吸血鬼の少女は狼の獣人と出会う(4)
「あ、あのっ・・・・ほっ、本当に本当に申し訳ございませんっ・・・!!」
未だ血の匂いが微かに残る部屋の中には、寝台の上であぐらをかいて俯いている大男と床の上でガタガタと震えながら顔を歪めてか細い声で頭を下げている少女の姿があった。
膝に両肘を付き、組んだ手に額をのせてそこらよ刃よりも鋭い目をしている大男の首筋には、蚊に刺されたような二つの赤い傷痕がある。
言わずもがな、ハイドから滲み出る不機嫌さと威圧が動揺と混乱に陥っているルーシーを更に責め立てていた。
ルーシーの吸血行為が終わった後、二人は翌日の朝までそのままの状態で眠ってしまった。先に目が覚めたルーシーの家中に響き渡る叫び声でハイドが目を覚ますと、自身の身体に跨がりなりながらも青ざめて硬直する彼女と目が合った。その直後から、ハイドが言葉を発する前に床に飛び降りて涙を堪えながらずっと謝り続けている。
こちらが被害にあったとはいえ、ずっと頭を下げられているとまるで弱い者いじめをしているようだと思いながらハイドはルーシーを見下ろした。
何故か昨日よりも血色は良さそうだ。まだ青白くはあるものの、きっとこれは自身に対する申し訳なさからだろうと判断したハイドは、とりあえずは事情を知るために話し合おうと決めて、寝台から立ち上がった。
気付いたルーシーがびくっと身体を強張らせ、ごめんなさいと絞り出したような震える声音を聞いて、ハイドは思わず大きなため息をついた。
「もういいから気にするな。だが、お前には聞きたいことがある。水を持ってくるから身体を清めて服を着替えろ。この部屋にある服ならなんでも使っていい」
「い、いえ!わたしっ」
「逃げるな。俺は獣人だ。お前が逃げる音は聞き逃さないし、逃げたらすぐに捕まえて噛み殺してやる」
大方すぐにでも出ていくと言おうとしたのだろうルーシーの言葉を遮って、ハイドはできる限り脅しに聞こえるように言い募った。案の定、まだ床に座ったままのルーシーは言葉をなくし、こくこくと震えながら頷いた。
言い過ぎたかもしれないと瞬時に後悔しつつ、いや血を吸われたのに訳もわからず逃げられてたまるかと思い直して、ハイドは水と布を用意するために寝室を出た。
一方のルーシーは今すぐにでも逃げ出してしまいたいほどの後悔と焦燥に駆られていた。
その理由はもちろん助けてくれた恩人相手に、成人になってから2年間も沸き上がらなかった吸血欲を向けてしまい、大量の血を啜り飲んでしまうという失態をしてしまったからだ。そして、見た目は人間なのに人間は絶対にしない行為をしてしまったからにはルーシーの正体を明かさなければならないかもしれないから。
獣人という種族は、ルーシーからしてみれば魔族と近い存在だ。キャトリエムには狼男の一族もいるから勝手に親近感を感じていたが、それでも違う生き物であり、この世界に魔族はいない。吸血鬼という、お伽噺の中の想像上の得体も知れない生物を認識して許容してくれるはずがない。
「・・・どうしよう」
その場から動くことができないまま、ルーシーはまた泣きそうになる。もうすでに瞳は零れ落ちそうなほどに水滴が溜まっている。
けれど、旅の疲れもあってか今まで鉛のように重かった身体はとても軽くなっていて、否が応でも健康的な食事をしたのだと思い知らされる。
吸血している時の記憶は曖昧だが、ハイドという獣人の血はとても美味しくて飲んでも飲み足りないくらいに貪っていたような気がする。口内に残る彼の味が身体に、神経に、脳に、既に刻み込まれている。
フラフラと立ち上がり、ハイドが座っていた寝台に誘われるように顔を伏せて残り香を嗅ぐ。
血の匂いが微かに残っている。食欲をそそる、とても美味しそうな匂いだ。まるでその血の匂いに自身が包み込まれているかの感覚に陥って、ルーシーは先程までの不安を忘れ去って幸せを感じていた。
伯爵家でローデンリニアと周辺諸国について勉強させられていた時、獣人の国であるテタルトは野蛮な国だと教えられた。それは人間とは異なる姿をした獣人だからという理由と小さな国なのに国力が高いという嫉妬からで、キャトリエムとティエルスのように平和的に共存しようと人間側が努力していないことも知った。
それがまた、魔力を持った吸血鬼であることを隠す決意を更に固め、万が一の可能性を考えて簡単な魔法すら使わないように決めたのだ。
テタルトのことを知っていく中で、獣人は3つの形態に姿を変えられると知った。1つ目は先程のハイドのような人型で、耳あるいは尻尾に獣の要素が出ている。2つ目はキャトリエムにいる狼男と同じような姿で、手足は人のそれと同じだけれど胴体と顔は獣と同じ姿だ。3つ目は完全な獣の姿で、この姿の獣人は獣としての欲が強いので理性がなく狂暴な生き物だそうだ。
ハイドはきっと狼の獣人だ。キャトリエムの狼男と似た匂いをしているし、耳が狼のそれだった。普段から鍛えているのだろうがたいの良い均整の取れた肉体は抱き締めると心地が良くて、その身の内に流れる甘やかな血の香りに惹き付けられて本能を刺激される。
「・・・お腹、すいた」
ぽつりと呟いた言葉が、柔らかな寝台に吸い込まれて消えていった。
「・・・・おい」
「っ!!」
突然聞こえた声に驚いたルーシーが慌てて身体を起こすと、開いた扉の前で布と湯気のたったお湯を入れたたらいを持ってうろんげな目をしたハイドと目があった。
「着替えたら下りてこい」
またも失態を演じてしまったルーシーが真っ赤になって固まって動けない間に、ハイドが無言でそれらを扉近くに置いて出ていった。ルーシーがハイドの匂いを嗅ぐという変態行為をしていたと一目でわかっただろう。
いたたまれない思いをしたルーシーは羞恥に身悶えながらも、ハイドが用意した布とお湯でありがたく身体を綺麗に拭いた。引き出しの中から借りた服に着替え、ズボンは大きかったのでベルトも借りた。
寝室を出たルーシーは廊下を進み、突き当たりにある階段の下で彼女を待っていたのだろうハイドを見つけた。ぼろぼろの服と貸した布とたらいを持ったルーシーを一瞥すると、まるでついてこいというように歩き始めた。裸足のルーシーはひんやりとする床を足早に駆けて、慌ててそれを追いかける。
リビングに入ったハイドは食べ物が用意してあるテーブルについて、ルーシーに向かい側に座るように合図した。そして、ルーシーが持っていたものを回収してキッチンに持っていった。
ハイドがキッチンから戻るまでテーブル横で緊張した面持ちで立っていたルーシーを見て眉を寄せ、気付いたルーシーは慌てて席につくとハイドも席についた。
「とりあえず食べろ。話はそれからだ」
「・・・はい」
本音を言えばルーシーは食べ物よりも別のものを頂きたいのだが、まさかそんなことが言えるはずもなく、厚顔無恥に頼めるはずもなかった。
実際に食べ物を食べてこの空腹をやり過ごすしかない。
そう思って、ルーシーは用意された食事に手をつける。
着替えている間に最初に目が覚めて逃げようとした時のことを思い出したルーシーは、この家が森の中のあることも思い出していた。しかし、木の実のサラダやスクランブルエッグにソーセージ、フルーツと葡萄酒というラインナップを見ると近くに町があるのかもしれない。お金は無いけれど、道さえあればテタルトの端までいって海に行くことができる。
肝心の問題は、昨日から覚えてしまった吸血欲だ。海まで距離がどのくらいあるかわからないけれど、1日や2日で行ける距離でないことは簡単に予想がつく。
しかもルーシーの靴は役割を果たさないほどに使い古され、履いてもきっと裸足とほとんど変わらないだろう。今までよりも、もっと移動に時間がかかるはずだ。
そこまで考えて、目の前のハイドが既に食べ終わってルーシーをじっと見ていることに気付いた。気付いたけれど気付いていない振りをして食べ進める。
そうだ。この人になんて説明すればいいんだろう・・・。
吸血鬼であることは絶対に言ってはいけない。魔力があることも、異世界から来たことも絶対に知られてはいけない。
ルーシーのいた世界では世界は1つではないという考えは常識だったが、どうやらこの世界ではその考えは空想の類いになるということは知っている。信じてもらえるはずがないし、どんな風に利用されるかわからない。
ハイドという獣人は、見たところとても理性的で悪い人には見えない。それでも、内心で何を考えているかなどわかりはしない。
そもそもたった1人世界を渡り、周囲に同族もおらず、軟禁生活を強いられて常に恐怖と戦いながらルーシーは五年間生きてきた。敵ばかりの日常で心許せる人などいるはずもなく、似た種族だからといって簡単に信じることはできない。
無理矢理詰め込み、最後に気付け薬のように葡萄酒を一気に煽ったルーシーは、居住まいを正してハイドを見上げて目を合わせた。
「わ、私はっ・・・ルーシーです。ローデンリニアからやって来た、人間です」
そこでハイドが眉をしかめたが、ルーシーは気付かなかったように言葉を続ける。
「ある家でお世話になっていたのですが縁談を進められて、私・・・病気を持っていて、どうせ嫁ぎ先でも軟禁させられて辛い思いをするくらいなら・・・海を、ローデンリニアには海がないから一度だけでも見たいと思って、テタルトに来ました」
「・・・その病気とは?」
「原因不明の・・・いつでもどこでも眠りにつく病気です。突然ふっと意識を失って、長い時には1週間ぐらい眠ったままになります。・・・だから、その間の私には意識も記憶もありません」
「・・・・・」
嘘と本当を織り混ぜた説明。この説明でハイドという獣人を納得させられるとは、ルーシー自身が無理だとわかっていた。わかっていてもこれが今考えられる誤魔化し方でこれで押し切るしかない。
そして、これは嘘だろう、とハイドは案の定すぐにわかった。
名前は本当だろう。しかし、ルーシーがただの人間であるはずがない。獣人は総じて鼻が利く。森の中に住んでいるハイドは他の獣人より感覚が鋭く、今一度嗅いだルーシーの匂いは人間に近いけれど何か違った匂いがするからだ。少なくとも今まで嗅いだことのない匂い。
病気のことは嘘かわからないが、最初は意識がなかったとしても今朝起きた時には記憶があったはずだ。馬乗りになっていたことは自身が最初に目に映したはずで、ハイドの首筋にはしっかりと傷がある。獣人という種族を初めて見たとしても、あんなに罪悪感を表した顔で怯えることはないだろう。
けれど、どうやらこの(仮)人間は隠し事をしたいらしい。どこの生まれかは知らないが食事の仕草、姿勢、口ぶりからローデンリニアでもいいとこの家に世話になっていてそれなりの待遇を受けていたはずだ。そこから逃げてきたということは、よほど評判の悪い男の家に嫁がされるところだったのだろう。
森の中で最初にルーシーを見つけた時を思い出す。女1人で森に入ることすら危険なのにその身には服とマント以外何も持っておらず、今まで木の影や木葉で身を隠しながら野宿してきたことは一目瞭然だった。
「ご迷惑をおかけしたことは、お詫び申し上げます。けれど、どうか許してください。私、どうしても、どうしても海が見たいのです。どうか私を見逃してください」
ルーシーはその意思の強さがよく伝わるほど真剣な表情をして、一度もハイドから目を逸らさなかった。
海が見たいという理由のためだけに、運が悪ければ死ぬかもしれない無理をするなんてとは思うが、ルーシーにしてみれば大事なことなのだろう。ハイドにとってはそんなに憧れるほど、命を賭けてまで見るような海ではないが。
「どうしてそんなに海が見たいんだ?」
「それは・・・本で、太陽の光を浴びた海はキラキラしていてとても綺麗だと書いてあったから、です。それから夜になると鏡のように一面に瞬く星と輝く月さえも綺麗に映して、まるで異界へ誘い込まれているようだと書いてありました」
「・・・なるほどね」
一瞬、目を細めたルーシーの頬が緩む。
海を見たいという理由が本当であること、そして海というものに相当な憧れを抱いているらしいことは真実のようだ。
しかし、ハイドは思う。綺麗だと言うならば、目の前の存在の瞳の青の方がよほど綺麗だ。押し倒されても、思わず見惚れてもっとその瞳に映してほしいと身動きできなくなるほどには。
ハイドが無意識にルーシーの瞳を見つめていると、返事がないことに不安を感じたのか目が逸らされてびくびくし始めた。
本来の性格はこちらなのかもしれない。意識がないと遠慮というものがなく、馬鹿力が働くことがあることはハイドも身に覚えがある。
言及しようかとも思っていたが、ここはルーシーの言うように病気のせいということにしておこう。どうせすぐに関係なくなる。それにただ血を吸われただけで身体に異変もない。聞きたいことはあるが、余計なことを聞いて余計な関係を持つことになっても面倒だ。
「わかった。この家を出たら、お前と俺は無関係だ。もしこの先会うことがあっても、お互いにその時が初対面だ」
「・・・はい、ありがとうございます」
ほっと安堵した表情を見せたルーシーは、今度は立ち上がって深々と頭を下げた。
「だから、怪我が治るまではここにいればいい。地図とか靴とか色々と用意してやるから待ってろ」
「えっ!?で、でもっ」
ぎょっとして頭を上げたルーシーをハイドは手で制す。
「ここは獣人の国テタルトだ。ただでさえ人間が1人で歩いていると目立つ。そのうえそんな目立つ髪色をして隠すものもなしに歩いていると邪な連中が群がるぞ」
ルーシーははっと息を飲んで、ハイドの指摘する事実に気付いた。
ルーシーの髪色は、元々は黒だった。けれど、ローデンリニアで暮らす内にそれは本当に白に変わってしまった。伯爵家から逃げる時に魔法で黒に色を変えていたが、食べることもままならず、体力も削れていくばかりで魔法も保つ余力もなくなっていった。
ルーシーの真っ白な髪は本当の姿だ。指摘されるぐらいだから、テタルトでもこの容姿は目立つのだろう。こんな姿でマントも被らずに街道を歩けば、あまりよくない未来にたどり着くのは間違いない。
でも、と募る苦渋を見越したのか、ハイドは身長差のあるルーシーの肩を安心させるように軽く叩いた。
「安心しろ。ここには俺しか住んでいない。俺も誰にも言わない。ここでしっかりと食事を摂って睡眠を摂って体力を回復させておけばいい」
ハイドの口からは、無意識に言うつもりのなかった言葉が紡がれていた。
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