どうなんだろうな




 田舎の方から走ってくる、午後六時台の電車。


 夕暮れ時、前の席の人と人との隙間から窓の外が見え、線路沿いでは、イチョウの木々の柔らかい緑色が夕焼けの色と混じり合う。その向こうには見慣れた地元の町並みが見える。


――ねえ、ギンナンだよ!


 懐かしい声が蘇ってくる。春が過ぎ、夏が終わって秋が来ると、今年もまた繰り返しあの声を思い出してしまうのだろうか。




「おい、美咲」


 駅のロータリーの所で、春貴がヘルメットを抱えてバイクに跨っていた。


「春貴、どうしたの」


「バイト早く終わってな。後ろ、乗るか?」


 美咲はゆっくりと首を横に振る。彼はバイクを押してこちらへと歩いてきた。


「そのバイク、春貴の?」


「ああ、見たことなかったか。中古だけど結構いいバイクだ」


 ふうん、と鼻で返事をして、美咲はじろじろとバイクを見る。整備も行き届いていて、確かにカッコいい見た目をしている、が。


「あんた、やっぱり今でも不良連中とつるんでるの」


 なかなか聞けなかったことで、懸案事項だった。ずっと心配していたということは、彼にも伝わったらしい。


「とりあえず、歩きながらでもいいか」


 こくりと頷くと、一緒に歩き始めた。ロータリーの横を抜けて住宅街の中を通っていく。


「あいつらとは、もうしばらく会ってねえな。そもそも行動範囲が遠いんだよな、あいつら。まあ別にそれだけが理由じゃねえけど、実際、高二の途中くらいからはもう会ってない」


「じゃあこないだの停学のときにつるんでた人は?」


「ああ、あいつは一番仲良かったからたまに会ってたんだけど。今は殴ってきたヤツら共々警察のお世話になってるよ」


 少し残念そうにしながらも、いつものように淡々と語る彼に、無性に腹が立ってきた。


「じゃあなんで、もう不良とつるんでないって言ってくれなかったの? どうせ祐司にもそこまで話してないんでしょ?」


「祐司のおかげなんだよ」


 煙草をくわえ、ポケットから安っぽいクリアブルーのライターを取り出す彼。


「どういう意味?」


 火を点けた煙草を何の感慨もなさそうに吹かして、彼は言う。


「あいつがケガで入院して、リハビリで苦労してるって聞いたときさ、なんでかな、あんなテンプレみたいな『ファッション不良』してる自分がすっげえバカバカしくなってさ。

 ゲーセン行って、煙草吹かして、でも俺、ケンカもカツアゲもするのは主義じゃねえからさ、実はそういうことしねえで誰か来ねえか見張ってるだけ。あいつらちょっとバカだから、いつもなんだかんだ上手いこと言ってそうするのは簡単だったんだけど」


 再び彼は煙草に口を付けた。美咲は無意識に、吐き出された煙を目で追おうとするが、すぐに闇に紛れた。


「まあ無理にあいつらとつるむことねえかって思ってな。つっても煙草とか服装とかは面倒だからもう直す気にもなんねえし、このまま『成績のいい不良くん』を見て歯がゆい感じになってる大人を見るのも楽しいよな、って思ってな。これで充分か?」


 美咲は大げさに溜め息をつく。


「呆れた。やっぱあんた凄いよ」


「なんとでも」


「で、そういう理由だから祐司には言えないってこと? 『お前のケガのおかげであいつらと縁を切れた』なんて嫌味甚だしいしね」


「そうそう。一応多少ぼかして言ってはいるけどな、ちょっとそこまでは」


 さっきまで前を歩いていたスーツの中年男性が、自分の家のドアを開け、明かりが漏れると共に中から子供達の声が聞こえてくる。あの二人の子供は姉弟か、それとも兄妹か。


「ねえ、そう言えばさ」


「この前の結果か?」


「うん……まだ、芸能界、未練あるの?」


 彼はしばらく考えて、どうなんだろうな、と煙草を落として足で火を消した。




「どうなんだろうな」


 適職診断から数日後の土曜日、例によって悪夢で早く目が覚めた祐司は、河原で舞と会っていた。やはり、最初に出たのは春貴の話だった。


「やっぱり、今でも芸能界に未練あるのかな、あいつ」


「でも、もういい、という感じのことは言っていましたよね」


「あいつ、自分のことはほとんど話さないからわかんねえんだよ。お手上げだ」


 そう、口ではどうとでも言える。だけど、祐司はMISTIA時代のことを思い出してしまう。

 確かに、ダンスをしているときや、歌っているときの彼はいつも、他のときに見られないような充実した表情をしていた。


 地面に両手をついてぼんやり空を見ていると、下で走っているおじさんから声をかけられる。


「どうしたー、元気なさそうだなー」


「いえ大丈夫ですー、頑張ってくださーい」


 元気良く左手を振ると、おじさんはにこやかに手を振りながら橋の下の方へと走っていった。


「お知り合いの方ですか?」


「ああ、ここで走ってるうちに知り合った人。いつものメンバー、って勝手に言ってるんだけど、他は大学の陸上部の兄ちゃんとか、姿勢のいいウォーキングのOLさんとか、それと……」


 ふと気付くと、舞が尊敬するような眼差しでこっちを見ていた。その様子がなんだか可愛らしくて、祐司は思わずドキッとする。


「凄いですね、高崎君は。いっぱい仲の良い方や友達がいて」


「いや、凄くなんてないよ。ただみんないい人なだけだって」


 照れながらそう言って、えいっと彼女の右手を弾むように軽く叩く。


「三鷹さんもさ、もっと色んな人と仲良くなろうとしてもいいと思うんだ。少なくともこの町の人は、あの、基本的にひどいこととかしないからさ」


 席替え以降、教室でも一人でボーっとしていることの多い彼女。遠足の班決めにも一歩引いてしまって参加できない彼女。少し不安になって、ついそんなことを言いたくなってしまったのだ。


 彼女は自分の右手を所在なく動かしている。俯く顔が、少し強張っている。


「あの、心配かけてごめんなさい」


 あ、やっぱり地雷を踏んじゃったかな。それでも。差し出がましいかもしれないとは思いつつ、それ以上に彼女に言いたいことがあった。


「あのね、三鷹さん。いつも謝りすぎだよ?」


 えっ、と呟いて彼女は顔を上げる。合わせて朝の光がそのさらさらとした黒髪の上を流れた。できるだけ、優しく諭すように言う。


「俺から言うのも押しつけみたいで嫌だけどさ、『ごめんなさい』より『ありがとう』の方が嬉しいかな」


 舞の瞳の色が少し変わった。祐司は微笑んで、ほら、と川の向こうに広がる町並みに視線を移す。

 大通りでは往来の車が増えてきている。動き出した町で、商店街はそろそろシャッターを開け始め、マンションのカーテンも開き出す頃だろう。一緒に町を見ていた舞が、口を開く。


「はい、この町の人達は私も大好きなんです。助言ありがとうございます」


 頬を少し染めて、屈託なく笑う彼女。やっぱりその笑顔、いいと思うよ。



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