、四人とも同じ壁にぶつかっていた。


 そんな空気に引きずられてか、進行役である美咲も前回くらいからより一層歯切れが悪い。祐司は当初から溜まっていた不満をなんとか抑えてはいるが、結局今日も首尾良くとはいかず解散になった。



 学校を出るとゴミ出しのときよりも雨足は強くなっていた。祐司はびしょ濡れになって帰り、母親からタオルを受け取って髪を拭くと、着替えのために自分の部屋に行く。


 制服から着替えるとベッドに寝転がり、しかし色んなことが頭をもたげてきて、すぐに起き上がった。

 こんなときはマンガでも読むのがいいか、と本棚を探っていると、奥の方に眠るアルバムに目が留まる。棚の奥の埃っぽさに耐えながら引っ張り出す。


 中身は小学四年生の頃の写真で、もちろん子供会の遠足であのテーマパークに行ったときの写真も貼っていた。

 何気なくページをめくっていく。そうそう、あのときもシューティングで春貴と競い合ったよな。あ、やっぱりあのときはこのアトラクションあったよな、無くなったのか。一つ一つの写真に、過去の記憶を重ねていく。

 その最後には、集合写真が貼っていた。その端っこで祐司と春貴、美咲の三人はどこか機嫌悪そうに口をとがらせている。


 そうだ、このとき俺達は集合時間に遅れて怒られたんだっけ、と祐司は思い出す。


 集合時間目前、遊び足りなそうな祐司と美咲を見て、春貴が保護者達の目を盗んで逃げだすことを画策。計画は成功し、三人でハイタッチを交わすと、時間の都合で一度しか乗れなかったジェットコースターを三人でもう一度楽しむことができた。あのときの妙な連帯感、背徳感は今でもはっきり思い出せる。

 それなのに、美咲も春貴も、この前祐司達が遅れたときはしれっと自分達のことを棚上げしていたことまで思い出し、笑いながら舌打ちする。


 集合写真が目に留まって、一人一人を懐かしく思いながら見ていたが、めぐみの横にいる男の子を見た瞬間、祐司は唾をごくりと飲みこむ。

 中性的な顔に浮かぶ、屈託のない笑み。


 そういや、この子にしばらく会ってないよな。


 辛い気持ちになりアルバムを閉じてしまう。逆効果だったじゃねえか、ともう一度舌打ちをして、アルバムを元に戻すと再びマンガを探り始めた。



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