第21話 気持ちの行方【後編】
その夜。
帰ってきて早々、真美は怪訝な顔をしていた。
母がメイドたちやメイリア、コールに囲まれて、コルセットをゴリリと腹に食い込ませて「うええぇ……!」などと呻く姿を見れば、そんな顔にもなるだろう。
「なにしてんの……?」
「あらぁ、お帰りなさい、聖女様。じゃ、こちらへどうぞ」
「!? え、待っ……わたしも!?」
「ええ、まあ、本当はサプライズで放り込もうと思っていたんだけど……」
「「!?」」
さらりととんでもない事を言ったメイリアを、親娘は凝視する。
しかしそれもメイドたちに囲まれた今、届いているか怪しい。
真美もまたメイドにひん剥かれ、運ばれてきたショーケースの中から何種類かのコルセットや下着、タイツ等々を合わされ始める。
「実はね、聖女様……アユミちゃんが明後日、サウザール家の坊やにプロポーズされる予定となってしまったのよ」
「はぁ!? どとどどういう事! どういう事なのお母さん!」
「えーと、えーと、私にも分からない!」
「分かんないってなに!? サウザール家って『革新派』とかいう人じゃん!? うぎゃーーー!」
コルセットが真美のお腹に食い込んでいく。
歩美には新しい黄色のドレスが被せられ、容赦なくファスナーが上げられた。
メイドたちが着せ替え人形にされる親娘を確認しつつ、メイリアに意見を求める。
腐っても公爵夫人。
柔らかな微笑みで二人を眺めて、的確に「アユミちゃんはやっぱり赤紫のドレス。聖女様はオレンジ色のドレスかしら」とチェンジを申し付けた。
「ぐっ、ふ……あ、あの、メイリアさん、陛下にプロポーズの件を断って頂くように頼んで……」
「ええ、もう手配しておいたけど……さっき帰ってきた返答で困った事になったのよね」
「な、なんですか困った事って!」
「アユミちゃんとゾワール様の婚約に関して、もし認められなければ『革新派』がルートを握っているお酒の供給を、ストップすると言っているらしいの」
「お、お酒!?」
そんなもの、と歩美が一蹴するのは簡単だ。
だがこの国で王は、酒を毎夜王家と契約する聖霊に捧げなければならない習わしがあるのだという。
そして、その酒は特注品。
最近は食糧事情により品質が下がっていて王家の聖霊は機嫌が悪い。
その上、酒を供給されないとなると……。
「ひ、ひどい! 人質じゃないですか!」
「なにそれ! 許せない! エウレイラに頼んで……」
「王家と契約しておられる聖霊様は、聖霊王様と同等のお力を持つお方と言われているわ。いかに聖霊王エウレイラ様といえど、従わせるのは難しいと思うけれど……」
真美がそれを聞いて、恐る恐るエウレイラがいるらしい宙を見上げる。
そして、あからさまにガックリとうなだれた。
どうやらメイリアの言う通りらしい。
まさかそんな相手がいようとは。
「……じゃあ、このままじゃ……私あの人と結婚させられるの!? こ、困ります!」
「ええ、だから……アユミちゃんはもしかしたら……嫌かもしれないんだけど……」
「?」
「うちのリュカに結婚を申し込んでもらうのはどうかしら?」
「…………。はい?」
またわけの分からない事を言い出したメイリア。
歩美はさぞ、ひどい顔をしていた事だろう。
真美は逆に「え、ちょうどいいじゃん」と言い放つ。
「な、なにが! なに言ってるの真美!」
「だってお母さん、団長さんの事好きでしょ? バレバレなんだもんねー」
「っ! ……そ、それは……」
「あら! そうだったの!? なんだ〜、早く言ってよぉ〜!」
「メ、メイリアさんっ!」
くねくねと体を揺らしながら嬉しそうにするメイリアを見ていられず、顔を背ける。
そうなのだが。
それは、そうなのだが。
「じゃあ、問題はないかしら」
「あ、ありますよ! ま、待ってください! 話を聞いてください!」
「あ、髪飾りはこれとこれ」
「メイリアさーん!」
メイドたちが微笑ましそうに仕事をする。
なに一つ解決していないのに、この空気。
耐えられなくて、新しいドレスのファスナーを上げられてから「聞いて」と改めて主張した。
「あ、あのね、真美……お母さんね…………、……確かに団長さんの事、す、好きだと思うの」
「知ってるけど」
「…………」
このなんとも言えない切り返しよ。
涙が出そうになる。
歯を食いしばり、続けた。
「けど、私は真美のお母さんでしょ? お母さんが団長さんと結婚したら、真美は団長さんの娘って事になるんだよ? 良いの?」
「え、別にー。わたしはお父さんの娘だしー。あと、団長さんは優しくて良い人だし。お母さんがわたしに遠慮して、うだうだ悩んで素直に生きられない方がやだし」
「…………真美……」
「それに、団長さんは『聖女様の部下のようなものなので』って言ってたから、真美の方が偉いんだよ」
「……………………」
恐らくはそういう意味ではないと思われる。
だが、悲しいかな……否定する要素も見当たらない。
リュカならばそう言いそうだった。
実際その通りでもある。
そして真美が思いの外あっさりと、歩美の恋を応援してくれたのが意外で面食らった。
お父さんっ子の真美には、歩美の再婚など以ての外だと怒られるかもしれない、と心のどこかでまだ疑っていたのだ。
「お母さんの人生だもん、お母さんの好きにしたら?」
「……ま、真美……」
十歳の、娘からの言葉。
ぶわりと顔が一気に熱くなった。
「真美ぃぃ〜……!」
「ちょ、ちょっといきなり泣き出さないでよ!」
「だってええぇ! なんなのぉ、あんた、なんでそんなに大人な発言してんの〜!」
「大人だもん!」
「お母さんも真美の恋、めちゃくちゃ応援するからぁ!」
「な! ななななななに言ってんのなに言ってんのなに言ってんのおぉ! そんな、好きな人とかいないからぁーー!」
顔を真っ赤にして否定する真美。
しかし残念、歩美にはもうバレている。
そして恐らくは、歩美も同じぐらい態度で出ているのだろう。
そう考えると……歩美と真美はどう足掻いても『似た者親子』。
抱き締めると赤い顔のまま引き剥がそうとされる。
メイドたちに止められて、仕方なく直立不動の姿勢。
でも歩美の心は喜びに満ちていた。
真美に許してもらった。
娘は自分の『人生』を考えてくれていたのだ。
それがどれほど嬉しく、そしてそんな考えを持てるほどに娘が一人の女性として成長しているのだと思うと……涙を耐えろというのが無理な話だろう。
真美は歩美が思うより確かに大人だった。
まだ、素直になりきれないところもあるようだが……それを差し引いても女の子の大人になる速度とは親の想像を軽やかに超えてくる。
真美の周りが大人しかいない事もあるだろう。
「じゃあ、アユミちゃん」
「は、はい」
「リュカが明後日、ゾワール様と同時にアユミちゃんに結婚を申し込んだら、受けてくれるかしら?」
「…………。……あの、けど、リュカさんは……その……」
年甲斐もなく浮ついた心が、メイリアの言葉でスゥ、と冷めていく。
そんな話ではない。
リュカには、まだなにも言っていないのだ。
言わなくともリュカは察して、歩美の大切にしたい気持ちを最優先にしてくれた。
そんな彼に『これ以上』を望むのは——。
そしてなにより、リュカ自身の気持ちは……。
「アユミちゃん」
「……」
「卑屈にならなくて良いわ。アユミちゃんがあの子を好いてくれて、わたくしはとても嬉しい」
「……メイリア、さん」
「あの子は昔から我慢が上手で、欲しいものをほとんど口にした事はないけれど……アユミちゃんの気持ちが固まっているのならあの子はきっと、手を差し出すわ。ねえ、アユミちゃん……」
メイリアの手が差し出される。
朗らかな笑顔。
その面差しはやはりリュカに似ている。
親子なのだから当たり前なのだろうけれど……。
柔らかく握り締められる両手。
「あの子の手を、取ってくれる?」
「…………」
言い聞かせるように優しく問われる。
即答は出来なかった。
けれど、今日、彼の眼差しを見上げた時に感じたあの強い感情を……真美にも、メイリアにも、受け入れてもらえるのなら……。
「……彼が、本気で嫌でないのなら……私に拒む理由は、ありませんから……」
「んもう、そうじゃないわよ」
「…………」
叱られて、胸がきゅう、となる。
「…………出来れば、彼にもちゃんと、望んで欲しいです……」
「うふふ」
素直な気持ちを口にしたら、なんだかまた涙が出そうになった。
感情が不安定に高ぶってしまう。
自分の知らない感情が、次々現れては聞いていく。
感情とはこんなにも手に負えないものだっただろうか?
「明後日までにあの子もきっと覚悟を決めるわ」
「……そ、そうでしょう、か」
「ええ、だから明日は丸一日、聖女様共々、所作のお勉強をしましょうね?」
「「…………。え?」」
「時間が出来てしまったのだから、お勉強は当然でしょう? 陛下のお誕生日パーティーだもの〜。頑張りましょうね?」
「「………………」」
歩美がゆっくり真美の方を見る。
真美も、顔を青くして歩みを見上げた。
二人揃ってメイドの笑顔が笑顔であって笑顔でない事に気が付く。
そう、それは……コングだ。
「ドレスはこれで決まりね。明日は所作のお勉強を徹底的にやります。本当ならゆっくり覚えていってほしかったのだけれど……はあ、困ったわね。ああ、せめてダンスは最低限踊れるようにしましょうね。さあ、明日は早いわよ、アユミちゃん、聖女様。明後日は朝からしっかり磨き上げが行われるから……時間はないわよ! 今日はゆっっつくり! しっかり休んでね!」
「…………はい」
「え、ええ〜……」
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