春貴の過去
しかし、舞が春貴と話す機会はなかなか訪れなかった。
祐司や美咲とはいくらか会話することがあったが、彼とはなんとなくきっかけが掴めず先送りになっていった。
その日の授業は、久々に徹夜明けだったせいでとても眠たかった。
特に最後の六時間目など、つまらないことで定評のある現代文の授業で、当然のごとく開始早々に眠りについてしまった。
雪の日、冷え切った校舎、震える体。
静かな階段、静かな廊下、響き渡る足音。
暗い部屋。足に感じる違和感。紙の擦れる不吉な音。
音。
音。
音。
ビクッと派手に体を揺らす。
窓の外に西日が直に見えて、舞は目を細める。見回しても教室には誰もおらず、そんなに寝ていたのかと自分に呆れた。顔を上げると、少しだけ頭がジンと傷む。
ぼんやり夕焼けを眺めていると、廊下の方から声が聞こえ、二人の男が教室に入ってくる。
「あれ、高崎君、御堂君」
名前を呼ぶと、戸口で祐司が手を振って応じる。
「おはよう、三鷹さん。すごいね、六時間目から五時半までずっと寝てるなんて」
単純計算でざっと三時間は寝ていたことになる。さすがにこれは恥ずかしい。
「ええと、昨日ちょっと寝不足で」
「そっか、勉強とか? 無理しないようにね」
祐司は心配そうに言った。いや、勉強とかではないので、と言おうと思ったが、内容が恥ずかしいものだったのでやめておく。その代わりに、
「二人こそ、どうしてこんな時間までいるのですか」
と尋ねた。
彼らは舞の近くの適当な机に腰かけた。春貴が相変わらずぶっきらぼうな感じで言う。
「俺が六時半から駅前でバイト。暇だからこいつに付き合ってもらってる訳」
「ひどくねえか、ほんと。人を暇潰しの道具みたいな言いざましやがって」
祐司の言葉に愛想笑いを浮かべながら、もしかしたら今がチャンスかも、と思い至る。
「あの、御堂君」
「ん、俺?」
「あの、その」
いざ直視するとやはり恥ずかしいし、気圧されそうになる。だけど舞はさらに勇気を出してみる。
「あの、どうして停学になっていたんですか」
こっちの気迫とは裏腹に、ああ、そのことか、と春貴はめんどくさそうに頭を掻く。
「暴力事件だよ」
「じゃあ、あの噂は本当に……」
「噂? ああ、そんな顔しないで。つっても一緒にいた俺のダチが絡まれて、ボコボコに返り討ちにしてるのを横で見てただけ。
俺はいきり立ってこっちにきた奴を振り払ったりした程度。まあ警察に見つかって、俺も素行がこんな感じだから一か月の停学を食らった、それだけ」
「え、ですが一か月は、少し長いような」
「暴力はやってないだけで、校内でタバコとか、外でバイクの無免許運転くらいは何度かやってたからな。何度も厳重注意くらって、挙句の果てにこれだ。うちの高校、そういう不良行為にあんまり縁がないからか結構キツイみたいだな」
淡々と語られていく言葉に舞は驚きを隠せない。
そういう世界に触れてこなかったせいもあるが、何より、アイドル時代のクールだけど思慮深そうな彼のイメージとのギャップが大きすぎたからだ。ということは、昔立っていたあの噂は本当だったのだろうか。
「聞きたいのはそれだけ?」
春貴の問いかけに、これ以上はと思って、そうです、と嘘をつこうとしたとき、彼と目線が絡み合った。
じっと見つめてくるその目は、内心を見透かしているような、不思議で恐ろしい感覚を与えた。
「いえ、まだもう一つ」
目をそらして、観念したように舞は口を開く。
「MISTIAが解散した理由、御堂君……いや、ハルキがクスリを持っていたからっていうのは、本当なんですか?」
「ほう、と言うと?」
興味深そうに聞き返す彼に、話を続ける。
「当時から信じられなくて。でもこうやって話していると、そんなことしそうには思えない良い人で、でも停学とかもありますし……」
最後の方はしどろもどろになってしまった。傍で黙って聞いていた祐司が身を乗り出す。
「三鷹さん、その話はちょっと」
「いいんだ。この子ならきっと大丈夫だ」
春貴が腕を伸ばして制止すると、祐司は春貴を一瞥してすごすごと引き下がる。
「あの、大丈夫って」
ああ、と言って春貴は再び舞を見つめる。なぜか、彼は少し楽しそうだ。
「せっかくだから答えるよ。舞ちゃんの質問だけどね。半分は正解で、半分はウソだ」
「どういう意味ですか?」
「話せばちょっと長いけど、本当に聞くか?」
舞が頷くのを確認して、春貴は語り始めた。
あれは中三の頃だ。俺のクソ親父、ずっと定職に就かずにフラフラしてたんだけど、ある頃から明らかに様子がおかしくなってね。顔がげっそりとしてうわ言をぶつぶつ言うようになって。
うち貧乏なんだけだどさ、そこまで売れてなくても俺の収入があったし、母親もパートをしてたから、例えば栄養不足とかではないはずだ。現に俺と母親はピンピンしてたしな。
ある日のことだ。突然警察がうちにやってきてさ。親父は連れていかれ家宅捜索は始まり。
なんとあの野郎、クスリ使ってやがったんだ。ヤツには実刑判決が出た。
そこで困るのは俺だ。この辺りの話は知ってると思うけど、薬物所持で逮捕された男の息子はアイドルだった、そんなスキャンダルをマスコミが逃す訳がなかった。
当然週刊誌にはあることないこと色々書かれ、事務所や家には毎日のように嫌がらせの電話がかかってきたよ。
子供に対してそんなのひどすぎるって? 関係ねえよ。あいつらはネタになれば何でもいいんだ。
そんなタイミングで、俺のカバンから白い粉が発見された。
当然俺は使ってない。誰かが勝手に入れやがったんだ。ただそんなのは問題じゃない。これだけ重なるとそりゃ事務所もどうしようもないんだよ。
まあ幸い俺はシロだってことがすぐ証明されたから、噂が広がりきる前に適当な理由をつけてMISTIAを解散できたんだけど、すでに少しは世間に俺が所持してた噂が流れちまった、そりゃな。
事務所もさ、イメージを悪くしたくないのか、俺に辞めてほしそうだったし、何よりこのまま芸能活動を続けても汚れたアイドルっていうレッテルは一生貼られる。MISTIAが解散してから少し後に辞表を出して、俺はあの世界を去ったんだ。
「こんなこと言っても、結局その後落ちぶれてしっかりワルしてるんだから何の説得力もないけどな」
と彼は自嘲気味に言い、
「あ、この話は一応内緒だ。いろいろと面倒なことになる」と締めくくった。
舞は歯がゆい気持ちになった。
「ハルキがあんなことするなんて、幻滅した」だの、「ハルキ、ほんと最低」だの口走っていた当時の同級生に聞かせてあげたかった。
それが顔に出ていたのか、春貴に釘を刺される。
「俺はもう世間的には汚れてしまったことになっているんだ。気持ちは嬉しいけど、もう今更何をしようと意味はないし、風化しかけてるのにもう下手に掘り返さない方が吉だ」
気まずい沈黙が流れる中、当事者の春貴だけは何でもない風に携帯をいじり出す。感情の窺えないその顔を見ていると、いつしかこんなことを口にしていた。
「じゃあ、この前言っていた『似ている』というのは?」
祐司はきょとんとして春貴を見る。
春貴は、ああ、と思い出したように呟くと、再び舞の顔をじっと見つめて、「犯罪って意味じゃないけど」と不安げに言う。
「舞ちゃん。君も何か俺と、俺達と同じ匂いを持っていないか」
突然のことに、舞は驚きよりも、焦りを感じる。
フラッシュバックする記憶。
音と、感触と、目の前に広がる光景。
脇にじわっと汗をかく。足は小刻みに震えていたが、なんとか声だけは明るく繕おうとする。
「何を言っているんですか。よくわからないです」
その内実に気付いているのかどうかはわからなかったが、春貴は、そろそろ時間だな、と呟き、「いや、俺の気のせいならいいんだ」と言って教室から出ていった。
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