第20話 気持ちの行方【前編】



「アユミちゃん、最近元気ないわねぇ?」

「え? そうですか? そんな事ありませんよ〜」


 城下町の浄化から一週間。

 歩美は本日も騎士団寮でお手伝い。

 朝早くに来てご飯を作るのを手伝い、騎士たちの朝食が終わったら後片付け。

 部屋の掃除、廊下の掃除、階段の掃除、洗濯、乾燥、夕飯の材料の収穫、そして、夕飯の準備、また夕飯の片付け……。

 毎日目まぐるしいほどに、ここは忙しい。

 最初は簡単な家事も失敗していたが、慣れというのはすごいもので、最近は頭の中で手順を確認し順序立てて動けるようになっている。

 表の畑の拡張も終わりつつあり、今日はこれから新しい野菜の種蒔きだ。


「それより、今日はなんの種を蒔くんですか?」

「今日は大きめのお豆の品種で、アラマを蒔こうと思うの。収穫まで二ヶ月と早いのも魅力ね」

「どんな料理に使うんですか?」

「切って焼くのよ。お肉みたいな味がするの」

「……へぇ……」


 野菜の一種という事は、収穫時相当抵抗してくるはず。

 その上で調理法が切って焼く。

 お肉みたいな味。

 なんだかこの世界は、どちらが野菜でどちらが食肉家畜か分からなくなる事がある。


「アユミ様! アユミ・アリサカ様はこちらか!」


 びくっ、と肩が跳ねる。

 本当にいきなり、大きな声が玄関から聞こえてきた。

 その上、大声でアユミの名前を繰り返しながら数人の男が食堂に入ってくる。

 身なりが綺麗な男たち。

 歩美を見るなり、にこやかな笑顔を向ける。

 だが、歩美にもそれが上っ面だけのものだと分かるほどに、それは作り物だった。

 感情のようなものをまるで感じない笑顔に、背筋がぞわりとする。


「初めまして、ワタクシはゾワール・サウザール」


 食堂に男が増えた。

 入ってきたのはむっちりとしたお腹と、ひょろ長い髭を持つ紳士。

 このご時世であの腹とは、と目を疑う。

 顔のハリツヤ、シワのなさを見るに歳は二十代前半、だろうか。

 歩美より一回りは歳下だろう。

 思わず後ろにいたメイリアを振り返ると、彼女も珍しく笑みを消して頰に手を当てている。


「は、はあ……初めまして」


 挨拶されたからには挨拶を返さねばならない。

 仕方なく愛想笑いを浮かべながら、挨拶を返した。

 それに聞き間違いでなければ『サウザール』という家名を名乗っていたはず。

『サウザール侯爵』……自称『革新派』の筆頭だ。


(ええええぇ……なんの用〜!? 嫌な予感しかしない〜!)


 内心ではドン引き。

 笑顔も強張っているだろう。

 メイリアもいつもの穏やかな空気を潜めて、成り行きを見守っている。

 助けてくれる気配は今の所ない。


「いやぁ! お噂に違わぬ美しさ! さすがは聖女様のお母上様ですね!」

「……あ、ありがとうございます」


 微塵もそう思っていないだろう!

 と、顔に極力出さないようにお礼だけは言う。

 この世界にもお世辞があるらしい。


「いやはや、実は聖女様には一流の教養が必要ではないかと相談されまして……」

「あ、ああ……」


 その話か、とメイリアを振り返る。

 こくん、と頷くメイリア。

 真美にはこの世界で受けられる、一番いい教育を受けさせるべきだ。

 そうでなければ、貴族たちに馬鹿にされてしまう。

 そう、主に目の前のいるような貴族たちに。

 そしてなにより、真美には同年代の友人が必要なだろうと思っている。

 残念ながら、真美と同年代の子どもたちの中で、お茶会を開ける財力があるのは彼らのような成金……失礼、自称『革新派』の者たちだけ。

 近いうち、真美には彼らとの接触を勧められていた。

 つまり、この男……ゾワールは、その話をしに来たのだろう。

 真美を、聖女とその母を自分たちの派閥に取り込む絶好の機会だと。

 そして歩美と真美はこの試練を自分たちの力で乗り越えなければならない。

 貴族に取り込まれないような権力は十分にある。

 なにしろ、この世界でたった一人の聖女とその母なのだ。

 その権力の使い方を学ばなければ、城で暮らしていくのはおろか、利用されずに生きる事も難しい。

 メイリアの眼差しはそれを物語っている。

 甘やかしてくれるつもりはない。

 とんだスパルタ教育ママだ、と肩を落とす。


「まずはお茶会の作法などを教えて頂きたいのですが……あの子の予定などもあると思うので、こちらで可能な日時をご連絡致します」

「ええ! それはもちろん!」


 やけに派手な身振り手振りで同意するゾワール。

 後ろの男たちも顔がニヤニヤとしている。

 気味が悪い。

 回答としては無難なところだと思ったのだが、なにか失敗したのだろうか。

 不安になってメイリアを振り返るがニコリと微笑まれる。

 彼女も特に悪いところはない、と言っていると受け取れた。


「それはそれとして」

「は、はい」

「はあ……いやはや、なんという事なのでしょうか……いやぁ!」

「?」


 その謎の大げさな身振り手振りのまま、ゾワールは左右を行ったり来たり。

 後ろの男たちも、なぜか「うんうん」と頷く。

 胡散臭い。

 そして、その胡散臭い理由はすぐに分かる。

 ゾワールは歩美の前に一歩、近付くと突然跪いたのだ。

 ギョッとする。


「美しい! 美しすぎます! アユミ様! どうぞこのゾワール・サウザールと結婚してください!」

「は、はあ!?」


 思わず声を上げてしまった。

 結婚?

 結婚と言ったか?

 驚きすぎてメイリアを振り返る。

 メイリアは頰に手を当てたまま、少しだけ困った表情をしていた。

 やはりこれはおかしな事なのだろう。

 しかしゾワールはまったく気にした様子もなく、満面の笑みを浮かべたまま歩美の良いところをつらつらと語り始める。

 聖女の母という立場でありながら、それに驕らず懸命に働くところ。

 働く女性は美しい。

 容姿の美しさは、その内面の美しさの現れである。

 汗臭い騎士たちの世話を、文句も言わず行うところに感銘を受けた。

 聖女の母として立派に努めてておられ、聖女を支えておられる姿には感涙を抑えられない。

 その姿勢には感服するばかり。

 優しさと健気さ、そんな女性と、自分は結婚したかった……等々……。


「…………」


 開いた口が塞がらない、という経験を、歩美は初めてした。

 初対面の人にそこまで言われるような事を、歩美はしてきたつもりはない。

 それとなく騎士たちの悪口を混ぜ込み、一方的なイメージを惜しげもなく垂れ流す。

 つい、メイリアを振り返る。

 完全に困った笑顔。

 顔を正面に戻すと、ゾワールは鼻息荒く立ち上がって歩美の手を掴んだ。

 思わず喉が引きつった声を出す。


「というわけで! 結婚してください! ワタクシは苦労などさせません!」

「……い、いえ、あの……大変申し訳ないのですがっ」

「お待ちになって、ゾワール様」

「!」


 断ろうとした歩美を制するように、メイリアが声を掛ける。

 不満そうな顔のゾワールは歩美から手を放して一歩下がった。

 メイリアが言うに、そういうものは手順がある、らしい。

 そして、今回はその手順を一切踏んでいない。

 そうだろうとも、と、この世界の人間でもない歩美ですら分かる。


「婚約の申し込みはパーティーで行うもの。アユミ様はまだパーティーに参加された事さえありません。それに、アユミ様は貴族ではありません。ですから、そうですわね……パーティーで申し込みをして、陛下のお許しがなければ結婚は無理ですわ」

「!?」


 驚いてメイリアを振り返った。

『手順』とはその程度のものなのか。

 思いも寄らなくて目を剥いた。

 その上、うっかり陛下のお許しがあれば……結婚が出来てしまうようにさえ聞こえる。


「ああ、ああ、そうでしたね! ……では、明後日の陛下のお誕生日パーティーで結婚を申し込ませて頂きます! ドレスもお贈り致しますよ!」

「ああ、それは大丈夫ですわ。アユミ様にはドレスがございますもの」

「ははは! もちろんどのドレスを着られるかはアユミ様次第! では! 明後日!」

「え! ……あ、あの、ちょっと!」


 ぞろぞろと男たちを引き連れて、食堂……そして騎士団寮を去っていくゾワール。

 ぽかーん、とそれを見送ってから、歩美はギチギチと固まった体をなんとかメイリアの方に向ける。

 その肩には、コールが顔を出した。


『なんですかあのふとっちょさんは。マスターを利用する事しか考えてなさそうでしたよ! マスターを好きな気持ちなんか! 一片もありませんでしたよ! それなのに結婚!?』


 叫ぶ。

 そして、その叫びに歩美の疑念も凝縮されていた。

 メイリアはいつも通り「あらあらまあまあ」と微笑む。

 笑い事ではない。


「アユミちゃんの世界ではどうか分からないのだけれどね……この世界では貴族と平民も結婚する事が出来るのよ」

「は、はあ……い、いや、私の世界でもそういうのは多分あると思いますけど……、そ、そうじゃなくて……」

「ええ、貴族でない者と貴族が結婚する場合は、親の承諾が必要なの。アユミちゃんの場合は陛下かしらね」

「っ」


 それではまるで王様が歩美の保護者ではないか。

 脱力しそうになるのを耐えて、なんとか顔を上げる。


「って、っていうか、私の意思は!?」

「えーと、そうね……相手が平民の場合は……両親の承諾さえあれば相手の平民の意思は……聞いた事がないわ。そういう事をする貴族は、見目の良い娘が妻に欲しい男の貴族が多いの。娘の方も贅沢な暮らしが出来るならばと、拒んだ話は聞いた事がないわね」

「そ、それってプロポーズされて、陛下が『いいよ』って言ったら私、あの人と結婚しなくちゃならなくなるって事じゃないですか!?」

「……まあ、そうかもしれないわねぇ。だから、今わたくしもちょっと驚いているの。これは困ったわねぇ」

「えええええええええぇっ!?」


 そんなほのぼのととんでもない事を……。


「大丈夫よ。陛下も分かっているわ。……アユミちゃん、貴女は自分が思っている以上にこの国では重要人物なの。あの方もそこまでおバカさんではないわ」

「……そ、そ、そ、そう、で、すよ、ね?」

「ええ……」


 それにしてはメイリアの眼差しが遠くを眺めている。

 不安は、残った。


(そ、そ、そ、そもそも……結婚なんて今は考えられないんだってば……)


 リュカの姿が浮かぶ。

 それを、むりやり振り払った。



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