吸血鬼の少女は狼の獣人と出会う(6)
迷惑な客人を追い払うように見送った男は、近くにいた従業員にしばらく留守にすると言い残して、友人夫婦のところへ向かうために馬を走らせた。
商人である男は、大きな店ではないがそれでも代々細々と続いている商家の当主だ。
三日三晩、馬を走らせた男はくたくたになりながらも友人夫婦が住んでいる家を見つけた。愛馬にこれ以上の無理はさせまいと馬を降りて、最後の頑張りとばかりに歩いて友人夫婦の家に向かう。
この家を用意し、これまでも何度か来たことがある男は勝手知ったる様で小屋に愛馬を休ませ、裏口の扉を叩いて友人が開けてくれるのを待った。
向こう側から人の歩く音が聞こえ、すぐに扉が開いた。そこには、呆れた表情をした友人のカイルがオズワルドを出迎えてくれた。
「やあ!朝からすまないね。邪魔するよ」
どうぞと言う前に入ってくる恩人を、カイルは聞こえよがしにため息をつきながらも歓迎した。
朝ごはんを食べている途中の出来事を気にしていたカイルの妻が、誰がやって来たのか気付いて笑顔を浮かべて立ち上がった。
「オズワルドさん」
「やあ、フローラ。悪いけど朝ごはんを僕にもくれないかな?急いで来たから大量に用意してほしい。僕はもうペコペコで動けないよ」
「ええ、わかったわ。先にマントを貸して。綺麗にしておくから」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
フローラはオズワルドのマントを預り、壁にかけてから恩人に朝ごはんを用意するためにキッチンに立った。
オズワルドは席に座り、隣の朝食をつまみ食いしようと手を伸ばしたところでカイルに邪魔をされた。カイルの朝食だと知っていて手を出したものの、容赦なく叩かれて痛い。
「久しぶりだな」
大げさに痛がる振りをするオズワルドを横目にカイルは席について朝食を食べ始めた。
「まあ、ね?それなりに僕も忙しかったから」
「でも、お前がそんなに急いで来るなんて二回目だ」
「まあ、そうだったかな」
カイルは朝食を食べながらも眉を寄せて難しい表情をしている。どうやらオズワルドが休む暇もないほど馬を走らせてきた用事に不安があるらしい。そして、それは残念ながらに当たっている。
オズワルドがカイルに出会ったのは、幼少時にに道端で怪我をしてしまい、血が出たことで混乱したオズワルドが泣いていた時だ。いつものように冒険をする心地で街を1人で歩いていた時、この時のことはオズワルドにとっては思い出したくない過去の出来事に入る。傷は大したことはなかったのに血が流れたぐらいで泣いてしまうなんて、今では考えられないほどの痴態だ。
そんな時に通りすがりのカイルが大丈夫かと声をかけてくれ、自身の服を破ってオズワルドの傷にあてて止血するように結んでくれた。今ならばそんな不衛生なものを寄越すなと言うのだが、当時のオズワルドには救世主のように見えた。
この時からオズワルドとカイルは友人になった。身分差ある恋を応援し、見返りを求めないリスクを犯してまでその恋を手助けするほど。
「お待たせ。まだまだあるから、気にしないで召し上がってくださいね」
朝早くから急な来客にも関わらず、嫌な顔一つすることなく笑顔でオズワルドを歓迎するフローラ。彼女は、伯爵家の箱入りの長女だった。
当時、医者を目指していたカイルは師と仰ぐ医者と共に伯爵家を訪れた。長女であるフローラが風邪を引き、それが長引いているので診てくれという依頼だった。結果、単に風邪が長引いているだけでゆっくり休んでいればいずれ治ると診断された。
貴族は平民に冷たい。そう思っていたカイルはフローラが医者見習いの自分にも頭を下げてお礼を言ってくれたことに感激して、一瞬で恋に落ちてしまったそうだ。
しかし、平民の男と伯爵家の娘では身分がありすぎる。到底叶うことのない恋だった。
けれど、当時フローラの妹であるルーシーが原因不明の病を患っていた。両親が医者にかからせないので何か知っていることがあれば教えてほしいと、彼女はカイルたちに頼んだそうだ。力になりたいと思ったカイルはオズワルドに異国の医学書を取り寄せさせてまで調べたが、前列のない症状だったようで目星もなく、彼女の力になれないと落胆していた。
カイルは、その後も経過観察として医者と共にフローラの元を訪れて話し相手になっていた。
フローラも、もしかしたら同じ気持ちなのかもしれないと浮かれながら言ってきた時にはついに頭が狂ったのではとオズワルドは思った。けれど、フローラから貰ったという刺繍を刺したハンカチを見せてもらい、もしかしたらと思い直したのだ。
伯爵家に商人として出入りしていたオズワルドは、フローラがどんな立場の娘なのか知っていた。そして、フローラに縁談の話が伝えられた時は奇しくもその場にいた。
夫妻が望む格上の侯爵家の当主であり、娶った数年後に妻を何度も亡くしている死神と言われている50過ぎの男との結婚が決まったと嬉しそうに喜ぶ夫妻の傍らで、当人のフローラは顔面蒼白で辛そうに微笑んでいた。
その日、仕事を終えたオズワルドは急いでカイルの元を訪ねて聞いた。
どんなに辛い生活を送ろうともフローラを愛しぬくか、と。
愛していると即答したカイルに、チャンスをやるから口説いてこいと背中を押して、その日の夜にカイルが伯爵家に忍び込むのを手伝った。そして、カイルの手を取って現れたフローラと共に辺境の小さな村に二人を逃がした。
その後、伯爵家ではちょっとした騒動があったそうだが、相手の侯爵が急死したことで縁談は無かったことになった。
「妹のルーシーのことで話がある」
細身のくせにどこに収めているのかと聞きたくなるほどの量を平らげたオズワルドが口にした言葉を聞いて、カイルはもちろんフローラの表情が強張った。
「ルーシーに縁談が持ち込まれたそうだよ」
「・・・そう」
俯くフローラの隣にカイルは座り、慰めるように肩を抱く。
カイルも義妹であるルーシーのことは知っている。ただ姿を見たことはなく、いつも私室に籠っている病弱な妹だと聞いていた。フローラが駆け落ちした時、窓から二人を見ていたこともフローラに手を振っていたことも。
オズワルドも何度か伯爵家を訪れていたがルーシーに会ったことは一度もない。ただ、珍しい金色の髪と青い瞳を持った美しい娘で社交界に出られないほど病弱だと夫妻が言い触らしていたことは知っていた。
「驚かないでくれ。相手はね、死神侯爵の跡を継いだ息子だよ」
「え?」
声を出して驚くカイルと言葉を無くすフローラを見て、オズワルドは目尻を下げて申し訳なさそうに微笑んだ。
「これ自体は前から知ってたんだ。と言っても婚約式をした1週間に知ったことだけどね。しかも、当人たちは婚約式に初めて顔を合わせたらしいよ」
「はぁ?」
理解しかねると、カイルの素直な反応にオズワルドも同意するように頷く。例え政略結婚だろうと、せめて一度くらいは顔を合わせておくのが常識だ。
フローラはかわいそうなほどに青ざめ、妹を心配していることがよくわかる。
それを更に酷くさせると思いながらも、オズワルドは本題に入った。そう、急いでやって来たのはこれを話すためなのだから。
「三日前、僕の店にその婚約者がやって来た。ルーシーじゃない、侯爵家を継いだマーカスがね。商人である僕にお願いがある、と」
死神侯爵には五人の子供がいた。けれど、その内の二人は幼少時に亡くなり、残りの二人は後継者争いで亡くなった。残ったのが、死神侯爵の次男であるマーカスだ。
そのマーカスがいきなりオズワルドの店に現れて詰め寄られた時には何事かと驚いた。そして、次の瞬間に聞かされた話は情報に長けたオズワルドでも知らなかったものだった。
「ルーシーが、伯爵家から逃げたそうだよ」
「っ!!」
「でも!ルーシーはっ」
「フローラ、落ち着いて」
勢いよく立ち上がったフローラを宥め、はっとした彼女が座り直してからオズワルドは話を続けた。
「幸か不幸か・・・本当にそう言っていいのかわからないけれど、幸か不幸かルーシーはまだ見つかっていない」
幸か不幸か、無事に逃げ続けているのか病を発症して誰かに捕まったのかはわからない。しかし、できれば前者の可能性を信じたい。
フローラがカイルと駆け落ちした翌日、フローラの駆け落ちに気付いた伯爵夫妻は相手がカイルだということに気付くことはなかった。今もまだ気付いていない。よく考えればわかりそうなことではあるが、平民はどうやら無意識に除外しているらしい。
そのことに呆れはしたものの、ルーシーがフローラのことを話していないことを知って、オズワルドは意外に思ったものだ。
フローラから聞く話では、ルーシーはその美しさから拾われてきた捨て子だそうだ。次女ということにはなっているものの、同じ屋敷に住んでいるのに話したことも会うこともほとんどなかったらしい。当然、姉妹仲は悪くもなければ良くもない。
しかし、実子であるフローラが伯爵家を出ていって、まるで監禁されているようなルーシーを置いてきたことに彼女が罪悪感を抱いていることは知っている。
実際のところ、ルーシーも連れ出せないかという話を何度かしたことはある。ただ、フローラの件以降ルーシーの監視は更に厳しくなった。逃げ出されてたまるものかと、伯爵夫妻が戦々恐々としているのは目に見える。
「ルーシーはきっと夜中に抜け出したんだ。そして、何故か侍女と伯爵が雇った監視は深い眠りについていて朝まで起きることはなかったらしい。伯爵家も探しているけど見つかっていない。・・・おかしいよね、真っ白な髪と青い瞳の女の子なんて、誘拐されていたとしても目撃情報くらいはあるはずなのに」
一つくらいはあっていいはずだ。なのに手がかりが見つからない。
カイルとフローラは顔を歪める。
「じゃあ、もしかしたら」
「カイル!・・・やめて」
「ごめん」
「オズワルド。ルーシーに関しての情報は、これだけじゃないでしょう?あなた、まだ何か掴んでいるのでしょう」
フローラの茶色の瞳が剣呑とオズワルドを見据える。
オズワルドは、最初は友人であるカイルの恋だからこそ応援した。相手が誰であっても、応援しただろう。何故親の言いなりになっているフローラに、とも思ったけれど彼女が案外肝が据わっている女性だと気付いたのは伯爵家から逃げる時だ。
貴族の女性はか弱くできている。それは仮面として見せていることもあるが、フローラは精神的にも体力的にもか弱そうに見えていた。彼女はいつもまなじりを下げて困ったように微笑み、友人という友人もおらず、出掛けることもほとんどなかった。
伯爵家から逃げる時、荷馬車に二人を乗せてこの辺境までやって来た。着の身着のままで逃げてきたフローラには途中で服を着替えてもらったが、それでも生来の貴族女性としての上品な仕草はなかなか抜けないものだ。だから、できる限り荷馬車の中で過ごしてもらった。それはフローラにとっては過酷な時間だったはずだ。なのにフローラは泣き言一つ言わず、知らない土地で過ごすことになっても、日々に合わせた生活を送ろうと努力してきた。今の彼女からは丁寧さを感じるだけで、家事は完璧にこなし、商品の見分け方も値切り方も身に付いた。水場の仕事もするようになり、傷一つないきれいで滑らかなだった手は今やあかぎれとたこができている。
フローラの努力を、今のオズワルドは買っている。
オズワルドは肩をすくめて、フローラの問いに答えるために口を開いた。
「北の森近くの村で、ルーシーに似た女性を見かけたという情報がある」
「北の森?」
「そう。ローデンリニアでは忌避される北の森。テタルトへ繋がる森、だよ」
フローラは口に手をあてて考え込む。
ローデンリニアでは王家、貴族、平民の全国民に共通して徹底的に教え込まれる常識がある。
獣人の国テタルトは魔の国である。入ったが最後、生きては帰れない。奴等は野蛮で凶悪な化け物だ。決してローデンリニアの北の森には近付くな。
過去、周辺諸国とテタルトとの戦争でローデンリニアは長い間戦の絶えない荒れ果てた地になっていた。他国の争いの地に利用され、今もまだローデンリニアは利用され続け、テタルトの緩衝材という役割だけを押し付けられている。
ローデンリニアの多くの民はテタルトを忌避し、そして嫌悪している。テタルトさえ獣人の国でさえなければ戦争が長引いて自国の被害があんなに大きくなることはなかったのに、と。
「あなたに依頼するとしたら、一体どれだけの報酬が必要になるのか話したことはあったかしら?」
「いや?無いよ。今まではカイルからのお願いだったからね」
「オズ!」
カイルが非難の目で睨み付けても、オズワルドは気にすることなくフローラに笑みを向ける。
今までは友人であるカイルのお願いだったから無償で聞いていた。オズワルドはそう意味を込めて言ったのだ。フローラの努力を買ってはいても、商人であるオズワルドは簡単に依頼を受けたりしない。
そして、その意味を理解したカイルが不平を言おうとした所で彼は最愛の妻に止められた。
フローラは険しい表情をしているカイルに大丈夫というように笑いかけ、その様子を興味深げに見ていたオズワルドを振り向いて頭を下げた。
「ハノーヴァー商会の当主であるオズワルド殿に依頼があります。私の義妹であるルーシーを見つけてください。報酬は、何年かかるかわからないけれど必ず払います。だから、どうかお願いいたします」
「お金はいらないよ。代わりに、僕の頼みを聞いてほしい」
予想していなかった言葉に、面を食らったカイルとフローラはぽかんとオズワルドを見上げた。
「その、頼みって・・・」
「この土地には幻の花があるんだ。ベニトアイトの花と呼ばれる、100年に一度咲くか咲かないかと伝えられている伝説の花だよ。最後の発見は300年前。それ以降は咲いていたのかもしれないけど見つかってはいない。今年がちょうど300年目の年だけどまだ見つかってないんだ。それを探してほしい」
「オズワルド」
「カイル、僕は君の友人だ。けれどね、僕は商人なんだ。ルーシーを見つけるためには長い時間がかかるだろうし、大きなリスクを伴うかもしれない。北の森に向かった可能性が高いからね。君の最愛の人であるフローラの頼みだからもちろん聞いてあげたいとは思うけど、リスクあるものにはそれ相応の対価をもらわないと」
オズワルドはカイルにとって古くからの信頼する親友であり、それと同時に何でも損得勘定をはじき出す根っからの商人気質であることを知っている。
友人の複雑な思いを感じ、オズワルドは内心苦笑する。
「珍しい花なんだ。見たいと思うのは、当然だよね?」
「そう、かもしれないけど・・・」
「見つけたら、どうすればいいの?」
どこか納得していないカイルをもう一度見て、オズワルドは意を決したフローラに目を向けた。
「茎を切って花を水につけて浮かべて。井戸の底の綺麗な水を使って、それから毎日取り換えてほしい。花びらの表に水滴がつかないように細心の注意を払ってね」
「わかったわ。必ず探し出してみせる。・・・私、ルーシーに謝りたいの」
フローラが、彼女を誰も知らない土地にカイルと移り住んでから1年は経とうとしている。
あの夜、カイルと庭を抜け出そうとした時に見えたルーシーの淡い微笑みを忘れたことは1日たりともない。
「うん、わかっているよ」
フローラの思いに寄り添うように、オズワルドは優しい笑みを浮かべる。
「・・・僕だって、あの時ルーシーも連れ出すという手を考え付かなかったことを後悔してるんだから」
フローラたちの耳に、小さく呟いたオズワルドの言葉が届くことはなかった。
オズワルドは北の森がある先、テタルトへ焦がれるような目を向けた。
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