似ているな
建物から出ると、緊張がほぐれたのか舞は大きく息をつく。並んで歩く
「三鷹ちゃん、お疲れ。どうだった?」
と労ってきた。
「塾って……ここまで疲れるものなんですね」
舞は自分が今出てきた塾の校舎をチラッと振り返る。夜の空に伸びる高い校舎は威圧感たっぷりで、こう見ると秘密結社か何かのの本拠地みたいだ。
沙織は学校で舞の一つ前の席で、偶然にも趣味が合ったおかげで二人はすぐに仲良くなった。
今日はその沙織に紹介してもらい、試しに駅前の塾の体験授業に行ってみた、のはいいものの。
「やっぱり私、みっちり勉強させられるのって苦手です」
沙織がよく通る声で笑った。女子バスケ部でレギュラーを張っていて、フランクな感じの接し方は、少し疲れるが楽しい気持ちにさせる。
「今日は頼まれたから連れてきちゃったけど、まだ新生活に慣れてないだろうし、無理しなくていいんじゃない? ヤバそうなら夏期講習からでも間に合うって、きっと」
彼女に背中を軽く叩かれ、舞はそれもそうかな、と微笑む。
「それよりこれからどうする? 本屋でも行く?」
沙織がショッピングビルの方を指さす。後ろで束ねた彼女の髪がふわっと動いた。
「いえ、今日は疲れたので……ちょっとコンビニで買い物だけして帰ろうかと」
「了解、ついていくよ」
駅のコンビニの方へ歩いていくと、高架の上から快速列車の発車メロディーが流れ、追って改札口からサラリーマンの集団がずらっと出てくる。
元々この辺りは都心のベッドタウンの一つらしく、ちょうど今頃が帰宅ラッシュなのだろう。駅のロータリーもタクシーやバス、迎えの車でごった返している。
「あれ、美咲じゃない? おーい、美咲ー」
沙織が手を振った方向では、美咲が一人で歩いていた。
だがその様子に舞は違和感を覚えた。こんな時間なのに制服で、おまけにどうも苦々しい顔をしているように見える。
そう思っていたのも束の間、彼女は沙織の声に気付いて嬉しそうにこちらに駆けてきた。
「美咲、どうしたの? こんな時間に一人で」
「あはは、ちょっと電車で用事があってね。ちょうど帰りなの」
いつも通りに明るく笑う彼女。さっきのは、暗くて見間違えただけなのかな、と舞は解釈する。
「それより、二人こそ何してるの?」
「実は、前田さんが塾に誘ってくれて、それでちょっと体験授業に」
美咲がへえ、と感心したように呟き、しかし心配だと言わんばかりに腰をかがめて舞を見つめてくる。
「三鷹さん、焦るのもわかるけど、あんまり無理しちゃダメだよ? そろそろ新生活の疲れも出てくるだろうし」
沙織が思わず吹き出す。
「それさっきの私のセリフと同じ。でもわかる、なんだか心配になっちゃうよね」
美咲がそうそう、と同意する。
「なんか三鷹さん見てたら妹みたいに思えてきちゃって。あ、ごめんね。ちょっと失礼だったかな」
「いえ、むしろすみません。危なっかしくて」
恥ずかしさ半分、申し訳なさ半分で、慌てて舞は両手を振る。
「もう、それが可愛いんだって」
美咲に頭をポンポンと叩かれ、舞はさらに顔を赤くして俯く。そのとき再び快速列車の発車メロディーが鳴り響き、にわかに改札の方が騒がしくなる。美咲が腕時計を確認する。
「あ、私そろそろ迎えが来るから。ごめん、また明日!」
「うん、またねー」
彼女がロータリーの方へ走っていくと、ちょうど来た高そうなお迎えの車に乗り込んだ。お金持ちの家なのかな、とぼんやり思いながら舞はその様子を見届けて、沙織とコンビニに向かう。
コンビニに入ると、舞は姉に頼まれていた地域の指定ごみ袋を探す。いくつかある中で二十リットルの物を手にすると、ファッション雑誌を読んでいた沙織に声をかけてレジに向かう。
「ありがとうございます、ってあれ」
店員の声に、どうしたんだろう、と財布を探す手を止めて顔を上げると、そこにいたのは春貴だった。
「あ、え、ええと」
咄嗟のことに舞はあわあわとなってしまう。
あれから数日、春貴と会話する機会はなかった。大体、あの日はあまりにも自然な流れで会話していたのですっかり頭から抜けていたが、自分が昔好きだった元アイドルと(実は贔屓は別の男の子だったのだが、それはともかく)普通に話すなど冷静に考えたら無理難題だ。
「あれ、御堂君、ここでバイトしてるんだ」
横から沙織が好奇心剥き出しに尋ねた。彼女は結構な情報通で、この手の情報にはすぐ食いつく。
「ああ、まだ初めて数か月だけどね。二百円になります」
舞は財布から五百円玉を出す。レジ打ちをする彼に沙織はさらに話しかける。
「さっきまで美咲もいたんだよ。呼べば良かったね」
彼はへえ、美咲が、と呟き、お釣りを取った瞬間、手を見つめながら何かを考え始める。
「あ、あの、どうかしましたか」
舞は勇気を出して問いかけてみると、彼は平静を取り戻して、
「いや、なんでもない」
と言って三百円を手渡し、それっきりだった。
店を出ると、沙織が神妙な顔で呟く。
「ふうん、御堂君は駅前のコンビニでバイトか。貴重な情報ね。彼って結構信憑性のある噂少ないからなあ」
彼の噂、という言葉に即座に反応する。
「あの、御堂君の停学の理由とかってわかります?」
沙織は肩をすくめた。鞄につけた人気キャラクターのキーホルダーがジャラッと揺れる。
「それもね、暴行事件って聞いたんだけど。彼そこまで悪そうには見えないんだよね。少なくとも自制はできそうじゃない?」
暴行事件。思わぬワードに舞の心がざわめく。
しかし、服装とか話し方はともかく、確かに暴力は彼から受ける印象とは微妙に結びつかない。
「だいたいMISTIAの頃から噂も色々あるけど、どれもずっと謎なのよね。彼あんまり自分の話を他人にしないみたいだから」
「MISTIAの噂って、もしかしてあの?」
沙織が足を止め、まじまじと舞を見つめる。
「三鷹ちゃん、知ってるの? 確かに一瞬だけニュースになったけど、MISTIAなんてマイナーだったし」
「はい、実はその当時ファンだったので……」
そっか、と沙織は呟く。
バスのロータリーを抜けると、マンションの横に月が見える。夜空に一つだけ取り残されたように浮かぶ十六夜の月は、街灯と比べても意外と眩しい。
「それなら本人に聞いてみたらいいんじゃない? なんとなくだけど、三鷹ちゃんなら教えてくれそうな気がする」
「え、そうですか?」
「だってさっき聞こえた。彼、三鷹ちゃん見ながら呟いてたもん。『似ているな』って」
舞は困惑する。
「あの、似ているって、何が」
「知らないわよー。でも……やけに悲しそうっていうか、同情っていうか、そんな目をしてたような」
似ている? 悲しそう? 同情?
舞の頭の上に次々とクエスチョンマークが並ぶ。
沙織と別れ、家に帰り、やがて眠りに落ちるまでその疑問は頭の片隅に残り続けた。
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