第8話 夢と指切り
お昼過ぎの教室。
昨日の夜は色々考え事をしてしまって、ちょっと寝不足気味だった。
うとうとしながら次の世界史の授業の準備をしていると、不意に肩をとんとん、と叩かれた。
「あの……みつはさん」
消え入りそうだが透き通った声の主はそう、真昼さんだ。
何やら困り顔をして、縋るような目つきで私の方を見てくる。
「な、なに、真昼さん」
「世界史の資料集、家に置いてきちゃったの。次の時間、見せてくれる……?」
「あー、そういうことね。もちろんいいよ」
私は快諾する。
彼女が忘れ物をするなんて珍しかったけど、まあ誰にでも一回くらいはそういう日があるだろう。
それに、資料集を見せることを口実に、真昼さんと机をくっつけて授業を受けられるなんてラッキーだ。隣の席で良かった。
机を移動させるのと同じくらいのタイミングで、教師が教室に入ってきた。
最近はこれくらいの距離感でお喋りすることも多いけど、教室の中ではほとんどないから新鮮だ。
真昼さんの美しい横顔。
いつも授業中にちらちら盗み見てるけど、間近で見ると本当に見惚れてしまいそうになる。
仲良くなってから三ヶ月近く経つのに、真昼さんと教室の外でも関わりがあることが未だに信じられない。一生分のツキをこの短期間で使い果たしてしまったんじゃないかとも思う。
しかし――お昼を食べたあとの授業だから、どうにも集中力が持続しない。このまま真昼さんに肩を預けて眠れたらいいのに、なんて妄想をしてしまう。
そんな感じで世界史の授業を話半分で聞いていると、真昼さんが一枚のルーズリーフをすっと私の前に滑らせてきた。視線は黒板の方を向いたままだ。
「…………?」
疑問に思って差し出された紙を見てみると、几帳面な字で『ねむい?』とだけ書かれていた。
これって……小学生の時にやった手紙回しみたいなやつ?
って言っても、私と真昼さんしかやる人がいないけど。
いつも真面目に授業受けてます、みたいな澄ました顔してるのに、案外こういうことするんだな……。
ちょっと意外だけど、また好感度が上がっちゃう。
一応資料集にも時折目をやっているので、授業はちゃんと聞いているみたいだ。
私は真昼さんの字の下に『ねむい』とだけ書いて、先生の目を盗みながら彼女の方へと送り返した。ふふ、こういうのってなんか楽しい。
『夜更かししたの?』
また紙が返ってくる。
うーん、この質問は答えづらい。
真昼さんのことを考えてたら寝不足になった……というのが正直なところだけど、素直には言えない。
あ、でもそう言えば、夢の中でラッキーなことがあったな。
『夜更かしはしてないけど、夢に真昼さんが出てきた』
今度はしばらく返事が来なかった。
何分か経って、
『どんな夢?』
とだけ追記されていた。
『真昼さんと遊園地に行く夢』
『楽しかった?』
『すっごく。夢で残念』
普段の会話と違って返事にタイムラグがあって、でもそれも悪くないなと思った。
教師の声と、チョークが黒板を叩く音が響き渡る教室で、私と真昼さんだけ別世界にいるみたい。
そこで私たちは、二人にしか通じない言葉で会話を交わしているのだ。
『遊園地、面白そう』
真昼さんの返答。遊園地、興味あるのかな。
『行ってみる? 二人で』
『行ってみたい』
『じゃあ、今度一緒に行こう』
『うん』
とんとん拍子に話が決まっていく。
真昼さんと遊園地デート。それはなんて素敵な響きだろう。
当日は何しようかなって、早くも思いを巡らせてしまう。
ジェットコースターも乗りたいし、観覧車も乗りたいし。
お化け屋敷はどうだろ。真昼さん、お化け怖がるのかな。
怖がる真昼さんを見たいような気もするし、平然としているならそれはそれで面白いし。私やっぱり、真昼さんと一緒に色んな経験をしたいだけなのかも。
授業終了の五分前くらいに、私はふと思いついてルーズリーフの最後の行に書き足した。
『授業中に指切りしたら楽しくない?』
書き終わって、我ながらアホみたいなこと書いてるなと思う。でもいい。
真昼さんに見せたら、ちょっと呆れたような、でも僅かに口元の緩んだ表情を浮かべていた。
先生や周りの生徒にバレないように、机の下で左手の小指をピンと伸ばして待機する。
真昼さんの長い右腕がすっと伸びてきて、右手の小指が私の指先にちょんと触れた。
二人とも視線は黒板を向いたままで、でも心はお互いを向いたままで。
小指と小指をらせん状に絡ませ合う。
そして小さく小さく指先を上下に振りながら、二人一緒に無言で指切りげんまんを歌ったのだった。
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