最終話 騎士団寮のシングルマザーは……
地獄のような特訓を経た、二日後。
陛下の誕生日パーティー当日。
心の底から純粋に、なぜ国王陛下の誕生日をもっと早くに教えてくれなかったのか、と恨み節を唱えたくなった。
しかし、思っていた以上に国王の誕生日は質素。
音楽は十人程度の音楽家が演奏して、食事も三つのテーブルのみ。
ドレスを纏った女性たちは、装飾品さえまともに付けてはいない。
……あの一部を除いては……。
「メイリアさんも来てくれれば良かったのに……」
「もー、お母さん愚痴りすぎ。メイリアさんドレス全部売っちゃったって言ってたじゃん」
「まあそうだけどさぁ」
昨日、ゾワールの言っていた通り、ド派手な赤いドレスが歩美の元に届いた。
装飾品も刺繍もたいそうなものが施された、煌びやかなドレス。
あまりにも派手すぎて一目見てドン引きした。
胸や背中は大きく開いているし、コルセットをどんなにきつくしても、歩美には到底入りそうにないくびれ。
明らかなサイズの差異に、驚いた顔のままメイリアを見てしまった。
優しく「サイズを知らなかったのでしょうね」とメイリアがゾワールをフォローしていたが、そんなものを良く送ってきたものだと思う。
歩美への婚約も、最近思い付いたものなのだろうと騎士たちが口を揃えて言っていた。
そして、かつては男女がパートナーとして一緒に入場するのが常だったというが、そういう仕来りは今の時代消えつつあるのだという。
理由は夫婦で参加出来るほどの私財ある貴族が激減しているから。
陛下の誕生日パーティーですらこの有様なので、倹約を求められ、どちらか片方しかパーティーに参加しない……または、パーティー自体を開催しない貴族が増えたのだという。
メイリアに至っては持っていたドレスを全て換金してしまったとか。
貴族でさえ食べていくのに必死になっている。
それが……この国の現状。
「…………それに比べて……」
「あの中に入らないといけないの? なんかやなんだけど」
「……仕方ないよ。メイリアさんに『知ってらっしゃい』って言われちゃったんだから」
「う、うん」
自称『革新派』たちのドレスの煌びやかさ。
そして、真美よりも少し歳上の令嬢、令息たち。
本来なら社交界デビューしてから、こういった夜のパーティーに来るものなのだそうだが、今夜は陛下の誕生日パーティーなので真美は『聖女として』参加しなければいけないそうだ。
そうする事で真美はこの国に協力しているとアピール出来る。
(……聖女が世界で一人しか認められないこの世界で王様との繋がりは大切。……協力しなければ真美は……)
新たな聖女召喚の為に殺される。
だから、しっかり、繋がりはアピールしておかなければならない。
メイリアに聞いた、王家と契約している聖霊の力は聖霊王エウレイラと同等。
王がその気になれば、聖霊王エウレイラが側にいても真美は……。
(でも、メイリアさんが言ってた。今王様はその王家と契約した聖霊のご機嫌を損ねてる。……お酒一つでと、思っちゃうけど……)
だからここがチャンスでもある。
きちんと国王との仲をアピール出来れば、真美はこの国で地位を確立、安泰となるだろう。
自称『革新派』たちの無駄な横槍を避けられる。
きちんと挨拶し、歩美がゾワールとの婚約を断れば、王様は王家の聖霊との繋がりを『聖女』に強く求める他なくなるのだ。
階段を降りていく。
一階のダンスホールに降りると、談笑していた貴族たちが口を噤み、歩美と真美を見詰めた。
実に、居心地が悪い。
「……だ、大丈夫よ、真美……堂々と……堂々としてればっ」
「わ、分かってるよぅ……。そういうお母さんだってガチガチじゃん……」
軽口を叩きながら、二人は昨日叩き込まれた事を反芻するように優雅に……見えるように……歩き出す。
会場の人々にスカートを摘み、頭を下げるカテーシーというお辞儀をして、王のいる右の最奥の玉座へと進む。
王の前まで来たら膝をついて挨拶を行う。
「この度はお誕生日おめでとうございます」
そう言ったのは真美だ。
歩美も同じ台詞を繰り返す。
メイリアに習った通り、出来ているはずだ。
「うむ、其方には先日城下町の方を浄化してもらった。心より礼を言うぞ、聖女よ。引き続き、国内の浄化を頼む」
「はい。精一杯努めさせて頂きます」
噛まずに言えた!
と、歩美と真美が心の中で叫ぶ。
立ち上がり、もう一度お辞儀をする。
そして、一方下がってからくるりと華麗に右回転。
カツ、カツとヒールの踵を鳴らして華麗に立ち去る。
完璧だ。
二人はアイコンタクトして、頷き合う。
メイリアに習ったのはここまで。
そして、ここまでが真美の『仕事』であった。
「やったね、真美完璧」
「ふ、ふふーん、当然。次はお母さんだよ」
「う、うん」
前を向く。
見据えた先にいたのは、満面の作り笑いを浮かべたゾワールだ。
目線でリュカを探す。
(いない……)
どこにもリュカの姿は、ない。
このままでは、ゾワールに先を越されるのでは?
ズンズンと一直線に歩美へと近付いてくる、太っちょの男。
脂汗で額がツヤツヤと光り輝いている。
これからあの男に、またプロポーズをされるのだ。
分かっていると絶妙な気持ちの悪さを感じてしまう。
「こんばんは! アユミ様!」
「こ、こんばんは、ゾワール様……」
「こんばんは! 聖女様!」
「こ、こんばんは……」
真美はあからさまに嫌そうな顔をする。
それを見て、聖殿の関係者があからさまにヒヤヒヤとした顔になった。
白いローブで顔を隠していても、口元が半開きだ。
ゾワールがニコッ! と笑う。
歩美も出来る限りにこり……と微笑見返した。
「約束を覚えていますか? 今宵、貴女にワタクシは! 大切なお話を致します!」
「……」
会場を見回す。
リュカの姿はない。
装飾品の少ないドレスや礼服の貴族たちが、不安げな表情で歩美たちを見守る。
彼らにとっても、他人事ではないのだろう。
祈るように彼の姿をもう一度探す。
しかし……。
(リュカ……)
彼の気持ちが、一番大切だ。
だから、ここでもしも、止めに来てくれないのなら……そういう事だろう。
いや、歳が十近く離れているのだ。
むしろ、彼が歩美を選ぶ理由はない。
例え立場上そうしなければならなくとも、なんとも思っていない女に婚約を申し込むなんて真面目な彼にはきっと出来ないはず。
だから、歩美は一息飲み込むのと一緒に自分の期待も飲み込んだ。
覚悟を、決める。
この世界の常識なんて知りません。
そう言って断ろう、と。
「アユミ様! ワタクシの妻になってください!」
跪き、片手を歩美に向かって掲げるゾワール。
胸が張り裂けんばかりに痛い。
この男の求婚を断らねばならない罪悪感からではなく……リュカが来てくれなかった事。
その意味と、答えが。
意を決して、唇を開く。
「私は……」
「待て!」
静まり返っていた会場が騒めいた。
声の方を見上げる。
そう、階段の上。
会場に入る為の、二階の通路の手摺り。
淡いクリーム色の髪と、翠の瞳。
赤と白の騎士の礼装。
長いマントを翻し、手摺を跨いで飛び降りてきた。
女性たちの驚いた悲鳴を華麗な着地で黙らせて、立ち上がるのは……この国の騎士団団長だ。
両手で口を覆う。
胸が熱くなった。
一歩一歩、近付いてくるリュカの姿。
「リュカ……」
「アユミ、俺は……一生懸命な貴女が好きだ」
歩きながら、告白された。
肩が震える。
足下が急に冷めたようになり、反対に体の中から熱が溢れそうになった。
「メイリアに優しくて、話し相手になってくれて……そして、俺の部下たちの事も毎日気遣ってくれて……家事が苦手だと言いながらも、毎日一生懸命手伝ってくれる。貴女の存在に、我々は日々助けられてきた。きっと聖女様もそうだと思う。それに、太陽の聖霊と契約するほどの無垢な願いを持っていた。そんなところも、素晴らしいと思う」
一歩、近付く事に増えていく。
リュカの歩美への言葉。
それはゾワールへの意趣返しなのだろうか。
どちらでも構わない。
その言葉は全て、これまで出会ってからリュカが歩美を見つめ続けてきた故の言葉だ。
ゾワールの上部だけのものとは、全然違う。
「そしてなにより、聖女様……マミ様への温かな眼差し。娘を想う母の貴女が素敵だと思う。自分の想いも押し殺して……母であり続けようとしている。……俺は……そんな『母親』である貴女に寄り添っていきたい」
「……っ」
「貴女の事もマミ様の事も俺が生涯を懸けて守る。だから、アユミ、俺を選んではくれないだろうか? ……俺と結婚して欲しい」
跪いて、手を差し出してくれる。
気が付いたら、泣いていた。
喉がせり上がるように熱い。
鼻筋がツンと痛み、体が自然に震える。
真摯な翠の瞳。
差し出されたゴツゴツと男らしい手。
「私も……リュカが好きです……」
手を重ねた。
優しく、握り締められる。
肩からコールが顔を出して、会場に黄色い光を振り撒いた。
聖霊の祝福だ、と誰かが呟く。
「ふむ、アユミ・アリサカとリュカ・ジェーロン、その結婚を認める!」
王が高らかに宣言すると、会場中から拍手が巻き起こった。
唖然とするゾワールを尻目に、立ち上がったリュカに歩美は抱き着く。
感極まった。
無理だと諦めた人の胸の中。
決して全ての問題が片付いたわけではない。
むしろ、きっとこれからの方がたくさんの事が立ちふさがる事だろう。
それでも、そんな中でも選んでくれた人。
抱き締め返されて……幸福の中でまた一筋涙が流れる。
「おめでとう! お母さん!」
『おめでとうございます〜! マスター!』
「……ゆ、夢じゃない? あの、サウザール家との結婚を諦めさせる為の作戦とか……」
「それなら事前に連絡する。……聖女様と聖霊王、そして陛下の前で嘘など吐けない。……それと、俺は嘘が得意ではない。全て本心だ」
「…………っ」
体を少しだけ離して、見上げて聞いてみた。
すると思った以上の答えが返ってくる。
顔が一気に熱くなり、ハッとして体を離した。
人前で、娘の前でなんて事を!
「本心だよ……君を心から、愛おしく想う」
「……リュカ……」
「さて、婚約が決まったらダンスを踊るのが習わしなのだが……アユミ、一曲踊ってくれるか?」
「…………。……がんばるう……」
世界はまだまだ問題が山積みだ。
真美はこれからも聖女として様々な試練に直面していく事だろう。
歩美はそれをずっと側で支え続ける。
その覚悟があった。
けれど、この日から歩美と真美の側にはもう一人……二人を大切にしてくれる人が立つ。
どんな困難も、三人なら乗り越えていけるだろう。
こっそりとカーテンの後ろから歩美たちの様子を、眺めていたメイリアは柔らかく微笑んだ。
「えーと、そうなると我々はアユミ様の事を今後は奥様とお呼びする事になりますね」
「……うわぁ……一度断った呼び方が戻ってくるとは……」
後から駆け付けたハーレンのそんな一言に、一同で盛大に笑った。
了
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