第07魔 -700円ごとに1枚引けるやつ-

「はよーございまー……」

「おはよーリナうじー」


 いつも通りバックヤードに赴くと、いつも通り詩穂に出迎えられた。

 ああそうだ。これだこれ。これだとも。こうじゃなくっちゃな。

 千歳さんの声は落ち着いているが、詩穂の声は落ち着くのである。


「なんか暫くリナちょに会ってなかった気がするよ。百年ぶりくらい?」

「多分それくらいだと私も思う」

「あはは、んなわけねーだろーぃ!」


 やはりこのノリで会話出来る詩穂は貴重だ。気をあんまり使わなくていいってのはいい。


「ライブどうだったん」

「ん? んー。んー……って感じ」

「どんな感じだよ」


 制服に着替えつつ、先日出演したらしいライブの感想を聞いたが、予想とは違う反応が返ってきた。

 あんまり楽しくなかったのだろうか。


「100点満点で80点くらいの出来だったね」

「高得点じゃねーか」

「100点以外は実質0点みたいなもんだよ!」


 無駄に意識たけえ。


「やー、演奏そのものは120点だったんだけどさ。ちょっとMCで噛んじゃってさー。そこで40点減点だったね。」

「どんな噛み方したらMCで40点も減点されるんだよ。そんな自己採点ある?」

「舌をね……こう……思いっきり?」

「うわ痛え」


 気を付けてても数年に一度くらいの頻度で経験するあの痛みを思い出して、ちょっとだけ背筋がぞわっとした。


「ま、ウケたから良いけどね」

「良いのか……」

「そんな事よりリーナ、アタシの舌の怪我よりも深刻な問題があるんだけどさ」

「む」


 何だろう。

 怪我はそのうち治るので、世の中の大体の事象は怪我よりもだいたい深刻な問題になるとは思うけれど。


「あの時期が来たよ……」

「あの時期?」

「……700円くじが」

「──!」


 それは、それは。

 大変深刻な問題じゃねーか。


「いつから?」

「魔の時間が終わる頃から」

「よりによってか……」


 溜息が出た。

 何故って、このキャンペーン。

 店員には只々めんどくさいイベントなのである。


「……帰っていい?」

「流石のアタシもここで首を縦に降る勇気はないなあ。一緒に地獄に行こうぜ……」



 700円くじとは、店内の商品を購入し、会計700円ごとにくじが1枚引ける期間限定のシステムである。

 まあ誰でも大体知ってるよな。

 そのくじでを引くと、キャンペーンに応募出来る券が手に入り。

 を引くと、ランダムで店内のいろんな商品と引き換え出来る券がもらえる。

 このハズレが店員の立場からすると非常に厄介で、その引き換え出来る商品を私たちが持ってこないといけない。

 つまりスムーズな会計処理がどうしても出来なくなる。故に時間が時間だと行列を作る要因になりかねない。

 都内のコンビニとかだと、行列回避の為に次回以降引き換えに来てくださいって言う店もあるみたいだけど、ウチは田舎なのでそうはさせてくれない。おのれ店長。

 ともかく。その期間限定イベントが、今日の魔の時間明けから始まるらしい。勘弁して欲しい。


「アタシ、女の子の日の次の次くらいにこのくじが憎い」


 そんなわけで、今日の魔の時間。イベント前夜祭。

 既に用意されたくじ引きの箱を撫で回しながら詩穂は言った。


「嫌いのレベルが高くない?」


 気持ちは分かるけど。私もそうだし。


「このくじがアタシ達店員にとってクソであるのは自明だけど、客にとってもクソだと思わない?」

「いや、客には得しか無いんじゃ」

「ところがどっこい、そうじゃないんだなー」


 ふう、と息をついて、詩穂は語り始める。


「アタシんちさあ、食事作るの当番制なんだけど」

「うん」

「二週間にいっぺんくらいの頻度で、家族全員──アタシもお母さんもお父さんも妹様も、誰も家にいなくて、ご飯作れない日が出てくるのね」

「なんで妹だけ呼び方がうやうやしくなるんだ」

「そういう日は、だいたいアタシがコンビニでお弁当買う事が多くてさ」


 無視された。


「それでまあ、この前コンビニに来てさ。あ、もちろんこの店じゃないよ?」

「その補足必要か?」

「お弁当買いに来たわけですよ。そしたらその店でも700円くじやっててさ」

「うん」

「家族4人分のお弁当やら飲み物をてっきとーにほほいのほいって選んでレジ持ってったのね」


 擬音にツッコミを入れようかと思ったけど、これも多分無視されるのでやめておいた。


「それで?」

「会計がなんと2799円だった……」

「……あと1円でもう1枚引けたって事か」

「いぐざくとりー……」


 がくりと肩を落とす詩穂。

 落ち込み方が半端ねえ。そこまでなるか?


「あと1円でアタシの血肉になり得る物と交換出来るかもしれない紙切れをもう一枚手に入れられたってのにさあ!」

「それはしょうがないだろ……あと1円分なにか買わなかった詩穂が悪い」

「でも1円の商品なんてコンビニには無くない?」

「2円切手なら」

「……くじ貰うのに1円足りなかったからって2円切手1枚だけくださいって言うのかなり恥ずかしくない?」

「それはある」


 私だったら絶対言えねえな。

 それに店に在庫が無いことのほうが多そうだし。


「それで、人生で一番無駄な699円の使い方をしたなあって思いながらくじを3枚引いたわけ。全部ハズレだったけど」

「踏んだり蹴ったりだなあ」

「1円を笑うものは1円に泣くってことわざあるけどさ。アタシは1円の事笑ったことないけど、1円はアタシの事泣かすんだよね。故にクソ。Q.E.D.」


 なんか、最後は着地する結論が少しズレてる気がした。

 指摘するのめんどくさいからしなかったけど。


「……で、その応募券はどうしたん」

「え?」

「いや、だからその応募券は使ったのかって話」

「この応募券でキャンペーンに応募してる人なんかいるん?」


 ……ここに。


「あ、これは応募してる顔だ。あまりにも身近にいたわ」

「レジ見ててやるから今からスマホで応募してこいよ」

「ええ、めんどくさいからいいよ。パケット代で通信料爆死しちゃう」

「平成初期の人間みたいなこと言ってないで応募してこいって。応募券3枚コースにソシャゲのガチャが回せる不思議な文字列が書かれたカードとかあっただろうよ」

「ソシャゲのガチャを回す為に抽選に応募しないといけないのか……まあ、そこまで言うならちょっとバックヤード行ってくるけど……」


 渋々バックヤードに向かう詩穂の背中を見送った。

 どうせ客が来る時間じゃないし、それくらい良いだろうよ。


 それから、数分。


『うわああああああ!?』


 バックヤードから、詩穂の叫び声が聞こえた。

 何事かと思ったら、バタバタとバックヤードから出てきて。


「あ、ああ、あたっ、当たった!」


 マジか。

 私としては、ハズれた所を更に笑ってやろうと思ってたのだが。思惑が外れてしまった。


「何が当たったん? 課金カード?」

「そう! なんと、さん──」

「3000円分か」


 普通のガチャなら10連が引けるな。良かったじゃんか。


「さんまんえん……」

「……まさかの。おめでとう」


 100連だった。大当たりだ。


「どど、どうしよう、怖い……! 帰り道刺されたりしないよね!?」

「なんでだよ」

「くじのことクソ以下の産業廃棄物ってディスったから……!」

「そこまで言ったか?」


 結局。

 その日の魔の時間、詩穂は何かにずっと怯えていた。

 そうする必要なんて無いのに。よくわからん女なのだ、詩穂は。

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