沈黙の羊たち
星野 驟雨
黙秘
様々なコスプレが放り出されたベッドルーム。とあるアニメの制服を着て力尽きている女が見える。こいつの名前を知らない。
腕には手錠、腹部の制服がはだけていて黒のインナー越しに美しい曲線美が見て取れる。目は髪で隠れて見えないが、肩で呼吸をしている。全体的に崩れた服装から太ももや肩、臍といった性的対象が曝け出されるのは、全裸でいるよりも情欲を誘った。
嫌に響く呼気と霧散した欲が空間を支配していた。
俺はこの場所に5時間もいる。
ラブホだったらよくある事だが、ここは一軒家。だのにこんな格好の女がいる非日常に興奮しない筈がない。
女に近寄り声をかける。
「生きてるか」返答はない。
2度目を聞こうとしたところで背後のドアが開き、男が入ってくる。
手には電気パッドと言うのだろうか、SMで使われるようなものがあった。
「さて、今まで君には5時間ほどここにいてもらったけど、あとどれくらい時間あるかな?」
唐突にそんなことを聞いてくるから、反射的に「明日は休みなので大丈夫です」と答えてしまった。
「じゃあ次の休みは?」
「明々後日です」
「わかった。じゃあ15時にまたここに来てね。判断しやすいようにチャイムは2連打を2回」
「わかりました」
男はおもむろに準備を始める。
力無い女の体躯はX状にベッドの四隅に結ばれ、枷も革のものに変わった。
譫言のように「やめて」と懇願していたが、誰も聞き入れはしなかった。
男が出力を最大にしたままスイッチを押す。
刹那、今まで疑問だった事を一つ理解した気がする。
どうして公開処刑がなされるのか。
人が壊れるのは美しいからだ。最高のエンターテイメントだからだ。
女は声も出せずに、体を弓なりにしならせて震える。
なぜ男はここに俺を立ち会わせたのか。
女と一緒に俺まで壊そうとしている。
本能的にわかってしまう。
スイッチを切れば弛緩して荒く胸が上下する。
針金は捻じ曲げて仕舞えば戻らない。
トラウマにせよ、新しい扉を開くにしろ、それが変化であることに変わりはない。
俺は勃起していた。脳みそが喜ぶのがわかる。5時間で一番力強い屹立に瓦解し始めていた。
女は繰り返し緊張と弛緩を繰り返す。
調教は俺にまで施されていた。
パブロフの犬のような気分と言うべきか。
女が耐え切れずに気絶したところで、知らない快感が脊髄を突き抜ける。絶頂よりも深く力強い。達するのが火花に例えられるなら、これはフラッシュだった。
記念写真撮影の一瞬の光に似た閃光が俺の内側を焼き切っていく。
汗を滲ませて意識を手放した女が嫌に扇情的に映る。壊したい。
思い返せば、このとき既に根付いてしまっていたみたいだ。
女と俺の関係はセックスフレンドだった。
年齢は35歳ぐらいで引き締まった身体をしていた。小綺麗で美人の部類に入るような人だったから、最初に会った時絶対にものにしようと思っていた。
最初こそ俺が誘ったが、以降は彼女から誘われるようになり、お互いの事情も考慮してバレないように慎重に会っていた。
娘さんがいることも、それも垢抜けて母親似なこともベッドで知った。お見合いとかどうかなんて話をしたり、その時間は楽しかった。
ところが、彼女の旦那はあまり人を信じない人間のようで、3ヶ月で関係を突き止められた。
男は不思議な人間で「慰謝料もいらないが、俺の要求には従ってもらう」と言った。ビクビクして行っただけに、内心ホッとしたのは事実だ。
男の要求は簡単だった。
今までどんなプレイをしてきたかを教えるだけ。
隣の彼女が俯いている中、全てを説明した。
コスプレや着衣など洗いざらいだ。
女が喋ろうとすると、男は制止して俺たちのチャットログをぶちまけた。
全てを説明し終えたところで、男は「わかった」と一言だけ言い放ち、女の腕を掴んでドアの方へ引っ張った。
女が抵抗すると頰に平手打ちをした。
そのまま唖然と見ている俺に向かって「君も一緒に来てくれ」と女のもう片方の腕を顎で指した。
この場所で圧倒的弱者の俺は、この男のいいなりになる他なかった。
女から聞いていた優しい人という話はなんだったのか、男は女に一瞥もくれずに引きずる。
実際、玄関に飾られていた写真は誠実そうだったし、優しい印象があった。
家族構成は夫婦に娘一人で、若々しい大黒柱というイメージだった。だからこそ余計にビクビクしていた。
だが、本当に恐ろしいのはその内側だった。
寝室にて俺が見たのは、防音効果のある材質で囲まれた室内だった。
女も何がどうなっているのか分からないようで混乱していた。
理解の追いつかない俺たちをよそに、男はベッド下の収納から、コスプレと手錠を取り出した。
「君たちのことを調べたらコスプレが好きなようだからね、俺も着せてやろうと思って」
そのまま選び始め、最終的にアニメ作品の制服コスプレに決めた。
俺は冷や汗をかいていた。
それは俺たちが初めてコスプレでセックスした時に着たものと同じもので、材質もいいものだったからだ。
「これいいな。わかってる。それじゃこれ着て」女に向かって放る。
女は固まっていたが、男と数秒ほど目を合わせると何も言わずに着替え始めようとした。
その時だった。
「着替えるならカーテンの中でね。高校の頃君がやってたみたいにさ」
この男を理解するのはやめよう、そう考えていた。
「それじゃあ君にはこれから僕がやることをずっと見ていてほしい。もし受け入れられないようなら慰謝料請求するから」
流れるように椅子を準備してくれた。
俺は内心いそいそと座って待っていた。
そして繰り広げられたのが、先程の惨劇だった。
結局、始発の時間まで調教は続けられ、消耗しきった彼女を担いで、食卓で冷凍食品を3人で食べた。
普通と違ったことは、彼女は後ろ手に拘束されていたこと。それに聞き馴染みのある振動音とともに悶えながら、男に食べさせられていたことだった。
彼女が絶頂を迎えやすい身体なのは知っている。だから何度絶頂したかを数えたりしていた。この非日常の最中でそれを楽しんでいる自分もいた。
それが1週間以上ほぼ毎日繰り返された。長い日で7時間以上、短い日で3時間ほどだった。
最初の方は楽しんでいた俺だったが、次第にあの女とその娘を自分のものにしたくなっていた。
触れられる距離にいるのに、触れることはできないもどかしさに悶える。
新たに開かれた瞳は、実感を欲していた。
欲は満ちることを望み、あの閃光を呼び覚ます。
どうしてもあの男が邪魔でしょうがない。
どんなことでも満ちない欲求がそう叫ぶ。
風俗に行こうとも、AVを見ようとも満たされない、心の奥底のドス黒い感情。
この化け物を飼い慣らすのは不可能だった。
どれほど逃げ道を用意しても、俺はあの場所を忘れることはできない。
今までの全ての行いを人は自業自得と言い、俺のことを軟弱だと、子供だと罵るが、俺だってどうすればいいかわからない。
掲示板などで意見を募ってみても嘲笑され、信頼の置ける人にさえ呆れられた。
周りの人間すら鬱陶しくなり、気性も荒くなったと思う。
「こうなりなさい」だとか「こうあるべき」だとかいうくせに、こういう時は誰も何も教えてくれない。満ちない欲求と周囲への不満、自己嫌悪にどうにもならない感情。
犯罪者ってこんな風に生まれるのかな。
頭は混乱しきっていたが、どこまでも冷静だった。
どこかで聞いた生存戦略という言葉がふと反芻する。
それは暗闇の中に薄っすらと見える光に思えた。
生存戦略。そう呟けば、感情は研ぎ澄まされていく。鋭利に端的に。
思い立ったが吉日と言わんばかりに、計画を練り、実行日を探る。
調教の終わりは俺の次の休み、その次の休みの日は親戚のところに預けていた高校三年の娘も戻ってくるとのこと。
ならその日だ。
当日。
男に聞いた話では、最後の休みで女ともう一度ゆっくり話すとの事だった。
女は俺以上に狂ってしまっていて、完全なる奴隷だった。あの男のことだ、奴隷契約でも結ぶのだろう。
娘が高校へ向かったのを確認し、玄関へ向かおうとした時、携帯が鳴った。
男からだった。
内容としては、最後の仕上げをするから俺もどうかと。これ以上ない好機だった。
実はそんな匂いを感じて家の前に居るんですよねと伝え、電話を切る。
すぐに玄関に向かいチャイムを押す。
出迎えてくれたのは女だった。
以前よりも数段艶やかだった。
食卓には男が座っていて、その前に一枚の紙が置かれた。
女は男に言われたのか寝室に消えた。
「俺たちは奴隷契約を交わした。あとは君との契約だ」
「契約とはなんですか?」
「最後までどうしようか考えていたんだが、やっぱり君に彼女を渡そうと思ってね」
曖昧な返事しか出来なかった。都合はいいが、この男はどうなる?慰謝料は?
「慰謝料もいらない。ただ君には一つ守って欲しいことがある」
そう言って男は紙の一部分を指す。
「大丈夫。手紙も書いておいたから」
封筒を受け取る。
この男は俺たちよりも壊れていた。
そう思うに十分すぎるほど、次の言葉は強烈だった。
「俺は君たちに罰を科して贖罪を求めた。
でもね、許しはないんだ。許しを得て何になる?
時間は人の怒りをも静めることがあるけど、消すことはできない。
失ったものは戻っては来ない。罪は被害者も加害者も縛り、罰は双方を苦しめ続ける。許しはその傷に染みて膿を作る。残らない傷であっても、膿は傷をさらに醜くする。
その事実には当事者以外誰も気づかない。
俺たちは全員が等しい傷を負った。君への罰も、彼女への罰も、俺の罰も、すべてを失うことだ。
そして、娘の罰は、俺たちの間に生まれてきてしまったことだ。
そこに許しがあってはいけない。
俺たちはどう頑張っても幸せにはなれないんだ。娘さえね。
親としても男としても失格だと思う。
それでも、娘を救うには俺たちと一緒に消えるのが一番なんだと思う。生き延びろと言うのは忍びない。
だから、君と俺との契約は、俺たち全員を殺すこと。
そうして初めて俺たちの罰は完遂される。いいかな?」
もうどうしようもなかった。
もう彼は人間じゃなかった。
熟考の果てに、せめて最後ぐらいは、と心に決めた。
「わかりました」
俺はその紙に署名して立ち上がる。
「まずは俺からだ」
男はそう言って包丁を渡してきた。
外に出て、家の裏に回ると穴があった。
聞けば死に場所だという。
その覚悟へと奮い立つ狂気を握り直し、思いっきり突き刺した。
何度も振り下ろし、絶命した後も突き立て続けた。
しばらく呆然としていたが、ようやく立ち上がり男を埋めた。
最初の一刺しだけが怖かったが、何度も突き刺すうちに迷いと恐怖は消えた。
血塗れのまま裏口から入り、二つの紙を回収して寝室へと向かう。
寝室に入ると、女が呆けて俺を見る。
「ねえ…あの人は……?」
同じことを何度も聞いてくる。口調も次第に荒くなっていく。俺に縋るようにして涙を流す。
奴隷契約の方には、それなりのことが書いてあった。
「あの人言ってた。許しはないんだって」
「だからって…!せっかく罰を受けたのに!」
まだ喚いていたので、平手打ちをしてベッドに押し倒して乱暴に犯した。
そのあとは大人しくなったから、覆い被さるような体制のまま話をした。
「どうしてあんな拷問みたいな調教をしたかわかる?あの人のせめてもの愛だと思うよ」
「……そう…そうね……だったらせめて娘は私に殺させて」
「ダメだ。君たちは全員が被害者じゃなきゃいけない。全員俺が殺す」
長い沈黙の後に、「わかった」と掠れた声が聞こえた。
暫しの休憩が終われば、また調教を始めた。
本当に俺の中に男が入り込んだみたいに、壊したい欲ともう素直に殺してやりたい気持ちが入り混じっていた。
そして娘の事だ。
考えていても始まらないと、いつも飲んでいる媚薬とED治療で貰える薬を飲む。
嬲り殺したい欲望は薬が効くにつれて大きくなっていった。
俺は弱い人間だ。こうしなければあの覚悟を受け止めきれない。
調教と休憩を繰り返し、彼女がすっかり仕込まれきっているのを確認した。複雑な心境ではあった。
16時を過ぎた頃だった。
玄関の鍵が開く音がする。
ただいま。朗らかで優しい声が聞こえる。
ちょうど首吊りプレイを楽しんでいたところだったから、それを利用した。
冷蔵庫から飲み物を取り出している背後にナイフを突きつけ、寝室へ連れてくる。
椅子の上で爪先立ちすれば首が絞まらない状態にしておいた女を見せる。
母親を人質に取られ、なす術がないようだったから、後ろから愛撫してやった。
短めのスカートから覗く肉づきの程よい太腿も、母親に似て発育のいい胸も柔らかかった。
彼女の制服は、大きく伸びをすれば臍が顔を覗かせる紺色の現代風のセーラー服だった。
既にショートしきった欲望のままに貪った。
彼女は処女だった。
本当は優しくしたかったが、それではいけない。俺は残虐な殺人者で、家庭を滅茶苦茶にした憎むべき相手なのだ。
ただ、一つだけは選択肢を与えようと思っていた。
それから数日は母娘を調教しボロボロに犯した。より異常に見えるように。
食事はちゃんと3人で食べたし、栄養も偏らないようにはした。だが貯蔵にも限界がある。
明日が最後というところで、二人に風呂を使わせた。今までは2日に一度だったが、その日はじっくり湯船に浸かり二人で話をできる時間を設けた。
そして風呂上がりの二人を今までの人生で一番優しく抱いた。
それは、娘へ捧げる俺の贖いだった。
男との話し合いと殺害以降どうしても拭えなかったのだ。
すべてが終わると、三人で川の字になりながら二人にすべてを説明した。
俺と男の契約、事の顛末、男の願いすべて。
娘は終始神妙な面持ちで、途中泣いたりしていた。
その最後に聞いた。
君たちが生きたいと言うなら、俺は決して殺さない。
直ぐにでも警察を呼んでもいい。
そうした場合、おそらくとても辛い人生が待っていると思う。でも生きることはできる。
だが、もし死を選ぶなら俺が身体にこれ以上傷を作らずに殺す。
母親の選択は、娘に合わせる。
娘の選択は、死を選ぶ。
正直、意外だった。
彼女いわく、生き残って被害者遺族になるぐらいなら死んだ方が良い、と。
もう幸せな生活は戻ってこないんだから、それなら潔く死んで悲劇の家族でいたい。
どうせ好奇の目やマスコミ、いじめと腫れ物扱いが待っている。それに疲れて自殺する可能性があるなら、お母さんと一緒に死にたい。
それに、最後に選ばせてくれたあなたに申し訳ないから。
罰はすべてを失うこと?ーー違う。
本当の罰はすべてを失うことなんかじゃない。だが、ともすると、あの男は敢えてそう言ったのかもしれない。
俺たちに科せられた罰、それはーー。
遺書
俺は社会人や大人を尊敬していた。
毎日仕事に向かっていき、間違いを認めて頭を下げられる姿はとても格好良かった。
生きていくために自分で金を稼いで生活する。そんな当たり前が出来る人たちを尊敬していた。
だが、今こう思う。
当たり前や普通という免罪符があっただけなのだと。
人は同じレベルの人間と過ごすのが最も心地いい。そのレベルは「その人にとっての普通」のことだ。
そうして出来上がった群れ。そこから弾かれたマイノリティは、彼らの価値観で見れば異常だと思われるに違いない。
そうならないとは言えないだろう。
人間はある程度画一化された方が安定を容易く維持できるのだから、当たり前や普通という免罪符を持つことは防衛として正しい。
だが、その免罪符を手放すような人間がいるとすれば?それを受け入れられるだろうか?
もし、受け入れられると言い切るのなら、それらは許容ではない。むしろ失望だ。
本当に俺たちを見てくれる人は何処にいる?
誰が俺たちを認めてくれる?
逃げ道を持つのがそんなに悪いことか?
溶け込もうとして出来なかった俺たちを直視しているのか?
自分たちの水準でモノを測るが、こちらから見れば歪だ。俺たちと同じ化け物だ。
世の中は結果が全て。ああそうだ。
だが、俺たちを区別していい理由にはならない。
今時カルトは流行らない。これからは流行るかもしれないが、まとめ上げても昔のようなことはできない。
だが、個人は違う。
それぞれが哲学を持ち、考える葦だ。
自分を導くための手段を持っている。
だから、俺もこれからそれを行使する。
以下には、食事と犯行内容が記入されている。
食事の内容は3人で5日分だった。
一家3名殺害、容疑者自殺。
父親は刺殺、母親は擬装縊死、娘は扼殺。
容疑者縊死。
膨大な情報と遺書、詳細な記録はメディアに送られており、取り沙汰されたが、その異常性ゆえか当時を知る人々は閉口するばかりである。
沈黙の羊たち 星野 驟雨 @Tetsu
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