第10話 高級店とゴリマッチョ
翌日の朝、アーノルドとグレイスは王都に近い方の、つまり金持ち向けの商業区に向かっていた。
「あの・・・本当に売るんですか?」
「当たり前だ。こいつはいい金になるぞ」
「でも、ただの汗ですよ?」
「宿の親父だって薄まった水に大枚叩いたぞ」
「うぅ・・・」
グレイスが顔を赤くして俯く横で、アーノルドはガイドブックを覗き込んだ。
「お、ここだな」
「あ、ここって・・・」
「知ってるのか?」
「有名な香水店ですよ。ちゃんねるNo2・・・いえ、今はちゃんねるNo5に変わりましたけど、その名前を知らない人の方が珍しいと思いますよ」
「俺は知らんな」
「アーノルドさんならそうでしょうね・・・」
「ま、とりあえず売りに行こうぜ」
アーノルドは香水店のドアを勢いよく開けた。
「いらっしゃい・・・ま・・・せ・・・」
上質な服に身を包んだ店員は思わず絶句した。
これほどの有名店であれば、田舎の貧乏人が街に来た記念に冷やかしで来店する事はよくある。
しかし、腰に動物の皮を巻いただけのガチムチゴリマッチョの来店は予想の範囲外だったらしい。
呆気にとられる店員をよそに、アーノルドは小瓶をカウンターに置いた。
「買い取りを頼む。鑑定できるやつをよこしてくれ」
「しょ、少々お待ちください」
店員は慌てて奥へと走り去り、何やら必死の形相で話し始めた。
すると、店の奥から屈強な男たちが現れ、アーノルドの正面に立った。
もっとも、屈強と言っても人間離れしたアーノルドには遠く及ばないが。
「お引き取り下さい」
「何だ、買い取らないのか?」
「お引き取り下さい」
「それしか言えねぇのか?」
「お引き取り下さい」
「ちっ、後悔するぞ?」
「お引き取り下さい」
「グレイス、行くぞ!」
「は、はい」
グレイスは深々と頭を下げ、慌ててアーノルドを追い掛けた。
「まったく・・・これだから金持ちエリアの店は・・・」
「はぁはぁ、しょうがないですよ、そんな恰好では・・・」
「ん?何を言ってるんだ、この皮は伝説級の極上品だぞ」
「いえ、そういう事では無くて、もう少しTPOに合わせた服装をしましょうよ」
「持ってねぇ」
「それは見れば分かります。ですから、お買い物のついでにせめてシャツとズボンと靴くらいは買いませんか?」
「動きにくい。・・・ん?ずいぶん早いな?」
「どうしたんですか?」
「いいか、振り向くな。このまま歩き続けろ」
「え?」
「尾行されてる。次の角を右に曲がるぞ」
「は、はい」
その後、二人は何度か角を曲がり、人気のない路地にたどり着いた。
「まだ追われていますか?」
「あぁ、あの人混みの中でも見失わずに付いて来るとはな。しかも全く殺気がねぇって事はかなりの手練れかもしれん」
「えぇっ!ど、どうしましょう?」
「安心しろ、ここならぶっ殺しても騒ぎにはならねぇ。そろそろだ。俺の後ろに隠れておけ」
「は、はい」
しかし、一向に向こうから仕掛けてくる気配が無い。
痺れを切らせたアーノルドは角の向こうに声を掛けた。
「そこに居るのは分かってる。何の用だ?」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
現れたのは眼鏡をかけた白衣の女だった。
年齢は20台後半のように見えるが、化粧っ気は無い。
と言っても小汚いわけではなく、非常に清潔感のある身なりをしている。
「で、何の用だ?」
「大変失礼致しました。わたくしはブルガル香水店の調香師クロエ・ブルガルと申します」
「それで?」
「不躾であることは承知しておりますが、何か特別な香水をお持ちではございませんか?」
「どうしてそう思う?」
「そちらのお嬢様から恐ろしい程の効果を持つ香りが漂っていましたので・・・」
グレイスは赤面すると慌てて匂いを嗅いだ。
もちろんエレガントに、だ。
「ご安心下さい。普通の人には感じられない程度です」
「あんた、鼻がいいんだな」
「没落したとはいえ、伝統あるブルガル香水店の跡取り娘でございますので」
「グレイス、ブルガルってのは有名なのか?」
「はい、昔話に出てくる社交界にはよく登場していますよ。まだ残っていたとは思いませんでしたけど・・・」
「うっ・・・」
一瞬、誇らしげな表情をしたクロエはがっくりと肩を落とした。
「そうか。ま、隠してもしょうがない。確かにとんでもない香水の原料なら持ってるぜ」
「やはりそうでしたか。当店で鑑定させて頂けないでしょうか?」
「いいぜ。あんたの店で買い取れるかどうかは分からんがな」
アーノルドはニヤリと笑って見せた。
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