第06魔 -若宮千歳-
「はよーございまー……」
「おはよう、林奈ちゃん」
いつも通りバックヤードに赴くと、優しい声に出迎えられた。
それが詩穂じゃない声だったものだから、一瞬頭がバグって足が止まってしまった。
「林奈ちゃん? どうかした?」
「──あ。いえ、なにも。おはようございます、千歳さん」
目の前にいるのは、小柄な女性。──あ、いや、背が高めである私と比べてって意味で、私より小さいというだけの話。
整った顔立ち、控えめ寄りなスタイル、洗練された佇まい。それらが装備のセットボーナスの如く作用して、お淑やかな雰囲気を身に纏い、私とは明らかに違う大人であることが分かる。
華やかで、しかし決して派手では無い。力強く、静かに咲く花のような。
そんな素敵な女性。それが千歳さん、若宮千歳さんだった。
人生に於いても、バイトに於いても先輩。私がここでバイトを始めた時、よくしてくれた人だ。こんな私とでも仲良くしてくれる素晴らしいお姉さん。
しかし、千歳さんは基本的に夜勤はしない人だった筈だけど。この時間に制服を着ているということは夜勤に入るというわけで。
「千歳さん、今日は夜勤でしたっけ──」
そんな問いを、口にした、瞬間。
いつぞやの記憶がリフレインする。
そういえば、詩穂が言ってたな……。
◇
回想。四日前、魔の時間。
「次のアタシのシフト、急遽変わってもらうことになったんだ。一応伝えとこうと思って」
「そうなのか。誰?」
「ちーちゃん」
「千歳さん?」
「うん」
椅子に座ってくるくる回ってる詩穂に告げられ、私もよく知るお姉さんのふわふわした笑顔を思い出す。
「……一緒に夜勤するのは初めてな気がするな」
「ちーちゃんが初めての女!? 私というものがありながら!?」
「違うし違う」
そりゃあ魅力的な人だけど。
女同士じゃん。
「そんで、お前と一緒じゃない夜勤は久し振りだな」
「あっれぇ、ちゃんリナってば寂しい?」
「全然。せいせいする」
「めっちゃ良い笑顔で言うやん、泣きそう」
勝手に泣いてろ。
「しかし、シフト変更すんの珍しいな。なんかすんの?」
「うん。前々からその日はライブに行く予定だったんだよ。シフト入れられちゃったから、終わった後の疲弊した体に鞭打ってバイト来ようと思ってたけど、さすがにキツいだろうから代わりを探したのね。そしたらちーちゃんが変わるよ〜って言ってくれて」
「ふうん」
ライブか。まあこいつもジャンルは違えどオタクだしな。
「誰のライブ?」
「アタシの」
「お前の!?」
びっくりした。
観る側じゃなくて出る側かよ、予想外すぎる。
不意打ちされた時ってこんな気分になるんだな。
「大学サークルのちょっとしたロックバンドなんだけどね。ライブハウスで演るんだー」
「へ、へえ。確かにそれはライブに行く、だな。パートは?」
「ドラム!」
「ああ……なんかそれっぽいな」
「ごめん、どういう意味?」
こんなこと言うとドラムを愛する各方面から殺されても文句が言えないと理解した上で知識が無い人間が述べるのだが、叩くだけなら馬鹿でも出来そうだから、である。
実際に言ったら詩穂でも滅茶苦茶怒りそうだから言わないけど。
◇
ともかく、回想終わり。
「今日は詩穂ちゃんの代わりなの」
「そうでした。詩穂が言ってたの思い出しました」
「ふふ。林奈ちゃんとお仕事するのは久しぶりね」
そうなのだ。
私は千歳さんに仕事を教わって一通り覚えた後、もっぱら夜勤専門になってしまったので一緒になることがほとんど無くなってしまったのである。
「そうですね。百年ぶりくらいでしょうかね」
「ひゃくねん?」
「あ」
しまった。
ついオタク特有の盛りを一般人の前でやってしまった。
「いや。すみません、対詩穂用の言葉選びを。つい」
「百年前は良かったわね、消費税も無かったし」
「まさかのノってきた!?」
そんなタイプでしたっけ千歳さん?
……いや、そんなタイプだったかもしれない。
見た目と裏腹に意外とお茶目なのだ、このひと。
「……実際には半年ぶりくらいですかね?」
「そうねえ。大体それくらいかも」
とまあ、そういった導入を経て。
今日はいつもとちょっと違うバイトになるのであった。
◇
とは言え。
暇な時間は間違いなくやってくる。客足がぷっつり途絶えて、やることも全部終わってしまって、虚無感に身を浸さないとならぬ魔の時間が。
「──魔の時間だ」
客が来なくなって数十分経った頃、ぽつりと零してしまった。
「魔の時間って表現、まだ使うのね」
背後で煙草の棚を整えてた千歳さんに拾われた。ミリ単位で箱の位置やら番号札の調整をしていらっしゃる。
「魔の時間って言い方、わたしが言い出したのよ」
「そうだったんですか!?」
初耳だった。
てっきり詩穂が言い出したものとばかり思ってた。
「魔の海域ってあるでしょう」
「バミューダトライアングル?」
「そう。船とか飛行機が消えちゃう伝説のある海域。だからお客が来ない時間帯のことは魔の時間かなって、冗談で言ったら夜勤やる子たちの間で流行っちゃったみたい」
「なるほど……」
魔の時間の名前に元ネタがあったのか。知らなかった。
「てっきり詩穂が言い出したのかと思ってましたよ」
「言ったのはわたしだけど、流行らせたのは詩穂ちゃんかもね。詩穂ちゃんにしか言ってないもの」
「あー」
アイツなら流行らせようとするだろうな。性格的に。そういう奴だし。
「……林奈ちゃんって」
「はい」
「詩穂ちゃんと仲良しさんよね」
「ええ、まあ。アイツくらいですよ、ちゃんと友達と呼べるのは」
ちょっとした自嘲を込めて、へらへら笑いながら述べた。
「えー、わたしの事は友達と思ってくれてない?」
「千歳さんは友達と言うよりは尊敬すべき人生の先輩なので」
これは本音。
美人だし、優しくて、素敵な人だ。生まれ変わったら千歳さんみたいになりたい。いっそのこと千歳さんになりたい。
「尊敬すべき……」
千歳さんは、そこで静かになってしまった。
一瞬だけ遠い目になって、一度二度私から視線を逸らして。……褒められて恥じ入ってる? いや、それとは違う表情、だと思う。困った様な、顔だ。
もしかして、変な事を言ってしまった?
人間、誰しも変な所に地雷があるものだ。
「ち、千歳さん?」
「──わたし、そんなに立派なものじゃないのよ?」
空気の読めない人ならば、それを謙遜だと受け取るのだろう。だけど、ちがう。
尊敬すべき人間と言われ、本当に困っている。そんな空気を纏っている。周りの視線を気にして生きてきたオタクであるが故、それが分かる。
やっぱり、私が千歳さんの地雷を踏み抜いてしまったのか。
「……なんかすみません」
「ああ、違うの。困らせるつもりは無かったの。褒め言葉なのは分かってるんだけど……どうしても素直に受け取れないわたしが悪いってだけなの。それでこのお話はおしまい。いい?」
「え、ええ。まあ」
そう言うのなら、そうするしかなくなってしまう。
……でも、千歳さんは立派で素敵な人なんだけどな。
これほどの人なのだから、当然旦那もいるわけで──
……あれ。
つい、というか。
千歳さんの左手に視線を向かわせる。その薬指には、銀色に輝く婚約の証が付いていたはずだけど。
今日は指輪をしてないみたいだった。たまたま今日だけ外して来た……のか?
分からない。
「話題を戻しましょう。詩穂ちゃんの話」
「え。あ、ああ。あの馬鹿の話ですね」
それから、詩穂の話をしたのだけど。
どうしても指輪をしていないのが気になってしまったのであった。
◇続?
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