雨の日



 雨の音を感じながら、舞は眠りについていた。


 何かの気配を感じて顔を上げると、そこは高校二年生の頃の教室だった。

 部屋には誰もおらず、蛍光灯だけが冷たい明かりを降らせている。


 窓際まで歩くと、雨が校舎を打ち付ける音が耳につく。濡れた窓から校門の方に人影を見つける。

 水玉模様の傘を持って、中学生の頃の自分が校舎を見上げている。

 視界が悪い中でも、彼女の目に宿っている希望は光として浮かび上がる。


 その様子をぼんやりと眺めていると、廊下の方からコツッ、コツッと音がする。重々しい足取りで誰かが近づいてくる。なぜだか背中に冷や汗をかいていた。

 振り向きたくない、と思った。

 振り向いたら終わってしまう。しかし、何かの力が働き無理矢理振り向かされる。


 歩いていたのは数か月前の自分だった。

 静まり返った廊下を、生気の抜けたようにのろのろと歩いていた彼女が、ふとその足を止める。

 そして戸口でこちらを振り向き、見つめてきたその目は……。


「いやあああっ」


 


 顔を上げると見知った顔が三つ、心配そうな表情を浮かべて並んでいる。

 夢を見ていたようだが、外ではやはり同じように激しい雨が降り続けていた。


「三鷹さん、大丈夫?」


 美咲が顔を覗き込んできた。はい、と消え入りそうな声で舞は答える。


「大丈夫でもなさそうだな。祐司、そのペットボトル貸せ」


 春貴は手渡されたお茶のペットボトルの蓋を開けて、舞の机の上に置く。手に取ると、買いたてだったのかひんやりとして気持ちいい。


「飲んでもいいよ。それより、もう放課後だけど時間の方は大丈夫?」


 祐司の申し出に甘えて、舞はゆっくりとお茶で口を潤していく。清涼感が体中を行き渡り、悪夢の余韻が少しずつ薄められていく。

 蓋を閉めると、まともに話せるようになっていた。


「今日は特に早く帰る用事もないので……。ご心配をおかけしてすいませんでした」


 遠くの方で雷が鳴っている。電話をしたらお母さん迎えに来てくれるかな、とつい思ってしまい、親元から離れていることを思い出して自分が情けなくなる。


 祐司が何やら逡巡しながら、口を開いた。


「あの、昨日はなんかごめんね。その、絵を見ただけであんな風になるなんて思わなくて」


 舞は昨日のことをぼんやりとした頭で思い出す。

 そう言えば、そもそもあのときなぜ、いつの間に絵を描き始めていたのだろうか。見られた瞬間に自分の無意識の行動に気付き、混乱して。

 あっ、あのときは逆にこっちが失礼なことをしてしまっていたんだ、とやっと思い至る。


「あの、すいませんでした。失礼なことを」


 言い終わる前に、美咲からおでこを指でつつかれる。


「もう、三鷹さんは謝らなくていいの。前にも言ったけど祐司はほんとデリカシーないから」


 春貴も便乗する。


「そうそう。しかも昨日祐司にいきなり電話でその話をされてさ。『俺、どうすればいい?』だぜ。なっさけねえよなコイツ」


 祐司は決まり悪そうな顔をしていて、舞は小さく笑う。その光景を想像してのおかしさ半分、そんなに心配してくれていたんだ、と恥ずかしさ半分、と言ったところだ。


「あの、絵、なんですけど」


 今のうちに言ってしまおう。どうもご心配おかけしました、なんでもないので気にしないでくださ――


「ああ、絵なんだけどさ、すごく良かったよ」


 喉元まで出ていた言葉を遮られる。

 舞は祐司の顔を見つめる。そこにお世辞や裏は窺えず、純粋に心からの言葉だったようだ。彼の眼差しが、真剣なものに変わる。


「三鷹さん。あの絵とか、スケッチブックとかさ。絵に絡んで、昔何かあったんじゃない?」


 横から美咲と春貴が「バカ、その話はまだしない方が」と言っている。しかし彼は真っ直ぐで優しい、自分を心配してくれる目を崩さない。


 舞はふとデジャブを感じた。河原でのことを思い出す。あのときとは立場がまるっきり逆だな、と。

 だけど、そもそも私達は同じなのだ。

 同じ匂い、なのだ。


「そうです、高崎君の言う通りです」


 その言葉に、美咲と春貴もじっと舞を見つめる。


「みなさんには、その、やっぱりお話しします。聞いていただけないでしょうか」


 三人はアイコンタクトを取り、もちろん、と言うように頷いた。

 この三人と一緒だと不思議に居心地が良くて、外の天気の悪さすらも気にならなくなりそうだ。だから、頑張ってみよう。


「では、昔の話をします」



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