第12話 貴方と私【前編】
「………………うーん……」
「…………お母さん? お母さん!」
歩美が目を覚ましたのは翌日の朝。
先に起きていた真美に揺すられて、ようやく覚醒した。
天蓋付きのベッドはいつも通りふかふかで、隣にはコール、真美。
二人ともギャンギャンと大泣きしていた。
それからメイドが嬉しそうに駆け寄って来て真美を宥め、ソファーの方へと座らせる。
食欲はあるか、と聞かれてまだどこかわけも分からない頭で頷く。
「ええと……どうしたんだったかな?」
「もぉー! 厄気に当てられたんだよ!」
「厄気?」
『そーです!』
「ひえ……」
一度離れた真美がベッドの縁へと戻ってくる。
聞けば歩美は魔物の放つ『厄気』に取り込まれ掛けた。
魔物は厄気から生まれ、厄気を操り、獲物と定めたものをまるで蜘蛛が巣を編む糸で絡め取って自由を奪う時のように使ってから喰らうらしい。
厄気は近付いだだけでも病を貰う、悪いものだ。
それにどっぷりと絡め取られたのだから、具合も悪くなる。
それを聞いてゾッとした。
腕をさすり、では、どうしてそんな中、無事だったのか。
「騎士団長がアユミ様をお救いしたのです」
「!」
『ですわ。リュカ様の契約聖霊は聖女様と眷属契約したんですの。だから、リュカ様は聖女様の剣として聖女様の聖なる力を纏った『聖霊術』を使えるんですわ! …………まあ、コールは攻撃用の聖霊術がないので聖女様と眷属契約しても、戦闘では役に立たないんですけれども……』
「そんな事ないよ! 確かにコールと契約する意味はないけど!」
『うぐう!』
「お母さんの側に毎日いてくれるだけで、わたしそれだけでコールには感謝してるんだよ」
『……聖女様〜!』
……つまり、リュカが元々契約していた聖霊は、真美と眷属契約して『100%』の力と一部『聖女の力』が使えるようになっていた。
その力でもって魔物を倒し、厄気は真美が浄化した……という話のようだ。
聖女が聖霊と契約すると、元々他の人間と契約していた聖霊もまた『100%』の力が出せるようになり、聖女の力の一部により、厄気を散布させる事なく魔物を倒す事が出来る。
厄気の浄化そのものは聖女にしか出来ないが、厄気を増やさなくて済むと思えば——。
(こんなに……すごい事だったんだ……)
自分自信で経験して、初めて分かる事。
厄気の恐ろしさ。
聖女の力の凄さ。
この世界の人間が、異世界から人を攫ってまで救いを聖女に求める意味。
真美が拒めば……その命を奪ってでも新たな聖女を望まなければならなかった理由。
この世界の人間にとってはまさに聖女とは『命綱』。
自分たちの存亡を賭けた『希望』そのもの。
「…………」
その希望を一身に背負う娘の重圧は、どれほどなのか。
改めて考えてしまう。
しかし、その力にすがる他ないこの世界の人たちの事情も……『体験』してしまった今となっては責める事など到底出来ない。
「団長さんにもお礼を言わないとね……」
「うん、そうだね。すごく心配してたから……」
真美がどこか遠くを見る目で同意してきた。
(……なんだ、その目は。いつからそんな目をするようになって……?)
子どもの成長の早さを、歩美はまだ理解しきれていなかったのだ。
そして、その日の午後。
立ち上がるのにも問題はなく、真美とコールを連れて城の騎士団詰所へと向かう。
寮へ行く途中で毎日必ず通る道だ。
歩美にはもう慣れた道。
「歩美様! 聖女様!」
「歩美様、もうよろしいのですか!?」
「は、はい。色々ご心配をおかけしました」
詰所の前に来ると、ハーレンと小隊長の一人が嬉しそうに駆け寄って来た。
頭を下げて「団長さんは……」と聞くと二人は複雑そうに顔を見合わせる。
「実は……今回アユミ様を……聖女の母君を危険に晒したとして今、聴取を受けておりまして……」
「え!?」
「サウザールの手回しです!」
「よせ、ラール」
「しかし副団長! 今団長が任を解かれでもしたら、あの業突く張りが……!」
「よせ! ……聖女様の御前だぞ」
「あ……」
「ど、どういう事なんですか?」
ハーレンに咎められて、しゅん、と肩を落とす小隊長。
不安な気配に、どんどん嫌な予感が増していく。
訓練中の騎士も小隊長の声に反応したのか、訓練の手を止めこちらを見ていた。
それに気が付いて、ハーレンが歩美たちを詰所の中へと案内する。
……そこは、この世界に来たばかりの時、リュカに連れられ、怪我を治してもらった場所。
黄色煉瓦造りで、物は少なく木のテーブルと椅子、棚が一つ。
それしかない。
あの時と同じ椅子に座り、ハーレンが椅子をもう一つ持ってきて真美に勧める。
そんなハーレンの分は小隊長が持ってきた。
ラール小隊長を立たせたまま、ハーレンが座ると話が始まる。
「サウザールとはこの国の貴族の一人……いえ、一派のリーダー格と言った方がいいか……」
「派閥の一番偉い人って事ですか?」
「はい。恥ずかしながら、我が国も一枚岩とは言い難い。……とは言え私も貴族……説明しても、説得力はないかもしれませんが……」
「か、構いません。教えてください」
ハーレンがラール小隊長に目線で合図する。
小隊長は扉の前を確認して、外へ出た。
この詰所への入り口はあそこだけで、左右にある扉は詰所の奥の建物へと続いている。
その扉の方もハーレンが確認して、鍵を閉めた。
「……き、聞かれたらまずい話なんですか?」
「聖女様とその母君にお聞かせして、連中に勘ぐられるのは目に見えているので……一応、ですね。これ以上リュカの立場を悪くするわけにはいきません」
「……!」
「……サウザール家は豪商人から貴族に成り上がった一族で、彼の派閥には金持ちが非常に多い。対して騎士団長……ジェーロン家は昔ながらの貴族……辺境の領主や王家に忠実な家柄の者などいわゆる『保守派』という立場」
「……保守派……」
歩美個人は政治がよく分からない。
保守派、というのもそれほどいいイメージはないが、豪商の成り上がりで金持ちばかりの派閥と聞くとそれはそれで「なんかロクでもなさそう」と感じる。
そして、その二つの派閥は王家を巻き込んでぶつかり合いを繰り返してきた。
成金の派閥……サウザールが率いる自称『革新派』は、古臭い体制を取り払い、より自由に商人が商売をしていける国作りを王家に推しているらしい。
表面上の聞こえはいいが、その実は商人が国の決めた価格を自分たちの都合のいい価格に設定出来るようにして、自分たちが物流を握る事が目的と言われている。
そうなれば財政は圧迫。
最悪破綻する。
商人だった頃ならばいざ知らず、今の『貴族』となった彼らに物の適正価格など分かるはずもない、というのが『保守派』の言い分。
そして、騎士団としても物の値を跳ね上げられては堪らない。
剣や鎧は元々が比較的高価なもの。
矢は消耗品として、どうしても定期的に購入しなければならない。
そんな中で、サウザール公は騎士団からも色々と搾り取ろうと前々から自分の息子の一人を騎士団に入れて内側から揺さぶりを掛けてきているのだそうだ。
「え、ええ……」
「うーん、お母さんわたしよく分かんない。どーゆー事?」
「え、えーと……つまり、元々商人だった人たちが、百円だった物をこれからは五百円にして売りたいって言ってるんだけど、そうなると困るからみんなでそんな事にならないように見張ってるって事」
「ふーん?」
「……でも、騎士団にもその、サウザール派、の人が他にもいる、って事ですよね?」
「はい。人手不足なのに漬け込み、経理に就かせようとしてくるんです」
「…………あからさますぎて……」
「はい」
誰がそんな奴らに経理を任せるか。
これは確かにハーレンが頭を抱えたくなる気持ちも分かる。
(…………団長さんって、本当に大変なんだな……)
メイリアに「書類仕事をきちんとしなさい」と怒られていたが、経理がそんな形で狙われていて、他にも人手不足や歩美や真美の警護、城の警護、王族貴族の警護……今後は魔物の積極的な討伐も入ってくるだろうと言っていた。
なぜ、自分の国の事に協力していけないのだろうか、その自称『革新派』の人たちは。
全くもって、理解が出来ない。
そんな風に圧力を掛けるのではなく、協力していかなければ乗り越えられないのではないのだろうか。
この世界は、それほど追い詰められているのではないのか。
思うところはたくさんあるが、ハーレンの深く刻まれた顳顬の皺が色々なものを物語っている気がした。
その自称『革新派』の皆様にとって、現状は『他人事』なのだろう。
自分たちの身に直接降り掛からない火の粉は対岸の火事。
そして、火の粉がかからないようにそんな愚かな人たちを守らなければならないのが……リュカやハーレンたち、騎士団なのだ。
これは確かに頭も痛くなるだろう。
歩美もその結論に達した瞬間これまでにない種類の頭痛を感じた。
(これだからバカは……。どの世界にもいるのね……。……けど、それは私も同じだったんだよね……)
歩美自身も厄気に飲まれかけて初めてその恐ろしさを……身をもって体験したのだ。
彼らも一度体験すれば意識が変わると思うのだが、わざわざそんな事を経験しに行く人たちなら最初からハーレンがこんなに深々顳顬に皺を刻む事もないだろう。
残念だ、実に。
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