祐司が歩んできた人生



 小学四年生のとき、祐司は少年野球のチームに入った。

 もっともその前から父親とよく野球をしていたおかげもあって、入団してすぐに上級生の試合にも参加するようになった。


 その頃から、彼の直球はすでに六年生も含めたチームのほとんどのメンバーよりも速かった。

 試合では二番手ピッチャーとして好投を続け、体力のついてきた五年生からはチームのエースとして君臨し続けた。

 六年生になる頃には県でも名前の知れた選手になっていて、出る大会ごとに好成績を残し続け、チームを何度も優勝に導いた。


 当然中学に上がるときには外部の色んなチームから声をかけられたが、全て断り中学校の野球部に入ることにした。




「え、どうしてですか」


「そういう外部のチームは硬球を使うんだけど、父親の方針で中学時代は軟式のままでいく、ってことにしていてね。特にピッチャーは体ができるまでは硬球は負担が大きいんだってさ」


 舞がなるほど、と頷く。


「それと理由はもう一つ。そこに今のうちの野球部のキャプテン、望がいたんだ」




 中学校の入学式で、望と顔を合わせた。

 二人は小学生の時は敵同士で何度も戦い、またお互いに地域では名の知れた選手だった。お互いが野球部志望だと知ると、すぐに意気投合した。


 この野球部始まって以来の黄金バッテリーだ、とあちこちで囁かれた。

 望がサインを出し、祐司が投げる。三番の祐司が塁に出て、四番の望が返す。二人で県下に名を轟かせていた。


 中三の頃には、やはりあちこちの私学が祐司を推薦の候補に上げていたらしいが、彼は夏の大会の途中で肘を故障、数か月で治ったが結局誘いはほとんど来なかった。

 その時期に望が家の事情でこの河井西高校を志望していると聞くと、祐司もまた彼と野球をする道を選んだ。そこには打倒私学、という青臭い発想もあったし、実際自分達なら甲子園だって可能だと思っていた。


 高校は必死で勉強して何とか合格。硬球にもすぐに慣れ、彼は一年の夏からエースとなった。

 さすがに中学までのように簡単には抑えられなかったが、望も少し遅れてレギュラーとなると、黄金バッテリーの力で、チームは徐々に好成績を上げるようになっていった。


 そして二年生の春の県大会で優勝。

 このときには、すでに祐司の中で、長年抱いていた将来の夢がくっきりと像を結び始めていた。




「それって、もしかして」


「そう、プロ野球選手」




 プロ野球選手になる、それは祐司の夢であり、彼の父の願いであった。


 父親は高校時代あと一歩で甲子園を逃し、大学、社会人と続けたもののついに芽が出ることはなかった。

 二人で共に上を目指し続け、母親とめぐみは温かく応援してくれて、自分達の世界は上手く回っていた。


 夏の大会は強豪の私学に負け、迎えた秋季大会。

 西高は順調に勝ち進み、準決勝までコマを進めた。これに勝てば関東大会に進むことができ、さらに春の甲子園の出場枠がグッと近付く。当然どちらのナインも気合が入る。


 序盤、緊張で少し浮き足立っている間に祐司は二点を取られてしまう。しかしその後はしのいで、中盤に望のスリーランホームランで一気に逆転。三対二のまま試合は九回を迎えた。


 さすがに祐司の疲れも溜まっていて、ワンアウトから走者を二人出し、迎えた三番バッター。


 その初球、祐司の右肘を襲った弾丸ライナー。何度も夢で見た場面だ。


 右肘を抑えて叫びながら、終わった、と祐司は思った。すぐに応急処置を受けるが、続行不可能と判断され病院へと搬送された。

 ショックもあり途中で気を失い、目が覚めた頃には、試合が終わっていた。しかし。




「なんとね、勝っちゃってたんだよ」


 固唾を飲んで話に聴き入っていた舞が、えっ、と間の抜けた声を出す。


「その三番の打球で一点入ったんだけど、その後は控えピッチャーが抑えて、九回裏にサヨナラ勝ち。まあ関東大会はすぐに負けたけどね。……だけど」


「……だけど?」




 その日から祐司はケガの治療を続けた。

 二回目の肘のケガだが、前とは比べ物にならない重症で、苦痛なリハビリの日々だった。見舞いに来た部員にはそれより練習しろと叱咤激励し、試合の日はラジオを聞きながら応援した。


 医者からは、全治最低一年、さらにもしかすると今までのような全力投球など不可能になるかもしれないと言われた。

 それでも祐司が諦めなかったのは、自分は絶対的なエースなんだ、自分はプロに行ける人間なんだ、と思い続けていたからだった。自分の才能をもってすればすぐに復活できる。うぬぼれに近い信念があった。


 しかしチームは自分とは関係なしに成長し続けていた。

 最初こそ危ない試合が続いていたが、実戦を積むごとにむしろ投手陣は安定し、望のリードもあって並み居る強豪校のバッター達を粘り強く抑えていった。


 退院した祐司は、リハビリの傍ら野球部のサポートを始めた。

 球拾いや後輩指導をしながら、何度も投球練習を盗み見ていた。

 望は日替わりでかつての控えピッチャー、杉浦和人や愛内翔太と向き合い、和人が鋭く落ちる変化球を投げ、翔太がキレのある直球を投げ込む度、監督と共に満足そうな表情を浮かべた。


 それは祐司が戻ってくるまでの間、戦えるようにするための行為だということはわかっていた。それでも割り切れずに彼の思考はマイナスへと向かっていく。


 たとえ投手として戻ってもケガで劣化した自分にもう出番はないのではないか。

 チームの評判は上がっているはずだ、来年いい選手が入ってますます居場所がなくなるのではないか。

 自分が活躍できていたのは望のリードのおかげで、本当は自分の才能なんて大したことはなかったのではないか。

 ちょうどリハビリでの回復スピードも下がってきており、季節は冬で、心まで冷えきっていた。


 その頃の彼は毎日のようにあの夢を見た。

 最初のうちは夜の間中うなされ続け、隣の部屋のめぐみに心配をかけ続けた。リハビリを温かく見守っていた母親も徐々に不安を募らせていき、次第に家で野球の話が出ることは無くなっていった。


 そしてある日ついに彼はヤケになり、一人で無理矢理投球練習をしたところ、肘の状態が悪化。

 もう無理なんだろうな、と気付いて、その翌朝には監督に退部届を出していた。


 監督に苦い顔をされ話し合っていると、望と数人の同級生が職員室に入り、祐司に詰め寄った。

 なぜ辞める、夏には間に合うかもしれないだろ、バッターとしてなら戻れるかもしれないじゃないか、せめてスコアラーでもなんでもいいから残ってくれ、と。


 

 言葉が祐司の頭の中で何度も反響する。


 球拾いだって、後輩指導だってしてたじゃねえか。

 その「なんでも」がもう苦痛だから、辞めるんだよ。


 やがて祐司は首を横に振り、無言で部屋を出ていった。



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