秋刀魚の塩焼き

くそっ、今日も朝礼で部長に怒られた。トイレのスリッパが揃っていなかっただと?毎日毎日細かいことで怒りやがって。俺だという証拠も無しに。午前中の外回りが終わって、行きつけの定食屋で秋刀魚の塩焼き定食を食べながら、朝の出来事を思い出していた。「はぁ~ムカつくな」俺は大学や企業に試薬を売り込む営業の仕事をしている。その仕事内容に対して怒られるのは、しょうがないと思っているが、部長は毎朝俺のあら探しをして、つまらないことで怒鳴ってくる。しかも、わざわざ皆が集まる朝礼の場で。これが部長のストレス発散方法なのだろう。参ってしまう。「ごちそうさまでした」頭と骨と内臓部だけ残したお皿を返却口に持って行き、店から出る。俺は毎日ここで秋刀魚の塩焼きを食べるのが日課だ。特に秋刀魚が好きだという訳ではない。それじゃあ何故秋刀魚の塩焼きを食べているかというと理由はあれだ。店の隣のゴミ置き場に目をやる。ガサガサッ、ムシャムシャ。店主が捨てた秋刀魚の残骸をやせ細った黒猫が食べている。最近このあたりでは飲食店から出る生ゴミの臭いに対してのクレーム数が増えてきており、生ゴミの廃棄に関しては条例で厳しい規制がされている。生ゴミを外に保管することが禁止されているのだ。ただ、ここの店主は秋刀魚の塩焼きの残飯だけは、猫が持って行くからと外に捨てているのだ。俺はやせ細った黒猫がエサに困らないように、毎日秋刀魚の塩焼き定食を食べているのだ。あのクソ部長のように当たり散らすことではなく、やさしさを与えることでストレスを解消している。まあ、あの弱々しい黒猫に会社での自分を重ねているのかもしれないな。どちらにせよ、この日課を行い始めてから、会社では部長の方が立場が上でも人間的には俺の方が優位だと、そう思うことができた。

はぁ、今日も怒られた。怒鳴っているときの部長の目つき。くそっ。あの目が嫌いなんだ。いつものように秋刀魚の塩焼きを食べ終わり、店を出る。ガサガサッ。黒猫が秋刀魚を探していた。よし食え食え。黒猫を眺めていると、「こら」とどこからともなく現れたおばあちゃんが黒猫から秋刀魚の残骸を取り上げていた。とうとう近所の住民からクレームが入ってしまうか。街が綺麗になるのは良いことだけど、これであの黒猫はエサにありつけなくなってしまう。

しかし、次の日も、その次の日も、店主は俺が食べた秋刀魚の塩焼きの残骸を外に捨てていた。あれ?あのあばあちゃんこの店の生ゴミ廃棄処理に対して注意すると思ったんだけどな。店主が未だ外に秋刀魚の塩焼きの残骸を捨てるということは、クレームを入れていないということだよな。ただそれからも偶におばあちゃんが秋刀魚を咥えた黒猫を怒鳴っている姿を見かけた。黒猫vsおばあちゃんか。なかなかに面白い光景だな。それからも、毎日お昼に秋刀魚の塩焼きを食べる習慣を続けていた。しかし毎朝部長に怒鳴られることも続いており、だんだんこの生活に耐えられなくなってきていた。ある日、いつもより早く定食屋に着くと、あの黒猫が店の前に居たため、なんとなく近づいていった。すると、黒猫は凄い形相でシャーッと威嚇してきた。毎日お前のために秋刀魚の塩焼きを食べている俺に対して。その形相が怒鳴っている部長の顔と重なり、俺の中でプツンと何かが切れる音がした。それから俺は、大学への営業のために車に積んであった試薬をこっそり定食屋に持ち込んだ。いつものように秋刀魚の塩焼きを注文し食べる。そして食べ終わった残骸に持ち込んだ試薬をかけた。この試薬は胃に入ることで効果が現れる。神経を麻痺させ、最終的に死に至らせるという効果だ。「ごちそうさまでした」そう言って店を出た後、さすがに黒猫の死ぬ間際の姿は見たくないと思いそそくさと仕事に戻った。

「はあ、やってしまった」仕事が終わり、家に帰った後冷静になった。これじゃ、あのクソ部長のようにストレスを発散しているだけじゃないか。次の日定食屋に行き、いつも通り秋刀魚の塩焼きを注文した。もう死んでいるはずの黒猫に対しての罪滅ぼしみたいなものだ。食べ終わった後店を出て、ふとゴミ置き場に目をやった。するとあの黒猫が秋刀魚の塩焼きを貪っていた。え?生きている。昨日は食べなかったのか。「ああ、良かった」それからも毎日黒猫は元気に秋刀魚の塩焼きをムシャムシャと食べていた。一時の感情で、間違いを犯してしまったが、もう二度とあんな事はしない。腹を空かせてる黒猫の姿を見ながらそう決心した。・・・そういえば最近あのおばあちゃん見かけないな。

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