第6話 騎士団寮
「うぅ〜〜ん」
読み書きを教わるようになって一週間。
娘、真美と共に本日も部屋で本と睨めっこしている。
文字は日本語とも、英語とも違う。
なだらかなラインではあるが、一つ一つの単語が独立している。
そこは日本語と同じだが、なに分、文法が英語のようなのだ。
「難しい」
「お母さん、頑張って」
「うんんん〜。真美はすごいね、もう文書が書けるようになったの?」
「うん、覚えると簡単だよ」
天才なんじゃないだろうか。
真顔で娘の新たな才能に驚愕と賞賛を送った。
「……でも、ご飯はあんまり美味しくないよね……わたし、お父さんのご飯食べたい……」
「っ!」
「…………ごめん、うそ。なんでもない……」
「…………真美……」
顔を上げる事なく呟く娘。
付け加えられた言葉の方こそ、きっと「うそ」だろう。
「……っ」
思えば家事は任せきりで、ご飯を作った事はほとんどない。
いや、思い返しても……旦那に作ってもらった記憶しかなかった。
真美はほとんど元夫と一緒にいたが、経済的に元夫は真美を引き取れないと判断し歩美に託したのだ。
羽ペンを握る指先が冷える。
確かにこの世界の料理は可もなく不可もない味。
見た目もそこまで酷くはないが、歩美たちがいた世界に比べれば本当に『微妙』だ。
とてもシンプルで、飾り付けなどもなく、彩もほぼ一色。
肉なら肉しか出てこないし、野菜なら野菜しか出てこない。
極端なのだ、とても。
「よ、よし! お母さん厨房借りてくる! 私たちの世界のご飯を、食べさせてあげようじゃない!」
「え? いや、いいよ。無理しなくて。お母さん料理出来ないじゃん」
グサっ。
ストレートに突き刺さった。
「そ、そんな事ないわよ! お母さんだって料理くらい作れます〜っ!」
「だって作ってるとこ見た事ないし」
「うっ! つ、つ、作ってなかっただけで作れないわけじゃないし!」
「…………」
じとり、という眼差し。
突き刺さる圧。
それに耐え抜き、なんとか「まあ、見てなさいよ」と虚勢を張ってみる事に成功。
「昼ご飯は期待しているといいわ!」
「はあ……まあ、期待しないで待っててあげるよ」
辛辣だった。
(ああまで言われると、なにがなんでも美味しいものを作ってギャフンと言わせたくなるわよね〜! でも、料理を作った事ないのは本当だし……いや、なんとかなるわよ! この世界の料理人に、元の世界の料理に近いものを教われば! それっぽく出来るんじゃない!?)
と、メイドに相談して、厨房に案内される道すがら一人でほくそ笑む。
その不審な姿に笑顔を引きつらせながら、歩美に「こちらが厨房ですよ」と案内してくれた……その先で——。
「なっ」
「まだ十食分しか出来てないだと!? 昼までに間に合わせる気あんのかテメェら!」
「「「おす!」」」
「皿ァ出せ皿ァ! 出来たやつから運べぇ! スペース足りなくなんだろーがぁぁ!」
「「「おっす!」」」
「夕飯の支度も始めろ下っぱどもォ! 皮剥きは外だっつってんだろーがぶっ飛ばすぞ!」
「「「お、おっすぅ〜!」」」
……死地を見た。
飛び交う怒号。
転ばない程度に駆け回る見習いらしきシェフ。
殺気悶々の、想像していたよりも狭い厨房。
恐る恐るメイドさんの方を見て厨房の中を指差すと、へにょ、と笑われる。
この中に入って行く事は、どう考えても無理。
それを分かった上で連れてきたのだろうか。
「聖女さまのお母上様のお願いならば、多分窯の一箇所くらいお借り出来ると思いますが……」
「いや、そこまで神経太くないし傲慢でもないから! こんな忙しそうな所邪魔出来ないです!」
「そ、そうですか。そう仰って頂けると助かります。この時間帯、城の厨房は昼食の準備で戦場のようでして……。なにしろ十人ほどでここで数百人分の昼食を作っているので、こう、人も足りませんし場所も手狭で……」
「うっ」
それを言われると、身を引く他ない。
人様の仕事の邪魔をしたいわけではないのだ。
しかし、真美には大見得を切ってしまった。
「他に、空いている厨房って、ないですか?」
「そうですね……騎士団寮の方なら空いていると思いますよ。昼間は騎士たちも城の食堂で食事をするので。寮は朝と夜しか使ってないんです」
「なるほど……。そちらを借りられませんか? あと、いくつか食材を頂きたいんですけど……可能でしょうか?」
「ご用意します。寮の方へは……」
「アユミ様! お待たせしました、野菜を畑からもらってき……?」
ました、と続ける予定だったリュカ。
手にはレタスのような紫の葉物野菜、トマトの形をしている真っ青な実、赤い色をしたきゅうり風のなにか。
「…………」
サラダくらいなら余裕で作れる、と思っていた歩美も、原材料を見たら一気に自信がなくなった。
野菜の概念がトラックに轢き殺されたような気持ちだ。
思えばサラダはコンビニやレストラン、家で元旦那が出してくるものも、きちんと皿に盛られた完成品。
サラダなんて葉物野菜をちぎれば作れると安易に考えていたが、そもそも、ここは異世界。
元の世界とは野菜の種類が全く異なる。
これまでは野菜が出てくると、そのカラフルさで食欲が奪われていた。
しかし、味そのものは野菜。
それに火が通っているものが多かった。
「…………だ、大丈夫、ありがとうございます、いけます!」
「? はい?」
「ジェーロン団長、実は城の厨房ではなく騎士団寮の厨房をお借り出来ないかと、今アユミ様とお話ししていたところなのですが……」
「騎士団寮の? ああ、なるほど…………」
と、厨房を見たリュカはすぐに状況を察してくれたようだ。
入り口の近くでこの怒号。
異世界の人間でなくとも、そこへ飛び込むのは相当の覚悟と勇気が必要だ。
「構いませんよ。今の時間は管理人のメイリアしかいないはずですから」
「メイリアさん、ですか」
「はい。…………お恥ずかしながら、俺の母なのです。父も騎士をしておりまして、父が亡くなった後も騎士団の者は皆家族も同然だと言って世話を焼いてくれているんですよ。分からない事は彼女に聞いてください」
「……、……分かりました、ありがとうございます」
そうしてメイドと別れ、一階の廊下を進み、渡り廊下を進む。
ほんの一日だけなのに、やけに久しぶりに来た感覚。
森に囲まれた騎士団の詰所と、訓練場。
そこでは何人もの騎士が軽装で訓練をしていた。
それを通り過ぎ、石畳の道を進むと木々に囲まれた五階建ての大きな建物が見えてくる。
赤い屋根とクリーム色の壁。
壁には蔦が針巡り、ほどよく森と一体化している。
その隣には屋根と壁のある渡り廊下が見えた。
別館らしい三階建ての建物。
色合いは同じだが、横の建物に比べれば少し小さい。
黒い鉄の門と鉄格子の柵に囲まれ、中には緑の茂った庭がある。
ほんのりとした甘い香りは花かなにかだろうか?
「あ、あれは畑?」
「ええ、今拡げようと思って計画を立てているところです。……農民たちに頼りきりでは、彼らの食べる物が足りなくなってしまいますからね……」
「…………」
柵の奥、森のあたりに見えたものを指差すとそんな答えが返ってくる。
そしてその悲しげな声と表情に……この国の状況が詰まっている気がした。
困窮している、とは聞いていたが、騎士団が寮の側に畑を作らなくてはならないほどだとは誰が想像するだろう。
その上、ここからでも見えるあの畑を更に拡げる予定とは。
「えっと、あの、食べ物が足りないんですか?」
「……厄気は土を腐らせるんです。聖女様の浄化のお力がなければ、これからも作物を育たせる事は難しいでしょうね」
「っ!」
「『ハルバンド』付近の農村地帯は……壊滅しています。国の食糧の三割を生産していた土地です。……侵食が進めば生産量は更に減るでしょう。魔物による被害も著しい。食糧はいくらあっても困らないので、まあ……訓練がてら、こういう事もしています」
鍬を振る動作は、剣に通ずるものがある。
と、呟くリュカから目を背けた。
飽食の国に生まれて生きてきた歩美には、その状況が上手く想像出来ない。
しかし、自分たちが『美味くも不味くもない』と文句を言っていたその食糧は、とても……恐らくとても大切なものだったに違いないのだ。
それなのに気楽に『サラダぐらい簡単だろう』と考えていた自分はなんとも……『傲慢』だったのかもしれない。
(恥ずかしい……自分でそんなんじゃないって言っておきながら……やろうとしてる事は傲慢じゃない)
知らなかったから仕方ないと逃げるのは簡単だ。
だが、この世界について知ろうとしている人間のやる事ではなかったかもしれない。
自分は無知なのだという事を、もっと肝に銘じなくては、と思った。
「あの」
「はい?」
「……厄気と、魔女と……なんでしたっけ? 王様がいらした時の事、えーと、召喚された時に聞いた話……もう一度教えてもらえますか? あの時は、かなり混乱してて……」
「ああ、そうでしたね」
頭がガンガンと痛み、ぐるぐると理解を拒んでいた。
だから話の内容も上手く思い出せない。
門を潜り、リュカが箱を片手に持ち直し扉を開け、お礼を行って寮の中に入る。
木の香りと、緑の香り。
見れば玄関を入ってすぐに観葉植物が置いてある。
「……お話は後ほどでも?」
「はい」
「先にメイリアを探してきます。食堂でお待ちください」
「あ、はい」
と、食堂を指さされた。
玄関入り口に入ってすぐ、右手に受付カウンターのようなものがあり、その奥の観音開きの扉の奥が食堂らしい。
玄関真っ正面には階段。
その脇にはドアの付いた小部屋がある。
リュカがトイレはあそこです、と付け加えてカウンターに野菜の箱を置くと左の方へと向かう。
恐らくあの先は、別館のような建物に続く渡り廊下だろう。
その渡り廊下の奥、玄関正面にある階段の横にも部屋があるが……場所的に考えて応接間か、管理人の部屋だろうと食堂の方を向く。
観音開きの扉の片方を開けて、食堂に入るとふわりと太陽の香りがした。
角部屋らしく、右と正面はほぼガラス張り。
窓枠はあるが燦々と陽の光が入ってくる。
ふらりと右側の窓に近付いて表を覗くと、草花がたくさん植えられていた。
そのまま窓に沿って歩く。
入り口正面の窓枠の外には、大量の洗濯物がはためいている。
「!」
窓縁に指を置くとゾリ……と砂埃が指についた。
見ると窓も少し汚れている。
掃除が行き届いていないんだな、程度に思ったが、はためく洗濯物の合間に灰色の髪を団子にしたか細い女性の背中が見えてハッとした。
慌てて窓を一箇所開ける。
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