第11話 厄気と魔物
真美とほんの少しだけ距離が近付いてから一週間。
歩美は今日も騎士団寮の家事を手伝いに来ていた。
もうこのままここに就職してしまおうか。
割と本気でそんな事を考え始めていた。
『マスター、お洗濯物乾いたのですわ』
「あ、ありがとうコール……相変わらずすごいね」
『ふふーん、太陽の聖霊なのですから、このくらい余裕なのですわ』
そして……あの日、歩美の涙から生まれたこの聖霊、コール。
歩美の事をマスター、と呼び、付いて回るようになった。
契約した覚えはないのだが、聖霊は名を教わり、名を教えた相手を契約者とする。
歩美はコールに『名を与えた』。
それは特別な契約だったらしい。
一般的に契約は人間の霊力をもらって聖霊が聖霊術を使わせるという、WIN-WINなもの。
しかし、名を与えた歩美とコールの契約は歩美が主人であり、コールは召使い。
歩美は霊力がないので、コール以外の聖霊は見えないし声も聞けないまま。
つまり、一方的にコールが聖霊術を歩美に捧げる形なのだ。
それは嫌だと言ったのだが、名を与えるとはそういう事だと言われてしまった。
その上、彼女は『太陽の聖霊』と呼ばれる、少し特別な聖霊。
リュカに習った話だが、この世界の聖霊には十もの種類がある。
地、水、火、風、木、氷、雷、月、太陽、黄昏。
一般的なのは地、水、火、風。
少し珍しいのが木、氷、雷。
とても珍しいのが月、太陽。
そして、聖霊を統べる聖霊王は黄昏……全ての属性を持っている。
それぞれ得意な事と、苦手な事、出来ない事があり、体の小さな聖霊は子ども。
大人の姿は一人前の聖霊。
ただし、聖霊王以外はみんな手のひらサイズ。
コールはとても珍しい『太陽』の属性。
その名の通り、太陽の力を持つのだという。
そして、コールのその力は実に——実に便利だった。
「確かに一瞬で洗濯物が乾くから、干す手間がない! その上、太陽の光をたっぷり浴びたようなこの、太陽の匂い! 最高! ありがとうコール! 天使!」
『もっと、もっと褒めて良いんですのよ!』
そして、ここ一週間で存在は安定し、性格も瞬く間に大人びた。
メイリアに淑女教育を施され、どこぞのお嬢様のような口調になったのだ。
今のところ洗濯物を一瞬で乾かし、動かす事の出来ないベッドマットを天日干ししたようにホクホクに仕上げる以外の特技はないものの、その反響たるや。
不眠が治った、とてもよく眠れる、快眠すぎて体調が良くなった、枕がフカフカになって肩こりが治った、太陽の匂いのおかげですぐ寝付ける……などなど……絶賛の声が毎日届いております。
「あらあらまあまあ、今日も仲良しねぇ、アユミちゃんとコールちゃんは。お洗濯物が乾いたら次はお掃除よ。二人が来てくれてますます仕事が捗るようになったわぁ。とってもありがたい! ありがとう、二人とも」
「あはは……いやいや、こちらこそ」
『もっと、もっと褒めても良いのですわよ!』
「コ、コールはその辺で。謙虚さも必要よ。……それで、今日はどこを掃除するんですか?」
裏口から出てきたメイリアと、乾いた洗濯物を畳んで食堂に持っていく。
あとは帰ってきた騎士たちが、ここで自分の洗濯物を回収していく手はずだ。
夕飯の仕込みまでは時間もある。
メイリアは、これから掃除をするらしいが……。
「寮内は最近、結構綺麗ですよね」
「ええ、だから今日はお庭のお掃除よ。全然手を付けられていないから、荒れ放題なのよ……。お料理に使う香草もあったはずなんだけど、すっかり雑草に埋もれちゃってねぇ……」
「そ、そうなんですか。つまり草むしり……ですか?」
「それもあるけれど、蔦が絡まっていたり、枝が伸び放題だったり、落ち葉で覆われてしまっていたり、とにかく色々やらなければいけないのよね。道具は用意してあるから、まずは行ってみましょう」
「はい」
『分かりましたわ』
食堂から出て、玄関に回る。
そこに用意してあった箒やちりとり、鎌や熊手を持ち、別館側へと進む。そこに広がっていたのは……!
「うっわあ! こ、こんな事になってたんですかっ!?」
あまりにも。
あまりにも凄惨な現場だった……。
背の高い草が生い茂り、植木は蔦に覆われ、樹木は枝が伸び方。
ガゼボなど草や蔦に覆われすぎて緑の塊のようになっている。
中に見えるテーブルや椅子は見るからに泥だらけだ。
アーチ状の薔薇ロードは剪定がなされいない為、もはや閉鎖状態。
まさしく、荒れ放題の庭。
「昔はお城の庭師が手伝ってくれていたのよ。でも、人手不足で完全に放置されてるの。わたくし、さすがに庭仕事はこれが初めてなのよ」
「えっ! メイリアさんも初めてなんですか!?」
「という事はアユミちゃんもね? ふふふ、二人で頑張りましょう」
「俺も行くので待っててください」
「「あ」」
がら、と開いたのは別館の窓。
おかしい、こちら側はハーレン副団長の執務室と自室がある方のはずなのに、なぜリュカが顔を出すのか。
そう思っていたら苦笑いのハーレンも顔を出した。
他にも小隊長たちが後ろに控えている。
「あら、会議中だったの?」
「そんな大層なものではありませんよ。簡単な人事異動と調整です。志願者が来たので、どこの隊に配属させるかなどを決めていただけですよ」
「へえ、新人さんが来るんですか!」
「幸い部屋は余っていますからね。四階の第二小隊の四人部屋に放り込む予定です」
「メイリアには後で詳しく話す。……ローズンと木の枝の剪定は危険だから俺がやる!」
と、リュカが少し怒った様子で窓枠から引っ込む。
ハーレンと小隊長たちの困った笑顔。
歩美とメイリアは顔を見合わせて、クスクスと笑ってしまった。
騎士団長が庭の手入れの手伝いを自主的に言い出すなんて……。
「でも良いんですか? 騎士団長お借りしちゃって」
「もちろん。団長はアユミ様の護衛ですからね」
「…………」
軽く冗談のつもりで投げ掛けた。
しかし、ハーレンには笑顔でなげかえされてしまう。
おかげで歩美の方がそのストレート具合に照れる羽目になった。
団長は『歩美の』護衛。
それが、なにやらとても気恥ずかしく聞こえた。
そして間もなく、鎧を脱いだリュカが大きな枝切り鋏と
鎧を身に纏いながらも平然と動き回るので、さぞやと思っていたが歩美の想像以上にがっしりとした体型。
片手で三メートルほどの梯子を抱え、なんとも贅沢な胸板を惜しげもなくさらす。
他にも肩、腕、腿。
服の上に浮かぶ割れた腹筋に、思わず歩美は目を手で覆った。
「アユミちゃん? どうかしたの?」
「え! あ、い、いえ!? なんか、よ、鎧を着てない団長さんは初めて見たので! なんかこう、見てはいけないものを見たような!?」
「はい?」
「あらあら? まあまあ? どういう事?」
「き、気にしないでください!」
この世界に来て驚いた事は数多い。
その中の一つに、お城の人たち、騎士団の人たち、とにかく出会う人が皆、容姿の整っている人が多い事。
リュカはその中でも、歩美が幼少期に本で読んだような『王子様顔』だ。
それがあまりにもむきむきで、少しやるせないものもあり……その逞しさに女性として憧れるものもあり……とにかく様々なものがゴチャゴチャと入り混じる。
「じゃ、じゃああの、高いところはお願いします」
「はい、お任せください。メイリアはあまり無理をしないように。あとちゃんと帽子を被って。今日は陽射しが強いんだから」
「あらあらまあまあ……相変わらず心配性ねぇ、誰に似たのかしら」
枝切り鋏を持つ手に掛けていた布は帽子だったようだ。
二つ折りになっていたそれを受け取り、開くとなんだかんだ嬉しそうなメイリア。
もう一つを、リュカは歩美に差し出した。
「わ、私の分もですか?」
「当たり前です。作業中に頭を守るのは大切ですよ」
「あ、ありがとうございます」
確かに異世界の庭は……植物は凶暴なものが多い。
もしかしたら頭を齧られたり、種や果汁を飛ばされたりと激しい抵抗も予想される。
素直に帽子を装着した。
「手袋も忘れないでね」
「はい」
「団長、俺たちも手伝います」
「お前たちは持ち場に戻って構わないぞ。書類仕事があるなら片付けろ」
「は、はーい」
「そうでした……」
窓から顔を出した部下たちの申し出を断って、梯子を柵に掛け、固定すると枝切り鋏を持って登っていく。
その姿を見届けてから、あの逞しい背中に背負われたのだと思い出す。
確かに今日は、少し陽射しが眩しい。
だからだろうか、余計な事が頭をよぎる。
『マスター』
「そうだった、私も始めないと……」
「じゃあ、私は香草のあった場所をやるから、アユミちゃんは玄関辺りから始めてくれるかしら?」
「はい。行こう、コール」
『はぁーい』
それから、一生懸命草を抜いた。
幸いに雑草の抵抗は小さな悲鳴程度。
それでも悲鳴を上げられるのはちょっと気持ちが悪かった。
有毒なものはコールが教えてくれるので、避ければいい。
あとでメイリアの契約聖霊が燃やしていくだろう。
柵に沿って周辺の草抜きをして、抜いた草を熊手で一箇所に集める。
粗方終わると、メイリアに「柵の外も頼めるかしら」とのんびりとした声で言われた。
もちろん構わない。
むしろ、こうして頼まれるのは嬉しい事だ。
コールを伴って柵の外へと回ると、改めてなかなかの光景に肩が落ちる。
毎日通う石畳の道はともかく、その周りも草が伸び放題。
道の周りは森なので、草が生い茂るのは構わないが……柵の周りは些か放置しすぎではなかろうか。
「はあ。……よし、やるか!」
『頑張って、マスター!』
ざくざくと、小石畳の合間に生えた草を引っこ抜く。
どのくらいそうしていたのか。
別館の側面辺りまで来た時に、さすがに同じ体勢が辛く感じて立ち上がった。
『マスター、大丈夫ですか? 一度お水を飲んだ方がよろしいのでは?』
「そうねぇ……」
『! マスター、大変! 厄気の気配です!』
「え!」
『なに、これ! すごい勢いで近付いてきます……は、早く寮の中に逃げましょう!』
「え、あ、わ、分かった!? ええ、や、厄気って移動するものなの!?」
突然の言葉に、一瞬なにを言われたか理解が出来なかった。
聞き慣れないそれに、理解が追い付けなかったのは仕方がない。
しかし、すぐに『厄気』=『危険』と思い出す。
『厄気は蠢いたりはしますけど、こんなスピードで動かないです! だから、きっとこれは魔物!』
「魔物!?」
『早く! 急いで! コールは他の属性の聖霊と違って戦ったり出来ません!』
「わ、分かった!」
——魔物は厄気が高濃度で凝縮して生まれるものだと習った。
聖霊術以外の方法で倒すと厄気を振りまき、大地を腐らせる。
とはいえ、普通の人間が聖霊術で倒しても、聖女のように『浄化』出来るわけではない。
『浄化』は『厄気』を『霊気』……いわゆる人間の持つ『霊力』のようなものに変化させる特殊な力。
聖霊にとっては食事に近いらしく、『霊気』が足りない場合聖霊たちは人間の霊力に依存する形になるそうだ。
そして、人間と契約していない聖霊はどんどん弱り、消えていく。
聖霊が消えれば、万物が弱体化する。
そう、それは滅びだ。
それに喜ぶのは『魔女』だけ。
そして魔物を倒すほどの霊力を持つ人間は、それだけ貴重となる。
例えば騎士団、団長のリュカや副団長ハーレン。
聖殿長リツシィ・ハウ、副聖殿長マオイ・エーダ。
それを聞いた時、自分がそんなすごい人に四六時中護衛されているのはやはりおかしいのでは、とも思った。
だが、国王がそれほどに『聖女の母』を重要視しているのだとも言われたのだ。
それに些かのプレッシャーを感じたのも事実だが、真美の話を聞いてからは、では真美の感じるプレッシャーはこんなものではないのでは、と思うようになった。
「はあ、はあ」
『マスター遅い! 運動音痴ですの!?』
「ひ、ひどくない? はあ、はあ……さ、三十も半ば過ぎて、はあ、そ、そんな速く走れないよぉ〜」
『頑張ってください! もうそこまで来てるんですよ!』
「わ、分かってるけど〜」
しゃがみ続けていたのに、いきなり立ち上がって走るなんて無理である。
コールに怒られながらも、ヨロヨロ走っていると……。
『っう!』
「…………」
コールが突然止まる。
門の前へと向かうその道を塞ぐ……なにか、黒いモヤモヤとした塊。
空に浮かび、それは次第に肉塊のようなものに色を変えていく。
ぎょろりと目が現れて歩美を見る。
……現実感が、ない。
恐らく、異世界から来た歩美には『実感がない』状況だった。
CGかなにかのようなそれが、不気味な音を放ちながらバキバキと成長していく。
ただ気味が悪い現象が目の前で起きている。
頭が追い付かない。
テレビや映画で見ているような気分だった。
行く手を阻むように現れた肉塊は、鳥の形に近い姿になる。
あまり大きくはない。
しかし、赤黒い液体を牙の生えた嘴から垂らしながら『ケケゲゲゲ……』と笑い声のようなものを漏らす。
ゆっくり近付いてくるそれに、頭の回路がようやく繋がる。
「きゃ、きゃあああぁぁぁあ!」
魔物。
それがそうなのだ、と認識した瞬間、腹の底から声が出た。
逃げなければ、まさかこんなに恐ろしい姿をしていたなんて。
まるで、溶けた肉の塊。
浮かび上がった血管のような部位からプシュ、プシュ、と出るどろりとして体液が、地面に落ちるとそこから腐敗臭が広がった。
あれで大地を腐らせるのだ。
なんという存在なのか。
「っ!」
『マスター!?』
がくん、と腰から下に力が突然入らなくなった。
(うそ、腰、抜け……抜け……)
逃げなければいけないのに、力が入らない。
ガタガタ膝が震えて、立ち上がれない。
『ケケゲゲゲゲゲゲ……』
『マスター、どうしたんですか!? 早く逃げないと! マスター!?』
「あ……っ、こ、腰が……抜け……」
『ええぇ!? なにやってるんですか! 早く治してください! 魔物が目の前にいるんですよ!? このままじゃ食い殺されちゃうんですよー!?』
「そ、そんな事言われても!」
体が震えて、立つ事はおろか腕や足に力が入らない。
ゆっくりと近付いてくる魔物。
そのあまりにも気味の悪い姿に、目を背けたい。
しかし、目を背ける事が出来なかった。
背けた瞬間に……襲われる。
本能でそれを感じ取っていた。
『マスター! 頑張って! 頑張って逃げないと! 早く! コールは戦えないんですぅ! だから、あ、あぁぁ……っ』
「っう……!」
聖霊は人間に物理的に触れる事が叶わない。
周りを飛び回っていたコールが、歩美の肩に降りてくる。
魔物に襲われたら、聖霊も食い殺されてしまうのだろうか?
口を大きく開けた魔物。
思い出すのは真美の事。
逃げなければいけないのに、逃げなければ。
そうだ、死ぬわけにはいかないのだ。
娘を一人、遺してなど……。
小石を握り、投げ付ける。
こつ、と当たるがどう見てもダメージはない。
しかし、それでも僅かに変化はあった。
湿気ったような空気。
へばりつくように歩美の周りを重苦しくしていく。
呼吸がますます荒くなり、息がしづらい。
「はあ……はあ……」
『あ……あぁ……厄気が……もう、もうだめ……』
目を閉じる。
正確には、開けていられない。
生温かい気配と吐息のような風が辺りを包んだ。
喰われる。
そう思った時、バギィ、と鈍い音がした。
「?」
どんどん重苦しくなる体に耐えられず、上半身も小石畳の上に横たえる。
それでも、音の方をなんとか見上げた。
痛みはいつまでも襲って来ず、魔物の悲鳴のような、悶え苦しむような音が聞こえてきて不思議に思う。
金色の髪と、黒いインナー。
逞しい背中と、右手に携えられた剣。
「え……」
『リュカ様!』
コールの声に懸命に目を開けようとする。
かろうじて分かった、その背中の主。
背中越しになにか言っていたようだが、体がどんどん重くなって意識が遠のき始めた。
目を開けている事も難しい。
「聖なる加護よ、我に力を! 行くぞルーナ!」
気分がひどく悪い。
頭も痛む。
けれど、彼の声が微かな希望のように心を温かくした。
不思議と意識を手放しても大丈夫だと。
『マスター……!』
「…………」
ドス黒いなにかが体と心を押さえ付けるような感覚に襲われた。
それでも、どこかで光のようなものが歩美の心を支えてくれる。
(リュカさんが……来てくれたから……きっと大丈夫……)
人の悲鳴のようなものが耳の奥から聞こえた。
人の手のようなものに、身体中を押さえ付けられるような感覚は……どんどん強くなる。
「アユミ!」
その声も遠い。
とても。
闇に飲み込まれるような。
(リュカさ……ん)
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