逃げてるだけじゃないのか?


 翌日も、その翌日も、祐司はランニング中に舞と出会うことはなかった。


 やはりいつも通りの五時半起きでは遅いのだろうか。かと言ってそのためだけに早起きするのもストーカーじみていて気が引け、何より今の生活リズムではこれ以上の早起きは疲労が溜まって厳しい。

 三年生になって勉強はより難しくなり、成績の悪い祐司は今以上に授業中に眠る訳にはいかないのだ。


 学校でも舞と喋ることはあまりなかった。

 休み時間や授業中にチラッと彼女の方を見ることがあった。休み時間こそ前後の席の女子と何やら楽しそうに会話しているが、授業中の彼女は大抵いつ見ても眠っているかうとうとしていた。


 その日、学校が終わると祐司は少し歩いて駅前に向かった。

 数年前からこの辺りの開発も進み、駅前には十階建てのショッピングビルもできている。目的の本屋はその六階に入っている。


 発売されたばかりのマンガを買い、雑誌コーナーをうろついていると、陳列された野球雑誌が目に入る。

 表紙には先日まで行われていた春の甲子園の優勝投手がニッコリと微笑んでいた。何気なく手に取り、パラパラとページをめくっていく。


「祐司」


 背後からの低い声に、祐司はビクッと大きく肩を揺らす。


のぞむ、なんでここに」


 野球部のキャプテンで、正捕手の神田川かんだがわ望は疲れたような顔をして、


「ついさっき雨が激しくなってきてな。今日の部活は筋トレだけで解散だ」


 と言った。彼の着ている制服は確かに湿り気を帯びている。


「なるほどな。それで、なんでわざわざここに? 家は逆方向だろ」


 彼は無言で一冊の本を目の前に突き付けてきた。祐司は手に取ってそのタイトルを読み上げる。


「『リハビリテーションの極意』」


「学校で会いに行く手間が省けて良かったよ。リハビリはまだ続けてるんだろ? 結構その分野じゃいい本らしいぜ」


「こんなので一気に治るんだったら苦労しねえよ」


 本を押し返そうとして、逆に無理矢理手に握らされてしまった。


「そうかもな。だけどそれはお前の気持ち次第じゃないか?」


 気持ち、ね。

 そう自嘲気味に呟くと、彼の鋭い目は祐司の目を真っ直ぐ射抜こうとする。


「祐司、何度でも言う。本当にもう戻る気はないのか?」


「言っただろ、本当に無理なんだって。それにいいじゃねえか、和人かずと翔太しょうたもすっかりいいピッチャーになっただろ」


 杉浦すぎうら和人と愛内あいうち翔太はそれぞれ三年生と二年生で、今の野球部のピッチャーだ。


「あの二人じゃまだ不安がある。お前がエースとして戻ってきて、あいつらをリリーフで使うのが一番いい形だってことくらいわかるだろ」


 望は祐司の見ていた雑誌をパラパラとめくる。表紙の投手のインタビュー記で手が止まった。

 はい、やっぱり嬉しいですよね、子供の頃からの夢だったので。――


「お前なら今度の夏の特集号の目玉だって飾れる。俺が保証する。練習試合でも他チームの奴によく聞かれるぞ。高崎は戻ってこないのか、一度対戦してみたい、って」


 祐司は俯いて口を閉ざす。望は大げさに溜め息をつく。


「こんなこと言いたかないけどさ……お前、本当はリハビリがしんどくて逃げてるだけじゃないのか?」


 その言葉にカチンときた。


「お前に何がわかるんだよ! 俺がどうしようと関係……」


 左手で望の胸倉を掴み上げた瞬間、通行人や店員の不安そうな目線に気付く。手の力を緩めて、「関係は、あるか」と言った。


 望は黙って祐司の手を外し、舌打ちをする。


「情けねえ。俺達西高のエースはこんな腑抜けだったのか? いつも言い合ってたじゃねえか、最強のバッテリーになろうぜって。リハビリのしんどさなんかわかんねえけどさ、お前はその程度で諦めるような奴だったのか?」


 祐司はまたも黙り込んでしまう。望は背を向ける。


「もういいさ。さっさと帰って練習予定の調整しないとな」


 じゃあな、と左手を上げて望は本屋から出ていった。二人の様子を見ていた野次馬も自然とばらけていく。

 祐司は再び望に渡されたリハビリ本に目を落とす。

 その仰々しいタイトルを見ながら、ふつふつと悔しさが湧いてくるのを感じ、チクショウ、と知らず呟いていた。



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