吸血鬼の少女は狼の獣人と出会う(3)

 

 ルーシーは、人間との混血も生まれつつある現在では珍しい純血の吸血鬼の一族に生まれた。キャトリエムとティエルスの二つの国、魔族と人族の二種族しか存在しない世界で生きていた彼女が、異世界のローデンリニアという人間の国に転移してしまったのは12歳の時だった。


 その日、ルーシーはキャトリエムの屋敷でいつも通りに過ごしていた。夜明け前に目が覚め、太陽が昇り始める前に日課の散歩をして、両親と朝食を食べ、今日はどんな本を読もうかしらと思いながら書庫に向かった。


 吸血鬼の中でも始祖にあたるルーシーの家の書庫には、ジャンルごとに分けられていても年代の様々な本がバラバラに置かれていた。きれい好きではあるけれどそんな細かい整理整頓までは気にしない、魔族らしい性格が表れた場所だった。


 当時、魔法に関しての本を読むことがルーシーのお気に入りの時間だった。


 10歳になると、魔法を習うために学校に行くことが決まっている。しかし、2年間は基礎の授業なので基礎を身に付けている子どもは免除されることがあり、ルーシーはそれに該当していた。幼い頃から魔法の本を読み漁り、既に基礎を身に付けていたので翌年から通学してもよいと許可されていたのだ。



 その日、最初にルーシーが読み始めた本には対象の姿形を変化あるいは色を変化させる魔法、対象を他人に認識させないようにする魔法などが書いてあった。


 ルーシーはそれをじっくりと読み込み、ふと目についた自身の黒髪を見て、呪文を唱えて澄みわたる青空の色に変えてみた。太陽の光は苦手だけれど少しだけカーテンを開けて、青空の髪を光にあてるととても綺麗な色だった。


 窓ガラスに映っている姿を見ると金色の瞳とも相性が良く、しばらくこのままでもいいかなとルーシーは思った。ティエルスの人間たちは、この時のルーシーの瞳と髪が反対の色をしている者が多いらしい。しかし、この間生まれたばかりの弟に顔を覚えてもらったばかりなのに知らない人だと思われるかもしれないと思い、すぐに元の黒髪に戻した。


 それから二冊の本も読み込んで実践に移し、そろそろ侍女が呼びに来る時間かもしれないと本を棚に戻すために椅子から立ち上がった。


 二冊目を戻したところで、ふと一段上にある古い本が目について思わず手を伸ばした。けれどルーシーの背では届かず、精一杯つま先で立って棚に掴まりながら指先でなんとか本を手にした時、つい力が抜けて体勢を崩してしまい、本がルーシーの指先を滑って落ちてきたのだ。


 微かな痛みと血の匂いがしたと同時にルーシーは足元に魔法陣が描かれていることに気付き、光に包まれて眩しさに瞬いた次の瞬間にはどこかもわからない道端に座り込んでいた。


 キョロキョロと辺りを見渡して遠くからこちらを凝視している人間と目が合った時、はっと俯いて混乱しながらも髪と瞳の色を変えた。人間の国、ティエルスでは普通とされる金色の髪と青い瞳に。


 けれど人間がいたからといってここがまだ行ったことのないティエルスだと、同じ世界のどこかだろうと勘違いしているとわかった時、ルーシーは途方に暮れて絶望した。


 まず、ルーシーを見つけたのは伯爵という地位を持った夫妻を乗せた馬車を操っていた御者だった。この世界・・・ローデンリニアでは金色の髪と青い瞳の人間は珍しい色素だったようで、その色を持っているのに道端で迷子になっている女の子を見て呆然としていたのだ。

 そしてそれを見咎めた夫妻が御者の視線の先を見て、うずくまっているルーシーを見つけ、即座に伯爵家に連れ帰った。自分たちの子供として、来るべき時に手駒としていいように扱うために。


 ルーシーがどこから来たのか、どんな血筋の子どもなのかは夫妻にとって問題ではなかった。貴重な色素を持ち、しかも目鼻立ちも整っている綺麗な女の子を伯爵家の子どもとして育て、格上の貴族もしくは王家に嫁がせることができれば、伯爵家は恩恵を受けることができるからだ。


 その未来を得るため、伯爵夫妻は何の知識も持っていなかったルーシーに貴族としての教養を身に付けさせた。事あるごとに、拾ってやった恩を忘れるなと言いくるめて。


 あまりものを喋ることなく、いつもおとなしいルーシーはいつも伯爵夫妻の言うことを聞いていた。それは聞いたことのない国がたくさんあること、少なくともローデンリニアには魔力を持った人間がいないこと、キャトリエムとは全く遠い異世界に1人で来てしまったこと、魔族がいないこと、代わりに人間とは差別される獣人という種族がいることを知って、本当に別の世界に来てしまって元の世界に戻る術が無いことを知ったからだ。


 世界が一つでないことをルーシーは知っていた。それは元の世界では当然の常識だったからだ。けれど、それがまた現代ではまるで伝説のように語られていて、異世界に転移することは今はできないと教わっていた。


 何が原因か、まさか異世界に転移しているなんて思いもしなかった。


 しかも、たった1人だという事実は、まだ12歳の幼い子どもには耐え難い事実だった。しかも、ルーシーは人間ではない。この世界には存在しない、魔力を持った吸血鬼という人外だ。


 吸血鬼は魔族の成人年齢である15歳になると吸血欲を覚えはじめる。学校でそれをコントロールする方法を学び、我慢できなくなったら恋人もしくは家族から貰うことが基本だった。


 しかし、ルーシーはまだ12歳でコントロールの方法などわからない。誰かに血を貰えるわけもない。この世界には魔族すらもいないのに、空想上の存在である魔力を持った、しかも血を啜って生きる存在だと知られてしまえば化け物だと恐れられて殺されてしまう。


 あと三年後には正体がバレてしまう。

 そんな不安と恐怖を日々抱きながらも、ルーシーを逃がさないようにと監視の目を緩めない伯爵家から逃げることも出来ず、ルーシーが15歳になった時にその異変が起こった。


 吸血欲が起こることを恐れ、また自分1人で異世界で過ごしているというストレスから、ルーシーの髪から色が落ちて白くなり始めた。それに気付いたのはルーシーの監視兼侍女で、すぐに夫妻に報告され、せっかくの価値がと罵倒された。


 そして、吸血欲は起こらなかったもののその反動のせいなのか、ルーシーはいつでもどこでも突然眠りに落ちるようになってしまった。社交界に出ることができないほどの伯爵家の病弱な次女で売り出していた娘は、本当に病気を患ってしまい、夫妻は役立たずの能無しを拾ってしまったと喚き散らした。


 真っ白な髪はともかく、原因不明の聞いたこともない病を持っていては格上の貴族にもましてや王家にも嫁がせることはできない。愛妾という選択もあるが、ローデンリニアは一夫一妻制だった。王家のみに、子が生まれなかった時に限って許された特例だった。お金を持っている商人という手もあったが、夫妻は爵位を持った格上の貴族に嫁がせたかった。


 ここまで育ててきたのに恩を仇で返すような病を発症させたルーシーを夫妻は疎んだが、それでも病のことを隠していれば何か役に立つかもしれないとルーシーを放り出すことはしなかった。


 実子であるフローラが駆け落ちして伯爵家を出てからは、ルーシーに傷一つつけることなく綺麗な身のままで嫁がせて大金を手に入れようと躍起になった。普通は持参金を持たせるところを、伯爵家は借金に背負っていて持参金など用意することができず、逆にお金をもらうための代わりに嫁ぐことを条件に相手を探し始めた。


 そんな取引先が、まともな人間であるはずがない。


 フローラが駆け落ちする数日前に夫妻が実の娘に持ってきた縁談は、格上の侯爵でも既に50歳を越えた男だった。これまで妻を何度か娶ってはそのたびに亡くしていた、死神と言われている男でもあった。領地経営は順調で悪い噂もないが、反面として男が娶る妻はお金に困った女性が多く、娶った後に家には援助としてお金が送られていることも多くに知られていた。


 その男に嫁ぐという意味を理解できないほど、貴族として生まれ、ルーシーと同じように両親の言いなりになっていたフローラは愚かではなかった。彼女が駆け落ちした相手は、風邪を引いた彼女を診た医者についていた見習いの青年だった。駆け落ちした日の夜中、フローラが青年と出ていく姿をルーシーが見送ったことは誰も知らない。


 夫妻はフローラがどうしていなくなったのか理由を知らず、贔屓の商人が駆け落ちという可能性もあると指摘した結果そんな醜聞を広げるわけにはいかないとルーシーとの縁談を進めようとした。その矢先、相手の男が急死したのでその話はなくなったはずだった。


 それが再度持ち上げられたのは、死神侯爵の後を継いだ息子が伯爵家に直接話を持ってきた半年前のことだ。


 ルーシーを名指しした取引に、夫妻は一も二もなく頷いた。しかし、相手に病のことを話しておらず、そして万が一にもルーシーに逃げられるわけにはいかないと考えた夫妻は後戻りできないように婚約式で初めて二人を引き合わせた。


 その婚約式で、ルーシーはマイルズと会い、彼女を見下し征服させようとする嗜虐を含んだ瞳の色に恐怖を覚えた。婚約式の間、マイルズはルーシーの手を絶対に離そうとはしなかった。痛いほどに握られ、ルーシーの恐怖を煽られて、この男の元に嫁いでしまうと二度と逃げる機会がなくなってしまうと思った。


 だから、ルーシーは逃げたのだ。


 マイルズから伯爵家からローデンリニアから逃げて逃げて逃げて、差別され恐れられる獣人が住んでいるテタルトへと向かい、最期に海を見てから死んでしまおうと考えた。



 まさか、森の中で行き倒れたルーシーを助けてくれた獣人相手に強烈な吸血欲を向けることになるとは思わずに。

 一日一日を生きることに精一杯で、吸血鬼であることを忘れかけていたルーシーは皮膚の下を流れる美味しそうな血の匂いに惹かれて本能のままに貪ってしまった。


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